「……プロレスラー?として…お前の団体のリングに上がる、だと?」
リュウはジンマの言葉を繰り返したが、その顔は戸惑いで一杯だった。
「そうだよ!あんたほどプロレスラーに向いてるヤツはいない!」
ジンマは土下座の姿勢から勢い良く立ち上がり、リュウの両肩に手を置いて興奮した声で続けた。
「その適度に脂肪が乗った筋肉質な身体つきといい、跳躍力をはじめ並外れた身体能力!スピードとパワーを兼ね備えてるし、打撃技から関節技、空中殺法にラフファイトもOK!そりゃあ背丈こそ足りないものの、脚が極端に短いわけじゃないし、スタイルは決して悪くない!」
(俺より背が低いくせに何を言いやがる)
後半の余計な言葉にリュウはムッとして、両肩に置かれたジンマの手を両手でバンッ!と撥ね上げて払った。
ジンマは慌てて言葉を続けた。
「何よりあんたには華がある!スター性がある!顔立ちは整ってるし、男から見ても女から見ても嫌味の無い男前だ。いくら顔がよくてもチャラっぽいと反感買うし、男臭すぎると女の子があまり寄ってこない。色気のある優男だと一部にしか受けないし…」
「俺の面の話なんかどうでもいい!」
必死で褒めようとしたジンマをさえぎってリュウは言った。
「そもそも、プロレスって何なんだ?」
「……え?」
ジンマは呆気にとられた。
リュウは答えないジンマに苛立ち、再度怒鳴るように聞いた。
「だから!プロレスっていったい何なんだ?!」
「───プロレスは、プロレスとは…」
ジンマは少年のように目を輝かせて叫んだ。
「底が丸見えの底なし沼なんだよ!!!」
(なんだそりゃあ!?)
まったく嚙み合わない空気が二人を包んでいる。
もはや【禅問答】であった。
見かねたシュウが声をかけた。
「リュウ、もしかして自分、プロレス見たこと無いんとちゃうか?」
「ああ。見たことも聞いたこともねえ。だから聞いてんだ」
あっさりと答えたリュウに
「ええっ???」
思わず大声を出して驚くジンマであった。
「ほな、カントクさんの店でプロレスラーに間違われた時も、何のことかわかってなかったん?僕が『あんどれ』いう、樵からプロレスラーになった人の話した時も?」
シュウがやや呆れながら質すと、
「そ、そんなはずないだろ!」
ジンマがリュウの腕をつかんで言った。
「だってあんたは、ウエンビュウに逆エビ固めで勝ったし、サコウを倒したのは延髄斬りだった!どっちもプロレス技じゃないか。それに委員長のヤッさんに4の字固めをかけたって話も聞いたぞ!そんなにプロレス技使ってんのに、知らないなんてわけあるか!──痛てててて!」
リュウの腕をつかんだ手をまたもひねられ、ジンマは悲鳴を上げた。
「知らねえもんは知らねえ!俺は兄貴にしごかれてた時にやられた技を身体で覚えて、自分も使うようになっただけだ。とにかくプロレスってやつは俺には無理だな。底が丸見えの底なし沼とか、何が何だかわからねえものをやれるわけがねえ。あきらめてサツマに帰りな」
再び背を向けたリュウに、
「待て!わかった!知らないなら教える!わかるように説明する!だから、今から俺の団体の事務所に一緒に来てくれ。話だけじゃなくて映像も見せるから絶対わかる!見たうえで判断してくれりゃいいし、わからないところは質問してくれ!な、頼む!」
「嫌だ!シュウ、行こうぜ」
足早に去ろうとしたリュウの背中に、ジンマは必死で叫んだ。
「説明が終わったら、ヒゴの美味い名物料理をご馳走するから!食わなきゃ絶対後悔するよ!」
リュウの足がぴたっと止まり、ゆっくりと振り返って
「…しょうがねえな。話を聞くだけだぞ」
と言ったその唇には、すでによだれが光っていた。
「……なんだよ、これは」
パソコンのモニターに映し出された映像を見て、リュウが身体をわなわなとさせながらジンマに鋭い目を向けた。
「これ?これがウケるんだよ!特に子どもが大喜びするんだ」
「ふざけんな!」
ジンマの胸ぐらをつかんでリュウは怒鳴った。
「ケツが丸出しじゃねえか!」
モニターに流れていた映像とは…
マットに叩きつけられた男が、次の攻撃に移ろうとした相手のタイツを苦し紛れに引っ張って、尻が丸出しになった。
その仕返しに、今度は相手が引っ張った男の尻を丸出しにしてから投げ技を喰らわしていた。場内は笑い声が満ちていた。
リュウは怒りを込めてジンマの胸ぐらをギュッと搾り上げた。
「なんで闘ってる最中にケツの出し合いしてんだ!プロレスってケツ見せるもんなのか?!」
まあまあ、とシュウがなだめてリュウの手を離させた。
「これもプロレスの一部なんだよ!プロレスには楽しさ、面白さもあるんだ」
ジンマはリュウにつかまれて乱れた胸元を直し、息を整えてから答えた。
「空手家のリュウさんにはわからないかもしれないが、お客さんは倒すか倒されるかの武道の試合を観に来てる人だけじゃない。ちっちゃい子を連れた親子連れやお年寄り、プロレスに興味ないけど彼氏に連れられて来た女の子もいる。そんな人たちもつい笑ってしまうような、わかりやすい面白さも必要なんだよ」
「まあ、たしかに怖そうな強い男がぷりんとしたお尻出したら、意外性があって笑うわなぁ」
シュウがあははは、と笑って言った。
(シュウ、何ジンマの肩持ってんだ!)
リュウはシュウを軽くにらんだ。
(お前もしかして、今朝の猿軍団への罰も実は笑いを取ろうとしてたのかよ?)
リュウは心の中でシュウに突っ込みながら「俺は空手家ってわけじゃねえ!」とジンマへ反論しだした。
「どこかの流派に入門して武道を習ったことはいっさいねえ。兄貴はちゃんと入門したのかもしれねえが、とにかく俺は我流だ。だがな、武道だろうがボクシングだろうが、闘ってる時にケツ見せるのはおかしいだろ!これがプロレスだって言うんなら俺は絶対やらねえぞ!」
「安心してくれ。これはあくまでも前座の試合だ。まあ、たまにはサービスでメインに近い試合でも尻出しすることはあるけどな。推しのレスラーの尻を撮ろうと、喜んでカメラ向けてくる女のファンも多いんだよ」
(ケツ丸出しの姿を撮るだと?───ありえねえ!)
リュウは顔を青ざめさせた。
「とにかく、前座はこの辺にして中堅クラスの試合だ」
ジンマは笑顔で映像を切り替えた。しかし、以降の試合もリュウは物言いをつけ続けた。
「なんで闘いの最中に観客へ向かってアピールしてんだよ!敵に背中を向けるなんて、死にてえのか!」
「倒した相手を床の真ん中にほったらかしてわざわざロープの角に登りに行くなよ!離れてそんなとこ行くから起き上がって反撃されてんじゃねえか」
「あの肘打ちはなんだ!?手のひらパァンと派手に鳴らして当たったような音出してるだけじゃねえか!」
「飛び蹴りもなんで胸板を狙う?どうせ蹴るならあごを狙えよ!ってか、なんであの空中で横になったような姿勢でポンと蹴る?振り抜くまわし蹴りのほうが効くに決まってるじゃねえか」
「あのね、プロレスってのは対戦相手と共に、お客さんとも闘ってるんだよ」
けしてよそ見をしているわけじゃない、とジンマは言った。
「観客席に向かってアピールをするのはお客さんを“乗せる”ためだ。お客さんをいかに引き付けるか、いかにハラハラドキドキさせて気持ちを盛り上げるか、痛い、苦しいって気持ちも伝えるか。それが重要だ。そして耐え抜いたその後につかんだ“勝利の気持ちよさ”ってのをわかってもらってはじめて、プロレスなんだよ」
(気持ちを伝える?闘ってる最中に?)
「コーナーポストに登ってダイブするのも、肘打ちも飛び蹴りも、見てるお客さんに動きや音で大きなインパクトを与えることが大事だからだ。ジャンプして両足揃えてのドロップキックは見栄えがいいだろ?」
(見栄え?そんなもんいるのか)
「そして一番重要なのは、対戦相手にケガをさせないことだ。互いにケガをさせないように安全を最優先にしながら、迫力のある闘いを見せることができるのがプロのレスラーなんだよ!」
リュウはますます困惑した。
「ケガをさせないように安全を最優先…?それって、本気でやらねえってことか?手抜き、八百長ってことなのか?」
「はっきり言っておくよ。プロレスの勝敗はあらかじめ決まってる。勝敗だけじゃなく、試合のあらすじも決まってるんだ」
「はあ?なんだそれ!?」
「ただ、手を抜いてるわけでも表面だけの八百長でもない。みんな真剣に、それこそ命を懸けてやっているんだよ」
「ちょっと待て!わけがわからねえ…」
「たとえばだ。映画とかドラマはみんな作り事だろ?いや、もちろんドキュメンタリーとかもあるけどさ。実際に人間が演じて作り上げてるって意味でだ。でも見る側はその話の中に深く引き込まれて、笑ったり泣いたり、怒ったり悲しんだり、励まされたりするじゃないか」
リュウは腑に落ちない顔をしていたが、代わりに?シュウが頷いていた。
「共感したり反感を持ったり、反省したり学びを得たり…いろんな感動をもらって心が動くだろ。あらかじめ決まった作り事でも、真剣に作ったらお客の心に嘘じゃない真実が生まれるんだよ。そしてそれはお客によって全然違う真実だ。ただ、見る人によっては何も生まれないこともある。“底が丸見えの底なし沼”ってのは、そういうことなんだよ。あ、この言葉は昔のプロレス週刊紙編集長の名言なんだ。深いだろ」
「…………」
黙り込むリュウを前に、ジンマは「ま、この『プロレスとは何か』ってテーマはちょっと置いといて」と言い、パソコンの映像を切り替えた。
「本当は中堅たちの試合の後にうちのメイン選手の試合を見せるつもりだったが、先にこっちを見てほしい」
映し出された映像には、ひとりの男が映っていた。
190㎝はありそうなバランスの取れた身体で、手足が長めである。
これ見よがしな筋肉とは違って、ナチュラルでしなやかそうな筋肉をしている。
そして顔立ちはあごがしっかりしており、目に強い力があった。
(これは誰だ?映像は古そうだが、この男の存在感は凄いな)
その男は対戦相手を殺気のこもった目で見据え、攻撃を仕掛ける際も受ける際も緊迫感が常にあった。そして攻撃をされている時は実に苦しそうな、悔しそうな、そして負けるものかという強い意志が伝わってくる表情をしていた。遠い位置のカメラからでもそれはわかりやすかった。
試合が佳境に入ると、気合の入った声を出しながら観客席に向かって拳を振り上げ、手を叩くなどアピールもした。だが、その際も対戦相手から意識を離すことはなく、まるで背中から殺気を放っているような雰囲気があった。前座試合で見たような緩慢さはまったく感じられない。
相手が首を絞めてきたり拳で殴ってくると、その男は怒りをあらわにして弓を引くようなナックルパートを相手の顔面に打ち込んだ。
動体視力の良いリュウの目にはその拳は寸止め、またはかする程度に見えたが、相手は大きくのけぞってその衝撃を表していた。
ジンマが嬉しそうに言った。
「ウエンビュウとの試合に、似てると思わないか?」
ウエンビュウがリュウの顔面に強烈なストレートを放った際に、リュウが自ら頭を大きく反らして接触を最小限に留めながら倒れ込んだことを言っているらしい。
リュウはジロリとジンマを見た。
(あれはプロレスだって言いたいわけか)
納得は行かなかったが、かといって否定する気も起らなかった。何よりもこの映像の中の男にリュウは強烈に惹きつけられていた。
たとえ筋書きのある闘いであったとしても、この男は本当の強さを持っている。
もしも殺し合いになったなら、この男はどんなことをしてでも必ず生きて勝ち残るであろう。そんな凄みを感じていた。
さらに次の試合映像では、その男が相手に強烈な頭突きを何十発も打ち込んでいる場面や、また別の試合映像では「生きているヤゴロウどん」と同じくらい巨大な相手を、リュウがやったと同じ方法でひっくり返している場面もあった。
「な?俺がヤゴロウどんとの試合を観てリュウさんに惚れ込んだ理由、わかってくれるだろ?」
そしてその男が放った延髄斬りは、宙返りから身体をひねって打ったリュウほどの高さはなかったものの、弧を描く足が芸術的なほどに美しかった。
ジンマはそこで映像を止め、リュウに向き直った。
「リュウさん、あんたはこの百年以上前の伝説の天才プロレスラー『イノキ』と同じものを持ってる!今のヒノモトで、この人のように観客に畏怖と憧憬の念を抱かせることができるのは、あんただけなんだ!」
だからプロレスラーになってくれ、と言いかけたジンマをさえぎってリュウは言った。
「───待て。まだ聞きたいことがある!」
(第三十三話へ続く)
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