リュウとシュウが向かった温泉は立ち寄り湯の施設で、阿蘇山の火口にたまっていた泉質と共通なのか、エメラルドグリーンの色をした湯が特徴であった。
湯船も様々な種類があったが、やはり巨体のシュウには開放感のある露天風呂を良しとして入ることにした。
そこは貸し切りにはできないものの、脱衣所にも、ガラス戸を通して見える露天風呂のほうにも人の気配はなく、ふたりだけでのんびり入れそうであった。
「昨日はあわただしかったが、今日はゆったりできそうだな!」
脱衣所で服を脱ぎながらリュウが嬉しそうに言った。
温泉は昨夜も闘技戦の後に神社で入ってはいたものの、老婆巫女を待たせていたので大急ぎで全身の汗を洗い流しただけだった。
「そやな。特にリュウは全部合わせて4試合もしたんやから、むっちゃしんどかったやろ。ゆっくり温泉浸かって疲れを取りや」
「まあ俺の場合は、飯食ったほうが疲れもすぐ取れるけどな」
笑ってシュウのほうを見たリュウであったが、その表情はみるみるうちに固まった。
(………………げっ)
「おお~庭園みたいでええ感じやな。木の枝ぶりもええし、溶岩をうまいこと使うとるね」
風情ある露天風呂の眺めに、シュウは湯に浸かりながら感激の声を上げた。
「お湯もちょっと熱めやけど、気持ちええな。ここの成分、美肌になるらしいで」
リュウに話を振るが、なぜかリュウは黙っている。
景色を眺めもせずに、湯船の端にある岩にもたれかかりこちらに背を向け、頭にタオルを乗せるというよりは被って湯に浸かっている。
(また寝てんのかな)
シュウはそう思って、気にせず自らの身体を湯船の中で伸ばし、タオルを置いた縁に頭を乗せかけて自分も目をつむった。
一方、リュウは寝ているわけではなく、ただ湯のなかでがっくりと肩を落としていた。
(────ウマだ。馬がいた…)
はぁ~~と大きなため息もついた。
(なんでどこもかしこもでかいんだよ…シュウは背丈だけで充分だろ)
傍に居ると落ち込むので、他の湯船に移動しようと湯から上がりかけたが、またもリュウの表情は固まった。
脱衣所に女が入って来たのが見えたのだ。
なんとそれは今朝助けた、あの美人だった。
「えっ!?」
あわてて湯船に身体を沈めながらリュウが叫んだ。
「お、おい、シュウ!ここって混浴だったのか?!」
「混浴?いや、男風呂のはずやで?…さっきまでは」
(さっきまでは?…アテにならねえ!)
リュウはガラス戸越しの脱衣所を指差してシュウに言った。
「ほら!あそこ!オンナ!今朝の美人がここに入ろうとして……え?」
衣服を脱ぎ去った美人の身体は、意外にも男性の特徴を現していた。
(女じゃなかったのか。じゃあ、あの猿軍団は気づかずに男を襲おうとしてたってことか)
シュウも驚きながら美人の姿を眺めた。
「あれま。べっぴんさんは『きれいなおにいさん』やったんか…細身やけどきれいな筋肉付いてるな。着やせする細マッチョさんや」
美人は長い髪をまとめ上げ、タオルで前を隠し湯船に近づいて来たが、間近に迫ってもまだ女性に思えるほど立ち居振る舞いは優雅だった。
「あんた、男だったのか。いやぁ驚いたぜ」
かけ湯をする美人にリュウは声を掛けた。
(しかも立派だ。ウマまではいかねえけど)
美人は湯船に浸かりながら、
「ふたり揃ってじろじろ眺めるほど、私の姿は面白いか?」
と、涼やかではあるがやはり男の声で言った。
「いや、面白いってわけじゃねえが、てっきり女だと思ってたから…驚いてじろじろ見ちまった。悪かったな」
「ごめんなぁ。でも自分、結構身体鍛えてるみたいやな。もしかしてさっきは、逃げてたというよりもあいつらを誘導してたんちゃう?」
「え?そうなのか?」
驚くリュウ。
「その通りだ。私は足も速いから、本気で逃げようと思えば出来た」
「ほな、どこか闘いやすい場所をあらかじめ目星付けてて、そこへ誘い込もうとしてたんやな。ところがそこへリュウが助けに入ってしもたわけや」
「じゃあ俺、良かれと思って邪魔をしちまったわけか」
「僕も『早よ助けに行ったり』って、リュウに発破かけてしもたわ~ごめんごめん」
「たしかに要らぬ世話だった」
(はっきり言う奴だな)
「だが、あいつらと君たちのその後の様子を近くで見ていて知りたいことはわかったし、これからも手間が省けそうな流れになったから、とりあえず礼は言わせてもらう。ありがとう」
「…おう」
(なんか腹立つな)と思いながらもリュウは礼を受け入れた。
「ふうん。知りたいこととか手間とか、なんか調べる必要があって自分は山に来てたんか。ナイフ持ってたやつらが言うてた、女の人が夜に拉致されてくるいうやつか?」
「想像に任せる」
シュウの問いに、美人の応答はどこまでも冷ややかだった。
(なんか最初に会った時のオオヒトを思い出すな。でもオオヒトのほうがずっと可愛げがあるぞ)
と、リュウは勝手に不満を感じていた。
そこに突然大声が響いた。
「リュウさん!!!やっと見つけた───!!!」
「はあ?」
脱衣所から飛び出して来たのは、眼鏡をかけた全裸の男だった。
風呂に入るのだから全裸は当然ではあるが、その男は前も隠さず両手を上げた万歳の姿勢で、喜び勇んでこっちに向かって来た。
(誰だ?)
見覚えのない男だったが、リュウの名を呼んだところを見ると向こうは知っているらしい。
「おい、前くらい隠せ!」
もうこれ以上他のヤツのは見たくない、とばかりにリュウが叫ぶと、
「あっ…タオル持ってきてないから、じゃあこうしよう」
と、眼鏡男は身体を後ろに向けて、顔だけをこちらに向けた。
(ケツを見せるんじゃねえ!)
さらに腹を立てたリュウだったが、眼鏡男は構わずにそのまま後ろを向いた姿勢で足から湯船に入ろうとした。
「熱っ!いやあ、探したよ~やっと追いついた!リュウさんに話が…」
男は嬉しそうに話しかけてきたがリュウは完全に怒った。
湯桶を手に取るや湯をすくい、
「かけ湯もせずに入ってくるな───っ!!!」
と怒鳴って、眼鏡男にぶっかけた。
「あっ!あっ!熱ちぃ───っつ!!!」
リュウがすくってぶっかけたのは源泉噴出口近くの熱い湯だった。
悲鳴をあげる眼鏡男に構うことなく、リュウはタオルを自分の腰に巻いてからさっさと露天風呂を出て行った。
「なあ、温泉マナー違反は俺が悪かったよ。謝るからさ、頼むから俺の話を聞いてくれないか。けっして悪い話じゃないから」
温泉施設の休憩処で、眼鏡男は頭を下げながらリュウに手を合わせていた。
しかしリュウは素知らぬ顔で、温泉施設で売っている“はちみつソフトクリーム”を食べていた。
「うん、このソフトクリームはウマいなぁ~コクがあって甘い!」
「阿蘇のジャージー牛乳に地元産のはちみつが効いてるなあ」
シュウも美味しそうに食べていたが、リュウに相手にされない眼鏡男に同情したのか、
「ほんで、ジンマさんやったっけ?自分はサツマからリュウを追いかけて来たん?ようここに居るってわかったなあ」
と、リュウの代わりに話を聞いてやった。
「そうそう、俺の名前はジンマ!神様の神に馬と書くんだ。シュウさん、覚えてくれて嬉しいなぁ」
(また馬かよ)
リュウはソフトクリームのコーンを“バキッ”と嚙み砕いた。
「いやぁ、苦労したよ~!昨日試合の時に本部席に座ってた人たちから『あの兄ちゃんはきばい屋に居る』って聞かされて、あわててきばい屋に行ったけどリュウさんは居なかったし、戻って来た店主さんに聞いたら『行先は知らないが修業に出た』って言われるし…。とりあえずヤゴロウどん神社の関係でサツマから近い所はないか、って夜中にいろいろ調べたんだよ。そしたらヒゴに分社のオオヒト八幡神社があるってわかって」
ジンマはリュウの方をチラチラ見ながら必死で話を続けた。
しかしリュウは相変わらず聞く耳持たずでソフトクリームをおかわりして食べていた。
(おネエちゃんが言ってた『貴方の心を操ろうとする者も多数やってきます。神を倒した英雄を利用しようと思う者も』ってのが、きっとこいつのことなんだろうな。しかしヒゴまで追いかけてくるって、どんだけ俺のことを利用したいんだよ)
ジンマはそんなリュウの胸中には気づかず、ますます熱を持って話を続けた。
「朝から車を飛ばしてヒゴに来て、オオヒト八幡神社に行ったら『もう出て行った』って言われて…途方に暮れてたらラーメン屋から出てくるリュウさんを車から偶然見かけてさ。『ヤッター!』って思ったよ!キャンピングカーで阿蘇に向かったのはわかったけど、何台も車が間に入って見失ってさ。そこからは車の特徴を頼りに探し回って、やっとここの温泉にたどり着いたんだよ。いやぁ会えてよかった!これも神様ヤゴロウどんのお導きだよ、きっと!」
(そんなわけあるか!)
リュウは呆れて、2個目のソフトクリームを食べ終わると「ごっそうさん!あーおいしかった!」と言い、
「さ、シュウ。行こうぜ!」
と席を立った。
「ちょ、ちょっと!リュウさん!まだここに来るまでの話をしただけで、肝心なことは何も聞いてもらってないぞ!待ってくれよ!」
ジンマがあわててリュウの肩をつかんだ。
リュウは振り向きもせぬまま、ジンマのその手の小指だけをつかみ、ひねりながらグッと反らした。
「痛えええええええええ!!!!」
リュウは叫ぶジンマを引き寄せ、その耳に凄みのある声で「てめえ、しつこいぞ」と囁いた。
「昨夜の『生きているヤゴロウどん』みたいに手足の骨を折ってやろうか?それが嫌ならとっととサツマに帰れ」
そう言ったリュウの顔は、ヤゴロウどんとの闘いでも見せた鬼のような顔だった。
ジンマは顔を青ざめさせて、ゴクッとつばを飲み込んだ。しかし次の瞬間、その表情は嬉しそうな笑顔に変わった。
「…それ、それだよ!その顔!やっぱり俺の目に狂いはない!」
「──はぁ?」
「人を殺しそうなその顔!最高だ!無邪気な男前と凶暴な人殺しが共生しているヤツなんて、そうそう居ない!」
(ふざけてんのか!)
リュウは肘打ちをジンマの顔に喰らわしかけたが、
「リュウ、あかんて!」
シュウがすんでのところで止めた。
解放されたジンマはその場で土下座するなり、こう懇願した。
「リュウさん、頼む!プロレスラーとして、俺の団体のリングに上がってくれ!」
(第三十二話へ続く)
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