「すげえウマいもの食ったら後で悲しむ?なんでだ?!」
コトカの言葉にリュウは納得がいかなかった。
「さっきもとびきりウマい肉の煮込みと馬刺し食わせてもらったけど、悲しむどころかむちゃくちゃ幸せだったぜ?いやそれだけじゃなく、突き出しのセリ浸しに胡麻豆腐に一文字ぐるぐるにはじまって、ヤリイカの姿造りまである刺身盛り合わせもすげえウマかったし、辛子レンコンとイカゲソの天ぷら、おっとそれに地だこの旨煮も、この前弁当にしてもらった和牛のタタキも最高だった!こんなにウマいもん食って悲しむなんて、絶対有り得ねえだろ!」
食べさせてもらったご馳走を必死になって並べ立て、美味しい料理をまるで庇うかのように力説するリュウにコトカはまたも笑ってしまった。
(貴方のこういうところが可愛くて仕方が無いのよ)
「そうなのだけど…美味しすぎるものを知ってしまうと、もうそれが食べられなくなった時に辛くて仕方がなくなるの。だから、その美味しさをいっそ知らなければ良かった…って思うほど悲しくなるのよ」
「あ、そういうことか」
リュウはハッと気づいたような顔をした。
「俺もサツマのおやじさんが食わせてくれた特製丼の味を思い出すと、食いたくて仕方がなくなる。でも今はヒゴに居るから食えねえ…うん、たしかに悲しくなるな。でも、またいつかきっと食えるだろうし、いっそ食わなきゃ良かったなんて俺は思わねえな」
「サツマのおやじさん?」
「ああ。俺が財布失くして腹減って死にそうな時に、サツマの居酒屋のおやじさんが特製丼と、その後にスープとぶっかけ飯まで食わせてくれたんだ。それがめちゃくちゃ美味くてな…おやじさん自身もすげえいい人で、いきなり転がり込んで来た俺を住み込みで働かせてくれた恩人だ」
「まぁ…リュウさん、貴方は得な人ね」
「え?」
(あちこちで餌付けされてる)
コトカはそう思い、またも笑った。
「みんな貴方のことを放っておけなくて、なぜか世話してあげたくなるのよね。シュウさんも貴方のマネージャーというより、まるで保護者みたいですもの」
「そういえばトウドウにも『お前は得な人間だな』って前に言われたな…なんでかはわからねえけど」
(そういう自分の魅力に気づかない鈍感なところが罪なのよね)
「じゃあリュウさんの人徳を活かして、今からお仕事の話に入りましょう」
奥まった場所にある座敷の襖の前でコトカはリュウに言った。
「この座敷に居られるのはセキュリティサービス会社の社長さんよ」
「せくりてぃさーびす…って何だ?」
「防犯設備を整える仕事ね。監視カメラの設置とか緊急時の自動連絡システムとか。難しいことは後で私からジンマさんとシュウさんに伝えるから、とにかく貴方は『ありがとうございます』って気持ちで社長さんのお話を伺うこと。それが一番大事で、後は私がフォローするから安心してね」
「…いうわけですの。ジンマ代表、およろしければこの案件、前向きにご検討頂けませんでしょうか」
虎拳の座敷に戻ったコトカは、リュウをセキュリティサービス会社社長に引き合わせた事をジンマに報告した。
「シスイオーナー、誠にありがとうございます!検討どころか今すぐにでもお受けしたいくらいですよ。いやぁ本当にありがたいです!」
「そうおっしゃって頂きこちらこそありがとうございます。契約条件に関しては先様もよくご存じの弁護士のレンさんに間に入って調整して頂きたいとの事です。どうぞよろしくお願いいたします」
「火の国スリーエスのクレマツ社長は謙虚で誠実な人望篤い方ですし、会社の業績も安定しておられます。安心して話を進めていけるでしょう」
レンも太鼓判を押したのでジンマは喜んでリュウの席まで飛んで行き、
「リュウさんのおかげでまた助かったよ!ありがとー!」
と礼を言っていた。
「リュウをナツキさんから引きはがして連行したので、商談の話はこじつけかと疑ってましたが本当でしたか」
からかうような顔でレンがコトカに言うと「嫌な人ね」とコトカもレンの腕を少しつねって返した。
「行きがかり上すぐに引き合わせることになってしまって…ビジネスマナーを知らないリュウさんがちゃんと対処できるかしらってちょっと心配したのだけど、意外にもそつのない応対だったから驚いたのよ。『代表のジンマも喜ぶと思います。必ず申し伝えますのでどうぞよろしくお願いいたします』って…礼の姿勢もきれいだったし、名刺もきちんと両手で丁寧に受けてたわ」
コトカはそう感心していたが、玉名の大俵祭りで実行委員会役員から「ぜひ来年はイベントプロレスだけじゃなく、俵転がしにも参加してほしい」と言われた際にシュウが取った態度をリュウは思い出し、そっくりそのまま真似ていただけなのであった。
「ねえレンさん、リュウさんてもしかしたら元は育ちがいいんじゃないかしら?箸遣いも刺し箸とかやんちゃなことするかと思えば、上げ下げは両手で手順をきちんと守ってるし…」
レンは何も言わず黙っていたが、リュウの意外な一面を見てコトカはまたも恋心が募ったようである。
だが恋しい男は、その時色気もへったくれもなく泣きわめきながら怒っていた。
自分が座敷を離れていた間に、おかわりの肉の煮込みと馬刺しを全部ナツキに食べられてしまっていたからだ。
「なんで全部食っちまったんだ!俺の分少しぐらい残しておいてくれてもいいだろ!ひどいじゃねえかナツキ!」
「ごめんごめん!だって美味しかったんだもーん♪」
笑いながら謝るナツキにヘッドロックをかけながら、涙目のリュウはやっと悟った。
(これがウマいものが食えなくなって悲しいって気持ちか…いや、悲しいより悔しいぞ!)
その夜はリュウとシュウ、そしてカワカミも揃って道場兼試合会場の隣にある虎拳プロレスの寮に泊まることになった。
宴席で「ダイナマイトに火をつけろ!」の原曲を知っている女性との出会いをカワカミがシュウにも話したところ、なんとカワカミの先祖とシュウが同じ大学だったことがわかったのだ。
さらに100年を経てなおカワカミの先祖たちはカリスマ的な存在として、大学の有志たちによってひそかに語り継がれ尊敬されていたことをシュウから聞き、
「さすが我がご先祖とその仲間たち!今日はなんて素晴らしい日なんだー!」
とカワカミは大感激した。そして喜びのあまりシュウを相手に杯を重ね続け、すっかり酔いつぶれてしまったのである。
酒を飲まなかったリュウは幽霊が出ると噂の寮に泊まるのをためらったが、すでにここに住んでいるジンマはじめシンヤたちからも「俺たちは見たことないし、お祓いしてもらってからはそういう目撃談も聞かない」と言われたので渋々自分も泊まることにした。
すでに寝入ってしまっているカワカミをベッドに寝かせると、
「なぁ、シュウ…」
とリュウがすがるような眼をして声を掛けて来た。
(トイレ行きたいけどひとりは怖いんやな)
シュウは笑いながら「ほな、トイレ行ってから寝よか」とリュウを誘った。
先に用を済ませたリュウが手洗い場で手を洗っていると、廊下から若い女、というより少女の声がした。
「あの、すみません!」
(ん?あんりも寮に泊まったのか?いや、たしかナツキと一緒のホテルに泊まるって言ってたよな)
振り返るとブレザーにリボンタイの制服姿をした女子高校生が立っていた。
(ファンの人か?こんなに遅くまで残ってたのか?)
「あ!貴方は今日の試合に出てた人ですよね。この間お祓いの時にもいましたよね…」
「え?お祓いの時…って、あんたもお祓いの時ここにいたのか?」
廊下に出たリュウが問い返すと、そこへシュウも出て来た。
「リュウ、どないしたん?」
「おう、このファンの人が…」
「え?」
シュウはその女子高校生を見ると「あれま…」とつぶやき、どうしたものかと困った顔をした。
「貴方もお祓いの時にもいましたよね。あの、もうひとり一緒にいた、髪が長くて着物を着たギター弾いてた人は…?」
「私をお探しですか?」
女子高生の問いかけに廊下の少し離れた場所から答える声がした。
「カワカミさん?酔いつぶれて寝てたんじゃ…?」
リュウが驚きながら声を掛けると、酔っていたとは思えないスッキリした顔で現れたカワカミが答えた。
「神様に叩き起こされて酔いも醒めました。お嬢さん、貴女がここで亡くなったという女子高校生の方ですね」
「え…え?ええええええ??」
(じゃ、この娘はゆうれい!?)
リュウはガタガタ震えだしパニックを起こしかけたが、シュウがリュウの両肩に手を置いて(大丈夫や)と声を掛けたのでリュウの震えは止まった。
「あの時天に昇って行かれる気配を感じていましたが、またどうして戻って来られたんです?もしやまだ、つらくて苦しい思いが残っておられるんですか?」
カワカミは女子高校生の幽霊に優しく尋ねた。
「…あの、私…」
幽霊はちょっと恥ずかしそうにしたが、こう言った。
「貴方が弾いてたギターと、貴方の歌が忘れられなくて…もう一度聴きたくなって戻って来ちゃいました」
「え?!」
(…慰めて天国に逝かせてあげるために歌ったのに、その歌また聴きたくて戻って来ちゃったのかよ?)
(カワカミさんの音楽はすごいなぁ…魂呼び戻せるほどの力持ってはるなんて…)
幽霊の言葉にリュウとシュウは驚き、カワカミは戸惑っていた。
「そ、それはありがた…いや!申し訳ないです…」」
「いえ、私こそ…せっかくお祓いしてもらったのにごめんなさい」
(カワカミさん、幽霊に謝られてるぞ)
(もう一回歌唄ってあげたらええんかなぁ。せやけどギターあらへんし…)
二人は小声で囁き合っていたが、カワカミは気を取り直して幽霊に言った。
「そんな謝らないで下さい。あの、私の音楽はさておき、貴方はこの場所にまだこだわりというか、つらい思い出があって離れたいけど離れられない、ということではないのですか?」
「いいえ、つらい思い出なんてありません」
「でもここで自殺したって…」
「いじめに遭うてつらくて死にはったんやないんですか?」
リュウとシュウの問いに、幽霊は驚いた顔で答えた。
「え─っ!?私、そういうことになってるんですか?知らなかった…!」
そして自分が亡くなった経緯を語り出した。
この女子高校生はボクシング部の主将と付き合っていたが、それを羨み嫉妬した他の女子高校生たちに、彼氏の試合の時に「あんたなんかに観せてやらない」と体育館から追い出されてしまった。
めげなかった彼女は「隣の校舎の屋上から見下ろせば、窓を通してリングが観えるはず」と思ってこの寮がある校舎の屋上に上がった。
しかし2階のバルコニーに群がる観客のせいで観えにくく、屋上から身を乗り出してキョロキョロしているうちに誤って落ちてしまったのだ。
(自殺じゃなくて事故だったのか)
(いじめられても全然めげてへんかったんやな…)
しかし自分が死んだことになかなか気づけなかった彼女は、それからも彼氏の試合を観ようとして体育館の周りや校舎の屋上にも行ったり来たりしていたらしい。
そんな彼女の魂を「見える」人が見てしまい、いつしか「いじめを受けて自殺した女子高校生の幽霊が出る」と噂が広がって入学希望者も減り、ついに廃校となってしまった。
さすがに彼女も「もうここには彼氏もいないし、ボクシングの試合もないらしい」と感じ始めていた。
そんな時にお祓いの儀式が行われ、カワカミのギターと歌に心慰められながら彼女の魂も昇華した、はずだったのだが。
「では上の階に行きましょう。ギターはありませんが私の一番得意な楽器がそこにありますから」
カワカミの言葉にリュウとシュウ、そして幽霊女子高校生も従って階段を登って行った。
3階には遠方から参加した他団体関係者を宿泊させるための部屋がある。その一番奥に元音楽室だった部屋があり、古いグランドピアノが置いてあった。
「お祓いに来た時にこのピアノを見つけてたんです。回収される予定と聞いてましたが、まだあってよかった」
カワカミはピアノの前に立ち、小さな声で祝詞を唱えた。すると古ぼけたピアノが輝きを放ち出した。
蓋を開け、カワカミが鍵盤の上に指を滑らせると調律の行き届いた妙なる調べが流れた。
驚くリュウたちに、カワカミはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「音楽の神様のお力をお借りして、調律して頂きました。ではお嬢さん、今から貴女のためにこの歌を捧げます」
(第六十八話へ続く)
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