「あーっ!ダメだ!なんでどこにも映ってないんだよ?!役に立たねえカメラだな!!」
リュウは闘技場の控室に設置されている監視カメラモニター画面に向かって怒っていた。
ケガのためまだ本格的な練習はできないリュウだが、ストレッチなどできることをした後に、寮の監視カメラの録画データを熱心に見ていたようだ。
「リュウ、さっきから何やってんだ?」
ユージが怪訝そうに尋ねるが、それには答えずにこう言った。
「ユージ、このカメラは事務所や食堂、廊下に出入口は映ってるけど、なんで寮の部屋の中は映ってないんだ?」
(マリエさんのプライベート空間まで覗き見したいのか?こいつ重症だな…)
ユージは呆れながらも一応説明した。
「これは不審者が入って来ないかを見張るための防犯カメラなんだから、住んでる虎拳メンバーの部屋の中まで撮る必要ないだろ」
ユージの説明に不満そうに黙るリュウ。ユージはため息をついて続けた。
「考えても見ろよ。もし寮の部屋の中もカメラに映るとしたら、シンヤがエロ動画観ながら真っ裸で自家発電してる姿も見ることになるんだぞ。お前、そんな画像見たいのか?」
「誰が見たいかよそんなもん!!」
「じゃあ何が見たいんだ?」
「……」
リュウは顔を赤くして立ち上がり、モニター画面から離れて控室から出て行った。
(やっぱりマリエさんが服を脱ぐ姿を見たいのか…小学生並みに初心なヤツだと思ってたけど、リュウも普通のスケベ男なんだな)
ユージはちょっと安心?しながら、マリエのそんな姿を自分も想像してしまい、顔を赤くしていた。
リュウが探し求めていた画像は、自分に膝枕をしてくれたマリエの姿だった。
今朝目覚めてからシュウに昨夜の顛末を聞いたリュウは驚き、そして喜び、さらには恥ずかしさにパニックになった。
「なんで起こしてくれなかったんだ!俺、そんなこと全然知らずに寝てて…え?ど、どんな状態だったんだ…?」
「あ、大丈夫やで。口は閉じて寝てたから、いつもみたいにヨダレはこぼしてへんかったで」
「そんな事聞いてんじゃねえ!…その、マ…マリエは…どんな…?」
シュウはにっこりと笑って答える。
「僕も食堂で洗いもんしてたから全部見てへんけど、リュウの頭を優しく撫ででくれてたし、僕が戻って来た時にはマリエちゃんが子守歌を唄ってたんも廊下までかすかに聞こえてたで」
(うわぁぁぁ…)
リュウは頬を染め、目を潤ませて喜びをかみしめた。
急いでマリエに礼を言いに行こうとしたが、マリエはとっくに朝食も済ませて事務所で仕事を始めていた。
廊下の窓から覗きこむとマリエはパソコンの画面に向かっており、頻繁に架かって来る電話の応対にも追われている。
「昨日の試合の反響が凄いから、マリエちゃんも忙しぃな。また後でゆっくりお礼言うとき」
シュウはがっかりするリュウをなだめ、自分も事務仕事のために事務所に入って行った。だが、その際にシュウがマリエに(リュウが居るで)と合図をしてくれたので、マリエも電話応対をしながらリュウに向かって笑顔で手を振ってくれた。
(マリエ…!!!)
リュウは足の痛みも忘れるほどの最高の気分になり、デレデレの笑顔で闘技場に向かいかけた、その時。
「リュウさん、えらくご機嫌ですね」
「うわっ!」
いきなり耳のすぐ横で声を掛けられ、リュウは跳びあがりそうになった。
「カ、カワカミさん!驚かすなよ…」
ニヤニヤした顔でカワカミは続けた。
「そんなにマリエさんの膝枕は気持ち良かったですか?」
「なっ…」
またも顔を真っ赤にしたリュウは、足をもつれさせて転びそうになった。
「おっと危ない」
カワカミがリュウを支えて事なきを得たが、顔の上気はおさまらない。
「あ、ありがとよ。ところでどうしたんだ?神職装束のままで…ここで朝からお祓いでもやるのか?」
「いえね、肥後ほまれで重箱包むのに借りた風呂敷を、ポケットに入れたまま持って帰ってしまいましてね。朝拝の後に思い出して、慌てて洗ってアイロン当てて今持って来たんですよ。まだシュウさんは重箱返しに行かれてないですか?」
「おう。シュウなら事務所で忙しそうにしてるぞ。なんか昨日の試合の反響が凄いらしくて、みんなバタバタしてた」
「ああ、よかった!じゃあすみませんがこの風呂敷、シュウさんに渡しておいてくれませんか」
風呂敷の入った手提げ袋を差し出すカワカミ。
(あれ?)
リュウは気づいた。カワカミの顔にいつもの黒子が描かれておらず、代わりに左頬にひっかき傷がついている事を。
「カワカミさん黒子がねえぜ?それに顔にひっかき傷…」
「ああ!これね!猫にひっかかれちゃいましてね。いやあ、可愛くて懐っこい猫なんですが、昨日はちょっと機嫌が悪かったみたいで…ほんと可愛くってヤキモチ焼きの猫でねえ…そこがまた愛おしいんですよ~」
「猫?…オオヒト八幡神社に猫居たっけ?飼い始めたのか?」
「鈍いなぁリュウさん。可愛い猫っていうのは、コマチのことですよ」
「コマチさん?が…猫になった?なんだそれ???」
「まあ、それについてはまた…じゃあ、愛しい妻のコマチが待ってるんで帰ります♪リュウさんお大事に~♪」
デレッとした顔で鼻歌を歌いながらスキップで車に戻ってゆくカワカミに、リュウは首をかしげながら
(やっぱりコマチさんを好きになってからのカワカミさんはおかしくなってるな)
自分のことを棚に上げて、そう思った。
「あ──!またか!どいつもこいつもまったく!」
立て続けにかかって来た電話をやっと終えたジンマが嘆きの声を上げた。
シュウが気の毒そうな顔で声をかける。
「…また、あきませんでしたか」
「ケガで延期した肥後もっこすの高良は治りが遅いから次にしてくれって言うし、対戦希望してた四国のレスラーはゲンサイとの試合を観て怖気づいて断ってきた。GABAいひゅうもんのギユウにバトルロイヤルのリヴェンジを提案したけど『かかと落とし・ひざ蹴り・肘打ち・フライングニールキックは使わないでくれ』とか言うし、話にならない!」
「確かにゲンサイさんとの試合観たら、リュウと闘うの怖なりますわな」
「俺の失敗だ。もっと早くにゲンサイの状態に気づくべきだったのに…血だらけの骨が見えてる画像がWEBで話題になってるからもう遅いけど。対戦相手が決まらないどころか候補者すらいないって…十番勝負が1試合で終わってしまうじゃないか!どうすりゃいいんだぁ…」
顔を机に突っ伏して嘆くジンマにシュウは何も言えなかったが、せめてお茶でも煎れてやろうと立ち上がる。その時、マリエが事務所に入って来た。
「ジンマ代表、ハカタのキックボクシングジム・ハーリックの選手、酒匂様がお見えです」
「ハカタのキックボクシングジム…ハーリック?知らないな。誰かの紹介?」
顔を突っ伏したまま、ジンマはマリエに尋ねた。
「紹介ではありませんがご本人の酒匂様がサツマのご出身で、ジンマ代表のことをご存知だそうです」
「サツマ出身?酒匂…え!もしかして…!」
控室を出たリュウは、カワカミから料亭肥後ほまれに返す風呂敷を預かっていたことを思い出した。
(シュウに風呂敷を渡しに事務所に行きゃ、マリエとも話せる!)
事務所に入ろうとすると、応接コーナーから「リュウ!」と叫び声が上がった。
(誰だ?)
そこには立ち上がった背の高い男と小柄な男が居た。
「──リュウ、闘技戦以来だな!」
背の高い男が笑顔で続けた。
「闘技戦?…あ!お前、サコウ?サコウか!」
「そうだ!俺のこと覚えてくれてたか!」
サツマの闘技戦で決勝を争った相手であり、一時はそのひざ蹴りでリュウを死の淵へ追いやった男、サコウであった。
「あれから2ヶ月しか経ってないのに、すっかりプロレスラーの身体つきになったな!背丈は変わらんが」
「うるせえな!お前こそ俺にやられて折れた鼻や割れた膝は大丈夫か?あの後、おネエちゃんにちゃんと治してもらったのか?」
お互いに笑いながら激戦を思い出す二人であった。
そこへやってきたジンマが満面の笑みで叫んだ。
「リュウさん聞いてくれ!難航してた飛竜十番勝負の2戦目の相手が、サコウのおかげで今決まったよ!」
「え!じゃあ俺、次の試合はサコウと闘うのか?そいつは嬉しいぜ!急いで足治さねえと…!」
はしゃぐリュウをサコウが笑って制した。
「俺も闘いたいが、残念ながらタイトル挑戦が決まってるので契約上無理だ。だが、俺の代わりにリュウと闘う奴を連れて来た!」
「サコウの代わり…?」
「チャーイテー!」
サコウは小柄な黒い肌の男に呼びかけた。
「サワッディーカップ」
男はリュウに向かい、人懐こい笑顔と合掌で挨拶をした。
サコウがリュウを指して言う。
「俺の最高の敵であり友がこの男、リュウだ!サツマで俺たちは命を懸けて闘い、リュウが勝って神様ヤゴロウどんも倒したんだ」
小柄な男はサコウの言葉に目を輝かせて「マーゴーン!」と言った。
「まーご…ん…?」
リュウが戸惑うと、サコウが笑いながら説明する。
「マーゴーンはタイ語でドラゴン、竜のことだ」
「タイ語?じゃあこの人は外国の、タイの人なのか」
「そうだ。彼の名前はチャーイテー・スアダーム。うちのジムに留学生としてキック修行に来ている。チャーイテーは『男の中の男』、スアダームは『黒い虎』のことだ」
サコウの解説にリュウもうなずいた。
「男の中の男…黒い虎か!すごくいい名前だな、チャーイテー!」
「ハイ、リュウもすごくいいナマエです!」
チャーイテーは子供のような笑顔でリュウにそう返した。ほとんど同じ身長の飛竜と黒い虎は、ガッチリと握手を交わした。
その後、急遽呼びつけられた弁護士のレンが契約書を準備する間、サコウとリュウ、そしてチャーイテーは食堂で昼食を食べながら闘技戦から今に至るまでを話し合った。
サコウは中学生から世話になっていたサツマのジムから、ハカタのハーリックという有名なジムに移籍していた。
「俺はサツマの会長に恩があるからずっとこのままでいたかったんだが、プロのキックボクシングの世界はマッチメイクも興行もやはりその世界での繋がりや力が必要でな。世話になった会長自身が俺のためにハーリックジムの会長に頭を下げて『こいつを預かって世界チャンピオンにしてほしい』と頼んでくれた。だから俺はサツマの会長のためにも絶対タイトルを取って、世界一のキックボクサーになると決めたんだ」
「そうか、サコウなら絶対そうなれる!がんばれよ!」
「うん!いつか俺の意志が通せるようになったら、その時は絶対にリュウとまた闘おうぜ!」
「おう!俺も楽しみにしてるぜ!──んで、チャーイテーはなんでタイからヒノモトにやって来たんだ?サナダ師範に聞いたことあるが、たしかタイはムエタイっていう、キックボクシングの本場の国なんだろ?」
チャーイテーはうなずいた。
「ハイ。ムアイタイ=ムエタイはタイのコクギです。でもナックムアイ…センシュ、はタイではあまりソンケイされません。それは、ムエタイのシアイがカーパナンになるからです」
「かーぱなん?」
首をかしげるリュウにサコウが説明した。
「カーパナンは賭博、ギャンブルのことだ。ムエタイでは試合の勝敗に観客が金を賭けるのが当たり前だから、選手も単に金儲けの道具のように思う奴らが多いんだ」
「なんだそれ!観る奴らが金を賭けようが賭けまいが、必死に闘う選手がなんで軽蔑されなきゃいけねえんだ!」
怒るリュウにチャーイテーは嬉しそうにうなずいた。
「でもムカシ、ヒノモトにタイからナックムアイがやってきて、そのツヨサとユウキでヒノモトのヒトタチからソンケイとオウエンをたくさんもらった。チイサナカラダでオオキナヒトにもたくさんカッタ。ワタシはそのナックムアイをソンケイしてるので、ワタシもヒノモトでタタカイたくなった。だからタイからヒノモトにやってきました」
「そんな選手がいたのか!外国の選手がたくさんの尊敬と応援を受けるなんて、よっぽど強かったんだな!」
「ハイ!そのナックムアイはワタシのセンゾ!チャーンプアック・ギアットソンリットといいます」
「チャーンプア…」
これもサコウが説明した。
「チャーンプアックはタイ語で白い象のことだ。タイでは白象は勇気と誇りの象徴なんだ」
チャーイティーの顔から微笑みが消え、リュウの目をギッと見据えた。
「ワタシはチャーンプアックのようになりたい。だから…
リュウを、ゼッタイにタオします!」
【第八十四話へ続く】
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