ヒノモト歴の泰和24年1月3日。
道場兼闘技場・虎拳アリーナで虎拳プロレスリング新年初興行が開催される日である。
そしてリュウは今日から「飛竜 試練の十番勝負」と銘打った長い闘いが始まる。虎之助の復帰戦までの間、ゲンサイをはじめ他団体やフリーの強者たちとの一騎打ちを続け、虎之助との最終決戦を盛り上げるのである。
開場を待つ観客たちの前には食べ物の屋台が並び、特にいきなり団子の屋台の前には長者の列が出来ている。
前回興行の際にリュウがこのいきなり団子を試合前に21個も食べたことを受け、今回からは「粋な竜団子」と名前を変えて販売している。商魂たくましい店主は大忙しで次から次へと団子を蒸し続けていた。
「すみません、いきなり団…じゃなくて、粋な竜団子50個お願いします。味は全種類、栗入りは倍の数で」
「はいお兄さんお待ちどう!粋な竜団子50個ね!」
熱々のいきなり団子がたっぷり入った袋をぶら下げて、託麻大学プロレス研究会から入門してきた新人オサムは闘技場の控室へと走り込んでいった。
「リュウ選手、お待たせしました!いきなり団子です。こちらお釣りと領収書です」
「おお!待ってたぜ!釣りはお前が取っとけ。領収書は後でシュウに渡しといてくれ」
リュウは袋から21個を自分用に取り、「じゃあ後はお前の分と、みんなにも配ってやってくれ」とオサムに渡した。前回の験担ぎで同量のいきなり団子を食うつもりである。
「いっただきまーす!──うまっ!やっぱり熱々が最高だな!」
と喜んで食べながら、控室に設置されている監視カメラモニター画面にかぶりついている。
火の国スリーエスのクレマツ社長の厚意でセキュリティ設備が整えられた虎拳アリーナは、各所の様子を控室や事務所のモニター画面で見ることができる。
特に見たい場所を拡大することも出来るので、リュウはマリエの居る場所ばかりを拡大しては(可愛いなぁ…)と見入っていた。
「…あれってほとんどストーカーだよな」
「ってか、はっきりいって変態だと思う」
「マリエさんが知ったらドン引きするぜ」
シンヤたちがひそひそ話しているのも知らずに、リュウはひたすらいきなり団子と恋しい少女の姿を味わっている。
そこへもう一人の新人ミノルがやって来て、リュウに告げた。
「リュウ選手!お待ちかねの方が来られましたよ」
「え?」
(マリエが?だって今この画面に映っているぜ?)
きょとんとして画面とミノルの顔を見比べるリュウ。
「…ハセガワ・ゲンサイ選手が…来られたらすぐ教えろっておっしゃったので…」
「──ああ、ゲンサイか!すまねえ、すっかり忘れてたぜ!」
ミノルに謝ってから、リュウは控室奥のドアから2階への階段を上って行った。
上からリングを見下ろせる2階の小ホールは前回、選手たちが試合を観戦する場所として使われていた。だが今回はゲンサイとその弟子たちが控室として使っている。
これには事情があった。肥後もっこすの高良選手がもともとリュウと対戦するはずであったがケガのため欠場。その代役として急遽ゲンサイが出場することになった。しかしチケットはすでに立見席まで完売していたため、ゲンサイの弟子たちが入場できない。
「他流試合の場にゲンサイ先生ひとりを行かせるわけにはいかん!」
弟子たちの嘆願、というよりも強談判にジンマは2階小ホールをゲンサイ専用の控室とするとともに、セコンドとして2名の入場を認めた。また立見席のチケット代と引き換えに、弟子10人までその控室から試合を観戦できるようにしたのである。
リュウが階段を上がっていくと、小ホールのドアの前に空手着姿の弟子二人が待ち構えていた。
「何用だ?」
弟子は敵意むき出しの顔と声で詰問してきた。
「お弟子さんか。俺は飛成竜、今日の対戦相手だ。あんたらのお師匠さんに話したいことがあって来た。通してくれねえか」
そう言ったリュウの顔を睨みつけながら弟子たちは叫んだ。
「先生は今精神統一をしておられる!」
「敵が試合前に邪魔をするなど言語道断!」
(あんたらの声の方が精神統一の邪魔になるんじゃねえか?)
閉口しながら、なおもリュウは言った。
「あのな、俺はゲンサイに大事な話があるんだ。その内容が邪魔かどうかはゲンサイ本人が聞いて決めるこったろう?」
弟子たちは顔色を変えた。
「先生を呼び捨てにするか?!無礼である!」
「まだ言うなら我らが相手になるぞ!」
激昂する弟子たちに(あ、俺またやっちまったか…)と反省しながら、「取り次いでもらえねえなら、もういい」とリュウは言った。
諦めて戻るのか、と弟子たちは思った。その時、
「お──い!ゲンサイ!」
いきなりリュウは大声で叫んだ。
「俺だ!リュウだ!今日の試合、プロレスのルールなんざ気にせず、お前と俺がやりたいようにやらねえか?!」
「なっ…何を言うか!」
「先生に“お前”だと?!プロレスラーごときが偉そうに!」
いっそう気色ばんだ弟子たちがリュウに迫った。
「プロレスラーごとき?──あんたら空手家はプロレスラーを見下せるほど偉いのか」
眉をひそめて言うリュウに、怒りを露わに弟子のひとりが返す。
「当たり前だ!我等武道家は常に生きるか死ぬかの真剣勝負である!八百長のプロレスと同列にするな!」
「あ、それ、俺も思った!」
「?!」
いきなり同意してきたリュウに、弟子は戸惑った。
「俺もジンマからプロレスラーになってくれって言われた時、試合映像を見せられて『なんだこれは!?』って思ったぜ。ケツの出し合いするは、倒した相手を床の真ん中にほったらかしてロープの角に登りに行くは…闘ってる最中に敵に背中を向けるなんて、死にてえのか!ってな。だからあんたらの気持ちはわからんでもない」
「………」
毒気を抜かれたかのように、弟子たちは黙り込んでいる。
「だがな、プロレスも闘ってる時は本当に真剣なんだ。勝負が決まってるって言っても何が起こるかわからねえ。だからな、その上で自分たちの本当の強さをお客さんにわかってもらえるよう、互いに信頼し合ってとことんやりあう。それができるのが本当に強いプロレスラーなんだってことが、自分がプロレスやるようになったらわかったんだ。ゲンサイも俺と今日、とことんやりあってくれたらきっとそれがわかると思うぜ」
沈黙の後、弟子が再び叫び出した。
「…貴様、詭弁を弄して我等を、ゲンサイ先生を愚弄するか!」
(きべん?ぐろう?なんだそりゃ)
「貴様と話すことなど何もない!とっとと帰れ!」
弟子たちがリュウを階段下へ突き飛ばそうとした、その寸前。
「ひかえろ!」
肝が潰れるような声が響き、弟子たちは雷に打たれたように硬直した。
2階小ホールの扉が開かれ、ゲンサイが現れた。
「おうゲンサイ!あけましておめでとう!」
嬉しそうな顔で挨拶するリュウにゲンサイも笑顔を見せた。
「リュウ、まずは謹んで新年を言祝ぎ候」
そう言って頭を下げた。
「──弟子が失礼を致した。話とは試合の掟についてであるか?」
「そうだ。この間試合の流れを決めた後にな、俺は自分の初試合のことを思い出したんだ」
「貴殿の初試合…」
「プロレスを全く知らなかった俺が、いきなり虎之助の代役を頼まれた。シンヤたちにいろいろ教えてもらったが、全然上手くできなくて落ち込んでばかりだった…でもな、シンヤたちが言ってくれた。『リュウにあれもだめ、これもするなじゃなくてトウドウが受け切るからガチでいくとか、慣れてないリュウが少しでもやりやすいように流れを作ればいい』って。俺はそれですっげえ気が楽になって、試合に出ることができたんだ」
「…ほう」
「だからな、今日はゲンサイも空手の試合だと思って、やりたいようにやってくれ。肘打ちやひざ蹴りをまともに入れるなとか、首や関節の筋肉の無いところを打つなとか、そんなの気にすんな!トウドウが俺にしてくれたように、お前の突きでも蹴りでも俺が全身で受けるし、俺も全力でやり返す!どうだ?」
「それはかたじけない。恐悦至極に存ずる」
(かたじけ…きょうえつ?何だ?)
意味が分からず戸惑うリュウに、ゲンサイは八重歯が可愛い満面の笑顔を見せた。
「お!じゃあ、OKってことでいいんだな!」
「だが、本当に良いのか?貴殿は良くても、そちらにおわす代表のジンマ殿や弁護士のアリヨシ殿が許さぬのではないか?」
「えっ」
リュウが振り返って階段下を見下ろすと、そこには面白そうに唇の端を上げているレンと、泣きそうな顔のジンマが居た。
「…リュウさん…また勝手なことを…もう…頼むよ~!!!」
結局ジンマはリュウの言う通り、プロレスというより異種格闘技戦の色合いを濃くしたルールで試合を行うことを受け入れた。
レンが急遽作り直したルール条文にゲンサイとリュウがサインを終え、虎拳の控室に戻ったところでジンマはリュウに釘を刺した。
「でもねリュウさん!空中殺法を楽しみにしてる子供たちも多いし、打撃一辺倒の闘いを退屈だと感じるプロレスファンだっている。そういう人たちも満足できるような試合に、リュウさんがゲンサイをリードして持って行かなきゃならないんだよ。本当に大丈夫?」
「大丈夫かって言われても…そいつはやってみなきゃわからねえ」
「リュウさん!」
「だが、全力で闘うことだけは約束する。その中で空中殺法がゲンサイに効果的だと思う瞬間がありゃ、俺の身体も勝手に動くだろうから、何とかなると思って見ててくれ」
「はあぁ…とにかくリュウさん、ケガだけはしないでね!」
ジンマの言葉に返事もせず、リュウは再び監視カメラのモニター画面にかじりつくなり、叫んだ。
「──ええっ!?もう子供たちとのふれあいコーナー終わっちまったのかよ!?」
リングから降りてゆくシュウとマリエの後ろ姿しか映っていないモニターを見て、リュウはへなへなと崩れ落ちた。
(マリエが子供と遊ぶとこ見たかったのに…くっそぉ──!)
その後、新人同士のオサム対ミノルのプロデビュー戦、サナダとGABAいひゅうもんのシマ・ギユウのシングルマッチ、ケイイチ&ユージと肥後もっこすの荒くれコンビ(テッペイ&ハルカタ)のタッグマッチ、そしてナツキの所属する朱鷺プロレスから参戦のイナガキ・ヘイスケとシンヤのシングルマッチも行われた。
経験不足をがむしゃらさで補おうとする新人対決から、いずれの試合も新年初試合とあって気合が入っており、非常に熱気のこもった盛り上がる攻防の連続であった。
そしてメインイベントの前に、レフェリーのジンマからルールの変更について説明を行った。
「反則は目潰し、金的攻撃、チョークスリーパー(気道圧迫による窒息)、噛みつき、顔面への拳による打撃とする。対して関節技、スリーパーホールド(首の動脈圧迫による意識消失)、掌底による顔面打撃、肘打ち、ひざ蹴り、また、かかとやつま先による蹴りも有効とする」
この発表に総合格闘技を好む観客から歓声が上がった。一方、子供たちやルールにあまり詳しくないファンたちからは「何がどう違うの?」という声も上がっている。
また、プロレスファンからは「リュウ、大丈夫なのか?」と不安の声が上がった。
(一番心配してるのはこの俺なんだよ…)
ジンマは胃が締め付けられるような気分だったが、それでも気丈にゲンサイの呼び上げに臨んだ。
「空手の世界で最強と称えられし、ヒノモトのラスト・サムライ!刀鍛冶が魂を込めた刃の如き蹴り足を引っ提げ、今このリングで新たな闘いに臨む!【人斬りと呼ばれた男】!長谷川彦斎選手の入場です!」
弟子の一人が先導し、その両手には段の数だけ金線が入った黒帯が掲げられている。
その後ろを歩くゲンサイは空手の道着を着て、腰にはなんと白帯を締めていた。空手は有段者でもプロレスは初級であるという謙虚な姿勢の表れであろうか。
さらにその後ろには、タオルと小さな巻物を持ったもう一人の弟子が従っていた。
リングに入る直前に、後ろの弟子がゲンサイの前にまわり、巻物を紐解いてゲンサイの前に開示した。
(あの巻物には何が書いてあるんだ?)
リュウは監視カメラのモニターを拡大したが、その時にはすでに巻物は閉じられていた。ゲンサイはうなずいてからリングに入って行った。
「リュウ選手!出番です!」
ミノルとオサムが左右から控室の扉を全開し、リュウを招いた。
「よっしゃあ!」
リュウは拍手のように両手のひらをパァン!と打ち、控室を出ていった。
(第七十八話へ続く)
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