巨人がリュウに襲い掛かろうとしたのと同時に、リュウは巨人の左側頭部にハイキックを放っていた!
その蹴りは脚の長さこそ足りないものの「黄金の斧」と称えられたサコウの美しいハイキックの形そのものであった。
巨人は横倒しに崩れたが、リュウ自身も蹴りを放った直後に足から崩れ落ちていた。
共倒れの光景に主審は戸惑いながら、改めてカウントを取り出したが、どちらも動く気配がないまま「五」を越えた。
「リュウ!起きろ!立て!」
「ここまできたんだぞ!あと少しだ!」
「がんばれ!勝ってくれ!」
サコウをはじめ、敗退した選手たちが必死に呼びかけるが、リュウはまったく動けないでいた。とっくに限界を超えていたのだ。
最後のハイキックは打とうとして打ったのではなく、巨人の目を見た瞬間、本能で体が反応した結果だった。
一方、神職たちも巨人に祈りを捧げるように声をかけていた。また氏子の年寄りたちも薩摩の方言で神を励ましている。
「ヤゴロウどん!起きっくいやんせ!」
「けしんではいけもはん!」
「神さぁが人に負くっどげんすっ!」
やはり巨人は微動だにせず、またリュウもうつ伏せに倒れたまま、誰の声にも反応しなかった。
ついに主審は「十」まで数え終え、両者ともにノックアウト、判定は無しの引き分けという裁定が下った。
場内は一瞬沈黙が流れ、次いで落胆のため息が満ちたが、すぐに大きな拍手が起こり、両者の死闘を称えていた。
裁定が下るとすぐにオオヒトがリュウに駆け寄り、うつ伏せから仰向けに起こして呼吸を確認し、額の傷に手を当てて出血を止めようとしていた。
巨人のほうは神職たちが呼吸を確認しようとするが、面をつけていることもあってわかりづらいようであった。大きな胸に耳を当てた神職のひとりは青ざめて、すぐに老婆巫女に伺いを立てた。
すると巨人を台車に乗せて本殿に戻すよう指示が下ったので、オオヒトを除く神職たちは全員で巨人の身体を持ち上げ支えながら台車まで運び、綱を引いて大急ぎで老婆巫女と共に本殿へ下がって行った。
それを見送りながら、委員長のヤッさんはこの後どう進行してよいものか悩んでいた。
過去2回は「生きているヤゴロウどん」があっという間に勝利して本殿に戻って行き、閉会宣言をして終えた。
しかし今回は引き分けであるため、勝ち負けが付かない。
さらに両者ともダウンしており、オオヒトが介抱しているリュウはともかく、本殿に運ばれた巨人の安否が不明なため、この場をどう収めて良いのかわからない。
(とにかくヤゴロウどんの状態を聞いてからでないと、どうしようもない…)
しかし本殿の扉は閉ざされたままである。ヤッさんはただただ青ざめるばかりだった。
オオヒトの「手当て」が効いたのか、リュウの額の傷口からの出血は止まった。
やがてリュウの目が開き、見つめるオオヒトの目と合った。
「…オオヒトか。手当てしてくれてたんだな。じゃあ俺は負けたのか」
「いいえ。貴方は負けていません。最後まで見事に闘い抜かれましたよ。結果は両者ともに倒れたので引き分けです」
(そうか、勝てなかったか。サコウにまた文句言われちまうな)
苦笑いを浮かべたリュウだったが、そのすぐ近くでサコウが泣いているのには気づかなかった。
「起きることはできますか。生きているヤゴロウどんは本殿に運び込まれていますから、リュウ殿もいったん控室に下がって休まれた方が良いかもしれません」
「…くそっ、全身が痛え。さっきはそこまで痛くなかったが、一度緊張が切れるとやっぱりドッと来るな…このままここで寝てる方が楽かもだ」
リュウがそう言った時、一人の年寄りの声が響いた。
「卑怯じゃ!」
(なんだ?)
「リュウは卑怯じゃ!ヤゴロウどんな頭下ぐっどを蹴っどは非道!」
今度は老婆の声が響いた。
「ほんのこっじゃ!あげん骨うっごっも非道!」
さらに杖を突いた老爺もその杖を振り上げて叫んだ。
「ヤゴロウどんの面はご神体やっど!そいを割っどは神罰が下だっ!」
リュウは年寄りたちの剣幕に驚いたが、方言のため何を言ってるのかがわからない。
「おい、オオヒト。じいさんばあさんたちは何て言ってるんだ?」
オオヒトは珍しく眉間にしわを寄せて、目をあちこちに動かしていた。
「どうした?」
「…神社の氏子の人たちは、貴方が生きているヤゴロウどんのびんた、頭を蹴ったことを卑怯だと怒っています」
「卑怯?なんでだ?試合の掟じゃ目つぶしと金的以外はやっていいんだろう?頭への蹴りのどこが卑怯だ!」
「貴方が最後に打った上段蹴りは、土下座をして頭を下げているヤゴロウどんを蹴ったと思っているのです」
「土下座だと?」
リュウはその時の光景を思い出したが、とても謝っている様子ではなかった。何とか身体を起こそうとしているとしか思えなかった。
「あの時、ヤゴロウどんは立ち上がろうとして四つん這いになったが、上半身に力が入らなかったから頭が下がっただけだ!」
「あの人たちはそう思っていません」
「そう思ってない、って…いや、それにその直後、あいつは俺をにらんでから飛び掛かろうとしてきたんだぞ!殺る気満々だった。だから俺は蹴ったんだ」
「皆の目にはヤゴロウどんが頭を下げて謝って、その顔をあげた時に貴方が蹴ったと見えたのです。貴方の蹴りが素早かったので、ヤゴロウどんが手足を床から離すとほぼ同時に当たりましたから、飛び掛かろうとしたのもわかっていないようです」
たしかに近くで座っている観客の低い視点からは、床すれすれの状況は見えにくい。
巨人の手足が床から離れたかどうかは間近で見ないとわからないだろう。
「サツマでは、頭を下げて謝った相手にはそれ以上攻撃をしてはならないという教えがあります。謝っているのにそれを許さず、さらに追い討ちをかけるのは卑怯な振る舞いだからです」
「冗談じゃねえ!」
リュウは思わず身体を起こした。激しい痛みが走ったが構わず、
「俺は卑怯な真似なんかしちゃいねえ!」
とオオヒトに食って掛かった。
「そう見えたって言いはるんなら、試合の映像を大画面で見せてやりゃあいいじゃねえか!ヤゴロウどんが飛び掛かろうとした時に俺が蹴ったのがはっきりわかるはずだ。そうだ、拡大してゆっくりと流せばじいさんたちにもわかりやすいだろう?」
「無駄です」
「なんでだよ!?」
「生きているヤゴロウどんは神様なので、その姿は写真や動画には映りません。人間の目というか、心にしかその姿は映らないのです」
「…なんだと?!」
リュウは信じられない思いで、大型ビジョンの方を見た。そこにはさっきまでの闘いの様子が流されてはいたが、床の上にいるのはリュウと主審だけであった。
(なんだこれは?!)
何度もまばたきをして見直したが、巨人の姿はどこにもない。リュウだけが一人芝居をするかのように蹴りを打ったり、押しつぶされそうになっていた。
さらには見えない力で空中に持ち上げられ、柱に叩き付けられたりしていたのである。
(…俺は、いったい誰と闘っていたんだ?)
背筋が凍るような気持ちで沈黙したリュウに、オオヒトはさらに言った。
「氏子の人たちは貴方が生きているヤゴロウどんの指の骨を折ったことや、頭突きで面を割ったことも責めています。特に面はヤゴロウどんのご神体でもあるので、それが割れたので神罰が下ると恐れているのです」
(こっちは押しつぶされて首の骨を折られそうになったり、首吊りで絞められたり柱に叩き付けられてんのに、ヤゴロウどんがやったことは非道くないのかよ)
リュウの本音をよそに氏子たちの叫びはどんどん増えてゆき、特に「神罰が下る」ということへの怯えは大きくなっていった。
さっきまでリュウを応援していた観客も
「ヤゴロウどんが戻ってこないということは、神様は死んだのか」
「リュウが神様を殺した」
「ヤゴロウどんを卑怯な蹴りで殺した!」
「なんて恐ろしいことを!」
などととざわめき、席を立ってどんどん試合場に押し寄せてきた。
この状況を喜び、ここぞとばかりに大声で叫んだ者がいた。
「ヤゴロウどんを卑怯にも殺したリュウを殺せ!でないとここにいる皆に神罰が下るぞ!」
声の主はシンカイであった。
(あいつ、何をバカな事言ってんだ)
リュウは怒る以前に呆れたが、
「そうだ!リュウを殺さないとヤゴロウどんに許してもらえないぞ!」
「リュウを殺せばヤゴロウどんは浮かばれる!」
「ヤゴロウどんの仇を討て!リュウを殺せ!」
なんとシンカイの仲間たちも調子に乗って皆を煽り出した。
(カバにカエルにヒラメまで何を言ってやがる)
「そもそも『浮かばれる』ってのは成仏することだろ。神様が仏様に成ってどうすんだ?アホかあいつら」
リュウが小声で突っ込みを入れていると、いきなり
ドォォ────ン!!!
という大音響と共に地響きが起こり、場内の照明がすべて消えた!篝火だけが逆に業火のように大きく炎が燃え盛った。
「ひいっ!」
「わぁ───!!」
「神罰だ!」
観客が悲鳴を上げてパニックになった。
「オオヒト、何が起こったんだ?」
リュウの問いにオオヒトは冷静に答えた。
「桜島が噴火したのです。普段ならよくあることで皆動じないのですが、間が悪かったですね。停電はたまたまでしょう」
「こんなに大きな音と地響きまでしてんのに、よくあることなのか?!」
リュウの頭の中にはきばい屋のおやじさんから聞いた、海峡を溶岩で埋め、田畑も噴石や灰で埋め尽くした大昔の大爆発のイメージが浮かんでいたが、今の噴火はそこまでではないらしい。
しかし、篝火しか見えない暗闇は噴火が日常茶飯事なはずのサツマの民の心を狂わせていた。
さすがにシンカイたちのように「殺せ!」とまでは言わないものの、リュウを捕らえてヤゴロウどんに差し出さないと神罰を免れないと多くの人が思い込んでしまった。
「卑怯なリュウを逃がすな!皆で取り押さえろ!」
シンカイの仲間たちも調子に乗って皆を煽った。
見渡せば、試合場の床の四方は不安に陥った人であふれるほどになり、リュウとオオヒトを取り囲んでいた。
結界を示す綱をくぐって入ってくる勇気までは今はないらしいが、皆の目は血走っているようだ。
「オオヒト、お前は逃げろ!このままだと何をされるかわからんぞ!」
リュウがそう言うとオオヒトは立ち上がり、逃げるどころかリュウを守るように両手を広げた。
「馬鹿野郎!俺にかまうな!さっさと逃げるんだ!」
(第十八話へ続く)
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