「つい…ほう?」
何を言われたのか理解できなかったリュウにかわって、きばい屋店主が思わず声をあげた。
「おネエちゃん!どうしてだ?なんでリュウさんがサツマを追い出されなきゃいけないんだ?!」
(え?…俺、追い出されるのか?)
やっとリュウは言葉の意味は理解したが、理由がわからず当惑した。
解せないという顔でシュウも問うた。
「さっき誤解は解けて騒動もおさまったって言ってはりましたやん。せやのに、なんでリュウが出ていかなあかんのですか?」
「たしかにその場はおさまりました」
老婆はうなずいた。
「でも、声なき声のなかに多くの憎悪の感情がありました。観衆のなか、出場した選手のなかにも湧き上がる黒い魂が見えていました」
「出場した選手のなかにも、だと?」
リュウは驚いた。サコウや応援してくれていた選手たちの顔が浮かんだ。
「サコウ殿をはじめ、リュウ殿と直接闘った選手ではありません。闘って貴方の強さを身に染みて理解し、貴方を認めていたからでしょう」
しかし、と老婆は続けた。
「闘技戦で貴方と対峙しなかった者の中に、強くリュウ殿を憎み嫌う者がたしかにいました。また出場選手を応援していた仲間や家族のなかにも同様の者が居ました」
「なぜだ?俺がそいつらに憎まれるようなことをしたってのか?」
「シンカイとその仲間にはしましたね。特にオオヒトを突き飛ばした男への急所蹴りはやりすぎでしょう」
(あっ)
認めざるを得ず、リュウは黙った。
「きっかけは神様ヤゴロウどんがサコウ殿と貴方を褒め称えたことでした。要は嫉妬したのです」
「嫉妬?俺に?サコウにもか?」
「サコウ殿はサツマの人間ですし、二年連続で王者となった選手なので皆は納得しています。でも、貴方はいきなり現れて優勝し、神様ヤゴロウどんをも倒しました。引き分けまでは許せても、神様が負けを認めさらに貴方を称賛したことで、試合が終わるまでは応援していた者が一転して貴方のことを許せなくなったのでしょう」
「そんな、許せないって…文句はシュウに、じゃねえ、神様のヤゴロウどんに言ってくれよ」
「サコウ殿のように、また次の年で頑張って勝ち抜いてヤゴロウどんと闘おうと、気持ちを切り替えることが今まではできたかもしれませんが、闘神の降臨は一年後か百年後かはわからないと申されました」
──しばらくはゆっくり休むこととしよう
神様ヤゴロウどんはそう言った。
「時の流れは神様と人では感覚が異なります。『自分はもうヤゴロウどんと闘うことはできない』と絶望したかもしれません」
リュウは「ヤゴロウどんの最後の対戦相手」であり「ヤゴロウどんに勝った唯一の人間」になったといえる。
「自分を投影して応援していたはずなのに、それがはるかな高みに行ってしまい、『なぜあいつだけが』と、憧れが憎しみに変わった選手もいたことでしょう」
「でも選手はともかく、観衆はあんなにリュウさんに大声援を送ってたじゃないか!」
そう言うきばい屋店主に、老婆は顔を向けて言った。
「そう。あれほどに熱狂して応援していました。しかしその直後、神罰を恐れてリュウ殿を取り囲んで責めだしたのも同じ観衆でした」
「あぁ…」
「人の心はまことうつろいやすく、頼りないものでもあります。その心は人を救いもするし追い詰めもします。リュウ殿」
リュウを見つめて老婆は言った。
「闘技戦に優勝し、神様を負かしたとはいえども、貴方がサツマで真の英雄と認められるには時が必要です。皆にも、貴方自身にも」
(だから、出て行けってか)
「ずっと、とはいいません。しばらくサツマを離れなさい。そして人としての修業を積みなさい」
「人としての修業?」
「そもそもの発端は、貴方がきばい屋でシンカイにぶしつけなことを言ったのがはじまりでした。
『でもあんたが注文取りに来たり、料理運んで来たらさぁ、お客は怖いんじゃねえの?でけえし顔はいかついし。子供は泣き出すだろきっと。そらぁ営業妨害ってもんだぜ』
初対面のシンカイに、こう言いましたね」
(げっ。あの時、聞いてたのか?なんで一言一句わかるんだよ…)
老婆の不思議な力は重々わかっているつもりであったが、リュウはやはりゾッとした。
「たしかにシンカイはきばい屋で働きもせずに居座って迷惑をかけていました。責められても当然ですが、貴方が言ったことはシンカイからすれば言いがかりに近いでしょう。喧嘩を売られたと感じても仕方がない部分はあります」
「う…」
「貴方は正直です。それは美徳であるとともに、時に人を傷つける刃にもなります。もう少し相手がどう思うかを考えてものを言うことを覚えなさい」
「そんなこと言ったって、相手がどう思うかなんて…考えてもわからないことだってあるだろ」
「そのために様々な人と交流するのです。深くも浅くも経験を積んでそれを生かしなさい。失敗したらそれを糧にまた自分の幅を広げ、引き出しを増やしなさい。その場その場の感情で言ったこと、やったことが相手によってどう受け止められたか、また後々どういう結果を招くのかまで考えてみなさい」
「後々どうなるかなんて、それこそわからねえよ」
「では例えを出しましょう」
(例え?)
「貴方がシンカイに配慮のない言葉を言って怒らせました。そして暴力に暴力で返しました。その後試合場でシンカイは仲間と共に観衆を扇動し、貴方ばかりかオオヒトまでを窮地に立たせました。オオヒトはどんな目に合いましたか?」
「あっ…!」
「貴方の助けが間に合わなければ大怪我をしていたかもしれません。シンカイたちが逆恨みでやったことはもちろん非道ではありますが、貴方の最初の言動が違っていれば、招かずに済んだ禍とは言えませんか?」
(オオヒトをあんな目に合わせたのは…もとは俺か。俺のせいなのか)
「貴方の言葉、やったことが原因あるいはきっかけとなったことは否めませんね。もうひとつ言っておきましょう」
(もうひとつ?)
「シンカイの仲間はあの3人だけではなく、あと2人いました。その者たちは店主が心を込めて作ってくれていた、選手や関係者が食べるための祭りの弁当に薬物を混入しようとしていたのですよ」
「なんだと!?」
リュウは驚いてきばい屋店主の顔を見た。
「なんだって?おネエちゃん、それは本当かい?」
きばい屋店主もそのことは初耳だったらしく、非常に驚いていた。
「ヤッさんからオオヒトに『シンカイが仕返しを企んでいる』そして、きばい屋に対しても恨んでいるという話がありました」
ヤッさんはきばい屋店主への恨みについては口に出さなかったが、オオヒトは目を見ただけでそのことがわかったらしい。
「そこで私が試合当日の朝、きばい屋の店の外で離れて様子を見ていると、案の定シンカイと同じ“気”を持った男二人がやってきたのです。彼らの手には粉末にした下剤が入った瓶がありましたから、暗示をかけてその瓶を自ら飲み干させてやりました」
「えっ」
きばい屋店主とリュウが同時に声を上げた。
「み、水もなしに、下剤の粉をひと瓶全部飲み干させはったんですか?…その人らも、よう飲みはりましたね」
シュウが感心した声で言った。
「むせてはいましたが、暗示が効いているから『全部飲まなければいけない』という義務感が強かったようですね」
「どんだけ唾液分泌させたんやろか。その人ら、前世はパブロフの犬やったんかなぁ」
「それはわかりませんが、なんとか飲み終わると彼らは『弁当に下剤を仕込むのは無事終わった』と思い込んで、店に入らぬまま来た道を戻って行きました。試合会場には来なかったので、きっとその後は一日厠の中だったのでしょう」
「えげつないなあ~自業自得やけど」
シュウがあはは、と笑った。
「いやぁ、そんなことがあったとは…おネエちゃんのおかげで助かったよ!ありがとうな」
きばい屋店主も笑いながら言ったが、リュウは下を向いて黙り込んでいた。
それに気づいたきばい屋店主はリュウの顔を心配そうに見て、それから老婆に向かって何か言いたげではあったが、言葉を発することは出来なかった。
シュウもリュウの背中を見守っていたが、やはり何も言わなかった。
長い沈黙の後に、苦し気な声でリュウは言った。
「…このままサツマでその修業ってのをしちゃ駄目なのか?どうしてもサツマを出なきゃいけねえのか?」
老婆は少し優しい声で言った。
「明日になれば、きっときばい屋には人が押し掛けることでしょう。今夜の闘いで貴方の信望者になった者たちが貴方を褒め称え、機嫌を取ろうとしてきます。今の貴方ではそれに抗えず翻弄されてしまいかねません。貴方へ向けられる憎悪よりもこちらのほうがずっと危険です」
老婆はリュウの肩に手を置き、リュウの心の中にだけ聞える言葉で言った。
(貴方は今まで認めてもらえることがほとんどなかった。その強さも並外れた身体能力も、正直さも端正な容貌ですら価値を感じてはもらえなかった。かろうじて祖父と、兄と呼んだ人だけはそこで生きてゆくための術を教えてはくれたけれど、それすらも否定されたからこそ藩を飛び出してきたのでしょう?)
目を見開いて、リュウは老婆を凝視した。
(───全部、お見通しってことか…)
(貴方は自分を認めてくれる人にとても弱いのです。きばい屋のように裏表なく、心底貴方を大事に思って褒めてくれる人だけとは限りません。貴方の心を操ろうとする者も多数やってきます。神を倒した英雄を利用しようと思う者も。今サツマに残ることは貴方にも周りの人にも、とても危ういことなのです。だから、お行きなさい)
「──わかったよ。これ以上迷惑はかけられねえ」
リュウはため息をついてから、老婆の手を取り自分の肩からはずした。
「俺は今からサツマを出る。───修業できるかどうかは知らねえけどな」
(第二十五話へ続く)
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