ジンマの団体「虎拳プロレスリング」のリングに上がることを決めたリュウは、車で送ってくれたジンマと共に神社へ戻って来た。
駐車場ではカワカミがシュウの感想と意見を基に、キャンピングカーのさらなるブラッシュアップをしているところであった。
「お帰り~。虎之助さんとの話、どやった?」
「シュウさん聞いてくれ!リュウさんがうちのリングに上がってくれるって!最強にして最高のプロレスラーの誕生だよ!」
リュウを差し置いてジンマが叫んだ。苦笑するリュウと、嬉しくて仕方がない様子のジンマをシュウは笑顔で迎えた。
「おお~話決まったんやね。それはよかったなあ」
「ジンマがな、ずっと涙と鼻水流しながら運転するもんだから危なくってしょうがねえ。前見えて無いんじゃねえかと生きた心地がしなかったぜ」
リュウはそう言うものの、昨日までとは違ってその顔には笑みが浮かんでいた。
虎之助から聞いたジンマのプロレスに対する強い気持ちに、リュウもジンマのために自分に出来ることをしてやりたい、と心から思うようになったのだ。
「ねえ、そこでお願いなんだけど、シュウさんもうちの団体のマスコットキャラクターになってくれないか?」
「ますこっ…?ってなんだ?」
今度はリュウがシュウを差し置いてジンマに聞いた。
「マスコットはね、人々に幸運をもたらすと考えられている人や動物、物のことを言うんだ。お守りや守護神と言ってもいい。シュウさんのその大きな身体、そして優しい笑顔と性格は、絶対子供たちに受けると思うんだ!」
リュウは「ぶんからーめん」でシュウが「くまもんのおにいちゃん」と呼ばれて子どもになつかれていたのを思い出した。
「今度の祭りで試合前に子供たちと一緒に遊んでくれたり、たとえば力比べをするとかで盛り上げてくれたら、プロレスに興味がない家族連れも絶対寄って来てくれると思う。出来るだけ多くの人に注目してもらって、うちの団体の存在を祭りで知らしめたいんだよ。プロレスラーとしてじゃなくていいから、どうか頼むよ!」
(たしかにそうだな。シュウはすごく優しいから、子どもたちも喜ぶだろう)
「ええですよ~」
シュウは笑顔で快諾した。
「僕、子ども好きやし。闘うんやなくて遊ぶんやったら喜んで!」
「ありがとう!リュウさんもシュウさんも本当にありがとう!これで祭りのイベントプロレスは大成功だ!」
またも拳を突き上げて舞い踊って喜ぶジンマ。
そこに軽くクラクションを鳴らしながらゆっくりと高級車が入って来た。
その車から降りて来た人物を見てリュウは驚いた。
(あの美人じゃねえか!いや、きれいなお兄さん、か)
猿軍団から助けたつもりで邪魔をしてしまった、あの美形の男がそこに居た。
今日はスーツを着て髪もまとめていたので、一応男には見えた。
「あ、レンさんやないですか。どないしはったんですか?」
シュウの言葉にリュウは驚いて小声で聞いた。
(シュウ、あいつの名前知ってるのか?)
(うん、リュウが露天風呂から別の風呂に移った後、いろいろ話してん)
「こんにちはシュウさん。先日はどうも。今日は虎拳プロレスのジンマさんに、料亭の掛け軸の件で交渉に来ました。団体の方からこちらにおいでと伺いましたので」
「え?レンさんが交渉に?」
シュウと共にリュウも驚いていた。
(レンって、いったい何者なんだ?)
「あ…どうも、先日は露天風呂で失礼しました。虎拳プロレスのジンマです」
ジンマが緊張しながら「虎拳プロレスリング 代表 神馬 秀和」と肩書のある自分の名刺を差し出した。
「お先に頂戴します。では改めまして、料亭『肥後ほまれ』の代理人、弁護士のアリヨシ・レンです。どうぞよろしくお願いいたします」
ジンマの名刺を丁寧に名刺入れの上に載せて受け取り、レンも「弁護士 有吉 漣」と書かれた名刺を差し出した。
レンの所作はとても気品があり、その容貌の美しさと共に童顔のジンマを圧倒していた。交渉で賠償責任をどう切り抜けるか以前に、早くも劣勢に立たされているジンマを気遣って、カワカミが声を掛けた。
「よかったら神社の中でお話しされませんか。客間でお茶を入れますから」
ジンマとレンの交渉は、意外なことに30分もせずに終わった。
ジンマが嬉しそうに「ああよかったー!助かった!」と叫ぶ声が駐車場まで聞こえてきたので、交渉の妨げにならぬようキャンピングカーの中に居たリュウとシュウ、そしてカワカミも(うまくいったようだな)とホッとした。
「あの高そうな掛け軸の修復代、意外に安かったのかな」
「どやろか。もしかしたらレンさんが店側の過失とか、トウドウも故意じゃなかったとかうまくバランス取ってくれたんかもしれへん」
レンが駐車場にやってきたのでシュウが「話まとまったみたいやね」と声を掛けるとレンがうなずき、リュウに向かってこう言った。
「料亭の方々から君に伝言がある。ぜひまた馬刺しを食べに来てほしいそうだ。特別価格でサービスしてくれるらしいぞ」
「へ?」
「馬刺しの皿がひっくり返るのを必死で防いだこと、“こんなに美味い馬刺しを落としやがって!もったいないじゃねえか!”とトウドウを叱りつけたこと、さらに落ちた馬刺しまで喜んで食べてくれたことに店員たちが感激して、君は一躍人気者になったらしい」
「え?そんな感激されるようなことはしてねえけど…じゃあ交渉がうまくいったのも、もしかしてそのせいなのか?」
「それとは別だ。詳しくはジンマ氏に聞くといい。ああそれから、君とシュウさんが虎拳プロレスと契約する件も、私が契約書を作成することになったから、また改めて来るのでよろしく。ではまた」
レンはシュウとカワカミにも挨拶をして車に乗り、去って行った。
「レンさんは弁護士さんやったんかぁ。それもエリートっぽいなあ。頭良ぅて何でも出来はる、すごい人やね」
感心して言うシュウであったが、リュウは(またあのウマい馬刺しが食えるのか…)という嬉しさで頭がいっぱいで、シュウの言葉を全然聞いていなかった。
ジンマによると、交渉があっさりまとまったのは意外な理由からであった。
馬刺しがはり付いた掛け軸は実は贋作だったのだ。
本来は価値の高い骨董品であったが、店のオーナーがこっそり贋作とすり替えて売り飛ばしており、その金を愛人に貢いでいたことが修復に出そうとした時点で発覚し、オーナーの妻が激怒した。
夫婦間の問題はさておき、オーナーの妻は掛け軸の汚損がむしろ真実を暴くきっかけになったことを感謝し、店員たちからの提言もあってリュウへのサービスも付加されたということらしい。
「ほな、トウドウさんもほっとしてるやろ。あの時顔が真っ青になってはったもんなあ」
「クビになった上に損害賠償じゃ金払おうにもどうしようもねえよな。でもジンマ、あいつ本当にクビなのか。そんなに素行が悪いのか?」
リュウの問いにジンマが困った顔で言った。
「営業に熱心じゃないのは困るけど、ただ虎之助といい勝負が出来て、なおかつヒールの雰囲気を出せるのは今トウドウしか居なかったんだよ」
「ひーる?」
「悪役のことだよ。虎之助はあの通りのさわやか好青年だから、敵は悪役っぽい雰囲気のヤツの方が盛り上がるんだ」
「へえ。プロレスラーにはそういうイメージが必要なんだな」
「他の団体からそういうメイン選手を呼んだとしても、向こうの方がうちより立場が上だから、虎之助をそうそう勝たせてもらえないしな。トウドウはフリー選手だからその点やりやすかったんだが…虎之助にケガさせたのはやっぱり許せないよ。プロレス道にもとる!」
(プロレス道?そんなのあるのか)
「ほんならリュウはどういう役どころのレスラーになるんです?相手は悪役か善玉かどっちが合うとジンマさんは思てはりますの?」
「そりゃあリュウさんはストロング・スタイルだよ!イノキのイメージだな。なおかつタイガー・マスクの夢を魅せてくれる要素だ。だから相手は同じストロングスタイルの要素があって、なおかつリュウさんをヒートアップさせてくれる要素を持つ…うーん難しいな」
「ま、どんな奴でもいいけど。とにかくどこでどうすりゃいいのか、試合中に俺にわかるように教えてくれよな」
「相手が決まらないとブックも決まらないし、話題性を持たせるためのアングルもいるしなあ…とにかくリュウさんのデビュー戦は今月末の祭りのイベントだから、絶対に盛り上げないと…!う~ん!」
専門用語をぶつぶつ言いながら悩み込むジンマを前に、リュウは(そろそろ昼だな。腹減ったなぁ~)と呑気なことを考えていた。
「皆さん、よかったら太平燕食べませんか?インスタントですけど」
カワカミの呼びかけに、リュウはいち早く反応した。
「たいぴーえん?なんだそれ?美味いのか?食べる!食べたい!」
太平燕はヒゴのご当地グルメで、もともとは中国福建省の郷土料理であったが、明治時代にヒノモト、当時の日本へ伝わってきた。
白湯豚骨スープと鶏がらスープをブレンドしたあっさりしたスープに春雨の麺、野菜、きくらげ、豚肉、エビにゆで卵などを入れた、ちゃんぽんに近い料理である。
カワカミが作ってくれたのは乾燥具材も入ったインスタント版であったが、とても美味しかった。
ジンマが虎拳プロレスの事務所に戻った後、食いしん坊のリュウはまだ食べ足りなかったようで、カワカミにおねだりして安納芋入りのいきなり団子を食べさせてもらった。
「じゃあリュウさんたちはしばらくはヒゴに居られるんですね。よかったらこのまま神社に居て下さいよ」
「え?いいのか?今日も朝飯から世話になりっぱなしなのに…」
「ここは基本禰宜の私一人が住む小さな神社で、宮司もヤゴロウどん神社の宮司さんが兼任されてるんです。だからリュウさんとシュウさんが来てくれて嬉しいんですよ」
「そういや、ここはヤゴロウどん神社じゃなく、オオヒト八幡神社だったな。オオヒトって名前の神様もいるわけか?」
「いえ、オオヒトというのは大きい人、巨人のことです。ヤゴロウどんのことを『オオヒトヤゴロウ』と言ったりします。ヤゴロウどん神社の分社であるとともに、武運の神である八幡様を祀る神社なのでオオヒト八幡神社です」
(そうなのか。じゃあ宮司の息子であるオオヒトの名前も、ヤゴロウどんにちなんでの名前なんだな)
「もともとの由来は、大昔にサツマでヤゴロウどんが中央政府と闘った際に、ここヒゴからもヤゴロウどんと共に闘うために駆け付けた人がいたそうで、その名は伝わっていないのですが、その人がこの地で生まれ育ったので、感謝を込めてここに神社を建てたそうです」
「カワカミさんはその人の子孫なのか?」
「いえ、私はヒゴ生まれですがまったく関係がありません」
ここでシュウが笑いながら言った。
「カワカミさんもな、おネさぁにスカウトされたんやで」
「え?」
「そうです。たまたまサツマに行った時に、気が付けばヤゴロウどん神社の森に入り込んでて、ネネ様に『神様ヤゴロウどんがそなたに、ヒゴのオオヒト八幡神社を守ってもらいたいと告げられた。頼みを聞いてはもらえまいか』って」
「…シュウと同じパターンじゃねえか。おネエちゃんはいろんな人間をスカウトしてるんだな~」
「他にもそういう人が居るのかは知りませんが…私は当時人生の目標を見失ってたんで、そう言われるならやってみようかって、しばらくサツマに留まって神職の資格も取りました。そして権の禰宜となって、当時の禰宜さんと一緒にここに住むようになったんです。数年後に先代が亡くなられ、以後は私が禰宜となって守っています。ひとりですから気楽で、神職としての仕事と趣味を両立できるので楽しいですよ」
「じゃあさ、なんかこの神社で困ってることはねえか?寝泊まりさせてもらって飯までご馳走になってるんだ。なんか俺やシュウに出来ることがあったらやらせてくれ」
「そうですねえ…あ、じゃあ、神社の裏の森の木の伐採をお願いできますか?シュウさんはヤゴロウどん神社で樵をされてましたんで慣れておられると思いますが、リュウさんは大丈夫ですか?」
「おう!まかしとけ!ただし、俺は高い所の枝を切り落とす役専門だ。大きな木を切り倒すのはシュウに任せる!」
「ほな、僕はまた樵の『あんどれ』になります~」
「早速やるか!斧や鋸はどこだ?」
リュウは生き生きとした目をして、喜び勇んで外に出て行った。
(第三十七話へ続く)
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