お祓いの儀式から数日後、リュウたちは馬刺しの美味い料亭「肥後ほまれ」に居た。
トウドウが落とした馬刺しをリュウが惜しがって美味しく食べたことがきっかけで店員たちに気に入られ、
「特別価格でサービスするのでぜひまた食べに来てほしい」
と熱望されていたので、カワカミのオオヒト八幡神社でリュウの選手グッズを販売する契約をこの店で結ぶことにしたのだ。
「ではこの内容でよろしければ、双方の署名をお願いします」
弁護士のレンも久々に顔を見せていた。
相変わらずの美貌で、料理を運んでくる店員たちも男女問わずレンの顔に見とれていた。
「グッズだけでなく試合のチケットまで取り扱わせて頂けるなんて、本当にありがとうございます」
感謝するカワカミにジンマがこちらこそ、と頭を下げた。
「売って頂ける場所が増えるのは本当にありがたいんです。リュウさんのファンの聖地になってるんで、出来れば今後カワカミさんの神社でもイベントをやらせてもらいたいくらいですよ」
「喜んで!どうぞよろしくお願いします」
今日のカワカミは神職装束ではなく、ミュージシャン風の私服である。そのカッコ良さもまた店員たちの注目を集めていた。
「んじゃ、もう馬刺し食っていいか?」
唇にはすでによだれを光らせているリュウがジンマに伺いを立てた。
「リュウさんお待たせ!では虎拳プロレスとオオヒト八幡神社の提携を祝って、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
唱和もそこそこに、リュウは真っ先に馬刺しに食らいついた。リュウの前には専用に特製馬刺し盛が5人前置かれている。箸で3切れぐらいをまとめてつかみ、ショウガとニンニクを溶かした醤油につけて口に入れると「ウマ───いっ!!!」と歓声を上げた。
「こんなにウマいものがあるなんてヒゴはいい所だな。昔から馬刺しは名物だったのか?」
「戦国時代、ヒゴ熊本藩初代藩主の加藤清正公が朝鮮出兵の際に食料が尽き、止むを得ず軍馬の肉を食べたと。それが意外にも美味だったので、帰国してからも馬を食べるようになったのが馬食文化の始まりということらしいですね」
カワカミの答えにリュウはちょっと驚いた顔をした。
「へえ。最初は嫌々食ったらウマかったってわけか。他の藩でも馬刺しはあるのか?」
「東北のアイヅ藩でもよく食べられてますが、生産量も消費量もヒゴがダントツですね」
「もちろんアイヅ産も美味しいんですが、アイヅの馬は小柄で、肉も赤身中心です。こんなにサシの入ったとろけるような美味しさはヒゴならではですよ」
そう言いながら部屋に入って来たのは、婀娜っぽさを感じさせる和服美女だった。
年は30代半ば~40くらいであろうか。“小股の切れ上がったいい女”という言葉が似合いそうである。
「お話の途中でお邪魔してすみませんね。馬刺し料亭のオーナーとしては、ついついヒゴの馬の良さを言いたくて」
スッと正座して頭を下げる女に、ジンマがあわてて声を掛けた。
「あ、じゃあ貴女が…」
「そう、この方が『肥後ほまれ』オーナーのシスイ・コトカさんです」
レンが美女を紹介した。
「オーナー…あぁ、若い愛人に貢ぐために旦那が掛け軸を売り払ってたっていう…」
「こらっ、リュウ!」
いきなり身も蓋もない話を言い出したリュウの口をシュウが慌てて抑えたが、
「そうなんですよ。お恥ずかしい話で」
と、美女は笑いながらリュウに言った。
「あんな男には愛想が尽きたんで追い出しました。今は私自身がオーナーとしてすべてを仕切ってます。男前のお兄さん、貴方がリュウさんね」
「ああ。俺が飛成竜だ」
「うちの馬刺しをお褒め頂き痛み入ります。聞けば床に落ちたものまでもったいないと拾って食べて頂いたとか。その折のお礼で本日のお代は結構ですので、どうぞ何皿でもおかわりなさって下さいな」
「本当か!そいつはありがてえ!じゃあさっそくおかわりを頼む。今すぐ全部食っちまうから」
言うなりリュウはあっという間に5人前を平らげた。
「あ──ウマかった!本当にここの馬刺しは美味いな~何皿でも食いたいぜ」
満面の笑顔でそう言うリュウに、オーナーのコトカは嬉しそうに応えた。
「本当に気持ちよく召し上がって下さるんですね。料理人にも見せたいくらいの素敵な笑顔ですこと。さっきのお言葉もそうですけど、本当に正直でいらっしゃるからご感想も信頼出来て嬉しいですわ」
「いや、俺は失礼なことを考えなしで言うんで厄介なことになっちまうんだ。さっきもいきなり変なこと言っちまって悪かったな」
コトカはくすっと笑って、なまめかしい眼差しでこう言った。
「じゃあ、私もいきなり変なこと言わせて頂いてよろしい?」
「へ?」
「リュウさん。私の間夫になって下さらない?」
(えええっ!?)
オーナーの突然の発言にジンマ、シュウ、カワカミは驚愕した。レンだけは面白そうな顔でリュウの顔を観察している。
するとリュウが即答した。
「まぶ?ああ、別にかまわねえよ」
(ええええええええ!?!?)
ジンマ、シュウ、カワカミの三人は驚きを通り越して慌てふためいている。
(リ、リュウさん!これから女性ファンがどっと増えるって時なのにそれはマズイよ!)
(リュウは熟女好みやったんか…せやけどホンマにええんかいな?今初めて会うたばっかりやのに)
(二人とも女っ気がないから、もしかしたらリュウさんとシュウさんは“好い仲”なのかと思ってたけど、違ってたのか?)
「まぁ嬉しい!本当によろしいの?」
目を輝かせてコトカは言った。
「ああ。俺はあんたのことまだ何も知らねえけど、これから付き合っていきゃあそうなれるかもしれねえしな」
(うわあああああああ!!!)
パニックになりかけているジンマたちの様子に、笑いをこらえきれなくなったレンがついに言った。
「リュウ、オーナーがおっしゃっている間夫とは、親友を意味するマブダチのマブとは違う意味なんだが、そこは理解しているか?」
「へ?マブダチじゃねえのか?じゃあなんなんだ?」
「情夫だ。密か男とも言う」
「じょうふ?みそかお?」
「つまり【婚姻外で性的関係にある男性】のことだ」
「こんいんがい…つまり結婚外…で、せいてきかんけえええ!!??ちょ、ちょっと待った!オーナーさん、悪いが今のは無しだ!俺、意味わかってなかった!てっきりマブダチのマブだと思って、あんた女だけどそう言ってくれるならこの先の付き合いでシュウみたいな親友になるのかなって思っただけで…すまねえけど俺は無理!そういうのは絶対ダメだ!!」
顔を真っ赤に、そして真っ青にと忙しく顔色を変えながら、冷汗を流してリュウはコトカに謝った。
コトカはそのリュウの様子に爆笑し、レンも珍しく大きな笑い声をあげた。ジンマたちも笑い出した。
「リュウさんよかった──!デビューしてすぐに恋人作っちゃったら女性ファンにそっぽ向かれるところだったよ!」
カワカミも調子に乗って言った。
「いやあ、リュウさんとシュウさんがあんまり仲良しなんで、もしや恋人同士かと思ってましたが、ただの親友でしたか」
「は?カワカミさん何言ってんだ?!」
シュウもさらに調子に乗って、笑いながら言った。
「僕、リュウのことは大好きやけど恋人にはなられへんわ。せっかくやけどリュウごめんな~」
「シュウまで何を言いだすんだよ!あ─もう!俺だって恋人作るなら絶対に女だ!」
「あら、じゃあ私は女だから望みがあるのかしら」
「いや、だから、その…頼む、オーナーさん!もう勘弁してくれ──!!」
皆からさんざんいじり倒されたリュウであったが、馬刺しはしっかり15人前を平らげた。その食べっぷりにまたも感動したコトカはジンマにこう言った。
「私、決めました。『肥後ほまれ』は今後、虎拳プロレスのスポンサーになります」
「ええっ!本当ですか!」
「本音を言えばリュウさんのタニマチになる、と言いたいところですが」
リュウの方を熱っぽい眼差しで見たコトカであったが、リュウが身体を固まらせて
「ちょっと待て!タニマチって何だ?まさかそれも、その…」
と慌てたのを見て、笑いながら首を振った。
「あの通り、リュウさんにいらぬ気を遣わせてしまうのであくまでも団体の後援です。今度の試合のチケットも100枚買いますから手配して下さいな」
「あ、ありがとうございます!!」
ジンマが頭を下げた。シュウも頭を下げたので、リュウも戸惑いながらもとりあえず頭を下げた。
「じゃあレンさん、スポンサー契約の書類も早急にお願いできるかしら」
「かしこまりました」
「契約締結の際には、ぜひまたいらして下さいね。お待ちしております」
最後にリュウに嫣然とした表情を向けて、コトカは部屋を出て行った。
「…はぁ~。ああ疲れた。あやうくとんでもない付き合いを始めちまうところだったぜ。シュウ、間夫の意味わかってたんなら先に教えてくれよ」
「先も何も、リュウ即答してたやん。僕はリュウが熟女好みやったんかと思てびっくりしてたんや」
シュウが笑いながら言った。
「じゅくじょ?俺にはよくわからねえけど、とにかく俺は結婚してる人間が他の人間とそうなるのは絶対嫌だ!」
(お父さんのことが許せないからやな)
そう思うシュウだったが、そこにレンがさらに突っ込みを入れた。
「ではオーナーが晴れて独身になったら、リュウの恋愛対象になるのかい?」
「え?…そういやさっき旦那を追い出したって言ってたな。いや、そういう問題じゃなくて!とにかく俺は、今は…そう、サナダに関節技教えてもらうことで頭がいっぱいなんだ。女も男もいらねえよ!」
「…と、リュウは言ってました」
リュウたちが退店した後、レンはコトカに報告していた。
「あらぁ残念。ていうか…まだまだお子様のようね。でもいい男に育ててみたいって思わせてくれるから、楽しいかも」
「離婚成立後のお楽しみですか。御夫君もやっと弁護士を立てて来られたので、餅は餅屋同士で早々に決着できるでしょう」
「よろしく頼むわね。レンさんが顧問弁護士で助かるわ。そういえば虎拳プロレスの顧問を、しかもレンさんから破格の費用で任せてくれって申し出たんですって?」
「お耳が早いことで」
「珍しいわね。どんなに高額報酬積まれても引き受けないことが多いのに、自分からやらせてくれだなんて。もしや貴方もリュウさんが目当てなの?」
「オーナーとはちょっと違いますが、リュウに興味があるのは本当です。彼自身は何も要求しないが、なぜか皆彼の力になりたがる。放っておけないというか…不思議と人を引き付けるものがありますね」
「変に女に目覚めたらジゴロになるかも。これからどんな男になってゆくのかずっと見ていたいわ。できればすぐ傍で」
「へぇ─っくしょん!!!」
その頃、神社に戻ったリュウはくしゃみを連発していた。
「ふええ…なんか急に鼻がムズムズしちまって…誰か俺の噂してんのかな」
「さっきのオーナーさんじゃないですか?」
「もう!その話はやめてくれよ…カワカミさんこそ、彼女とか彼氏とかいないのか?」
「彼氏!さっきのお返しですか?(笑)音楽やってた頃はもちろん女の子と付き合ったりはしましたけど、神職になってからは久しいですね。またご縁があればってとこでしょうか」
「シュウはどうなんだ?」
「僕も大学時代は彼女居ったけど…まぁいろいろあって別れてしもた。それからは誰かを好きになるいうんもなかったな」
「…その子のことを忘れられないから、なのか?」
「まぁそうとも言えるな。リュウは好きな子居れへんかったん?」
「好きな子どころか、女の子と深く知り合う機会が無かったんだ!小学校も中学校もろくに行けなかったし、卒業してからはずっと父親の仕事の手伝いで、おっさんかじいさんだけの世界だ。だから女の人とまともに会話したってのは…おネエちゃんだろ、カントクさんの奥さんだろ、そんで今日のオーナーさん、それだけだ」
老婆巫女と人妻2人のたった3人しか女と接する機会がなかったリュウの哀れな人生に、カワカミもシュウも絶句して慰めざるを得なくなった。
「…そ、それは…可哀想に。縁が無さすぎやな」
「…今まで恵まれなかった分、きっとこれからはモテまくりですよ」
「じゃあ今度、カワカミさんに縁結びのご祈祷頼むか」
カワカミはニヤッと笑ってリュウに言った。
「残念!当神社の御利益は武勇長久、必勝に健康長寿です。でも安産祈願ならお受けできますよ」
「なんで縁結び抜きでいきなり安産なんだよ!」
(第五十五話へ続く)
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