サコウの黄金の斧はリュウの左側頭部を狙って振り下ろされた。
リュウは素早く左腕を上げてのガードをすると見えたが、違った。
上げた左ひじを鋭角に構え、サコウが振り下ろす右足、それもひざの皿(膝蓋骨)めがけてカウンターのひじ打ちで迎え撃ったのだ!
「ぐわぁっつ!!」
サコウは激痛に悶えながらひざを抱えて床を転げまわった。
今度も主審はサコウのセコンドを確認してから、カウントを取り出した。さっきのリュウに対するカウントが動揺のため遅くなったことを反省し、サコウにも公平を期すつもりで遅めにカウントを取っていた。
リュウは自分の陣地に下がり荒くなっていた呼吸を整える。
目を閉じて深呼吸をし再び目を開くと、なんとそこには腫れ上がった右ひざを押さえながら、カウント七でなんとか立ち上がろうとするサコウの姿があった。
(まだやる気なのか?)
リュウは驚いた。当たったひじの感触では、サコウの右ひざの骨は割れたと思ったからだ。
サコウはガクガクと身体を震わせながらもファイティングポーズを取り、試合は続行された。
この時大きな拍手が沸き起こり、場内の歓声は一転してサコウへの応援に変わった。
「サ・コ・ウ!!サ・コ・ウ!!サ・コ・ウ!!」
サコウコールの大合唱と「凄いぞサコウ!」「負けるな!」「絶対王者!」といった声援が飛び交った。
本部席のヤッさんや常連たちまでもが「サコウがんばれ!」と叫んでいた。
ひざの痛みに気を失いそうになりながら、サコウはそれらの声をはっきりと聴いた。
過去二回の優勝の時、拍手は大きかったがこれほどまでに自分の名前を呼ぶ声はなかった。
観客席に目をやると合唱する中に地元の人間たちの顔が見えた。
かつて自分をいじめ、あざ笑った奴らも今、「強いぞサコウ!」と叫んでいる。
子どもの頃からずっと相撲を愛し、力士としての誇りをもって出場したが敗退した者たちも声援を送ってくれていた。
誰も彼もが自分の名前を大声で呼び、応援してくれている。
サコウは我知らず涙を流していた。
心を決めたようにうなずいたサコウは、ほとんど左足一本でリュウに向かっていき、長い両腕を振るってパンチを浴びせた。
片足にしか力が入らず踏ん張れないが、腕の力だけで必死に打ち続けた。
間合いを詰めたリュウがクリンチからの投げ技を狙ってきたので、サコウはリュウの頭にひじを落として滅多打ちにした。
さらに左足を軸に身体を思い切り回転させてクリンチをほどき、その勢いのままにリュウの身体を前方にそびえる東の柱めがけて振り飛ばした。
思わずヤッさんが女子のようなカン高い悲鳴をあげた。
「あぶなァい!」
柱に顔面から叩き付けられそうなその時、リュウの足は床を離れて目の前の柱へ垂直に駆け登った!
「はぁっ?」
信じられない光景に観客は息をのんだ。しかもその高さは尋常ではない。
「ええっ?!」
「猿か?あいつは!」
「忍者だ!」
場内のどよめきをよそに、リュウはサコウの身長を超す高さまで駆け上がり、柱を蹴って後ろ宙返りをした。
サコウは驚愕しながらも、かかと落としとは逆で足の甲を落としてくると思い、両腕をクロスさせて頭上をガードした。
しかしリュウは空中で体をひねり、脳天ではなく後頭部へ足の甲を横から引っかけるように打ち込んできた!
それはまるで鎌で首を刈り取るかのような「延髄斬り」であった。
破壊された右足で身体を支えられるはずもなく、サコウの長身は高い杉の木が切り倒されるかのように床へ倒れて行った。
主審も今回はノックアウトを宣言し、即セコンドを呼び入れた。
倒れたサコウの顔は激痛にゆがみながらも、なぜか笑っているような表情だった。
「勝者!西のリュウ!延髄斬り───!」
「うおおおぉ──────!!!!!」
怒涛のような大歓声を浴びながら、リュウは主審に手を上げられ勝ち名乗りを受けた。
「ヤゴロウどん祭り闘技戦・優勝の宝珠は、空を翔る飛竜が見事につかみ取りました!」
呼び上げ係も優勝をカッコ良く称えてくれた。
しかし主審に手を離された途端、ふらふらに疲れ切っていたリュウは床の上にひっくり返りそうになった。
(王者としてカッコ悪いじゃねえか)
あわてたリュウはせめて四隅の柱をつないでいる綱に背をもたれさせようと、前を向いた姿勢のまま後ろへ下がった。
だがその綱は結界を示すためのゆるい張り方だったので、プロレスのリングロープのように反動を起こすことはなかった。
(ありゃ?)
リュウの身体は綱を支点にそのまま後方へ回転し、試合場の床から約三尺下の地面へ頭から落ちてしまった。カッコ悪いことこの上ない。これなら床の上でひっくり返った方がましであった。
「リュウさん!」
「兄ちゃん!」
ヤッさんたちがあわてて立ち上がって覗くと、リュウは地面の上にうつ伏せで大の字になっていた。
しかし、すぐに砂が付いた顔を上げて「へへへっ」と照れ笑いでごまかしてきた。きちんと受け身は取っていたらしい。
「わっはっは!!」
周囲の人たちの間で爆笑が起こり、様子がつかめず心配した観客もつられて笑い出し、皆安堵した。
「新王者はたいそうお疲れのご様子。表彰式は後まわしで、しばらく休憩とします!」
気を利かせた委員長ヤッさんの声が響きわたった。
「そんな手拭いはいらねえ!」
控室にリュウの怯えた叫び声が響いた。
オオヒト少年が桶の水で手拭いを絞るのを見て、失神中に見た光景と息苦しさがよみがえったのだ。
「いかがなさいました?これは潔斎でも浴びていた滝の水です。良く冷えていますから心地良いですよ。どうぞ汗をおぬぐい下さい」
と少年が差し出した手拭いは、きちんと絞られていた。
「あ…これ、身体を拭くのか。広げて顔に貼り付ける…じゃねえよな?」
「そうなさりたければどうぞ」
ホッとして受け取った手拭いは顔に乗せられた時と同じく非常に冷たかったが、打撃を受け続けた身体には確かに心地よかった。
少年は何度もゆすいで絞りなおしては冷たい手拭いを渡してくれ、背中も拭いてくれた。
その次は温泉の湯で同じように手拭いを絞って拭き、仕上げにはまた別に汲んであった滝の水で絞った手拭いで全身を拭いたので、リュウの疲れた身体はすごくすっきりした。
さらには温泉の湯で温めた少年の手で、優しくなでさするように全身マッサージもしてもらったので、リュウはあまりの気持ちよさに眠ってしまいそうになったほどだ。
「あぁ…気持ちいいなぁ。オオヒトは按摩の心得もあるのか」
「心得というわけではありませんが、神様のお力を頂いて、私が手を当てることで心身を癒すことはできます。治療のことを『手当て』とも言いますでしょう?」
「なるほどな」
(神様の力で身体を癒してもらってんのに、これからその神様と闘うってわけか)
「なぁオオヒト、俺は正直言って闘技戦で優勝しようとか、ヤゴロウどんと闘って勝とうとか思っていなかった」
唐突にリュウは自分の気持ちを話し出した。
「常連さんたちに『ヤゴロウどんを倒して天下を取れ』って言われて、調子に乗って威勢のいいことは言った。でもまさか、本当にここまで来るなんてな。サコウとの決勝戦でもあいつの気迫の方が勝ってたし、3戦まで来たからもういいかとも思った」
少年は何も言わずにリュウの身体を優しくさすり続けた。
「でも失神の後からはお前が言った通り、頭で考えてどうこうじゃなく身体が自然と動くままにまかせてたら…勝っちまった」
お前が言った通り、というところでオオヒトは少し怪訝な顔をしたが、それには触れずこう言った。
「昨夜の稽古が功を奏しましたね」
「知ってたのか。音を出さないように気を付けてたけど、響いてうるさかったか?」
「いえ、お堂の中の壁や柱を駆け登っている気配だけはわかりましたが、着地の時はふわりと降りておられましたから」
(やっぱり全部わかってんだな)
「藩に居た時は襲ってくる奴ら相手に、木だろうが崖だろうが飛び回って闘ってたけど、サツマに来てからはその必要もなかったからな。お前が天井見上げて『ヤゴロウどんより高いかも』って言わなければわざわざ稽古をやらなかったし、試合でもあそこまで登れなかっただろうな。助かったぜ」
リュウは初めて自分からおのれの過去について触れたが、ここでもオオヒトは何も言わなかった。
「そういえば、ヤゴロウどんは前々回の闘技戦に突然現れて、その時優勝したサコウと闘ったんだよな。そんでその次の年もやっぱり勝ち残ったサコウと闘った」
「はい」
「でも常連さんたちの話じゃ、サコウだけじゃなくみんな必死で闘ったけど勝てた者は居ない、ってふうに聞いた。これはどういうことだ?サコウ以外にもヤゴロウどんと闘った奴がいるのか?」
「───それは、闘技戦の掟に反する形で生きているヤゴロウどんに挑んだ者たちの事ですね」
「なに?」
「2年続けてサコウ殿が優勝しましたが、生きているヤゴロウどんにはやはり勝てませんでした。その時、闘技戦ですでに敗退した出場者たちが無断で試合場に入って来て、自分ならヤゴロウどんに勝てると挑みかかって来たのです。しかし全員が一撃で倒されました」
「全員、一撃で…」
リュウは息をのんだ。
「サコウ殿にすでに負けていたにもかかわらず、ヤゴロウどんに挑むという卑怯なふるまいをしたので、彼らは今年の闘技戦に出場することは許されませんでした。もっとも全員、ヤゴロウどんの一撃で後遺症が残り、今も闘技戦に出られない状態だそうです。神罰ですから仕方がありませんね」
「…神罰」
闘技戦前夜に見た夢を思い出して、リュウは冷や汗が出た。
「怖いですか?生きているヤゴロウどんと闘うのは」
「ああ、怖いな。でも考えようによっちゃあ、皆がそんなにまでして闘いたいと願うほどの強い奴と、俺はやらせてもらえるってことだ」
さすってくれていた少年の手を取り、起き上がったリュウは言った。
「ありがとうな。ヤゴロウどんに一撃でやられて負けたら、また『手当て』してくれ。頼んだぞ」
オオヒトはめずらしく満面の笑顔を見せて、威勢よく言った。
「出る前から負けること考える馬鹿いるかよ!」
リュウは目を丸くして驚いたが、
「あ、こいつはいけねえ!」
と笑い出した。オオヒトは笑顔のままで続けた。
「ご武運をお祈りいたしております。いざ参りましょう」
「よっしゃあ!」
リュウは柏手(かしわで)のように両手のひらをパァン!と打ち、オオヒトと共に控室を出ていった。
(第十四話へ続く)
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