「なんで俺が契約解除なんだ!虎之助のケガはわざとやったんじゃない、試合中の事故なんだから俺に責任はないだろう」
口髭を生やした男は書類を卓上に叩きつけてジンマに迫った。しかしジンマは冷静に言い返した。
「契約解除の理由はそれだけじゃない。今まで何度も注意してただろ」
「チケットのことか?しようがないだろ!俺はこっちの人間じゃないんだ。そうそうチケット買ってくれるような知り合いもいないんだから」
「だからって営業努力もしないのはダメだろ?物販イベントにも来ないし設営も撤収もサボる。とどめが虎之助のケガだ。うちのメインを欠場させるなんて損害賠償ものだ」
(…何なんだこいつら。何をもめてるんだ?)
わけがわからないリュウに、隣のシュウが小声で囁いてきた。
『どうやらこのヒゲの人が素行不良でクビになったらしぃな。メイン選手がケガさせられて試合に出られんようになったてジンマさん言うてはるし。せやけどこのヒゲの人は納得できんでジンマさんに文句言いに来はったみたいや』
(なんかジンマの団体は問題抱えてるみたいだな。やっぱり止めといた方がよさそうだ。馬刺しのおかわり食ったらさっさと神社に帰ろう)
ひたすら馬刺しを待つリュウの目の前でジンマとヒゲ男は言い合いを続けていたが、やがて襖がそーっと開けられ、店員が恐る恐る、
「…あの、馬刺しのおかわりお持ちしましたが…よろしいでしょうか?」
と声を掛けて来た。
「おう!待ってたぜ!!早くここへ持って来てくれ!」
笑顔で店員に手を振るリュウ。ヒゲ男はその時初めてリュウに意識を向け(なんだこいつは?)とにらみつけて来た。
さらに隣にいるシュウにもガンを飛ばし、ジンマに向き直るやこう言った。
「そうか、このバカでかい男とチビ男を俺と虎之助の代わりに試合に出す気だな。そうはいかねえぞ!俺は今度の試合もメインで出る約束だったんだからな。ギャラももらわずに追い出されてたまるか!」
「そのメインの相手にケガをさせて試合をできなくさせたのはお前じゃないか!」
ジンマも怒鳴りだした。
「この二人には確かに交渉はしてるけど、それとお前の問題は別だ。とにかくこの場から出て行ってくれ!今からこの人たちに契約してもらうんだから、邪魔しないでくれ」
(今から契約?何を勝手に決めてやがる)
リュウは呆れたが、ここで自分が余計なことを言ったら“シンカイとの諍いの二の舞になる”と思って発言を自粛した。
(そんなことより馬刺しのおかわりだ)
戸惑っている店員に向かって手招きをし、馬刺しを持って来てくれるよう促した。
店員が冷や汗を流しながら、ぶるぶる震える手で馬刺しのおかわりの皿を運んできたその時、ジンマと言い合いを続けているヒゲ男が興奮して手を振り上げてしまい、馬刺しの皿に当たって刺身が空中にはね上がった!
「ああっ!」
叫び声を上げたリュウがあわてて立ち上がり、空中で皿を支えて左右に素早く動かした。
飛び散った馬刺しをなんとかこぼさずに受け止めようとしたが、数枚が床に落ちてしまった。
リュウは馬刺しの皿を持ったまま怒りをあらわにし、ヒゲ男に怒鳴りつけた。
「この馬鹿野郎!食い物を粗末にするな!!」
「なんだとこの野郎!」
ヒゲ男も立ち上がった。
リュウは隣のシュウに馬刺しの皿を渡しながら、
「しかもこんなに美味い馬刺しを落としやがって!もったいないじゃねえか!!」
なおもヒゲ男に“食い物の恨み”をぶつけた。
「うるさい!何が馬刺しだ!」
ヒゲ男も怒鳴りながら殴りかかってきたが、圧倒的な速さでリュウの掌底がヒゲ男の額にヒットした。
後ろに大きくのけぞって倒れ込みかけたヒゲ男であったが、リュウが瞬時に座卓を飛び越えてひげ男の片腕を引いた。
さらに自らの腕を男の首に回して後頭部を守ってやりつつ、袈裟固めで床に抑え込んだ。
リュウの早わざを目の当たりにしたジンマは、息をするのも忘れたような顔で固まっていたが「はぁっ」と息を吐きだしてから目を輝かせて言った。
「リュウさんすごい!相手にケガをさせなかった!掌底もあごじゃなくわざと額に当てたね!力も加減してたよね!」
(こいつ、結構ちゃんと見ていやがる)
ジンマの言葉に苦笑いしたリュウはヒゲ男を解放した。そして床に落ちた馬刺しを拾い、
「3秒ルールは過ぎてるが、たしかプロレスの反則は5秒までOKだよな。今だけ10倍の50秒にしてくれ」
と言って醬油をつけて口に入れ、「うん、落馬してもウマい!」と笑った。
ジンマは歓喜していた。
「やっぱりあんたはプロレスラーに向いてる!人を引き付けて離さない!何もかもちゃんとできてるよ!最高だ!」
シュウは大事に預かっていた馬刺しの皿を笑顔で卓上に戻した。ヒゲ男もリュウに毒気を抜かれてすっかり大人しくなっていた。
「んじゃ、改めて馬刺しをみんなで食おうぜ!ほれ、あんたも食え」
と、ヒゲ男にも勧めたリュウであったが、店員が青ざめた顔で「あの、お客様…」と、床の間を指差しながら声を掛けてきた。
「ん?」
「なんや?」
皆で店員が指差した方を見た。すると全員の顔が固まった。
床の間に掛けられている高級そうな掛け軸に、脂分のかたまりであるタテガミがべっとりとはり付き、溶けた脂の線を画面に残しながらゆっくりと下に落ちていくところだった───
「それで、掛け軸の弁償はいくらになったんです?」
カワカミがお茶を差し出しながら聞いた。
「明日、修復の見積が出るさかいに、それについてまた話し合いするいうことになったわ」
シュウがお茶をごくりと飲んで「美味しいなぁ~ヒゴの湧き水のおかげやね」と喜んだ。
「弁償がいくらになろうが、馬刺しを飛ばしたのはヒゲ男なんだから俺たちには関係ねえよ」
そう言いながらリュウはお茶請けの“いきなり団子”にかぶりついていた。
「おっ、この団子の芋はすげえ甘いな!まるで蜜が入ってるみたいにねっとりしてるじゃねえか♪」
「それはサツマの芋を使っているんですよ。安納芋です。美味しいでしょう」
「え!サツマの芋なのかこれ?」
「種子島の名産品や。蒸しても美味しいけど、焼き芋にしたらさらに糖度が高なって甘なるねんで」
ウマいウマいと喜ぶリュウに、カワカミが尋ねた。
「じゃあプロレス団体に入るか入らないかという話も、また明日になったんですね。リュウさんの気持ちはどうなんです?」
「う─ん…正直言ってまだわかんねえ。真剣勝負じゃない闘いってのがどうもなあ。さっきみたいに手加減はまだできても、筋書きに沿った闘いなんてしたことねえし」
「嫌、というわけじゃないんですか」
「ああ。嫌じゃねえ。ジンマから『イノキ』って男の映像見せられて、この男は凄いって素直に思えたからな。あと虎の仮面かぶってた男も、たしかに俺と似たような動きをしてたから、これならやれそうだって思ったのも本当だ」
「ほな、何が気になってんの?」
「おネエちゃんの言葉だな。声に出したわけじゃねえけど、俺を利用しようとする者が寄ってくるって言われた。だからジンマも信用できねえって思ってる」
「なあ、リュウ」
シュウが優しい声で言った。
「おネさぁが言うてくれはったんは、そういう人も寄ってくるさかいに気ぃつけや、てことやろ。ジンマさんがそうやとは限らへんのと違うか?」
「あ。…そうか、そうなのか」
「一回思い込みを捨てて、ジンマさんとしっかり腹割って話してみたらどないやろか。今日聞いた限りでは、ジンマさんの団体もメインの選手が試合できんでホンマに困ってるらしいし、それにジンマさんがリュウに惚れ込んでるいうんは、傍から見聞きしててもよう伝わってくるで」
「え?」
「あれは利用云々やのうて、リュウがプロレスやるとこを見たいと本気で思ってくれてんちゃうかなって、僕は感じた」
「ふうん。そうなのか…」
「じゃあリュウさんは、もしもプロレスをやらないとしたら、どんな仕事がやりたいんですか?」
「どんな仕事がやりたい…か?」
カワカミの問いかけにリュウは詰まった。
「…やりたい仕事っていうのは、浮かんでこねえ。サツマできばい屋のおやじさんの店で働いたのは、やりたいやりたくないじゃなくて、おやじさんの料理がウマかったのとおやじさんがすげえいい人だったから…ここに居たい、って思ったのが理由だったと思う」
「やりたい仕事が浮かばないなら、とりあえずやれる仕事、やってほしいと言われる仕事から始める、というのもいいと思いますよ」
「………」
しばらく黙ってから、「シュウ、あのな…」とリュウは言った。
「俺、プロレスラーに本当に向いてるのかな…」
小声で言うリュウに、シュウは微笑んで「うん。向いてる思うで」と返した。
「神様が僕の身体でリュウと闘ってる時な、実は僕、リュウのこと心の中で応援しててん」
「え?」
「だってリュウ、カッコええやん」
リュウは驚いた顔でシュウを見た。
「あんだけ体格差あんのに一歩も引かんと闘志むき出しで闘ってたし。神様との闘いだけやのうて、第一試合から本殿奥のモニターでずっと観てたけど、全部カッコよかったで。かかと落としも、スライディングキックもローキックも」
(ずっと観てくれてたのか)
「サコウさんとの試合かて、プロのキックボクサー相手に全然蹴り負けしてへんし、ひざの骨砕いた肘打ちも凄かったやん。柱駆け登っての延髄斬りなんて度肝抜かれたわ。こんなに強くて凄い人が“真剣にプロレスをやる”としたら、みんな絶対夢中になると僕も思うわ」
シュウの言葉にカワカミもうなずいていた。
リュウはちょっと顔を赤くして、頭をかいた。
「…なんか、ここ数日でやたら髪が伸びた気がするんだよな〜」
話題を変えて、頭髪を両手でわしゃわしゃともみほぐし続けた。
どうやら照れ隠しをしているらしい。
シュウは笑って言った。
「僕も祭りの前日に坊主にしたばっかりやのに、もうこんだけ伸びてん」
「え?前日に坊主?それがこんなに?まだ2日じゃねえか。嘘だろ!」
「ホンマやて。あのご神体のお面、髪の毛も付いてるやん。せやから着けたらめっちゃ暑苦しなんねん。ほんで暑さ対策で前もって坊主にしたのに、もうこんなに伸びてもた」
カワカミも自分の髪を示しながら言う。
「神社はパワースポットですからね。霊力をたくわえるために髪が伸びやすいんです。私もすぐ伸びるから面倒で、切らずにロン毛にしてます」
「ええ!そうなのか?…たしかにおネエちゃんも髪長かったな。宮司さんも後ろで括ってたような…でも、オオヒトは短かったじゃねえか」
「オオヒトさんはまだ中学3年生ですから。サツマは昔気質で校則が厳しいので、眉毛や襟にかからないよう毎日髪を切っておられるんですよ」
「そうなのか!大変なんだな」
「髪の毛が伸びる言うたら、大昔のお菊人形の話思い出すわぁ~」
「ああ!ありましたねえ!亡くなった子供が可愛がってた日本人形を供養のためにお寺に預けたら、その人形の髪がどんどん伸びたって話」
「え?そんな話、本当にあるのか?」
「お菊人形はマツマエ藩のお寺の話で、その他にもキシュウ藩の神社や、九州でも豊後のフナイ藩のお寺に髪の毛が伸びる人形あるらしで」
「結構あるんですね。うちの神社にも人形はいくつかありますから、今度髪の毛が伸びてるかどうか調べてみましょうかね」
「むっちゃ伸びてたら怖いなぁ~」
「もし呪われたらどうしましょう。神様ヤゴロウどんが助けて下さいますかね?」
「でっかい日本人形対巨人ヤゴロウどんの闘いか。面白れぇ!どっちも髪振り乱しながらの喧嘩で、日本人形がヤゴロウどんに頭突きかますんじゃねえか?」
わははは!と皆で笑い合った。
その真夜中のこと。
「───シュウ、おい、シュウってば」
暗闇の中、シュウは揺り起こされた。
「…え?なんやリュウか。どないしたん?」
「…シュウ、なあ頼む。便所についてきてくれ…」
「ええ?」
「人形の話思い出して、怖くて…頼むよ!」
「シュウ、な、そこに居るよな?」
便所の中からリュウの泣きそうな声が聞こえた。
「はぁい、居るで」
扉の前で座って待つシュウが答えた。
「ほんとにシュウだよな。人形じゃねえよな?」
「僕やって。人形ちゃうって。カンサイ弁しゃべる人形は居らんやろ。それよりリュウ、まだかいな?」
「…怖くて縮み上がっちまってて、なかなか出ねえんだ。頼む。先に部屋に帰らないでくれ!」
(むっちゃ強いのに、リュウは怪談怖いんか…子どもみたいで可愛いらしなあ~)
シュウはこらえきれず、こっそり噴き出し笑いをした。
「シュウ、返事してくれ!そこに居るよな?な?シュウ─!」
(第三十五話へ続く)
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