「プロレスやってて楽しいか…って?」
「うん」
「そんなこと考えたこと無え」
まっすぐな眼差しのナツキに気圧されながら、リュウは答えた。だがすぐに言葉を継いだ。
「いや、この前の試合でトウドウとやり合ったのは楽しいと思ったが、あれは…プロレスが楽しいってよりはトウドウと闘えたのが楽しかった…のかな…」
ナツキが「それそれ!」と言った。
「その試合映像観た時にね、なーんかリュウが窮屈そうな感じを受けたの。あ、これはあくまであたしが思ったってだけ。デビュー戦だからぎこちなかったのかもしれないけど」
(窮屈…たしかにそうだ。喧嘩じゃなく制約がいっぱいあったからな)
黙り込むリュウにナツキは明るく言った。
「でもさ、デビュー戦とは思えないほど動きは良かったよ!ジャンプもすごかったし、蹴りも突きも、かかと落としにジャーマンも全部カッコよかった!ガチで惚れたもん」
惚れた、のところを必死で聞き流し、リュウは問い返しをした。
「あんたはどうなんだ?楽しいのか」
「ナツキって呼んでよ」
「…ナツキはプロレスやってて楽しいのか」
「もちろん!!こんな楽しいことないよ!しかも楽しんでお金もらえるなんて最高じゃん!」
ナツキは目を輝かせて答えた。
「だってさ、自分と相手をどうスイングさせるかでお客さんを怒らせたり泣かせたり、喜ばせたり励ましたりもできるんだよ!ブーイングもあるけどナツキコールの大合唱も、時にはスタンディングオベーションだってもらえる」
(スイングってなんかジンマも言ってたな。なんだっけ…それに、すたんでんおべー…ってなんだ?)
「今日のお客さんはあたしのこと知らない人が多かったけど、それでもいっぱい声援や拍手もらえたし、試合後の物販でも『初めて観たけどファンになった』って人が結構グッズ買ってくれたから嬉しかったよ!」
そう頬を上気させて話すナツキの笑顔はまぶしいほどだった。
「…そうなのか。お客さんの反応ってそんなに嬉しいもんなんだな」
「なにそれ?リュウってセレモニーに登場しただけであんなに大声援もらってんのに、嬉しいと思わないの?!」
ナツキは驚き、少し怒ったような口調でリュウを問い詰めた。
「いや。サツマで闘技戦に出た時、一回戦は最初ヤジしかなかったけど二回戦からは声援と拍手もらって気分良かったし、優勝した時は大歓声が凄かった。でもその後、ヤゴロ……その、負かした相手の贔屓から恨みを買って。応援してくれてた人たちもいきなり手のひら返しだ。お客さんは皆敵になっちまったって事があってな」
不思議そうな顔をしながらも、ナツキはリュウの言葉に耳を傾け続けた。
「人の心って変わりやすいから怖いなと思った。俺自身もよく人を怒らせたり傷つけたりしちまうし…なんか、お客さんが歓声上げてんのを素直に喜べねえっていうか…それで調子に乗っちまう自分が…怖い…」
リュウは空いている方の右手でぐしゃぐしゃと髪を掻き乱し、頭を抱えた。
「…何言ってんだ俺?あーもう、自分でもわけがわからなくなってきた!」
「そっか。リュウは人の心の扱いに慣れてないんだね。お客さんの心も、自分の心も」
(…え?)
優しい声でナツキは言葉を続けた。
「確かに人の心は変わりやすいけどさ、あとさきどうなるかよりも“その時はどうなのか”って事が大事じゃない?」
「その時?」
「そう!リュウが闘技戦で優勝した時、お客さんは確かに大歓声を送ってくれたんでしょ。この間のデビュー戦でもみんなリング下に押し寄せてリュウの名を大合唱してくれたじゃん。その時みんながリュウを応援してくれてるんだから『ありがとー!嬉しいぞー!』って喜んでいいって!」
「…喜んでいいのか」
「うん!もしその後、手のひら返しにあったとしてもさ、またその人たちをファンにさせるくらい自分が輝けばいいんだよ」
「自分が、輝く?」
「うん!手のひら返しする人を怖がったり、落ち込んだりするよりもさ、自分がもっと強くなって、もっと技を上手く見せて、相手の良さも引き出して、ああ良い試合だったな!って思わせられるように頑張る!それだけ考えたらいいと思うよ!あたしもそうしてるから」
「ナツキはそうなんだな。──でも、強くなれなかったり、上手くできなかったりしたら…どうすりゃいいんだ」
リュウはシュウにしか見せたことがない、心細げな顔と声でナツキに問うた。
ナツキはびっくりしてリュウの顔を見直している。
「相手の良さを引き出すなんて…俺にできるのかな」
ナツキは組んでいた腕を放し、リュウのその手を両手で包み込んだ。そしてリュウの眼を見つめて優しく微笑んだ。
「大丈夫!リュウが全身全霊で攻めたり受けたりして闘えば、それだけで相手も輝くよ!今日の試合も、トウドウって人と闘えることを楽しんで、お客さんにも楽しんでもらえるように頑張ろ!」
(……)
「上手く行かなかった時は『見とけよ!次は巻き返してやる!』って思えばいいよ。これだけで上等!」
こう言うや、ナツキは豪快に笑った。
リュウはもう、ナツキに手を放してくれとは言わなかった。温かいその手が心地よかったのだ。
「…あのぅ、よろしぃか?」
シュウの声に振り返ると、シュウ、女子レスラーのあんり、サナダにミヤベそしてシンヤと対戦相手の選手も、リュウの目の前にずらりと並んでいた。
「うぉっ!なんだ?皆並んで」
びっくりするリュウにシュウが遠慮しながら言った。
「ユージさんとケイイチさんの試合終わったさかいに、もう準備しに控室へ行かなあかんので声かけたんやけど…邪魔してごめんな」
(邪魔?)
「仲良く腕組んで試合観てんのかと思ったが違うようだな。とっくに試合終わったのも気づかねえほどアツアツか?」
サナダがニヤニヤしながら言った。
(あっ!)
リュウは慌ててナツキの手を振りほどいたが、ナツキは怒らずにっこりしている。
「いいもん見せてもらったから、俺も頑張ろうっと!」
シンヤもニヤッと笑って、対戦相手と共に直接花道への通路の方へ降りて行った。もう支度は終えていたようだ。
リュウは何とも言えない気まずさを抱えながら、シュウと一緒に控室に降りた。ショートタイツはすでに穿いていたので、ブーツにレガースとニーパッド、オープンフィンガーグローブをつけた。
そのタイミングで場内が「わああっ!!」と盛り上がり、その後ゴングが打ち鳴らされ「勝者!キクチー・シンヤー!!」と叫ぶジンマの声も響いた。
(おっ、シンヤも勝ったらしいな)
「リュウ、今日の決め技覚えてるか」
「おう、虎之助の十八番の虎固めだろ」
シュウは笑って「正式には猛虎原爆固め言うらしぃけどな」と言い、
「こないだトウドウさんと二人で通してやってるから大丈夫やろけど、何かあったらまたチビヤゴくんで言うわ。わからん時はジンマさんに聞いてな」
「ああ。トウドウの良さをしっかり受けて見せてやらなきゃな。お客さんに楽しんでもらえるように」
少し笑みを浮かべて、リュウは自分に言い聞かせるように言った。
そんなリュウの顔を見てシュウもまた微笑んで言う。
「リュウ、ナツキさんに“プロレスをやるコツ”を教えてもろてたん?」
「ああ」
それは良かったなぁ、とうなずきながらスポーツ飲料を差し出すシュウ。
「ええ人やね、ナツキさん」
「おう。いいやつだ」
リュウも笑顔でうなずき、スポーツ飲料をゴクリと飲んだ。
「本日のメインイベント、30分一本勝負を行います!赤コーナー、雲は竜に従い、風は虎に従う!果たして今日の風は雲を吹き飛ばし、空飛ぶ竜を墜とすことができるのか?雪辱に燃える狂虎!藤堂高虎選手の入場です!」
重厚な入場テーマ曲が流れる中、早くも怒りに満ちた表情で花道を歩くトウドウに男性ファンから「トウドウー!!」の声援が多く飛び交った。リュウとの対戦以来、明らかにトウドウのファンが増えている。今日はトウドウの息子も誇らしげな顔でセコンドについていた。
「青コーナー!サツマより来たりし飛竜は、その鱗を光らせながらヒゴの空を翔けめぐる!撃ちおろすその雷は地上の狂虎を貫くのか?」
うおおお──!!という大歓声が沸き起こり、ジンマはリュウの声色を真似て叫んだ。
「いいか皆!一瞬たりとも俺から目を離すんじゃねえぞ!──飛成リュウ選手の入場です!!」
「ダイナマイトに火をつけろ!」の曲が鳴り響き、観客からの「リュウ!リュウ!リュウ!」の大合唱の中、リュウは花道を駆け抜けてゆく。
デビュー戦と同じくジャンプをしてコーナートップロープの上にふわりと降り立ち、
「171㎝、83㎏、ヒナリ───・リュ───ウ────!!!」
ジンマの声に合わせて右手の拳を突き上げた。
「わああぁ───!!!」
大歓声と拍手が沸き起こる中、今回はスムーズに陣羽織を脱いで真後ろに投げ捨て、マットに飛び降りた。
(ん?)
リュウの目に、観客の妨げにならぬようリングのすぐ横にしゃがみこんでいるシュウの姿が飛び込んだ。
投げた陣羽織をキャッチするためにコーナーの後方にいるはずなのに。
(シュウ、なんでそこに?じゃあ陣羽織は?)
そう思って後ろを振り返ると、なんと笑顔のナツキがリュウの陣羽織をキャッチし、大事そうに持っていた。
(ナツキ?!なんで俺のセコンドについてんだ?)
すかさずシュウがチビヤゴくんの心話機能で答えた。
(セコンドやりたい、て立候補されたからお願いしてん。ナツキさんええ人やし)
(え?…まぁ、いいか)
リュウは抵抗感を示すことなく、レフェリーチェックに応じるため中央に出た。
変顔で返されることを恐れてか?今回はトウドウからの身体を寄せての【ガン飛ばし】はなかったが、眼光はやはり怒りに満ちている。しかしそれとは裏腹に、試合開始前にリュウへ握手の手を差し出して来た。
「おおっ?!」
ざわめく観客の反応には(油断させて何かを仕掛けるのでは?)という危惧がこもっていたが、リュウは別のことを考えている。
(えっと、さっきのナツキの試合みたいに握手を無視して睨みつけるのが正解なのか、それとも握手した方がいいのかどっちだ?)
チビヤゴくんの心話機能を頼りにシュウにこっそり聞いた。
(僕もわからへん。でもリュウのキャラとしては受けたほうがいいんちゃうか。もし何か仕掛けて来はったとしても、技で返したらええと思うで)
(おう、そうする)
リュウはトウドウの手を握り返そうとした。だがトウドウはリュウの手をパン!と軽く叩きはらい、自分の手を顔の高さまで上げ、指を広げて前に伸ばした。かといって攻撃を仕掛ける気配もない。観客がさらにざわめく。
(なるほど、そうか!)
ピンと来たリュウは、トウドウの右手に合わせるように自分の左手を同じように上げて伸ばした。
トウドウはニヤリと笑ってリュウと手を合わせ、自分の左手もゆっくりと上げて伸ばした。リュウもニヤリと笑って、その左手に自分の右手をゆっくりと合わせようとした。
阿吽の呼吸で手四つの形をもって緊迫感を作り上げた二人だった。
ジンマも二人の手が触れあった瞬間に「ファイッ!」と叫んでゴングを要請した。
“カ───ン!!!”
その音と共にトウドウはリュウの両手を引き付けて上体を崩させ、自分の身体を後ろへ倒しながら巴投げの要領でリュウの身体を蹴り上げてマットに叩きつけた!
わあっ!と場内が沸く。さらにトウドウはリュウの右腕を捉えたまま、腕ひしぎ十字を固めて来た!ジンマがあわてて駆け寄ってひざをついた。
(手四つからいきなりの投げ腕十字か。二人の間じゃわかってるのかも知れないが、こっちはヒヤヒヤするよ…)
ジンマは一応「ギブアップ?」とリュウに声を掛けるが、もちろんリュウは首を振る。だが前と違うのは、リュウの表情と手足の力の入れようだ。
取られた手の親指は上を向いてはいるものの、虎之助の話ではリュウはルーズジョイントなので即問題はないはずである。しかし、歯を食いしばってトウドウの方を睨みつけながら、なんとか全身に力を入れて体勢を変えようとしている。
(全身で怒りを表現できてるね。いいレスラーだね!)
ケイイチに対してのナツキの言葉を頭に浮かべながら(こんな感じか?)とリュウは実践していたのである。
(リュウ、ええで!トウドウさんの攻めをよう耐えてるのがお客さんにしっかり伝わってる!)
(そうか、よし!)
シュウの反応と飛び交う自分への声援を確認すると、リュウは自分の身体を思い切りしならせた!
(第六十三話へ続く)
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