リュウたちは玉名の温泉旅館「こがね家」に入り、試合で疲れた身体を温泉で癒してから、打ち上げの宴会に臨んだ。
団体の代表であるジンマが円座の上座に立ち、マイクを持って挨拶を始めた。
「みんな!今日は本当にお疲れ様!あえて言わなくてもわかってると思うけど、今日の試合は虎拳プロレス始まって以来のお客さんの数!…といっても無料でしたけど」
「タダ見かい!」
ケイイチが突っ込み、皆が笑った。
「しかし、お客さんのすごい盛り上がり様は値千金!次回の試合チケットはバカ売れ!グッズも過去最高の売り上げでした!」
「おお───!!!」
「この勢いをさらに増して、来月の大会を大成功させよう!それではいきますよ!せーの!」
「カンパーイ!!!」
唱和に続き、酒を飲み干した者から次々に拍手と歓声が沸き起こり、皆高揚した表情でにぎやかに宴が始まった。
席順はジンマから右回りに虎之助、研究会OBで最年長のサナダ、そのサナダとセミファイナルで闘ったシンヤ、サナダとシンヤの試合でレフェリーを務めた研究会OBのユキナガが座った。
またジンマから左回りにはリュウ、トウドウ、ケイイチ、ユージ、そしてジンマの向こう正面にシュウが座っていた。
シュウは最初ジンマからリュウの隣の席を勧められたが、
「僕は選手やなくてマネージャーですし、新入りですから末席で」
と固辞し、なおも勧められると
「僕、お酒飲んだらトイレ近なるんですわ」
と皆を笑わせて、出入り口近くの席に笑顔で自ら座り込んだ。
(ほんとシュウさんは気遣いの塊だなぁ)
新入りとはいえ、メインイベンターであり今大会最大の功労者であるリュウをジンマの隣に座らせたので、自分が末席に座ることで虎拳プロレスのOBたちへ少しでも配慮を示そうとするシュウの姿勢にジンマは感心していた。
そしてそういう配慮をまったく気にしない、よく言えば大らかなリュウは虎之助をはじめ、どんどん酒を注ぎに来る仲間たちに「おい、俺はそんなに酒飲めねえんだって」と嬉しい悲鳴をあげていた。
「リュウ!本当に今日はお疲れ様!初試合の緊張を感じさせない、すばらしいデビュー戦だったな!」
「あのコーナーポスト駆け上がっての宙返り浴びせ蹴りは凄すぎだろ!」
「いや、それよりあのかかと落とし!よく寸前で足の裏に打ち変えたな!」
「そうだよ!見た瞬間はてっきりかかとだと思ったから、トウドウが死んだんじゃないかと思ったぞ」
「生きてて悪かったな」
めずらしくトウドウが突っ込みを返したので、そこでまた爆笑になった。リュウも笑いながら応えた。
「いやあ、それが最初は段取りを間違えないようにって頭がいっぱいでな。あんなに緊張したことなかったぜ。ジンマが『ここからが打撃応酬』って言ってくれてからは気が楽になったが、その後はプロレスに戻ることすっかり忘れてた!」
「忘れてた?なんだそりゃ!」
さらに爆笑である。
「わき固め出したからちゃんとブック覚えてると思ったのに、忘れてたのかよ?」
「俺はトウドウが『極めてくるんじゃねえ!』って文句言ってるの聞いたぞ。そこで“リュウはガチだな”って笑いそうになった!」
「ガチといえば、トウドウだってブレーンバスターでリュウを放さなかったな。あれもガチか?」
ユージの突っ込みにジンマも思わずトウドウの顔を注視した。
「あの時は…」
トウドウはここでゴクリと酒を飲んでから続けた。
「まだ終わりたくなかった。リュウとプロレスでも、もっとやり合いたくなったからだ」
ジンマが(何を勝手なことを!)と立ち上がりかけた時、
「俺もだ!」
リュウが叫び、隣に座っているトウドウの肩を叩いて言った。
「俺もあそこで終わりたくなかった。トウドウが流れを変えたおかげでジンマが言った派手な技も出せたし、お客も盛り上がって喜んでた。ありがとうな!」
リュウの言葉に、ジンマはトウドウに怒鳴りかけたのをぐっとこらえた。
「俺もリュウが相手だったからこそ、お客からの評価も変わった。いい試合が出来たと自分でも思う。ありがとう」
リュウに頭を下げるトウドウの姿を、虎拳プロレスの皆は信じられない様子で見ていた。
「おう、俺もやり合って楽しかったぜ!」
笑顔で返すリュウにトウドウは「でもな」と睨みつけ、
「お前、とんでもない反則をして来るのはやめろ」
「反則?」
リュウはきょとんとした顔で答えた。
「何言ってんだ。俺は反則なんか…あ、一本拳のことか?」
「違う。あれは正直“してやられた”と思ったが反則じゃない。もっとひどい、悪どい反則だ」
「え?俺はそんなことやってねえぞ」
首をかしげるリュウ。虎拳プロレスの皆も
「何を言ってる。反則したのはトウドウの方だろ」
「そうだ!ブルドッグチョークに顔面パンチも出したじゃないか!」
と、真剣に怒りかけたその時、トウドウが言った。
「試合開始直前に、白眼むいた変顔見せやがって!笑いそうになったじゃないか!!」
「あっ」
皆の脳裏にも、リュウが見せた変顔がよみがえった。
「たしかに…睨みじゃなく白眼むいてたな…」
虎之助がそう言った次の瞬間、
「ぶわっはははははは───!!!」
皆が大爆笑した。
「…た、たしかにあれはすごい反則だった!とんでもない技だ!ぎゃははは!」
「あれを間近で見せられて、笑わずに試合始めたトウドウはえらい!さすが悪役の鑑だな!」
「必殺技がにらめっこの変顔って…リュウ!お前、最強最低だな!」
シンヤもユージもケイイチもゲラゲラ笑いながらリュウを責めだした。
トウドウも笑いながら言った。
「リュウ、お前なんであんなことしたんだ?卑怯すぎるぞ」
「いや、あれはトウドウが睨んで来たから…シュウから睨み返せって言われたんでそうしたつもりが…」
「あれのどこが睨みだ!どこが?!」
「睨むどころか笑かしてどうする!?」
「リュウ、もうお前はお笑いプロレスで行け!」
「前座に出て尻出ししろ──!」
酒の勢いもあって、皆は笑いながらリュウをバシバシ叩きまくってきた。
「痛えな!寄ってたかって叩きやがって、お前らの方が反則だろ!」
と、リュウも笑いながらやり返している。もう悪ガキたちのじゃれ合い状態だ。
(リュウさんには敵わないな。『トウドウが流れを変えたおかげ』なんて言われちゃトウドウを責められない)
ジンマは苦笑いして酒を飲んだ。
(たしかに攻防が続いたことでお客さんは一層盛り上がったし、何よりリュウさんの宙返り浴びせ蹴りだ。闘技戦の時の延髄斬りもすごかったけど、あんなに速くコーナーポストを駆け上がって、高く跳んで宙返りができるレスラーはいない。抜群のインパクトを与えることができた)
「ジンマ、来月の試合はトウドウのリベンジでリュウと闘わせるのか?」
いきなり声を掛けられ、ジンマはハッとした。
「え?!…あ、あぁ、サナダ先輩。すみません、ちょっと考え事してて」
シンヤと闘った研究会最年長のサナダが隣に来ていた。30代半ばで任侠者のような雰囲気の男である。
「よくあんな掘り出しもの見つけて来れたもんだ」
サナダはジンマに酒を注ぎながらリュウのことを言った。
「寝技は粗削りだが、あのスピードとキレのある動きは他にはないな。それに手加減しちゃあいるが、打撃は徹底して人体の急所を狙ってくる。プロレスやらせるのがもったいないくらいじゃねえか」
「だって、うちはプロレス団体ですから」
笑いながらジンマが返すと、サナダは真剣な目つきでこう言った。
「なぁ、次の試合、リュウと俺でやらせてみる気はないか?」
「えっ!…サナダ先輩とですか…そ、それは…」
「俺みたいな地味な奴相手じゃ客が来ないか」
ジンマは言葉に詰まったが、意を決して答えた。
「…もうすでにカードは決まってて、チケット販売協力してくれるところには内々で伝えてますし、WEBでも明日公開する設定になってます。すみません…」
「ははは。困らせてしまったな。冗談だ。──久しぶりの試合でさすがに疲れたから、俺はもう寝るよ。この旅館の料理は美味かった。明日の朝も楽しみだ。じゃあな」
「…お疲れ様です。ありがとうございました!」
ジンマの声にシンヤたちも反応し、皆サナダに「お疲れ様でした!」と挨拶をした。
サナダは背中を向けながら手だけを振って宴会場を出ようとしたが、出入り口近くの席のシュウが改めて頭を下げると、
「おお、お前はリュウじゃなくてシュウのほうだな。お先に」
とニヤッと笑ってから出て行った。
それを見たリュウは(サナダって名のOBだったな。まだ名前のことで絡んでやがるのか)とちょっとムッとしていた。
普段は会社勤めをしているサナダは、試合前日の最終練習に道場に現れ、リュウとシュウに初顔合わせをした。
しかしその時、サナダはいきなり文句を付けて来たのだ。
「シュウとリュウだと?紛らわしい名前だな!どっちがどっちだかわからんぞ。シュウジとアキラにでも名前変えたらどうだ?」
(シュウジとアキラ?誰だよそいつら)
腹を立てるリュウであったが、シュウは笑顔で、
「ほんまですねえ。リュウとシュウはよう似てるから紛らわしいですね。僕はシュウヘイ言うんで、ヘイって呼んでもろてもええですよ。リュウとヘイやったら区別付きますやろか?」
とサナダに合わせて来たので、
「ヘイか!お前、面白いやつだな。よし、シュウと呼んでやる。でっかいほうがシュウで、ちっこいほうがリュウだな。覚えたぞ!」
とシュウには笑顔で返して来た。
そんな経緯があったので、リュウはサナダに対してあまりいい感情を持てなかったのだ。
リュウの顔つきに気づいたトウドウが「サナダはな、虎拳のなかでもちょっと異質だ」と話し出した。
「渋さはあるが派手さ…いわゆる華がないからキャリアが長くてもスターにはなれない。だが関節技をはじめとした寝技は誰も敵わないし、ガチの勝負ならサナダが一番強いだろう」
「そうなのか!今日のサナダとシンヤとの試合を俺は観てなかったが、シンヤにも勝ったのか?」
「いや、サナダはあくまでも選手が足りない時のピンチヒッターだし、前半は優勢だが後半は相手が奮起してパワーでねじ伏せられるってパターンのジョバーだ。今日の試合もシンヤが腕にキーロックをかけられながらもサナダを持ち上げ、叩きつけて逆転して勝ってる」
「プロレスの世界は格があっていろいろややこしいらしいが、じゃあシンヤの方がサナダよりも上なのか?」
「たしかにレスラーとしての格はシンヤの方が上と言えるが、何といっても先輩だし、ガチの勝負なら勝てないってのはみんなよくわかってるからな。だからジンマはじめ皆がサナダのことを尊重している。小さな団体のなかもいろいろややこしいのさ」
(小さな団体…トウドウは大きな団体を辞めて九州に来たんだったな)
シュウから少し事情は聴いてはいたが(トウドウ自身はどうなんだろう)と思ったリュウは聞いてみた。
「トウドウ、お前はカントウで大きな団体に居たんだろ。なんで辞めたんだ」
トウドウは無言でグラスを差し出した。
“聞きたきゃ酒を注げ”ということらしい。
注いでやるとリュウにも注ぎ返してくれてから、トウドウは口を開いた。
「俺の居た団体はヒノモトで三本の指に入るぐらいの大手だった。試合数だって月の半分以上あるし、地方巡業もよくある。スター選手じゃなくても給料は悪くなかった」
「じゃあ何が不満だったんだ?」
「俺が不満というより、家族が、だな」
酒をゴクリと飲んでからトウドウは続けた。
「俺はサナダと同じく派手さがなかったから、前座と中堅の間くらいのランクで地道にやってた。がむしゃらなファイトをしてくる若手の受け役や、慣れない外国人選手をうまくリードして、光らせて上にあげるような役割だ。俺は団体のなかでそういう仕事が必要ってのはわかってたし、それなりのやり甲斐もあった。でも息子がな」
「息子さんが?」
「小学生の頃にこう言ったんだ。『お父さんはなんで勝てないの?弱いの?』ってな」
「あ…」
「息子が嫌がっていたのは、息子の友達から俺のことを『弱い、勝てない』って言われることだったんだ。プロレスの仕組みってのを子どもに説明するのが難しくて、本当のことは言ってなかった。言ってたとしても本当に強いか弱いかってのを試合のなかで証明するのは難しい…」
トウドウはグラスを置いた。
「そんなことより試合での勝利、誰にもわかりやすい答えを息子は求めてたんだ」
(第四十九話に続く)
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