「うっ!」
その男は丼に顔を突っ込んだような状態でうめき声を上げ、体をピクピクと痙攣させた。
「うっ……ううっ…」
飯を勢いよく掻き込んだから喉に詰まったのか。下を向いたまま動かない。
「だ、大丈夫か?おい!」
ひどい空腹が続いた後にいきなり食事をすると、死ぬこともあるということを店主は聞いたような気がした。
(冗談じゃない。うちの料理食って死なれちゃ困る)
店主が青ざめたその時、顔を上げて男は叫んだ。
「うめーえっ!むちゃくちゃうめえよ、これ!」
黒く薄汚れた顔のなかで、キラキラと目玉だけが光った。
(なんだ、うまいのかよ)
店主は思わず噴き出し笑いをしながら、男に話しかけていた。
「そうかい?この丼はここらの名物料理なんだよ。あんた、これを食べるの初めてなのかい?」
「食べるのも、この藩に来たのも初めてさ!いやぁメシがうまいところはいいところだ!」
がつがつと丼をかきこむと、再び「うめーえっ!」と叫ぶ。
今度は目をぎゅっと閉じて、ニッと歯を見せて笑った。意外と子供っぽい顔に見える。
勢いよく口の中から飯粒を飛び散らせながら「うめえ!うめえ!」を連発する男の顔を、店主は嬉しそうに見直した。
(店に入ってきた時は殺気を感じるくらいだったのに)
身体を前のめりにしながらふらふらと店に入って来たこの男。
顔をゆっくりと上げ、ぎらついた眼差しで口を開いた瞬間、店主は「金を出せ」とでも言われるのかとびくついた。
しかし、男は蚊の鳴くような声でこう言った。
「何でもいい…いちばん量が多いもの…すぐに食わせて…くれ…」
拍子抜けした。
(よっぽど腹が減ってたんだな)
自分の作った料理を満面の笑顔で食べてくれることほど、料理人にとって嬉しい事はない。
たとえ空腹という最大の調味料あってのこととはいえ、目の前で男が大盛り丼を平らげ、精気をよみがえらせていく姿を見るのは心が躍った。
つい、店主はこの男をもっと喜ばせたくなった。
「よかったらこのスープも飲むかい?」
「え?いいのか?ありがてぇ!いっただきまーす!」
器をつかむや、結構熱いはずのスープをごくごくと喉を鳴らして飲み、男はまたも叫んだ。
「うぉっ!このスープもむちゃくちゃうめえ!おやじさん、すげえ腕前だな!この丼だって肉のやわらかいこと!温泉玉子に甘辛いタレが絡んで、米の飯に合うのなんのって。最高だったぜ~!」
「そうだろう?あ、もうスープもカラだな。じゃあスープをおかわりしてやるよ」
にこにこしながら待っている男に、黄金色のスープをたっぷりと器に入れて差し出す。
「おい、その空いた丼に白飯を入れてやるから、これも上に乗せてからスープをかけてかきまぜて食ってみな」
刻んだ干し椎茸の甘煮と錦糸卵、ほぐした茹で鶏肉とネギを入れた小皿を渡された男は、店主に言われたとおりに小皿の中身を白飯の上に乗せ、スープをかけてかきまぜて食べた。
「うーっ!こりゃあまた、あっさりしてるくせにすげえ旨味がある!」
「これもな、この藩の伝統料理で『鶏飯』っていうんだ。地鶏で取った汁のぶっかけ飯でな、体の具合が悪い時でも食べやすくて、滋養もたっぷりなんだよ」
「たしかに!これなら何杯でも食えそうだぜ!」
「あんた、声も出ないほど腹減って弱ってたんだったら、まずこの鶏飯から食わせてやったほうが、体には優しくて良かったかもなぁ」
「とんでもねえよ。あのボリュームたっぷりな丼を最初に食わせてもらったから元気が出て、このうまいぶっかけ飯まで食べきることが出来たのさ。あーうまかった!ごっそうさん!」
手を合わせて頭を下げてから、男は身を乗り出してきた。
「あのな、おやじさん。俺、実は金持ってねえんだよ」
「…はぁ?」
「船降りた時にひったくりにあって財布とられちまったんだ。追いかけたんだけど、腹減ってたんで足がもつれて転んでる間に、まんまと逃げられてよ…」
(どんくさい奴だな)
またも笑いそうになりながら、店主は黙って聞いていた。
「それで頼みなんだが、俺皿洗いとか掃除とかすっからよ、ここで働かせてもらえねえか?その給料で今のメシ代返すから。あ、俺の名はリュウってんだ。年は二十一。な、頼むよ!」
「そ、それは…」
「何ぬかしてんだ、こらぁ!」
店の奥の方から、だみ声が響いた。
大柄で坊主頭、筋肉質の男が睨みつけながら大股で近づいて来る。
「この店の人手は足りてんだよ。この俺様が用心棒から何から全部やってんだからな。てめえ、タダメシ食らったうえに俺の仕事まで横取りしようってえのか!ふざけんな!」
「え?あんたが用心棒と店員やってんのか?」
リュウと名乗った男は、カウンターの椅子から降り立った。
向かい合うと、坊主頭のあごの下にリュウの頭のてっぺんがやっと来た。
(ちっせえ奴だな)
坊主頭の男と店主は同時にそう思っただろう。店内に居た数人の客もリュウを子供を見るような目で見た。
一方、リュウはリュウで坊主頭の男の顔をしげしげと見て、
(深海魚みたいな顔してんな、こいつ)
と思いながらこう言った。
「でもあんたが注文取りに来たり、料理運んで来たらさぁ、お客は怖いんじゃねえの?でけえし顔はいかついし。子供は泣き出すだろきっと。そらぁ営業妨害ってもんだぜ」
坊主頭の顔が怒りで赤くなり、
(深海魚から蛸になったな)
と思ったが、リュウは構わずに続けた。
「だから接客は俺がすっから、あんたは裏方やってくんねえかな。その身体なら重たいものとか運ぶの得意そうだし。どうだ?」
「てめえ!」
坊主頭の男はリュウの胸倉をつかむと片手で高々と差し上げた。
「チビのくせに何を生意気に指図しようってんだ!」
そのままリュウをぶん投げようとした瞬間、
「ぐわっ!」
叫び声を上げて、派手に倒れ込んだのは坊主頭の男のほうだった。
なんとリュウは高く差し上げられた状態のまま、片手で坊主頭の首を抱え込むと同時に、その手と反対側の足で強烈なひざ蹴りをあごに喰らわせたのだ。
「あ、ごめんな!大丈夫か?」
身軽に着地したリュウは倒れた男に声をかけたが、失神しているらしく動かない。
その時、店内からは拍手が起こった。
「兄ちゃん!ちっせえのにすげえな!」
「ちっこい見かけによらず強いじゃねぇか」
「いやぁ、スカッとしたぜ!」
「へ?」
店の用心棒をぶっ倒してしまったにも関わらず、客から称賛され喜ばれている。
戸惑ったリュウは店主の方を見ると、店主も嬉しそうにリュウに飛びついてきた。
「ありがとう!いやぁ、この男、自分では用心棒だのなんだの言ってるが、うちの店にゃ良いお客さんしか来ないし、用心棒なんて無用なんだよ。なのにコイツがやってきて5人前も飯を食った後に『金がないから用心棒やって身体で払う』って言って、強引に居座ったんだ。そのまま何もせず、毎日店の奥で寝ては飯ばっかり食って、ほとほと困ってたんだよ」
「え?飯代がないからここで働いて…って、それじゃあ俺とおんなじじゃねえか」
「そんなこたぁないよ!あんたはわしの作った飯をものすごく喜んで、うまいうまいと食ってくれた。飯代だって皿洗いや掃除をするって言ってくれたじゃないか。いや、あんたの強さなら用心棒だってお墨付きだ。こんなにちっこい体で、こーんなにでかい奴を一発で倒しちまったんだからな」
(ちっこいは余計だって)
リュウが複雑な顔をしていると、坊主頭の男が意識を取り戻し、体を起こしかけた。
だが首の向きがおかしくなったまま戻らず、うまく立つことも出来ないでいる。
それに気づいた店内の客が坊主頭の男に向かって口々に叫んだ。
「なんだお前、用心棒のくせに一発蹴られて終わりか?」
「お前よりずっとちっせえヤツに負けてやがる」
「見掛け倒しかよ!それでヤゴロウどんに勝つつもりだったのか?」
笑い声に包まれて、坊主頭の男は顔を真っ赤にし、首を傾けたままでヨタヨタと店を出ていった。
「あぁ、助かった!」
店主は店の戸を閉めて万歳をしてから言った。
「リュウさんと言ったな、もしよかったらしばらくこの店にいてくれないか。もうすぐ祭りがあるから忙しくなるし、手伝ってくれると助かるんだ。もちろんまかない付きだし、おかわり自由でどうだ?」
リュウは目を輝かせて答えた。
「そいつはありがてえ!ごっそうさん!」
店内の客たちも盛り上がり、こんなことを言い出した。
「おやじ、新しい用心棒に乾杯だ!酒を出してくれ」
「もう今日は仕事はやめだ。みんなで祭りの前祝いと行こうぜ」
「兄ちゃん、こっちへ来い!いっしょに大いに飲もう!」
「ありがとよ。でもまず注文の酒を運んで、ちゃんと働かないと『一発蹴られて終わり』になっちまうからな!」
リュウが答えると、店中に笑い声が響いた。
(第二話へ続く)
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