ジンマがリュウとシュウのために用意してくれた温泉宿は、大晦日の夕食から元旦の昼食まで付いたゆっくりできる特別プランだった。
ゆっくり温泉に浸かって昼食を食べた後にチェックアウトし、キャンピングカーに乗ってカワカミとコマチの居るヒゴのオオヒト八幡神社へと向う。
リュウはできれば後部シートでマリエと向かい合って話をしながら移動したかったのだが、まだ心身ともに本調子とは言えないマリエを静かに休ませてやるため、カウチタイプにセッティングし直した後部シートへゆったりと座らせた。
走行中はフルリクライニングにはできないが、眠りやすい角度に倒してシートベルトも付けてやった。
「マリエ、苦しくないか?車酔いとかしたらすぐ言えよ」
「はい。ありがとうございます」
微笑んでうなずくマリエの顔を名残惜しそうに見つめてから、リュウは助手席に移った。
「また雪降ってきてるし、山越えの道やから慎重にゆっくり行くで」
「おう。カワカミさんの神社も元旦は参拝客が多いから、夕方くらいに着くのがちょうどいいだろ」
母の死を隠していた叔母のことで悩み、昨夜はあまり眠れなかったというマリエを気遣って、二人はそれきり会話もせずに静かに車を走らせていた。
半時間ほど経ってからリュウが後部シートの方を見ると、マリエが少し頭を傾け、目を閉じて眠っていた。ほんの少し開いた唇があどけなさをなお感じさせ、リュウの保護欲を刺激する。
(子どもみたいな寝顔だな…)
愛おしさがこみあげたリュウは、身体をよじったまま後方のマリエの顔を見つめ続けた。
シュウは小声で「リュウ。身体きつないか?」と笑いをかみ殺しながら声を掛けたが、とうとう神社に着くまでリュウはその不自然な姿勢を変えなかった。
神社に着いたのは閉門時刻に近い頃で、数組の参拝客の他、正月や祭礼の繁忙時に雇っている助勤巫女が二人いた。
三人は神前に二礼二拍一礼をして新年の祈りを捧げた。
リュウは賽銭を奮発し、マリエの事だけを一心に祈っている。
(マリエがもう怖い目にあわないように、ずっと笑顔で居られるように…ヤゴロウどん、頼んだぜ!)
祈り終えて顔を上げた時、ちょうどカワカミが現れた。
「リュウさん、シュウさん!そしてマリエさんですね。ようこそお参り下さいました!あけましておめでとうございます」
「おう、おめでとう!今年もよろしく頼むぜ!」
「おめでとうございます。マリエさん、この人が神主さんで禰宜の川上恭太郎さんや」
「はじめまして。桐野真理恵と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
礼儀正しく頭を下げるマリエにカワカミは優しく言った。
「虎拳プロで働かれるんですってね。レスラーの方々もみんないい人ばっかりですから安心して、頑張って下さいね」
「はい。ありがとうございます」
リュウが菓子折を差し出して言った。
「カワカミさんこれ、ヒゼンの土産だ。小城羊羹と松露饅頭。試合でもらってウマかったから買ってきた!」
「わあ、ありがとうございます!ヒゼンのWEBニュースで観ましたよ。優勝賞金を気前よくばら撒いて代わりにお菓子もらったんでしょ」
「いや、ばら撒いたのは俺じゃなくてテッペイとギユウなんだが…ま、どうでもいい。コマチさんはどうした?」
「それが御朱印が大人気で、今もずっと書き続けてるんですよ。さあ、どうぞお上がり下さい。もうすぐ閉門しますから、それまで客間でゆっくりしてて下さい。晩御飯代わりにお節とか食べてって下さいね。食後のデザートにぜんざいもありますよ」
「おおっ!ちょうど今朝ぜんざい食いたいって言ってたとこだ。ありがてえや!」
十日ほど前まで住まわせてもらっていた所なので、シュウとリュウは勝手知ったる我が家の様にマリエを客間へ案内し、茶の支度もした。
「あれ、なんか部屋の雰囲気が変わったなぁ…」
「せやね。所々に花生けてはるな。きっとコマチさんの心遣いとちゃうかな」
「あ!たしかにそうだな。手水舎にも花が浮かべられてたし」
「花手水やね。やっぱり前までの男所帯とは違ててええなぁ」
ちょうどそこへコマチがやって来た。白衣に緑色の袴を穿いている。
「みなさん、ようこそお越し下さいました。ご挨拶が遅れてすみません!」
「コマチさん、あけましておめでとう!…巫女さんの緋袴じゃなく緑色の袴なのか?」
リュウの問いかけにコマチは、
「だって…私は」
頬を赤らめ恥じらいながら
「もう人妻ですので」
と、嬉しそうに言った。
(あ…)
可愛らしさと艶っぽさを合わせたようなその美しい表情に、リュウもシュウもしばし見惚れた。
「そうですよ」
カワカミも客間に入り、コマチの肩を抱き寄せながら
「俺のコマチ、ですから。神様ヤゴロウどんには渡しません!」
と言いながら、謎のポーズを決めた。
(…カワカミさん、前まで自分のこと私て言うてはったのに、俺になったはるな)
シュウの心話にリュウも応えた。
(しかもコマチ、って…コマチさんでもコマっちゃんでもなく、俺のコマチ…)
ほぼ惚気のようなカワカミの態度に以前ならちょっと呆れていたはずのリュウだが、今は違う。
(俺のマリエ…俺もそんな風に言えたらいいなあ…)
ちらりとマリエの顔を見ながら、そう思っていた。
コマチは照れながら「もう、キョンさんたら!恥ずかしいですって…」と言い、カワカミの腕をすり抜けた。
(コマチさんもキョン太郎からキョンさんになってるぞ!)
(俺のコマチと私のキョンさん、って呼び合ってはるんかなあ…)
リュウとシュウの心話には気づくはずもなく、コマチはマリエに笑顔で声を掛けた。
「マリエさん、はじめまして。恭太郎の妻のコマチです。どうぞよろしくお願いします」
「桐野真理恵です。こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
「早速でなんですけど、ちょっと私の部屋まで来てくれませんか?」
「え…あ、はい」
戸惑いながらもマリエはコマチと共に、以前はシュウとリュウが使っていた部屋に入った。するとコマチは大きめの手提げ袋を差し出した。
「これね、シュウさんから頼まれていた生活用品です」
「えっ」
「事故にあわれて荷物を失くされたと聞きました。シュウさんから『とりあえず衣服は用意したんやけど、女性にしかわからへん必要なものがあるやろから手配してほしい』って連絡もらってたの」
「…シュウさんが」
驚くマリエに、コマチは手提げ袋の中身を出して見せた。
「好みがわからなかったので、とりあえず敏感肌用で評判の良いスキンケア用品とメイク用品、ヘアケアセットも用意しました。色白の方とお聞きしたのでファンデーションは明るめを選んだんだけど…よかった、ちょうど合いそうですね。口紅は8色入りのカラーパレットタイプだから、好きな色を選んで試してみてね。あと、生理用品も同じく肌に優しいものを入れてます」
「こんなに何もかも…元旦でお忙しかったでしょうに、本当に申し訳ありません」
「いえいえ、私はWEBで選んで即配便の注文しただけですし、支払いもシュウさんがされてるのでお礼はシュウさんにどうぞ。本当に気遣いのできる優しい人ですね」
品物を手提げ袋に戻して差し出しながら、コマチは微笑んだ。
「はい…シュウさんもリュウさんも本当にいい人で、まさに命の恩人です」
マリエは手提げ袋を抱きしめて、瞳をうるませた。
一方、客間では男たちがコマチの話をしていた。
「緑色の袴は研修生?じゃあコマチさんも神職になるのか?」
「ええ。巫女も選択肢にありましたが、厳密には巫女って神職ではなくてあくまでも補佐的存在なんですよ。大昔は未婚女性…もっとはっきり言えば処女でなければ不可でしたが、今は既婚女性でも袴を臙脂色にするなど区別をしてOKになってます」
「そうなんや。時代によっていろいろ変わって行ってるんやね」
「あれ、でもたしかオオヒトがおネエちゃんのことを『神様のお声を聴けるのは神職の中でもただ一人、正式な巫女であられるネネ様だけ』って言ってたよな?巫女は神職じゃないって今言わなかったか?」
「そう、そこなんですよ。ネネ様の神通力は他に類を見ないので唯一無二の巫女であられますが、実は神職の資格もちゃんと取得されています。位も一番上の浄階ですから宮司になろうと思えばなれる方なんですよ。男女差別が根強く残るサツマで男に引けを取らないようにと頑張られたんでしょうね。コマチもそんなネネ様を見習って、きちんと神職としての資格を取りたいって言いだしましてね」
(またコマチって言ってる…)
「それに巫女って言わば神様の花嫁という立場ですから…もう俺の花嫁なので…ねえ」
(やっぱり俺、て言うてる…)
デレデレとした顔で言うカワカミに、もう“お腹いっぱい”になって来たリュウとシュウだったが一応尋ねてみた。
「カワカミさん、最初はコマチさんでその後コマっちゃんって呼んでたけど、なんで今はコマチなんだ?」
「ほんで、ご自分のことも私から俺に変わらはって、コマチさんからはキョンさんて呼ばれてはるんですか?」
「それは…あれよ、ほら」
二人の突っ込みにカワカミが顔を赤くしながら言った。
「名前を呼ぶと愛しさが増すでしょ。お互いにさん付けから親しくなって、俺はキョン太郎からご先祖の愛称でもあるキョンに、コマチも妻となり『自分だけがコマチと呼べるんだ』って思うと…そりゃあ嬉しいじゃないですか」
(あ、それはわかる!マリエは俺に呼び捨てにされて嬉しいって言ってくれたもんな)
リュウが激しくうなずいた。
「んで、何ていうか…『私のコマチ』って言うより『俺のコマチ』って気持ちが強くなって… I'm a man♪俺は~男~♬…まぁ、そんなわけで“俺”になりました」
(あいま、ま…?それはわからねえぞ)
(ロックの歌でI'm a manいうのがあるねん。リュウと同じ21歳の男の歌や)
カワカミはギターを持ち出して来て「I'm a man」を熱唱しだしたので、シュウがその煽情的な歌詞の和訳を心話で教えてやると、リュウは顔を真っ赤にしていた。
神社でカワカミとコマチの作った絶品おせち料理とヒゴ雑煮、さらにぜんざいまで美味しく完食したリュウは虎拳の寮に戻ると、あることに気が付いた。
「あ、やっぱり髪がいきなり伸びてる!なんか前が見えにくいなと思った」
「ほんまや。僕もえらい伸びてるわ。さすがパワースポットやな」
「シュウ、髪切ってくれるか。試合前だしな」
カワカミの神社に住んでいた頃、すぐに伸びてしまう髪を器用なシュウがいつも整えてくれていたので、リュウは散髪を頼んだ。
二人の会話を不思議そうに聞きながら、マリエも自分の髪の毛先を気にしだした。
「よかったら、マリエさんも髪の毛切ったげよか?」
「マリエ、シュウはプロ並みに上手なんだ。安心して切ってもらえよ」
「え、いいんですか」
シュウが笑顔でうなずいて言った。
「ほな、カリスマ美容師の“シザーハンズ”シュウさんか、カリスマ植木屋の“早斬り”リュウさんか、どっちに切ってもらいたい?」
思わずマリエが噴き出し「あはははっ」と笑った。
「なんだそれ!しかも俺、植木屋かよ?」
マリエの笑顔が嬉しくて、リュウも笑い出した。
「マリエさん、リュウはどんな高い木にもすごい速さで登れるねん。枝切るのもむっちゃ早くて上手やで」
「そうなんですか!すごい…見てみたいです」
「いやぁ…だからってマリエの髪は俺には切れねえよ!シュウ、アホなこと言ってないで早く切ってやれよ」
リュウは笑いながら床にシートを広げ、そこに置いた椅子にマリエを座らせ、ケープも付けてやった。
「ほな切るで。──最近切ってもろた美容師さん、新人さんやったんかな。右と左でちょっと長さ違てるさかいに、髪型そのものは変えんと毛先だけ長さ揃えとくわな」
シュウの言葉にマリエは一瞬表情をこわばらせたが、
「…そうみたいですね。お願いします」
とすぐ笑顔で答えた。
シュウはあざやかな手さばきでマリエの髪を整えてやった。少しくせ毛のマリエの髪質を活かし、ふんわりとした可愛らしいボブヘアーが瞬く間に仕上がった。
(か、可愛すぎる…!!!)
見惚れているリュウにマリエは「お先でした。リュウ、どうぞ」と声を掛け「ありがとうシュウさん!ちょっと鏡見てきますね」と手洗い場の方へ行った。
「シュウ、お前やっぱりカリスマ美容師だぜ。ただでさえ可愛いマリエがさらに可愛くなってる…」
「ほな、ただでさえ男前のリュウもさらに男前にしたげるわ。丸刈りと角刈りとどっちがええ?」
「え?おい!?どっちもやめてくれー!!」
爆笑した後、リュウの散髪もあっという間に仕上がった。
自分の髪は電動バリカンを使って器用に刈り出したシュウが、ふとリュウに声を掛けた。
「マリエさんちょっと遅いな…見に行ったげて」
「あ!」
慌てて手洗い場へ向かったが、マリエの姿がない。
(──まさかあの男が?!)
不安になったリュウは叫んだ。
「マリエ!どこだ!?」
「はい。ここです」
廊下の奥の方からマリエの声がした。
「そっちか!…良かった。心配したぜ」
「ごめんなさい。星空がきれいだったので…」
突き当りの大きな窓から満天の星が見えた。
「──ほんとだ…きれいだなぁ」
「雪景色に星空…きれいな景色ばかり続きますね」
しばらく夜空を見つめてから、マリエがつぶやいた。
「こんな景色だけを見ていたい…」
(え?)
「嫌なことは…もう忘れたい。昨日の事…被害届は出しません。叔母にも二度と会いたくないです…」
(ああ…)
「それでいい。マリエの好きなようにしていいんだ」
「…ありがとう、リュウ」
「マリエ、嫌じゃなかったら…ずっと俺の傍に居てくれねえか」
リュウはそう言いたかったが、口には出せなかった。
(第七十六話へ続く)
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