竜浪道 ~リュウロード~

めっぽう強いが小さな男リュウの格闘旅物語
日向 真詞
日向 真詞

第六十八話 この世の向こうへ

公開日時: 2023年5月23日(火) 00:30
更新日時: 2023年5月30日(火) 09:49
文字数:5,000

 その曲は例えるなら、幸せだった遠い日々をせつなく懐かしい思いで振り返るような音色から始まった。



 カワカミが奏でるピアノの響きはお祓いの時のギターと同じく、哀愁と優しさのこもった心に染み入るものだった。

 リュウも怖さを忘れてカワカミの演奏に聴き入っている。



(この間の曲とは違うけど、これもすごくいい曲だな…あれ?)


 不思議なことにカワカミの弾くピアノに合わせ、心震わせるようなギターの音色もどこからか聴こえて来た。


(これも音楽の神様とやらが、力を貸してくれてるってことなのか?)



 元音楽室の天井はなぜか照明がゆっくりと消えてゆき、替わりにプラネタリウムのように暗闇のなかに星々が浮かんできた。

 星明りに照らされたカワカミは優しい声で唄いだした。



 ♪Where am I going after being washed away


 Repeatedly repeated good things and bad things…




 幽霊の女子高校生はカワカミのピアノと歌声にじっと耳を傾けている。



 ♪Even if I cry because I'm lonely


 Whatever I want is always above the distant clouds…




 いつしか少女の瞳からは涙がこぼれていた。



 ♪somewhere tomorrow looking for a festival


 take me to the other side of the world…




 “この世の向こうへ連れて行っておくれ…”



(え?)


 リュウの耳にはカワカミの声ではない、別の男の声が響いた。しかも英語ではなく日本語である。

 辺りを見回すが、カワカミとシュウしかいない。


(大丈夫や)


 シュウがリュウの肩に手を置いて言葉をかけてくれた。


(シュウにも聞こえてるのか。…怖いものじゃないんだよな?)


(うん。もしかしたらやけど、カワカミさんのご先祖さんかその仲間の人が、ギター弾きながら一緒に歌ってくれてはるような気ぃするねん)


(あぁ…なるほど。そうかもしれねえな)



 カワカミが弾くピアノからは、次第に白い炎のゆらめきのようなものが立ち昇ってきていた。

 それとともに女子高校生の姿はだんだんと薄くなり、やがて白い炎と一体となって星空に昇ってゆく。



♪Above the clouds even in my dreams


Above the clouds even in my dreams…





 リフレインを歌い終え、カワカミは鍵盤の上からその手を下ろして言った。



「どうやら天からのお迎えも来てくれたようです。今度こそ彼女は上に行けたでしょう」


「カワカミさんにも聴こえてたのか。誰かの歌声と、ギターも鳴ってたよな?」


「はい。あれはきっとヴォーカルの魂でしょう。思いがけずご先祖たちのオリジナル曲と歌声に触れることが出来ました。今日はやはりそういうめぐり逢わせの日だったんでしょうね」


 感慨深げにそういうと、カワカミはピアノの蓋を閉めて祝詞を唱え、音楽の神様に礼を言っているようだった。



「カワカミさんの音楽はやっぱりすげえな」


「ほんまやね。お祓いの時もやけど、今日はさらに心にぐっと染み入るような感じやったわ」


 シュウも自分の胸に手をあてながら、リュウにうなずいた。



「なぁ、カワカミさんやヤゴロウどん神社の神職は皆、おネエちゃんみたいに神様から不思議な力をもらってるのか?」


 リュウの問いにカワカミは「めっそうもないことです」と恐縮しながら答えた。


「巫女のネネ様は生まれながらに神様に選ばれた方です。神職の中でも神様のお声を直接聞けるのはあの方だけですし、さっきもネネ様から心話で酔くれ酔いつぶれちょらんで起きやんせ!わいお前に会おごたっちねごう魂が来ちょっ、と神様かんさあちょらるっど!』と聞かされて飛び起きたんですよ」


「なんだ!ヤゴロウどんがカワカミさんに直接言ったんじゃなく、伝言を頼まれたおネエちゃんから叩き起こされたのか」


 思わず笑ったリュウにシュウもカワカミも一緒に笑い出した。その後にカワカミがこう言った。


「ただ、神職の中でも唯一オオヒトさんだけはネネ様のようにケガや病気を癒す力を神様から与えられておいでです。今後成長されると共に修業を重ねれば、ゆくゆくはネネ様のような存在となられるかもしれませんね」


「ああ、オオヒトの『手当て』の力はすげえよ!闘技戦でヤゴロウどんに折られた俺の背骨も、ほんのちょっとの間にだいぶ治してくれた。でも、カワカミさんだって音楽の神様の力もらってるじゃねえか。さっきピアノも整えてくれたんだろう?」


「それがですね、自分でも不思議なんですよ」


 ピアノを優しく撫でながらカワカミは語り出した。



「前にリュウさんに少しお話ししましたが、私はご先祖の様に友人たちとバンドも組んでプロのミュージシャンを目指していました。でも現実は甘くはなく、友人たちもひとり減りふたり減りと、どんどん普通の仕事で生計を立てる人生を選んでいきました。私は恥ずかしながら親の仕送りに頼りながら、東のミヤコでサポートミュージシャン…というよりローディーがメインの仕事をやったりして、なんとか音楽の世界にしがみついてたんです」


(ろーでぃー…何だ?よくわかんねえけど、きっとすごく苦労してたってことなんだろうな)


 でもね、とカワカミは自嘲するように笑った。


「ついに親から勘当を言い渡されましてね。さすがにあわててヒゴに帰ってきましたが、家にも入れてもらえなくて…どうしようもなくなってそのままサツマへ向かったんです。なぜサツマだったのかいまだにわからないんですが…そこでネネ様に出会って、誘われるまま神職の道に入りました」


 カワカミはサツマで神職の資格を取り、ここヒゴのオオヒト八幡神社でごん禰宜ねぎとして先代の禰宜と共に神に仕えた。


 親も息子が「真っ当な道」を歩み始めたことを喜び勘当も解けたが、カワカミの心は晴れなかった。


「音楽に背を向けて違う道を歩んでたはずなのに、神職になってからはまた音楽が恋しくなってきて…。ならば神楽の演奏のためにと笙や琵琶、琴などもやり始めたんですが夢中にはなれませんでした。やっぱり自分はロックが好きなんだなと思い知りました」


 先代の禰宜が亡くなり、後を継いだのをきっかけにカワカミは神様に奉納するように神前でギターやキーボードを演奏するようになった。


「するといつからか、私の演奏に合わせて琵琶の音が聞こえるようになりましてね」


「琵琶…弁財天さんが応えてくれはったんですか」


 シュウの言葉にカワカミがうなずいた。意味が分からずリュウはシュウに問うた。


「え?どういうことだ?」


「弁財天さんは和楽器の琵琶を持ってはるねん。音楽の神様や」


「あ、そういうことか。その神様がカワカミさんの音楽を気に入って、力を貸してくれるようになったんだな」


「ええ、おそらく。音楽業界ではやっていけなかった私の演奏ですが、音楽の神様弁財天には喜んで頂けたのかもと思い、ちょっと救われましたね。それ以来、この世ならぬ者の気配も少しずつ感じられるようになりました。今回、あのお嬢さんのためにこのピアノを良い音色で弾かせて下さいとお願いしたら、ありがたいことにそれも聞き届けて下さったんです」


「へえ…すげえな」


「私がなぜかサツマに行ったのも、今こうしてヒゴの神社で禰宜をしているのも、今思えば音楽を通して誰かの助けや癒し、また励みになれる、そういう役割をするためだったのかもしれませんね」


(あ…)


 リュウはナツキが言った言葉を思い出した。



 “お客さんを怒らせたり泣かせたり、喜ばせたり励ましたりもできるんだよ!”



(そうか。じゃあ俺も闘いを通じて、誰かの励みになれてるってことなのかな)



 “ナツキはプロレスやってて楽しいのか”


 “もちろん!こんな楽しいことないよ!”



(でも俺は闘いが楽しいとか、好きってわけじゃなかった。兄貴にしごかれて格闘技をやらざるを得なくって…空師の仕事が上手くできなくても、山の番人ならできるかもと…木を盗みに来る奴らを必死で叩きのめして追っ払った…少しは役に立ってると思った…でも…)


 つらかった昔のことを思い出し、リュウはだんだん呼吸が苦しくなってきた。

 それに気づいたシュウがリュウに声を掛けようとしたその時、



「いや!でもいけません!まだまだです!」


 いきなりカワカミが自分の頭を抱えて叫んだ。



 シュウはその声に気を取られ、リュウもまた驚いて過呼吸が治まった。


「カワカミさん!どないしはりました?」


「だってお祓いしたのに逝かせてあげられなかったし、あろうことか歌聴きたさにまた戻って来ちゃったなんて…私のお祓いは全然効いてないどころか逆効果じゃないですか!慰めて鎮める招魂しょうこんの儀じゃなくむしろ反魂はんごんの術ですよ…西行法師か私は?!今回も神様とご先祖の仲間たちが力を貸してくれたから何とかなっただけで、私は神職としてまだまだ未熟者、修業が全然足りてません!だめだだめだ!!あーっ!


 呆気にとられるシュウとリュウの前でカワカミは珍しく取り乱し、頭を抱えてしゃがみ込むや床に倒れ込んでしまった。



「カワカミさん!?」


「おい、大丈夫か?」



 あわてて二人が駆け寄ると、なんとカワカミはいびきをかいてすでに眠りこんでいる。



「…これって、また酔いつぶれて寝てる状態に戻ったって事か?」


「…どうやらそうらしぃな。今までも正気やったんかどうか、こうなるとわからへんなぁ」




 その後、シュウがカワカミをお姫様抱っこして部屋まで運んだ。


 やれやれといった風情で二人も寝床に入り(なんかいろんなことがあった日だなぁ)と思いながら眠りについた。



 …はずだったのだが。




(あの、すみません!)


 少女の声に、ぎょっとしてリュウは飛び起きた。

 やはり例の女子高校生が目の前に居た。


な、なんだ?!あんた、また帰って来ちゃったのか?!」


「違います違います。もう私、ちゃんと向こう側に来てます」


「じゃあなんで…?」


「夢の中も雲の上なんです。だからどちらかといえば、貴方の方が今こっちに来てるってことになりますね」


「え?俺、また死んでるのか?」


「また…?」


「いや、その…あんたどうしたんだ?まだ何か願い事でもあるのか?」


「いえ、皆さんにちゃんとお礼を言いたくて。ありがとうございました」


「あぁ、そうだったのか。いや、俺は何もしてねえし」


「ううん、私貴方のプロレス観てすっごく面白くて楽しかったんです!ボクシングってリングの外に出られないけど、プロレスはいろんなところでも闘っていいんですね。すごくカッコよかったです!私今度生まれ変わったら、ボクサーじゃなく貴方みたいなプロレスラーの彼氏が欲しくなりました」


(出た、予約!)


「あ…そいつぁどうも…」


「これからもがんばって下さいね。それじゃあ」


 少女はそう言って姿を消した。リュウの身体はすぅっと下に降りてゆくような感覚になり、気が付けば朝を迎えていた。





「え!あの、シュウの夢にも出てお礼言ってたのか」


 手洗い場で顔を洗いながら、リュウとシュウは夢の話をしていた。


「うん。あの娘さん律儀なやね。子どもが大好きやから僕と小さい子らのふれあいコーナー見て、自分も一緒に遊びたかったて言うてたわ。今度生まれ変わったら早よ結婚して、いっぱい子ども産んで育てたいとも言うてたな」


「へえ。もしかしてシュウみたいな優しい男と結婚して子ども産みたいとか言ったか?」


え?なんでわかったん?」


え!ほんとに言ったのか?俺にはプロレスラーの彼氏が欲しくなったって言ってたぞ」


「私にはミュージシャンで神主の彼氏と一緒にバンド組んで、女性ヴォーカルとして歌唄いたいって言ってましたよ」


 そこに二日酔い気味の顔でカワカミもやって来た。


「カワカミさん大丈夫か?いきなり倒れ込んだから心配したぜ」


「面目ない…演奏を終えたところまでは覚えてるんですが、後はもう夢の中で…まぁお嬢さんはもう天にいらっしゃったようなので安心しましたがね」


「…なんかあの、次の人生ではいろんなタイプの彼氏を作りそうだな」


「この人生が短かった分も、来世はいっぱい恋をして夢を叶えて、楽しい幸せな人生になったらええなあ」


「そうだな。…なぁカワカミさん、昨日の曲、題名は何ていうんだ?」


『夢の中』です。発表当初は『夢の中も雲の上』という題名だったそうですよ」



(あぁ…だからか)



 “夢の中も雲の上なんです”



 リュウの耳に、少女の声が再び聞こえたような気がした。

(第六十九話へ続く)


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