(リュウ!早よリングに戻って来!せやないとリングアウト負けになってまう!)
シュウがチビヤゴくんの心話機能でリュウに呼びかけた。
(椅子に足が挟まっちまってて…え?リングアウト負け?なんだそりゃ?)
(プロレスではリングの外に降りたら、レフェリーが20カウント数えるまでにリングに戻らなあかん。もし戻って来ぇへんかったら負けになるんや)
(え?20…秒か?!そんなもんとっくに過ぎてるだろ!)
(フェンス越えたり、お客さんに危険が及んだりした時にはジンマさんが配慮してカウント中断したり、また最初から数え直してはる。でも、もう12までいってるしこれ以上伸ばすんは無理や。先に降りて来てはるトウドウさんの勝ちになるで)
(なんだと!)
リュウはあわてて足を引っこ抜こうとするが、椅子の蝶番自体が潰れたらしく、座面がまったく動かない。今この間もジンマのカウントは進んでいる。
(椅子に挟まって動けねえなんて…こんなカッコ悪い負け方できるかぁ──っ!!)
一方、トウドウは南側の階段席を駆け下り、リングサイドの平坦な席エリアに到達しようとしていた。
(リュウが挟まったのはアクシデントだ。俺がわざとやったんじゃない。それにリングアウト負けや反則負けは実質的な負けにならないから、リュウの戦歴に傷がつくわけじゃねえ。無敗のまま虎之助の復帰戦に臨ませたいジンマはさぞ怒るだろうが…)
トウドウはそう思って駆けながら、リング上のジンマの顔をちらりと見た。
(?!)
ジンマは怒るどころか、喜びに満ちた顔で目を輝かせ、トウドウの後方上部を見つめながら「18!」と叫んだ。
同時に場内が「わああっ!」と沸き立った。
(なんだ?)
次の瞬間、トウドウの右肩に衝撃が走った!まるでハンマーで激しく殴られたかのような、ものすごい打撃力である。
「ぐわっ!」
たまらず倒れ込んだトウドウの目に映ったのは、自分の頭上はるかにリング目掛けて跳び込もうとしているリュウの姿だった!
(あいつ!俺を踏み台にして跳びやがったのか!)
「19!」
ジンマが歓喜に満ちた声で叫ぶ。その声とほぼ同時にリュウがリングのマット中央に回転しながら着地した!
トウドウが必死でエプロンサイドに上がろうとするが、肩に受けた衝撃のせいで間に合わなかった。
「20!!」
ゴングが打ち鳴らされ、リュウはジンマに手を取られて勝者であることを示された。観客からの怒涛の様な叫びと拍手が場内を揺るがした。
「21分06秒、トウドウ・タカトラのリングアウトにより、勝者!ヒナリ──・リュ──ウ──!!」
「リューウ!リューウ!リューウ!」
再び初勝利の時のような大合唱が沸き起こった。
(なんとかカッコ悪い負け方は逃れたな)
リュウは観客に手を挙げて応えると、ホッとしてマットの上に大の字になった。
(のど乾いたなぁ)
そう思った時に、リュウの顔の上にスポーツ飲料が差し出された。
(シュウか?ありがてえ)
受け取ろうとすると、笑顔の女が視界に入った。
「お疲れ!」
「ナツキか。さっきはありがとうな」
少し時を戻そう。
壊れた椅子に挟まれたままもがいているリュウに、ナツキが駆け寄って来て叫んだ。
「リュウ!そんなもんぶっ壊して抜け出しな!」
「え?この椅子壊していいのか?」
「さっさとぶっ壊せ!お客さんはリュウの負けるとこなんて見たくないよ!早く戻って!」
ナツキの勢いにリュウも乗った。
「よっしゃあ!」
リュウは椅子の座面に肘打ちを落とした!
“バキィッ!!”
座面は真っ二つに割れ、動かなくなっていた蝶番も吹っ飛ばして床に落ちた。
周囲に居た観客は「えっ?!」「リュウ、凄っ…!」と驚愕している。
解き放たれたリュウは前の席の背もたれに跳び乗るや前方下段へジャンプした!
そのひと跳びで10列余の座席を飛び越え、さらにもう一回、固定観客席最前列の背もたれをステップにして跳んだ。
そして最後に、リングサイドまで駆け戻っていたトウドウの右肩を踏切台として、リングに到達したのだった。
リュウは身体を起こし、ナツキがくれたスポーツ飲料をゴクリと飲んでから、小声で言った。
「俺…ちゃんとトウドウの良さを引き出せてたか?」
「バッチリだったよ!」
ナツキはにっこりと笑った。
「それに最後はガッチリ巻き返したしね!さすがはリュウだね!!」
(そうか)
少し照れながらリュウは嬉しそうな顔をした。
そこへ恒例のヒゴくまねっとのインタビュアーがやってきた。
「リュウ選手、トウドウ選手のリヴェンジを見事退けましたね!最後はもの凄い三段跳びでの逆転勝利、おめでとうございます!」
観客から拍手と声援がどっと挙がった。
「おう、どうもありがとう!」
リュウは前回とは打って変わって、観客に向かって手を振りながら笑顔で礼を言った。さらに観客が沸く。
インタビュアーも能弁になったリュウに驚きながら“これならいける”と畳みかけて来た。
「前半、トウドウ選手の関節技に押されていたので心配しました。トウドウ選手の関節技で一番痛かったのは何ですか?」
「一番痛かった…?」
ルーズジョイントの身体には答えづらい質問だった。困ったリュウはつい正直に答えてしまった。
「髪の毛つかまれて引っ張られたのが一番痛かったな」
インタビュアーは絶句。
「わははは!」
観客は大爆笑である。
(リュウ、そらあかんて。トウドウさんの立つ瀬が無いがな)
シュウが心話で諭すと、リュウはあわてて付け足した。
「…てえのは冗談だ。左腕極められて首も圧迫された時は死ぬかと思ったぜ」
爆笑の後に拍手が起こった。インタビュアーはリュウの答えに期待するのを止めて、定番のネタに逃げることにした。
「今日は場外乱闘も激しかったし、さぞお腹が空かれたんじゃないですか?」
先の展開を読んだ観客がさらに爆笑したが、リュウは素直に答えた。
「今日は試合前、ギリギリまでいきなり団子食ってたから腹は大丈夫だ」
「え!試合直前に?いったい何個食べたんです?」
「えっと、先に10個食べて美味かったから、さらに12個買って来て…」
「10個に12個!合計22個も食べたんですか?!」
「いや、1個シュウにあげたから21個だな」
観客はずっと爆笑し続けており、中には涙を流すほど笑い転げている者もいた。
「じゃあ、今日の勝因はいきなり団子をたくさん食べたから、ってことでしょうか?」
「ああ、それもあるだろな。でも」
観客の爆笑をさえぎるようにリュウは続けた。
「椅子に挟まって動けなかった時に、ナツキが『そんなもんぶっ壊せ!』って言ってくれたんで、安心して椅子を壊して抜け出せた。それがなかったらリングに戻れなくて負けてたな」
リュウの発言に場内はざわつき「ほぉ~」と冷やかすような声を挙げる者、「ええっ?」と女性ファンを中心に違和感や嫌悪感を表す者、そして笑う者など様々で、インタビュアーもどう対応すべきか迷った。
さすがにリュウも場内の雰囲気がおかしくなったことに気づき(あれ?俺また何かやらかしたか?)と心配になった。
そこへナツキが素早くリングに上がり、インタビュアーのマイクをにっこり笑いながら取り上げて、リュウに言った。
「そうだよリュウ!あたしのおかげで勝てたんだよね?だからさぁ、お礼にあたしの彼氏になってくんない?」
「はあ?!」
場内も大きくどよめいたが、リュウはそれ以上に大きな声で叫んだ。
「無理!彼氏なんて絶対無理だ!それは勘弁してくれ──!!!」
あまりにも率直で必死なリュウの反応に場内は大爆笑し、不穏な雰囲気になっていた女性ファンたちも留飲を下げた。
すかさずナツキが笑いながら、
「あははは!ダメか──!残念、フラれちゃったよ!せっかくリュウのTシャツまで自腹で買って着てるのになー」
と明るく言ったので、場内からは笑い声と拍手が大きく沸き起こった。
ナツキがリュウをからかって、リュウが素で反応した結果、笑いを取ったという流れでうまくまとめられた。
インタビューの後にはスポンサーであるコトカから勝利者賞として、料亭「肥後ほまれ」のお食事券1年分がリュウに贈られるセレモニーがあった。
コトカもナツキの存在が気になっていたが、リングに上がってリュウに勝利者賞のパネルを渡す際、
「リュウさん勝利おめでとう!今夜はうちの店で打ち上げですから、ご馳走たくさん作ってお待ちしてますので早く来てね」
と告げるとリュウが「ほんとか!それはありがてえ!楽しみだ」と大喜びしたので、コトカも上機嫌で記念撮影に納まった。
その後の物販でもナツキは自分のグッズよりもリュウのグッズを売ろうとしたり、リュウの別バージョンのTシャツを自分で買ってリュウにサインを求めたりと、リュウを困らせながらも周囲の笑いを取って和やかな雰囲気を作っていた。
物販タイムの終盤には、見覚えのある顔の男たちがリュウの前に並んだ。
「あ!お前、山の…」
猿軍団の元・ナイフ男、と言いかけてリュウは口を閉じた。
「リュウさんお疲れ様でした!今日の試合、凄い展開でしたね。逆転勝利おめでとうございます!」
「おう、ありがとな。観に来てくれてたのか」
「当然ですよ!リングサイド24席も買っておいて観に来ないヤツはいないでしょ!次、ここでやるのはいつですか?チケット買いますよ」
(相変わらず金持ちだな)
「えっと、シュウ、いつだっけ?大晦日だったか?」
「皆さん今日は来てもろておおきに。大晦日の試合はヒゴやのうてヒゼンですわ。ヒゴでの試合は年明けの1月3日にここでやります」
「じゃあその正月の試合のチケット24枚買います!今日一緒に来た安全活動隊の人たちもすっごく楽しんでたんで!」
元・ナイフ男が指し示した方を見ると、あの時山で出会った老人たちが今日の試合について熱く語り合っていた。
「あの、私たちもすっごく楽しかったです!」
猿軍団の後ろに居る彼女たちも頬を上気させてリュウに声を掛けて来た。
「そうか、それはよかった。客席になだれこんだりもしたけど怖くなかったか?」
「いえ、それがまた面白かったんで!あの、グッズ買うんでサインしてもらえますか?」
「もちろんだ。支払いは猿…じゃなくて彼氏持ちか?じゃあどんどん買ってくれ。なんならあのじいさんたちの分も買って配ってやってくれ」
「きゃー!やったー!」とはしゃぐ猿軍団の彼女たちは大喜びでリュウのグッズを選び出した。
元・ナイフ男はちょっとあせったが、彼女たちが喜んでいるのでチケット代とグッズ代も快く払ってくれた。
リュウの押し売り?の甲斐あって、前回の倍は用意してあったグッズはすべて完売となった。
「やっとリュウのサインもらえた!嬉しい─!この間はマー君が『早く帰ろう』って言うからグッズも買えなかったもん」
会場の外に出てから元・ナイフ男(どうやらマー君と呼ばれているらしい)の彼女が言った。
「だって、あの時は玉名で遠かったから帰りが遅くなるし…また悪いヤツに襲われたりしたら危ないだろ?」
「私がリュウに近づくのにヤキモチ焼いてるんじゃない?あんなに強くて男前なんだから無理ないけど」
「なっ…ヤキモチなんかじゃないって!それにリュウさんは強くて男前でも背が低いからモテないんだよ。彼女いない歴=年齢だってさ。もしかしたら〇〇で〇〇と〇〇じゃないかな」
「じゃあマー君とおんなじね!」
「………」
「へぇ──っくしょん!!!」
その頃、控室でリュウは大きなくしゃみを連発していた。
「リュウ、大丈夫か?シャワー冷たかったんと違うか」
「ふえぇ…いや、そんなことねえけど。誰か俺の噂してんのかな」
「ナツキさんが『あたしの彼氏はどこ?』って探してるんじゃないですか?」
控室に入って来たカワカミが笑いながら言った。
「カワカミさん!来てくれてたのか」
「はい。ジンマさんからグッズ販売提携のお礼にってチケット頂いて。今夜の打ち上げにもお招き頂きました。リュウさん、最後凄かったですね!まさに『捲土重来』ですよ!」
「けんどちょうらい?なんだそりゃ?」
「中国の故事成語です。負けたり失敗した者が再び勢いを取り戻して、全力で巻き返してくるという例えですよ。私のご先祖が作った曲にもこの歌詞がある…あ!そうだリュウさん、聞いて下さい!」
カワカミは目を輝かせて話し出した。
「今日たまたま隣に座ったお客さんが何と、私のご先祖に縁がある人だったんですよ!しかも…
『ダイナマイトに火をつけろ!』の原曲を知ってたんです!」
(第六十五話へ続く)
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