店主がリュウを連れて来た一番の目的は、この桜島を見せることだった。
(島というより、山が海の中から突き出てるみてえだ。下の方は緑が茂ってるが、上のほうはゴツゴツした岩山だな)
火山というと、ヒノモトを代表する富士山のような円錐形を予想していたリュウだったが、桜島はふたつの山がくっついたような形をしていた。なおかつ岳の周りにも溶岩が固まってできた山があるため、圧倒的な雄々しさを感じさせた。
(おやじさんの言う通り、思わず拝みたくなるような力を感じる…)
桜島に見入るリュウに、店主はさらに驚くべきことを言った。
「海の上に火山があるってのもびっくりだろうが、あの火山島は大噴火によって向こう側の半島とつながっちまったんだよ」
「え?どういうことだ?」
「二百年くらい前の時代に大噴火した時、海に流れ出した大量の溶岩が半島と島の間の海峡を埋めちまったんだ。やがて溶岩が冷えて固まって島と半島が地続きになった。だが、埋めたのは海だけじゃなく、田畑も家も埋めてしまった」
「田畑も家も?!」
「ああ。溶岩で埋まったり、火砕流ですっかり焼けてしまった。噴石や灰もとんでもない量で降り続いてな。神社にあった鳥居がほとんど埋まってしまったほどだ。噴火で飛んできた大きな石が頭に当たって亡くなった人もいた。逃げるための船に乗れなかった人は真冬の海に飛び込んで、何人も溺れてしまった…。大噴火に続いて地震も起きたし、土石流や洪水まで続いたんだよ」
「そんなにひどいことがあったのか…。じゃあその後は、桜島のふもとには誰も住んでいないのか?」
「いいや。その大噴火の後、避難していた住民たちは戻ってきて、降り積もった大量の灰や軽石を必死で取り除いた。焼けてしまった木々も皆で運び出したよ。それでも取りきれない分は『天地返し』をした」
「天地返し、って何だ?」
「地面の三尺から四尺の深さまで土を掘り出して、積もった灰や軽石を下に埋め、その上に掘り出した土をかぶせたんだ。天と地をひっくり返すようにな。重機なんかない時代だから、全部ひとの力でだ」
「気が遠くなるような話だな…すげえ。それで畑を元に戻せたのか」
「そうは簡単にいかないさ。灰のせいで土の成分が変わってしまうからな。石灰や草木を焼いた灰を混ぜて、作物が育つ土壌に戻そうとした。みんなで何とかして畑を、村を前のように暮らせるように戻そうと気張ったんだ。何年、いや何十年もかけてな」
目の前に見える桜島の煙が、長い時をあらわすかのように風に乗って長く、細く伸びていた。
「でも溶岩で埋まってしまったところはどうしようもないし、地盤沈下で干拓地の塩田も海に沈んでしまったりしたから、桜島を離れて移住せざるを得なかった人たちもいっぱい居たんだよ。自分が生まれ育った所を、故郷を離れざるを得ないってのは、本当につらかっただろう」
リュウは何も言えなくなった。
その目は苦し気に細められ、茶色がかった瞳の影は濃くなり、いつしか閉じられていた。
「でもなあ。たとえ遠くに去っても、どれほど時が経っても、桜島はそこにちゃんと在るんだよ。煙を吐いて、時には火を噴き石や灰を降らせながら、どっしりと構えてる。わしら人間に何があっても桜島は変わらない」
店主の言葉に、リュウは目を開いた。そして改めて、煙を吐く桜島を見た。
「気が遠くなるほどの時間を経て、苔が生えて草が生えて、木も育って実も成って。ここからの眺めだって中腹までは緑でいっぱいだろう。溶岩の割れ目からもな、桜の木が生えて花が咲くんだぞ」
「溶岩の割れ目から、桜が?本当か?!」
「そうだ。地元の人たちは『根性桜』って呼んでる。細い枝を伸ばして白い小さな花が咲く。そんな桜がいくつもあるのさ」
リュウには信じられなかったが、店主は真っ直ぐ桜島を見て続けた。
「そんな風景を見てたら『ここで共に生きろ』と桜島に言われてるような気がする。サツマから出ていった人間にも、いつか帰って来た時には『おやっとさぁ』って言ってくれるような気さえするんだ。その姿、存在だけでありがたい…桜島はわしらサツマの人間には神様だ。いつだって、どこに居たってな」
店主はリュウに話しているのか、それとも遠くに去った誰かに話しているかのようでもあった。
「それにな、大昔に必死に気張って乗り越えた人たちのことを思ったら、人生で何があったとしても気張らんといかん!って思うよ。石が降ろうが灰が降ろうが、気張った後にはきっとまた草が生えて木になって、花も咲いて実も成るってもんだ」
黙って聞いていたリュウの方を向き、店主は微笑んで言った。
「さぁ、帰るか。今日もうまい飯を食わせてやるよ。おかわり自由でな!」
店に戻り、仕入れたものを車から運び込んでいると、ひょろっとした男が声をかけて来た。
「きばい屋のおやじさん、今日は仕入れが多かったのか?さっきも来たんだけど留守だっだな」
「おお、ヤッさんか。悪いことしたな。ちょっと寄り道してたんだ。何か急ぎの用かい?」
「おやじさんとこにリュウって人、居るか?背の低い男で…」
「リュウは俺だよ」
店から顔を出したリュウを見て、ヤッさんと呼ばれた男が首をかしげながら言った。
「あんたか。シンカイの言った通りちっこいな。本当に強いのか?」
(シンカイ?誰だそりゃ。背が低くてちっこいけど強くて悪かったな)
口の中でつぶやきながら、ヤッさんの顔を見返す。
するとリュウは、
「あっ!」
と叫んだ。
「な、なんだ?」
「どうしたんだ、リュウさん?」
「その顔、思い出したぞ!おい、てめえ!港で俺の財布盗んだだろ!」
「なに?」
「財布…あ、あの話か?まさか、ヤッさんがひったくりをやらかしたのか?」
驚く店主にヤッさんは首を振り、
「ひったくり?そんなことしてねえぞ?!」
「とぼけるな!昨日の昼に港で俺の財布を…」
「昨日の昼…港…あ!落ちてた巾着袋を拾った。財布かどうか知らんが、うん、たしかに拾った」
「落ちてた?ひったくったんじゃなかったのか?」
店主がリュウを見ると、バツが悪そうな顔をした。
「実は…船から降りた時にうっかり財布を落としちまったんだよ。しばらく経ってから財布がないのに気づいて戻ろうとしたんだが、その時誰かが、こいつだ!拾って持っていくのが見えて、叫ぼうにも腹減ってて声が出ねえし、追いかけようにもフラフラで足がもつれて…こけてる間に…」
店主にだけ聞こえる小さな声でリュウはぼそぼそとつぶやいた。
「なんでひったくりだなんてしょうもない嘘ついたんだよ」
店主もぼそっと聞き返すと、
「…だって落としたのにも気づかないで、持ってかれたなんて…カッコ悪いじゃねえか」
(そんなとこでカッコつけてどうするんだ)
呆れる店主に今度はヤッさんが弁解をはじめた。
「拾うにゃ拾ったが、中には変な絵柄の古い紙が1枚入ってただけで、袋自体も汚くてぼろぼろだったから、てっきりゴミだと思ってな、行く道の途中でゴミ箱に捨てたんだよ」
「なんだと?捨てた?!あ、あれは120年前のれっきとした金なんだぞ!今の藩札じゃなくて、国が出してた頃の記念紙幣で、その道の収集家なら高い金額で買ってもらえるはずだったんだ!お…俺の…俺の唯一の金だったのに…この野郎!」
「ひぃっ」
リュウの剣幕におびえて、ヤッさんは逃げ出そうとした。
「逃がすか!」
逃げ出そうとしたヤッさんに飛び掛かったリュウは、ヤッさんを仰向けに倒した。
「うわぁっ!」
さらにはヤッさんの右足をつかんで自分の左足に巻き付けるように曲げて回転し、ヤッさんの残った左足も持ち上げ、曲げた右足の下に重ねた。そして自分の体も仰向けに倒した。その際にヤッさんの左足を自分の腹の上に伸ばすようにして固定し、さらに自分の右ひざの裏をヤッさんの曲げた右足首に合わせるようにかけて締め上げると、たまらずヤッさんは絶叫した。
「痛い痛い痛い──っ!!!も、もう逃げない!逃げないから助け…!痛ぁ───いっ!」
リュウは財布ごと捨てられてしまった金を惜しんで、泣きべそをかきながら叫んだ。
「返せ!戻せ!俺の二千円札──っ!!!」
寝転がって足を絡ませわめき合う二人を前に、店主は止めることも助けることも忘れて、何かを考えていた。
(この技…なんて言ったかな…この足の形…足が…まるで数字のような…あ!)
「4の字固め!足4の字固めだ!」
店主は子供のような顔で嬉しそうに叫んだ。
「ヤッさん!この技は体を裏返したら、技をかけてるリュウさんのほうが痛くなるんだ!気張ってうつ伏せになれ!」
それを聞いたリュウが顔色を変えて叫んだ。
「おやじさん!余計なことを言わんでくれ!」
「ぐぅぅぅ…こ、こうか?!」
ヤッさんは必死で体を反転させた。ひょろっとしているが、意外と底力はあるらしい。
しかし、ヤッさんの口から出てきたのは苦情だった。
「き、きばい屋のおやじさん!痛いのは…変わらんぞ…っ?!」
店主は「あれ?おかしいな」と言ってから、
「思い出した!反転したら、上半身を起こすんだよ!両手を地面に突っ張って、さぁ!」
「なに?上半身を…こう、か?!うぬ─!」
「だからおやじさん!余計なことを言…痛って─っ!!!くっそ─!負けるか─!」
リュウも反転する。「ぎゃぁ─っ!」さらにヤッさんも反転。「ぐぉ─っつ!」
店の前でごろごろと転がり続ける二人に店主は、
「気張れ!リュウさん!ヤッさん!どっちも気張れ!チェスト!!」
とはしゃいで、笑顔で声援を送り続けていた。
ちなみにこの古典的な足技は「脚が短い男が得意とする技」とも言われているらしい。
(第五話に続く)
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