カワカミたちが運んで来てくれた「肥後ほまれ」の料理は、正月という事もあっておせち料理も含めた大変豪華なものであった。
シュウは寮の食堂からテーブルや椅子も運んできて、ベッドの上に居るリュウと皆が食卓を囲めるようにセッティングした。
「ほな、僭越ながら…」とシュウは言い、乾杯の音頭を取った。
「リュウ、今年初試合の勝利お見事やったね。ほんでここに居られる御一同様の新年のご多幸を祈って、せーの…乾杯!」
「カンパーイ!」
「おめでとう!」
「リュウさんお疲れ様でした!」
皆、酒やソフトドリンクなどそれぞれの杯を持って唱和し、ご馳走の取り分けにかかった。
マリエはリュウに一番近い席に座り、かいがいしくリュウの食べる分を皿に取ってやっている。
いつもならあっという間に皿を空にするはずのリュウだが、マリエを見つめることに夢中で箸がなかなか進まない。
「リュウ、大丈夫?あまり食べてないけど…やっぱり身体がきついんじゃない?」
心配するマリエに、リュウは慌てて答える。
「いや!そんなことねえよ。あまり早く食べちまうと、マリエが自分の分をゆっくり食えないかなと思って…」
「そんな心配しなくていいのに。今日、リュウはとても頑張ったんだから甘えていいのよ」
マリエは微笑んで、さらに別の取り皿に料理を盛ってリュウの前に「はい、これもどうぞ」と差し出した。
「あ…ありがとよ!どんどん食わせてもらうぜ」
言うや否や、リュウはあっという間に一枚目の皿を空にし、二枚目にも食らいついた。
「うん!うっまー!!さすがオーナーさんの店の料理はうめえな!」
「やっといつものリュウさんに戻りましたね。さあ大食い&早食い王リュウ降臨ですよ!」
カワカミがからかうと、コマチも乗った。
「じゃあ、わんこそばみたいに料理を盛ったお皿をずらっと並べておきましょうか」
「ほな僕、その皿並べるテーブルをもう一台食堂から持ってきますわ」
シュウが席を立つ振りをすると、皆が大笑いした。
その後、マリエと子供たちのふれあいコーナーが可愛かったとか、サナダとリュウの掛け合いがカンサイの古典芸・どつき漫才に見えたとか、リュウとマリエが腕に着けているアルティメットとアルテミスのことなど、酒を飲む者も飲まない者も皆楽しく盛り上がっていた。
そんな中でカワカミがマリエに尋ねた。
「マリエさんはリュウさんの試合初めて観られたんですよね。正直言って、怖くなかったですか?」
リュウも自分の闘いがマリエにどう見えたのか気になり、マリエに注目した。
「ええ、怖くなかったと言えば嘘になりますけど…」
マリエもリュウに目線を向けた。
「それよりも、あんなに蹴られたり殴られたりしてリュウは大丈夫かと…ずっと心配してました」
(俺のことを…ずっと心配してくれてたのか)
胸を締めつけられたリュウだったが、次の言葉を聞きたくて何も言わなかった。
「ゲンサイ選手も何度もダウンされたし、最後は大ケガもされて。それでも二人とも闘いを止めようとはしなかった。あの時私は【これは身体も精神も凄く強い人同士しかできない闘いなのだ】と…何だか心配すること自体が失礼なように思い直したんです。本当に崇高な試合だったと感じました」
「あ…」
リュウは言葉を詰まらせた。
恋しいマリエに心配してもらった上に称賛をも受けて、嬉しさと照れ臭さとが入り混じった感情が渦巻き、ただ頬を染めてその目を潤ませていた。
そんなリュウの心を誰よりも察するシュウは、こっそりと心話で
(よかったなぁリュウ。あんなにも頑張って闘った甲斐があったなぁ)
と伝えた。リュウもまたシュウだけに(うん…俺、すっげえ嬉しい!!)と答えた。
カワカミとコマチもリュウの表情を見て「うん、うん」とうなずいて優しく微笑んでいる。
「リュウ、ひとつ聞いてもいい?」
温かい沈黙のひと時の後、マリエがリュウに尋ねた。
「ん?なんだ?何でも聞いてくれ」
「ゲンサイ選手とリュウは、前から友達だったの?」
「前からの友達?…てわけじゃねえ。年末に試合の打ち合わせで初めて会って、今日試合前にはルール変更の話し合いをした。そんでその後すぐに試合だ。なんでだ?」
「試合後にお互いに助け合って、笑顔で笑い合ったりもしてたから、もしかして元々仲の良い友達だったのかしらって。でも、そんな仲良しの人とあんなに激しい闘いができるものなの?って…それも不思議で」
「あ、そういうことか!」
リュウは笑って納得した。
「前からの友達じゃねえけど、俺はゲンサイと初めて会った時からあいつのことを気に入ったんだ!凄く強いヤツだってのは見てすぐわかったし、その場ですぐにでも闘いたいって全身がうずいたぜ。でもゲンサイは、今日この日に俺と闘うまで楽しみに取っておきたいって言ってな。それで俺も『こいつも俺と闘るのを楽しみにしてるのか!』ってわかってすっげえ嬉しくなったんだ!」
リュウは目を輝かせて、活き活きと喋り続けた。
「だから今日の日が待ち遠しかったし、ここまで闘り合えて楽しくて嬉しくてしょうがなかった。たまたまゲンサイのケガがひどかったから試合は止められちまったけど、決着はまだついちゃいねえ。俺に言わせりゃありゃ引き分けみてぇなもんだ。お互い足が治ったら、すぐにでもまた闘いたいぐらいだ!今度は骨が飛び出そうが折れようが、どっちかが完全にくたばるまで絶対に邪魔すんな!ってジンマに言っとかねえとな!」
「……」
興奮しているリュウと、目を見開いて黙り込んでいるマリエ。シュウは(リュウ…しゃあないやっちゃなぁ)と苦笑している。
カワカミとコマチは顔を見合わせて、
「…えっと…つまり…リュウさんとゲンサイ選手はお互いに共通の価値観があって、その価値観に基づくレベルの高い闘いをした、と」
「そ、そう…ですよね。マリエさんがおっしゃった通り、アスリート同士にしかできない闘いを強固な信頼のもとに繰り広げて、その結果熱い友情も深まった、ということですよね」
ひとり暴走したリュウを、マリエのいるところまで何とか引っ張り戻そうとした。
シュウも夫婦の気遣いに報いようと、弁舌をふるうことにした。
「マリエちゃん。リュウみたいな格闘家はな、闘う時に全身全霊で闘わんと相手に失礼やと思うもんなんや。プロレスは対戦相手にケガさせたらあかんいう暗黙のルールがあるけど、リュウの飛竜十番勝負の試合はプロレスの枠に縛られん格闘技の試合ルールでやってるねん。今回ゲンサイさんが大ケガしはったんもお互い必死で闘った結果やから、もしリュウが同じようにケガしたとしてもお互いに当然の結果やと思うし、変な言い方やけど『そこまで手加減せんと攻めなあかんほど、自分は相手にとって強敵やと認めてもらってる!』て喜ぶべきことやて言えるねん」
「あぁ…皆さんのお言葉で、私もやっと理解できました」
マリエは表情をやわらげ、リュウに微笑んで言った。
「リュウはそういう間柄でいられるゲンサイ選手のことを尊敬し信頼して、そして大好きなのね」
「おう!そうだ、俺はあいつのことが大好きだ。あ、でも言っとくが恋人とかそんなんじゃねえぜ!?」
「え?」
「あははは!!」
カワカミが爆笑した。
「そうです。マリエさん、リュウさんの恋愛対象は女性だけですから。──いえね、シュウさんとリュウさんがうちの神社に住んでた頃、二人があんまり仲良しで女っ気も無いから、てっきり二人は恋仲なんじゃないかって思ってたんですよ」
「まぁ」
カワカミの言葉にマリエも笑った。コマチも続ける。
「たしかにお二人はすごく仲良しですものね。でも、恋人というよりお父さんと子供みたいな気もします」
「え、シュウが親父で俺が息子ってか?!」
「それ、僕もジンマさんに言われたわ~リュウが幽霊怖がって、夜ひとりでトイレ行かれへんから僕もついてってた時」
「シュウ!しぃっ!」
恥ずかしい話に慌てるリュウだったが、マリエは笑顔で
「リュウも幽霊怖いの?私もよ。怖い話聞くと夜眠れなくなるの」
と言ったので、リュウは喜んだ。
「そうか。マリエも幽霊怖いのか…同じ…だな…」
そこまで言うと、リュウは不意に上半身をぐらりと揺らした。
「リュウ?!」
マリエが慌てて席を立ちリュウの身体を支えようとした。
だが、か弱いマリエの身体ではそれはかなわず、リュウと共にベッドに倒れ込むような形になった。慌ててシュウも駆け寄る。
「マリエちゃん、大丈夫か?」
「は、はい。リュウは…?」
シュウがリュウの様子を見ると、すでに目を瞑り軽くいびきをかいて眠っていた。
「あ、寝てるわ。──たぶん痛み止めの薬が効いて来ていきなり寝落ちしたんやな。マリエちゃんが支えてくれへんかったら前のめりに倒れてテーブルで顔打っとったかもしれへん。助かったわ」
コマチとカワカミが笑いをこらえながら言う。
「…これって、今の今まで離乳食を元気に食べてた乳幼児が、いきなりバタッと寝落ちしちゃったみたい」
「リュウぼうやのお父さんがシュウさんで、お母さんがマリエさんってとこですかね」
シュウも声を出さずに笑いつつ、マリエに声を掛けた。
「僕がリュウを抱え上げるから、マリエちゃん起きれるか?」
しかし、マリエは自分の身体の位置を少しずらしてベッドに座り直した。
「シュウ兄さん、しばらくこのままで。リュウがもっと深く眠るまで…」
マリエは己の膝枕で眠るリュウの顔を優しい笑みで見つめながら、シュウに言った。
その様子を見てシュウも「ほな、リュウを頼むわ」と笑顔で頭を下げた。
カワカミとコマチも「じゃあ、私達は静かに片づけをしましょうか」と食器などをまとめ、シュウと共に食堂の洗い場へ運んで行った。
「僕が全部洗いますよって、どうぞお二人はもうお帰り下さい」
「シュウさん、私達も一緒に洗いますよ」
「そうですよ。皆で洗った方が早く終わりますから」
夫婦の言葉にシュウは笑顔で答えた。
「いや、早よ終わったらあかんのです。ゆっくり二人だけにしといたげんと…」
シュウの、マリエとリュウへの思いやりだった。
「あ…では、お言葉に甘えて」
夫婦も笑顔で虎拳の寮を出た。
カワカミは酒を飲んでいたがコマチは元々下戸なので、コマチが車を運転し神社へ向かった。
「リュウさんとマリエさん、いい雰囲気でしたね。マリエさんが傷だらけのリュウさんを膝枕してる姿が、なんだか磔から降ろされたキリストの遺体を抱く聖母マリアのようにも見えて…私、ちょっと感動しました」
「ピエタですか。いや…むしろ聖母子像でしょうかね。幼子リュウを慈しみの眼差しで抱く聖母マリエさん。でも、あの二人が恋人同士になるのは…ちょっと俺には想像できませんね」
「えっ?なぜですか?」
「うーん、なぜと言われても…もちろんリュウさんがマリエさんを熱愛してるのは明らかです。マリエさんもリュウさんを憎からず思っておいでというのも、今日伝わりました。でも、あの二人に共通の趣味、話題などがどれだけあるのかなって思うんですよ」
「…あぁ、私達のように、ということですね」
「そうです。ずっと二人で朝も夜もいつも楽しくいられるような…出会ったばかりの二人ですから共通体験は無くて当然ですけど。唯一の共通点である同じ会社で働いているという事も、マリエさんが自分で選んだわけじゃない。命の恩人が仕事も斡旋してくれたというだけです」
「それは…たしかに…」
「リュウさんはマリエさんへの“大好き”という気持ちを全開ですよね。彼は自分を偽ったりはできない人ですが、マリエさんの方は若いのに苦労をされてきたのか、自分の本心を出さず誰に対してもソツのない対応ができる人です。今日のサイン会でも怒鳴って文句を言った男に毅然と対応しておられた。二人は性質も対照的に思えます」
「でも、しっかり者の女性と少年っぽい男性の組み合わせって、よくあるでしょう?」
「ええ。そしていずれ女性は疲れ果てて去ってゆく。男性は懲りずに自分を甘えさせてくれる、また別の女を求めると。若い頃は皆そうでしょう」
「…恭太郎さんも、若い頃はそうでしたの?」
「えっ」
めずらしく“恭太郎”と呼ばれてカワカミは驚いた。
そしてコマチがちょっと怖い顔になっているのに気づき、酔いが一気に醒めた。
「…えっと、あれ?何の話でしたっけ…」
「その話、今夜はじっくりと聞かせてもらいましょう。ね!」
コマチはアクセルをグッと踏み込み、神社へ車を突っ走らせた。
(第八十三話へ続く)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!