「いつ、何が起こるか分からない…」
リュウは首をかしげ、真顔で言った。
「じゃあ何か起こった時は、やり返してもいいわけか?」
「──ぶっ!…くくくっ…」
サナダは噴き出し笑いをした。そして運転席のシュウに向かって呼びかけた。
「おいシュウ!お前のマブダチだけあって、リュウは面白いやつだなあ!」
「そうですねん。むっちゃおもろいやつなんですわ~」
リュウは納得がいかない顔をした。
(二人とも何が面白いんだよ。やり返すなってジンマに言われたから聞いてんのに)
サナダはにやにやしながら言った。
「そうか、リュウは潰しに来られたらこれ幸いってわけだ。たしかに舐められちゃあいかんが、かと言ってやりすぎもいかん。リュウと相手選手の喧嘩じゃなく、あくまでも団体と団体の関係があってのことだからな。一本拳じゃなく、お客にわかりやすくなおかつスマートなプロレス技で相手の上を行く必要がある」
「わかりやすく、なおかつスマートなプロレス技…」
「ま、お前さんがその頭で今考えたって、技なんか出て来ねえさ」
サナダは酒缶を取り上げ、ゴクリと飲んでから話を続けた。
「さっきの話だが、リンチに合うヤツの種類でも“一線を越えた危険な攻撃をして来るヤツ”があてはまる。プロレスラーは試合に出られなくなるようなケガをさせられたら途端におまんまの食い上げだ」
食べて空になった馬焼売の容器を逆さに振ってサナダは言った。
「虎拳はジンマのおかげでケガをして入院しても1日1万円を保障してもらえるが、ほとんどの団体にはそんな手当はない。プロレスラーは危険な商売だから普通の保険だって入れなかったり、入れたとしても掛け金がバカ高いから、試合に出られず欠場=食えなくなるってことになる」
欠場じゃなくそのままクビって話もザラにある、と親指を立てて自分の首をかき切るような仕草も見せた。
「だから危険な攻撃でケガをさせたヤツは『掟破り』の罰として、やられた選手やその仲間から仕返しされるのさ。そんな時はレフェリーも仲間の仇討ちってことで反則を取らず見逃すことが多い」
「そうなのか。俺は闘ってケガすんのは自分が弱いからだと思ってたが、この世界はそうじゃないんだな」
「ガチの喧嘩なら自業自得だが、この世界はお互いの無事とプライドを守ってこその商売だからな。自分のことしか考えず、相手のプロレスに付き合わないヤツもリンチに合いやすい」
「相手のプロレスに…付き合わない?」
「シンヤたちから教わったと思うが、プロレスは相手の技をしっかり受けて見せて、すごく効いてるって印象をお客さんに与えながら、こっちも技を出して相手にしっかり受けてもらうことで成り立つ。しかし中には自分の強さを見せたいだけで相手の技を受けないヤツがいる。そういうヤツは皆から嫌われてリンチに合ったり、試合を組んでもらえなくて干されたりする」
「へえ。そんなヤツもいるのか」
「大昔の外国人レスラーの話でな、自分の納得がいかない対戦カードやブックだとごねて、試合開始直前になってもボイコットを言い出すヤツがいた。プライドが高くて相手に合わせないファイトスタイルを貫いていたが、とうとう試合会場のシャワールームでナイフで刺されて殺されちまったんだ」
「え?それじゃ殺人事件じゃねえか」
「おうよ。刺したヤツは試合の流れをレスラーに交渉する担当だったんだが、いつもわがままを言われるんでついに堪忍袋の緒がキレちまったのかもな。周りもそいつに同情したのか、または裏の力が動いたのかはわからねえが、刺したヤツは裁判じゃ正当防衛を認められて無罪だ。死人に口なし。真相は今なお闇のなかってことだ」
「…すげえ世界だな」
「ま、この殺人事件は外国であったことだが、自分だけ良けりゃいいってえ考えのヤツはいずれ、何らかの形で制裁を受けるってことだ。リュウも対戦する相手の情報をしっかり調べて、相手の得意技や試合運びのパターンを踏まえて、相手を立てる流れをちゃんと考えたほうがいいぞ」
(めんどくせえな)
「お前、今『めんどくせえ』って思っただろ」
「え!なんでわかったんだ」
「ぶはは!顔見りゃ丸わかりだ!やっぱりお前は面白いな。ま、とりあえず次の試合はトウドウのリベンジだ。負けた恨みを今度こそ晴らすって気合で臨む流れだからな。ジンマのことだからリュウの負けはないだろうが、よくトウドウのことを光らせてやれよ」
「じゃあ聞くが、トウドウを光らせようとするには、俺はどうすりゃいいんだ?」
これまた真顔で言うリュウに、サナダは「ほぉ」と言ってから答えた。
「昨日の試合もトウドウは今までにない光を出してたがな。最初こそお前さんを光らせるために空中殺法の受けを中心にしてたが、打撃応酬じゃあ互角に見えるほど攻めの姿勢が際立ってた。だが、あいつはもともとグラウンドレスリングがうまいから、次の試合では立ち技よりもそっちでお前を攻めて来るつもりじゃねえか?」
「グラウンドレスリングってなんだ?」
「寝技だな。蹴り技とかの立ち技じゃなく、床に寝てる状態で腕や足を取り合って関節技を決めたりするやつだ。お前も昨日の試合でトウドウにわき固め仕掛けてたろ。だが甘かったな。極めないのがプロレスとは言え、もうちょっとツボを押さえて固めなきゃだめだ」
「あんたは関節技得意なんだよな。昨夜もシンヤたちをそれで大人しくさせたって聞いたが」
「俺のような地味なヤツにはそれしか生きる道がないのさ。──というのは冗談だ。関節技は深いぞ。体格も体重差も超えて勝ちに行ける」
「体格も体重差も超えて…」
リュウは生きているヤゴロウどんとの闘いを思い出していた。
巨神の右腕に腕ひしぎ十字固めを決めたが、巨神はリュウの身体をぶら下げたまま立ち上がり、腕を高く掲げて大きく振り回してリュウを柱に叩きつけた。おそらくその時にリュウの背骨は折られたのだろう。
(あの時俺がもっとしっかり極めていれば良かったのか)
「興味があるなら、第一火曜日の夕方に道場に来るといい。俺がシンヤたちに関節技を指導しているからな。とはいっても、あいつら覚えが悪いから全然上達しねえがな」
笑うサナダにリュウは「ぜひよろしく頼む」と頭を下げていた。
サナダは道場の前で自分を降ろすように言った。シュウが「ご自宅まで送りますよ」と言ったが、
「今からコレのとこに行くんだ」
と小指を立ててニヤリと笑った。
意味が分かっていないリュウの顔を見て、
「お前もオンナで寝技の修業しとけ。そうすりゃ上達するぞ」
そう言って車を降りて行った。
(大きなお世話だ)
リュウはムッとしながらもサナダに「お疲れ様でした」と頭を下げてその後姿を見送った。
オオヒト八幡神社に戻るとカワカミが嬉しそうに出迎えた。
「リュウさん、シュウさんお帰りなさい!試合ヒゴくまねっとで観ましたよ!入場曲使って下さって本当にありがとうございました!」
「こっちこそ。ご先祖さんの曲のおかげでお客が盛り上がったぜ。玉名の屋台で食いもん買ってきたから、晩飯に食おうぜ」
「わぁ!こんなにたくさん。あ♪天草大王の大手羽串揚げもある!これ美味しいんですよ」
「おやつもあるぜ。黒豆ようかんだ。旅館の茶菓子で食べたら美味かったから買ってきた」
座卓の上に食べ物を置こうとしたリュウだったが、卓上に色紙がどっさり置かれてあるのに気づいた。
「なんだこりゃ?」
「あ、それリュウさんのサインを頼まれたんですよ。ほら、神社の駐車場の動画もネットで流れてたでしょ。それを見た人たちがこの場所を特定してやって来て、色紙を置いてったんです。なんかここがリュウさんファンの聖地になりつつあるらしいです」
「え?じゃあ神社に人が押しかけて来たってことか?迷惑かけちまって悪いな」
「いえいえ、ここは神様の結界がありますので邪な人は敷地に入ろうとしても入れませんから、全然迷惑じゃないですよ」
「そうなのか。あれ、でもトウドウは入って来てたな」
「たぶんトウドウさんは純粋にリュウと闘いたかったんやろね」
シュウが言った。
「神様ヤゴロウどんは闘いが大好きやから、むしろ歓迎してトウドウさんを神様自ら招き入れたんと違うかな。そもそも僕らがここに居候してるってトウドウさんは知らんかったはずやし」
「じゃあこれからも俺と闘いたいってヤツは、ヤゴロウどんが勝手に神社に引き寄せるってことかよ?冗談じゃねえ!おちおち寝てられねえぞ」
屋台の晩餐の後、リュウは大量の色紙と早速闘っていた。シュウが筆と墨をカワカミから借りてくれたので、リュウは子供の落書きではない達筆なサインを上手に書くことが出来た。
翌日、道場に行くとジンマから次回の大会についての発表があった。
「今度の会場は元・八十姫高校の体育館なのは皆わかってるね。実はもうひとつ提案があるんだ。その体育館に隣接する校舎を虎拳プロレスの事務所と寮にするというものなんだ!」
「ええ?寮!」
「じゃあ俺たち、そこに住めるのか?」
「タダなら助かる!」
シンヤたちがざわめいた。
「知ってる人もいると思うけど、この八十姫高校は現在廃校で、敷地の半分はすでに売却されて別の施設になってる。で、残りの敷地内に夜になると不良たちが集まったり、肝試しスポットとして無断で侵入する人が後を絶たないので、周辺住民から苦情が出て困ってるそうだ。そこでプロレスラーたちが常駐することで、そうした人間の出入りを抑制したいって狙いなんだな」
(なるほど)
皆がうなずいた。
「今残ってる体育館と隣接する校舎一棟、そして運動場の部分を3年間借りて、体育館を道場兼虎拳の常設会場とし、校舎を事務所と寮として使わせてもらう」
「3年間限定か」
ケイイチのちょっとがっかりした声が挙がったが、ジンマは構わず続けた。
「今までは事務所と道場が離れてたんで何かと不便だったし、道場での試合はお客さんを精いっぱい入れても約150人だった。駐車スペースも数台しかないから遠方客も難しかっただろ。でもこの高校では運動場を駐車場に使えるから問題ないし、学校前のバス停も路線はそのまま残ってるから徒歩客にも便利だ。そして何より体育館の収容人数は1500人!今までの10倍入る!」
おお──!という声が挙がった。
「というわけで、皆に聞きたいんだ。今それぞれアパートとかに住んでると思うけど、寮費月1万円で移りたい?引っ越し費用は会社手配の業者を回すから不要だよ」
「移る!」
「もちろん!」
「喜んで!」
「リュウさんとシュウさんは今神社に居るけど、寮にも部屋を用意するからもちろん移って来てもらっていいし、道場で遅くなった時に泊まれる宿舎と考えてもらってもいいよ!」
「そうだな。ちょうど神社にヤゴロウどんが対戦相手を招き入れて困るって話になってたとこだから、そっちに移るのもいいかもだな」
「ヤゴロウどんが…招き入れる…???」
「あ、何でもないです。リュウの言うことは気にせんとって下さい」
「…?じゃあ午後に八十姫高校を見に行くんで、詳しくはまた現地で説明するね!」
「よし!練習開始するぞ」
シンヤの呼びかけにリュウとケイイチ、ユージはリングに上がり、柔軟体操を始めた。
シュウはジンマと共にチケットの販売状況や関係各所との連絡などの対応をしていたが、一段落した際に移転の話を聞いてみた。
「さっき言うてはった話ですけど、肝試しスポットていうんが僕ちょっと気になったんですわ」
「あ、バレちゃった?」
ジンマはペロッと舌を出した。
「もしかしてその高校、なんかいわくつきなんですか?」
「うん。実はね、廃校になる前にその高校でいじめを苦に自殺した女子学生がいたらしくて。死んだ場所は定かではないんだけど、その子の幽霊が学校に出る、それも体育館から隣の校舎、さらに運動場に現れるって噂があって。だから敷地も半分しか買い手がつかなかったんだ。この案件、弁護士のレンさんから最初会場としてだけ紹介されたんだけど、いっそ常設会場として使えたらって思いついてね。俺は幽霊なんて全然信じないから、破格の借り賃なんでラッキーって思ってるんだ」
ニコニコしてそう話すジンマだったが、シュウは笑顔で返しながら内心困っていた。
(幽霊が出るんか…リュウが怖がってトイレに行かれへんかもしれへんな。対戦希望者が次々引き寄せられて来る神社と、幽霊が出る学校の寮か。どっちも難しなぁ。どないしよか)
(第五十三話へ続く)
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