「生きているヤゴロウどん」との対決に先駆けて、闘技戦優勝の表彰式が行われた。
リュウに優勝杯として授与されたのは、伝統工芸品「黒薩摩」の桜島をかたどった焼き物であった。
この置物、飾るだけではなくひっくり返すと丼の器としても使えるようだ。
(この器におやじさんの大盛り丼を盛って食わせてもらおう)
サツマに来て最初に食べさせてもらった、きばいやんせの美味い名物丼を思い出して、リュウはよだれをこぼしそうになった。
続いて優勝賞金が藩札で拾萬圓(試合報酬と合わせると弐拾伍萬圓)と、副賞として枕崎の鰹を使ったなま節(生節または生利節。硬くなるまで燻製を繰り返すのではなく1回だけ燻製させる柔らかい鰹節)1年分が贈られた。
なま節1年分の写真パネルを持っての記念撮影では笑顔を求められたため、リュウは(なんで鰹?なんでなま節?)という疑問のまなざしとひきつった口の微妙な表情でカメラに収まった。
(ま、これもおやじさんに全部渡して、なんか料理作ってもらえばいいか)
表彰式も終わり、委員長のヤッさんが中央に立って宣言を行った。
「只今より、闘技戦優勝者のリュウ選手と、サツマの巨神『生きているヤゴロウどん』の決戦を行います!」
神の降臨とあって、場内は歓声ではなく慎みを持った大きな拍手のみで応えていた。
拍手が静まると、高らかに神楽の笛の音が響きわたった。
それに合わせて仮社の中央にある本殿の扉が開かれ、一人の巫女が現れた。
(おネエばあちゃんだ!)
遠目であったが、リュウはすぐにわかった。
きばい屋で会った時の質素な着物とは違って巫女の正装姿である。
白衣(小袖)に千早(上衣)下は緋袴を穿き、額には前天冠を付けて手には鉾のついた鈴を持っている。
笛の音に合わせて鈴を鳴らして舞いながら花道をやってくる。その動きは水鳥が水面を行くように優雅で、老婆の銀髪が篝火にきらきらと輝いて神々しかった。
老婆巫女は綱をくぐって床の中央に立ち、南側に安置されている一丈六尺のヤゴロウどん人形に向かって深く頭を垂れた。
そして低く太く、唸るような声を出し始めた────
「おおおおおおおおお─────」
リュウは驚いたが、オオヒトや観客も皆頭を下げているのを見て、あわてて自分も頭を下げた。
これは警蹕(けいひつ)というもので「神様が降臨する・神様が通る」ので畏まってひかえよという先払いの意味がある。
声を出すのを終えて頭を上げた老婆巫女は、両掌を上に向け、ゆっくりと何かをおし頂くかのように頭の上まで掲げた。
その姿勢のままで自分が出てきた本殿の方を向き、その手を腰の位置まで引いてから本殿に突き出すようにし、叫んだ。
「ヤゴロウどんが起きっど────!!」
その声を合図に大太鼓が鳴り響き、篝火の炎が激しく燃え上がった。再び本殿の扉が開かれ、神職たちが綱を引く台車が現れた。
思わずリュウが身を乗り出すと、その台車には巨体が横たわっていた。
手前から高下駄を履いた足、そして茶色の着物が見えてきた。顔は白い髪の毛に覆われていて見ることができないが、その状態でも非常に大柄であることがわかる。
花道の終わりまで近づくと神職たちは台車を停め、綱もおろした。そして今度は巨体の胴体に結び付けられている太い綱を皆で持ち、
「おお────!!!」
と声を合わせて引っ張った。大太鼓に加えて長胴太鼓や桶太鼓も鳴り響いた。
すると寝かされていた巨体は綱に引かれて上半身をゆっくりと起こし、次に片足ずつひざを曲げ、少しずつ少しずつ立ち上がっていった。
高下駄分を差し引いたとしても、その身長は七尺三寸はあるだろう。
屹立した巨体は神職たちが引っ張っていた綱を自ら身体から離し、柱を締めまわした綱をまたいで試合場に入って来た。
観客の拍手は太鼓と拍子を合わせ、ますます大きくなってゆく。
巨体が床の中央に立った瞬間、太鼓と拍手はぴたりと止み、老婆巫女の声が響きわたった。
「闘神ヤゴロウどん降臨!」
その声と共に、巨神は顔を覆っていた白い髪の鬘を自らの手で剥ぎ取り、客席へ投げ込んだ。
観客はこの時ばかりは「おお────!」と歓声を上げた。
現れたのは黒々とした髪を生やした白い鬼のような顔である。
ギョロリとした巨眼に太く猛々しい眉と髭。口からは牙が見えている。面であることは重々わかってはいるものの、生きているかのような迫力があった。
そしてこの生ける巨神は、まるで子供を見るようにリュウを高みから見下ろしていた。
(こいつが生きているヤゴロウどんか!)
リュウは負けじと睨み返した。
正直、恐ろしさは感じなかった。
夢で見た巨大な黒い影や、夜明け前の森に浮かび上がった一丈六尺のヤゴロウどん人形を見た時の恐怖のほうが大きかったので(ガタイはでかいが、ただの人間だ)という気持ちがあった。
着物を着こんでいるので首のわずかな部分と、手足の先の方しか実体を確認できないため(肉襦袢でも下につけて厚みを持たせているだけかも)という疑いも感じた。
(実際に身体をぶつけて確かめてみてからだな)
巨人は高下駄だけを脱ぎ、リュウと対峙した。
裸足になってもリュウとの身長差は1.7尺はあるだろう。
主審の「はじめ!」という声と同時にリュウは左へ動いた。素早く回り込んで死角から蹴りを打とうとしたのだ。
すると巨人は首だけを動かしてリュウの動きを追ったが、ひざ裏付近に打ち込まれた蹴りを避けもせず、また何のガードもせずに受けた。
(?!)
蹴りを放ったリュウの方が顔色を変えた。
そのたった一撃の感触から、この巨人の脚が非常に鍛え抜かれた強堅さを持っていることを知ったからである。
(こいつ、見掛け倒しじゃねえぞ…)
巨人は微動だにせず、リュウをやはり高みから見つめるだけだ。
リュウは思い切ってタックルを仕掛けた。しかしそれも巨人のバランスを崩すには至らず、まるで子供が父親の片足にしがみついているだけのように見えた。
次の瞬間、いきなり巨人がリュウごと片足を振り上げ、さながらブランコが空に向けて上がってまた下がるように振り降ろした。床に叩き付けられそうになったリュウは自ら手を放して床に着地しようとしたが、床に着く前に巨人の足蹴りがリュウの腹に食い込んだ!
「ぐっ!」
リュウはうつ伏せに倒れ込んだ。
その背中を巨人の足が容赦なく踏みつけてきた!
「…うぐっ…うぅっ……!」
床が大きく鳴るほどの勢いで巨人の足はリュウの背に乗せられた。
苦しむリュウを尻目に、さらに足を食い込ませるようにギリギリと動かし、その巨体の重みをかけてきた。
観客は巨人の残酷な仕業に声も出せなかった。
実はこの光景は初めてではない。
2年前闘技戦を勝ち抜いたサコウが、同様に巨人に蹴られ踏みつぶされて、あっという間に散った。
さらにその次の年は、高い身長を頼みにサコウは巨人のあごをめがけてハイキックを放ったが、巨人にその足をつかまれて逆さにぶら下げられた挙句、柱へ投げつけられて終わった。
その直後、サコウに負けて敗退した者3名が無断で巨人に挑んで来たが、虫を追い払うかのような平手打ちを喰らい、全員が一撃で沈んだ。
身の丈六尺六寸以上ある屈強な男たちでさえ瞬殺に等しかったのに、小男であるリュウの身がもつとは誰も思っていなかった。
委員長のヤッさんもさすがに「生きているヤゴロウどん」相手にはタオルを投入して試合を止めるわけにいかず、
(リュウさん、早く降参してくれ…!)
と祈るように見つめていた。
その時、巨人がびくっと身体を揺らした。
(なんだ?)
ヤッさんが目を凝らすと、巨人は一転して自分の足をリュウの背中からどけようとしているように見えた。
しかしなぜかそうはできないようだ。
巨人の着物の裾に隠れて足のあたりがよく見えなかったが、巨人が激しく身体を揺らした際に着物がめくれて、その理由が分かった!
リュウは自分の背中に片手をまわし、その手で巨人の足の親指をつかみ、しかも異常な方向へとねじ曲げていたのだ!
たまらず巨人が後ろに下がり、踏みつけていた足を振り上げたのでリュウの手も離れたが、巨人の足の親指は完全に外側を向いていた。おそらく骨折しているのであろう。
重石が取れたリュウは身体を震わせながら深呼吸をし、呼吸困難で青ざめた顔を上げた。
その顔を見たヤッさんは、背筋がゾッとした。
まなざしはあくまでも鋭く、それでいて唇は楽しそうに笑っているのだ。
普段の無邪気なリュウの笑顔とはまるで別人の、鬼気迫る笑顔であった。
そしてリュウは巨人だけに聞こえるように、小さな声でこう言った。
「掟通り、目つぶしや金的は狙わねえから安心しろ。ただしここからは───
殺るか殺られるかだ!」
(第十五話へ続く)
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