不気味な笑みを浮かべたリュウは素早く前蹴りを巨人の左ひざの皿に打った。
さらに右へまわり込み、おのれの右足で巨人のひざの後ろ斜め上を、左足でひざの皿を真っ向から打つ強烈な蹴りを連打した。
巨人はリュウに右足の親指を折られていたので、どうしても体重のかけ方が悪くなり、だんだん身体がグラついてきた。
リュウの執拗な攻撃に、ついに巨人は左ひざを曲げて上体をかがめた。そこへリュウがみぞおちを狙っての後ろ廻し蹴りを放った。
しかし、回転のため背中を向けたほんの一瞬に、巨人はリュウを両腕で抱え込み羽交い絞めにした!
(しまった!)
巨人は自分の両手をリュウの後頭部で組み、そのまま凄い力で押さえつけてきた。リュウの首が折れんばかりに前に曲げられ、しかも巨人が全体重をかけてリュウの背中にのしかかってきたので、床と巨人の間でリュウは押しつぶされそうになっている。
(これはあまりにも危険だ!リュウさんの息ができないし、首の骨も折れるぞ!)
ヤッさんが巨人側の柱下に居る老婆巫女に向けて腕でバツ印を作って合図を送るが、老婆はチラリと目をくれただけで何の反応も示さなかった。
(ネネ様!リュウさんを殺す気か?!)
ヤッさんが立ち上がって主審に「止めろ!」と叫ぼうとした時、またも巨人が身体をびくっと揺らし、リュウの身体を即座に放した。
何が起こったのかと立ち上がったまま見つめるヤッさんの耳に、リュウの声がかすかに聞こえた。
「…わかってねぇなぁ。俺の息の根を止めようとすりゃ、こうなるって事をよ」
ヤッさんがよく見ると、巨人の左手は親指を除く4本がへし折られていた!
ゾッとしてリュウの方を見直すと、荒い呼吸で声もかすれてはいるものの、その顔にはやはり鬼のような笑みが浮かんでいる。
「何度でも殺ってきやがれ。全部の骨を折ってやるぜ」
巨人に向けてそう言いながら、ゆらりと立ち上がったリュウのその姿は、ヤッさんにはまるで死神のように見えた。
「…なぁ、兄ちゃんって…あんなに怖かったか?」
きばい屋の常連たちも異様なリュウに怯えていた。
「俺もすごく怖い!殺気を感じるし、なんだか指を折るのを楽しんでるようにも見える…」
「違う人間が兄ちゃんに乗り移ってるみたいだ…も、もしかして…二重人格?」
(俺は…とんでもない人間を闘技戦に出場させてしまったのかもしれん…)
ヤッさんは立ったまま、全身を凍り付かせていた。
そんな本部席の様子などまったく気にもかけず、リュウはふたたび巨人に向かっていった。
右足、左ひざ、そして左手と次々に容赦ない攻撃を受けた巨人であったが、飛び込んで来ようとするリュウに臆することなく、右手を高々と上げてから凄い勢いで振り下ろし、リュウの頭を叩き潰そうとした。
(夢の通りになんかさせるかよ!)
リュウは身体を沈めながら両手を上げ、巨人の右腕に巻き付けた。そして両足を蹴って巨人の腕にぶら下がるようにし、反動をつけながら巨人共々倒れ込んだ。
「おおっ!!」
初めての巨人のダウンに思わず場内が沸いた!
しかも巨人の右腕には、リュウの腕ひしぎ十字固めがしっかりと決まっていた。
このまま靭帯を破壊すれば、巨人は四肢をすべてリュウに壊されることになる。
リュウは渾身の力を込めて技を極めにかかった。
しかし次の瞬間、巨人は身体を起こし、なんとリュウの身体をぶら下げたまま立ち上がった!
「なにっ!?」
リュウだけではなく、皆が信じられない思いだった。冷静なのはおそらく老婆巫女とオオヒト少年だけであったろう。
いかにリュウが男としては小柄であっても、筋肉質な身体の重さは二十一貫はある。しかし巨人は右腕をリュウごと高く掲げ、さらに勢いをつけて大きく振り、腕にしがみついているリュウの背を思い切り柱へ叩き付けた!
「ぐぉっ!」
たまらず巨人の腕を離して崩れ落ちるリュウ。巨人はリュウを引きずり上げてその胴を抱え込み、まるで丸太を持ち上げるように自分の肩の上に担ぎ上げた。
「背骨折りだ!」
ヤッさんが叫んだ。
巨体に踏みつけられ、柱にも激しく叩き付けられたリュウの背骨をさらに痛めつけようとするその攻撃に、神の無慈悲さと怖さを感じて震えがきた。
ヤッさんにとって生きているヤゴロウどんもリュウも、今はひたすら恐怖の存在となっていた。
巨人の肩に担ぎ上げられ、その両腕で締め上げられながら揺らされて、リュウは苦悶していた。
また指を折って逃れようとするも、巨人は無事な右手を親指を中にした拳で固め、その上に指が折れているはずの左手を乗せて守っていた。4本の指は異様に曲がりくねっているから手を組むことすら無理なはずなのに、巨人の両手はなぜかしっかりとホールドされていた。
とにかく背骨への負担をかけまいと両足を上げてばたつかせるリュウ。巨人も右足の親指と左ひざを壊されているのでリュウの動きにグラついてしまい、数歩後ろへ下がった。
するとリュウの足先に、柱があたる感触があった。
(これだ!)
リュウは両足を伸ばし、全力で柱を蹴った。
その勢いで鉄棒の逆上がりのように下半身を回転させ、巨人の腕をしっかりとつかんだまま重心をずらし、床に足を着地させた。
リュウの胴体を両腕で抱えていた巨人もその動きに逆らえず、自らの巨体の重さゆえに頭から床に倒れ込み、リュウの下敷きとなった!
「天地返しだ!」
観客の間から声が上がった。
「そうだ!天地返しだ!」
「天地返しをやりおった!」
かつて桜島の大噴火で麓を埋め尽くした灰を人々の力だけで取り除き、取りきれない分は土を深く掘っては灰を埋め、その上に掘り出した土をかぶせて天地をひっくり返し、田畑を必死で元に戻した。
その天地返しとリュウが巨人をひっくり返したのを重ねたのだ。
小さな人間の力が巨大なわざわいをひっくり返す。
その決して負けない心意気に皆が心打たれた。
「すごいぞリュウ!」
「巨神を持ち上げてひっくり返した!」
「あんなに小さい男がでっかい神相手に!やった!よくやったぞ!」
これまで勝ち抜いてきた闘技戦と同じように、観客が熱狂してリュウに大声援を送り出した。
しかし、リュウの下になった巨人はリュウの胴体から両腕を離さなかった。そのまま身体を横に回転させ、リュウを下に敷き再び押し潰そうとしてきた!
そうはさせじとリュウもひざを立てて抗った。すると巨人は押し潰すのを止めて、リュウの身体を持ち上げて脳天から床に叩き落そうとした。
場内に悲鳴が上がりかけたその時、リュウは自分の両足で巨人の首を挟み込んで固めた。同時に両腕を床に着いて身体を支えながら、巨人が落としにかかってきたその力を利用し、挟んだ足で頭から巨人を投げ、床に打ち付けた!
「やったぁ──!!」
「兄ちゃんすげえ!」
「勝てる!勝てるぞ!!」
常連たちもリュウに怯えていたことを忘れ、この快挙に歓喜の声をあげた。
脳天から落とされ、今度ばかりは巨人も四肢を投げ出して倒れ込んだ。その振動の大きさは、巨人の上半身が反動で自然と起き上がったほどだ。リュウはすぐさま巨人の背後にまわり、首に腕をまわして頸動脈を絞め上げる。裸絞めであった!
「!?」
しかし巨人の首は驚くほど太く、頸動脈付近の筋肉も非常に発達していた。髪と着物と面に隠されていたその首は、リュウの渾身の絞めにもびくともしなかった。
(駄目か?!)
そう思った瞬間、巨人の右手がリュウの腕をつかみ、凄い力で首から引きはがしてそのまま強烈な投げを打ってきた。その時に巨人の着物がはだけ、上半身が露わになった。
そこに現れたのは見事な筋肉であった。
この巨人が鋼のような身体を持っていることが観客の眼にもはっきりとわかり、場内には絶望の空気が満ちた。
床の上に投げ出され背中を強打したリュウは、迫ってくる巨人の姿を逆さまに眺めながら、頭ではまったく別のことを考えていた。
(おやじさんの美味い特製丼、あの優勝杯の器に大盛りにして食いたかったなぁ…最期に…)
巨人の右手がゆっくりと伸びてきて、倒れたリュウの首をわしづかみにした!
(第十六話へ続く)
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