赤く染まった目に闘志をたぎらせ、ゲンサイは勢いよくリュウに向かって来た。
リュウも右の下段蹴りで迎え撃ったが、ゲンサイは右の下段蹴りを連続で打ち、リュウの左足を崩したところで左の上段蹴りを打って来た!
(ドガッツ!)
ダウン直後とは思えないゲンサイの強烈な蹴りを頭に受け、リュウはなぎ倒されてマットに転がった。
(リュウさん!)
青ざめた顔でジンマが覗きこむと、リュウは仰向けに倒れたまま目を閉じて動かない。
「大丈夫なの?!返事して!」
小声でささやくと、うなずきが確認できたのでやむなくカウントを取り始めるが、ジンマは気が気ではない。
「リュウ!」「起きろリュウ!」「リュウ──っつ!!」
場内はリュウを心配して声援を送る声と、
「ゲンサイすげえ!」「よみがえるニホンオオカミ!」「さすが空手最強の男!」
ゲンサイの異名を叫び、称賛する声と拍手が入り乱れていた。
そのゲンサイは血走った目を倒れたリュウに向けたまま、いつでも攻撃に移れるように構えを崩さない。
(前半のダメージを考えたら、こんなハイキックが今なお打てるゲンサイって怖すぎだろ…)
シンヤは冷や汗を流し、身体を震わせてゲンサイを見つめていた。
(リュウ!大丈夫か?)
シュウが心話で声を掛けると、やっとリュウも心話で応えてきた。
(あぁ…ちょっと待ってくれ)
(どや?起きれるんか?)
(──まだ頭がぶん回されてるみてえにグルグルしてんだ。下段蹴り以上にゲンサイの上段蹴りはすげえ)
とりあえずホッとしたシュウだったが、ジンマは泣きそうな顔でカウントを7まで進めている。
リュウはなんとか目を開けて8で身体を起こし、即立ち上がってファイティングポーズを取った。しかしまだ目は虚ろである。
「うおおおお!!!」
「リュウ!がんばれー!」
「行け!勝てー!」
今度はリュウへの歓声と拍手がドッと沸き起こり、ジンマも泣き笑いのような顔で「ファイッツ!!」と試合再開を促した。
ゲンサイは突進して来るや、リュウの水月への突きを連打し、左右の下段蹴りも勢いを増して打ち込んでくる。
(シュッ!)(シュッツ!)
蹴りや突きを出すたびにゲンサイの口から洩れる小さな気合めいた吐息が、リングサイドにいるコマチとカワカミの耳に大歓声の中でも不思議とクリアーに入って来る。
まるで機関車が煙を吐きながら速度を増しているかのようだ。
「リュウさんが防戦一方です…大丈夫でしょうか」
「これは勝負の行方がわからなくなってきましたね…でも、リュウさんは背骨を折られながらも闘神ヤゴロウどんを倒した男です!きっとこのままでは終わりませんよ」
カワカミがコマチにそう答えた瞬間、リュウが“浴びせ蹴り”を出して来た!
前転しながら全体重をかかとに乗せて相手の頭を打つ、危険な蹴りである。
「おおおっつ!!」
場内が沸いたが、ゲンサイも無意識の反応で身体の向きを変えて肩でリュウのふくらはぎを受けたため、ダウンは奪えなかった。
さらにはマット着地時に半身をついたリュウの頭部めがけて、ゲンサイは中段蹴りを放ってきた!
(ドゴッツ!)
またも頭部への蹴りを受けたリュウは再びマットに沈むが、ロープ際で身体がエプロンサイドに出たためダウンカウントは取られずに済んだ。
「おい、リュウの目つきがもう普通じゃ無いぞ…」
「もう一発頭に喰らったらヤバいんじゃないか」
ケイイチとユージが心配しているが、サナダは「いいや」と否定した。
「リュウの目つきが普通じゃ無くなってるなら、これからがあいつの真骨頂だ」
「…!」
ロープ際で立ち上がろうとするリュウに「リュウ選手、OK?」とジンマが声を掛け、さらに小声でささやく。
「大学の先輩に医者が居るんだ。今日はリングドクターとして来てもらってるから、脳震盪を理由にドクターストップ負けにできる。KO負けよりもその方が印象悪くないよ。だから…」
誰よりもリュウを無敗で虎之助と闘わせたいジンマが断腸の思いで口にした言葉に、リュウは目の色を変えて言い返した。
「冗談じゃねえ!リング毒負けか何か知らねえが、負けたら勝利者賞もらえねえだろが!」
「えっ」
「いいな、絶対に試合を止めんなよ。俺がゲンサイを倒すまではな!」
そう言い捨ててリュウは立ち上がり、ゲンサイに向かって行った。
この時、シュウにも心話でリュウの声が聴こえていた。
(マリエとお揃いで腕時計もらえるってえのに、俺が負けたらゲンサイとマリエがお揃いになっちまうじゃねえか!)
(そこ?かいな…!)
リュウの本音にシュウは下を向いて笑い出してしまった。
(せやけど、マリエちゃんのためにも無事で試合終えなあかんで!)
返事の代わりとばかりに、リュウはゲンサイの右あごを目掛けて高速回転の後ろまわし蹴りを打ち込んだ!
ひざ蹴りを受けて頬が腫れあがっているために、視界がやや遮られていたゲンサイは蹴りをまともに喰らい、左へとぐらつき片ひざをついた。そこへリュウは左中段蹴りを猛スピードで、ゲンサイの側頭部へ叩き込む。
さっきまでのゲンサイの攻撃を倍返ししたかのようなリュウの反撃に、ゲンサイは3度目のダウンを喫した。
「わああっ!!!」
場内は盛り上がったが、なんとゲンサイはジンマがカウントを取る前に起き上がり、体勢を整えて構えた。
「ええ…?!」
「どうなってんだ?たしかに効いてるはずだぞ?」
「あごの次に側頭部だ。あれで即立ち上がるって、もう脳みそおかしくなってんじゃねえか?」
シンヤたちが驚愕する中、サナダは「さすがは格闘マシーンと呼ばれた男だ」と、ゲンサイの更なる異名をつぶやいた。
(戦闘ロボットがたとえ頭を吹っ飛ばされようと闘いを止めねえように、全身バラバラになるまで闘い続ける。それがゲンサイの真骨頂だ)
ゲンサイの即時復活にリュウも目を疑ったが、襲い掛かって来るゲンサイに対して自然と体が動いた。
高く跳躍してのドロップキックをゲンサイの顔面目掛けて放った!
「さ、さらに顔面への蹴りを!容赦なさすぎだ…」
「下段蹴りで脚をすくわれないように跳び上がってのドロップキック!」
「プロレスラーが空手家を、ドロップキックで吹っ飛ばしたぁ──!!!」
場内は驚嘆や歓喜の声が乱れ飛ぶが、やはりゲンサイはまたも立ち上がって来た。そして下段蹴りで間合いを詰めながら、鋭い中段前蹴りを打ち込んで来た!
しかしリュウは寸前で後ろに跳び下がってかわすや否や、上体を前に倒しゲンサイの視野から消えた。そして──
(ガッ!!)
なんとリュウは片手をマットに付き逆立ちをしながら、強烈な蹴りをゲンサイの頭頂部に打ち込んで来たのだ!
予期せぬ蹴りをまともに喰らい、ゲンサイは激しくぐらついたが、強い意志の力で踏み止まった。
しかしリュウは蹴った足を反動を使って即座に戻しながら、片手逆立ちのまま続けて角度を変えた二発目を打って来た!
(ドカッッ!!)
さすがに耐え切れず、ゲンサイは崩れ落ちた。
「ダウン!ワン…ツー…!」
ジンマのカウントが響き渡るその時、場内では歓声に紛れてこんな叫びがあちこちで上がっていた。
「今のはカポエイラ…?!」
「いや違う!あれは…コヤス・キックだ!!」
「そうだ!コヤス・キックだ!!」
それを耳にしたシンヤがサナダに問うた。
「先輩…いえ、サナダ師範、コヤスキックって、何ですか?」
「コヤスってのは昔の空手の名手で、柔道やキックボクシングでも実績を残してる凄く強い男だ。リュウと同じで背が低かったが、あの片手で逆立ちして蹴り下ろす【コヤス・キック】という必殺技を生み出したんだ」
「リュウと同じ、背が低いけど凄く強い男…」
「時代が違うからリュウがその男に教わったわけはねえし、あいつの事だから自然に身体が動いたのかも知れねえがな。奇襲にはもってこいの技だ」
空手のレジェンドの必殺技を我知らず使っていたリュウだったが、実のところはゲンサイの下段蹴りのダメージが強く残りすぎて、片足で立って放つ蹴りがきつくなっていたのである。
(これ以上の立ち技は無理かも…蹴っても力が入らねえぞ)
どうかこのままゲンサイが10カウントまで寝ててくれ…と祈ったが、無情にもまたゲンサイはカウント8で立ち上がって来た。
(ゲンサイ、お前不死身か?!)
闘いの真っ只中にも拘わらず呆れたような表情を浮かべたリュウに、ゲンサイは腫れあがった顔にほんの少しの笑みを浮かべた。
(リュウ、貴殿と闘うのが楽しすぎて如何ともし難い…この上は命尽きるまで刀を交わしたく思う)
声にこそ出さなかったが、ゲンサイの表情にはこの気持ちがあふれていた。リュウもニヤリと笑みを浮かべて返す。
(俺もだ!もう足がよく動かねえが、やっぱりお前とまだまだ闘りてえ。行くぞ!)
リュウは足の痛みを忘れたかのように素早くゲンサイに駆け寄り、下段蹴りを喰らわない間合いに持ち込んでボディへのひざ蹴りを連打した。
一方、ゲンサイも詰まった間合いながらもリュウの内股への蹴りを打ち込み、わき腹や鎖骨への正拳突きで対抗している。
ゲンサイが右の正拳突きを打ってきた瞬間、リュウは右の掌底をゲンサイの右肩に思い切り打ちこんだ。
身体が反転するほどの威力だったが、ゲンサイは反転しながら後ろまわし蹴りを打って来た!
「おおっつ!」
「危ない!」
しかしリュウは低く身体を沈めてかわし、マットを這うように高速回転しながら伸ばした足の裏側でゲンサイの軸足を刈った!
「水面蹴り!」
「後掃腿(こうそうたい)だ!」
マニアックな観客からふたつの技名が同時に叫ばれたが、どちらも同じ技を意味する。
「あのリュウって奴は、中国武術まで使えるのか…!」
2階ホールから観ているゲンサイの弟子たちはいつしか師匠への声援を送るのを忘れ、リュウの格闘家としての底知れぬ能力に圧倒されていた。
「あいつはプロレスラーじゃない。空手家…いや、総合格闘家があえてプロレスのリングに上がってるんだ…!」
(それができるのが本当に強いプロレスラーなんだってことが、自分がプロレスやるようになったらわかったんだ。ゲンサイも俺と今日、とことんやりあってくれたらきっとそれがわかると思うぜ)
試合前にリュウが言った言葉が弟子たちの脳裏によみがえっていた。
水面蹴りで足を刈られて倒れ込んだゲンサイに、ここぞとばかりに背後から寝技を仕掛けていこうとするリュウ。
だが、振り向きざまにゲンサイは右腕を斜め上に振り回してリュウの首を打って来た!
「バックブローか?!」
「いや、手刀での燕返しだ!」
首を打たれたリュウは体勢を崩したが、立ち上がろうとするゲンサイの足に低めのタックルを仕掛け、再度グラウンドに持ち込もうとする。
しかし体幹の強いゲンサイは倒れることなく踏み止まり、リュウの頭をつかんで力ずくで引き剥がそうとしながら、自らの足を後ろにずらしてゆく。
ゲンサイの足を抱え込んだリュウの両腕もだんだんとずらされてゆくが、
(引き剥がされてたまるか!)
両手の指を立てて渾身の力で喰い込ませる【ドラゴン・クロー】をゲンサイの足に突き立てた!
(ぐうぅっ!!)
ゲンサイがくぐもったうめき声を立てた。
(いけるぞ!足をえぐってでも倒してやる!)
いっそう指に力を込めるリュウ。しかし、ゲンサイはその不安定な体勢からリュウの水月にひざ蹴りを打ち込んで来た!
(が…っ!)
今度はリュウがうめき声をあげ、両手もはずれた。さらにゲンサイはリュウの首すじをつかんであごにひざ蹴りを連打する。
頭部へのダメージが強く残っているリュウは、抵抗も防御もできぬまま連打を受け、ゲンサイが手を離すと共にマットに崩れ落ちた。
「…ダウン!ワン、ツー!」
ジンマが涙を浮かべながらカウントを取る。悲痛なその声が響いたのか、リュウは身体を起こして何とか立ち上がってきた。しかし足にはもう力が入らないようで、ガクガクと小刻みに震えている。
「リュウさんの足が…あれではもう蹴りが出せないんじゃないですか?」
「さんざんゲンサイ選手の蹴りを受けたダメージにプラスして、頭部への打撃で脳を揺さぶられていますから…立っているのもやっとかもしれません」
コマチもカワカミも悲壮な表情でリュウを見守っている。
そこへさらなるゲンサイの下段蹴りが来た。ほぼ棒立ちで受けるしかないリュウ。
ついに三発目の下段蹴りでリュウは崩れ、片ひざをマットに付いた。
(リュウ、覚悟!)
ゲンサイがリュウの頭部目がけて、渾身の中段蹴りを放った!
(第八十話へ続く)
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