「ええ───!!!ほな、あの大きいお兄さんは、ほんまにやっせんぼーやったんですか?!」
「…違う違う、やっせんぼーじゃなくて、ヤゴロウどんだって」
カントクさんが奥さんに言った。
「あ。せやった!やっせんぼーやのうてヤゴロウどんやったわ!まぁええやないの、どっちも最初に『や』付いてるから一緒や!って、全然ちゃうがな!あははは!」
「…すいません。いつもこの調子でして」
ひとりでボケとツッコミをして、ひとりで笑っている奥さんを指差しながら、カントクさんは頭をかいた。
「いやいや、こっちこそいろいろと無理を言ってすまない」
朝から「ら~めん行進曲〇〇」にやって来て真実を告げたきばい屋店主は、笑いながらカントクさんに言った。
「というわけでな、行きがかり上だますようなことを言って悪かった。昨日の夜のことは誰にも言わないでもらえるとありがたいんだが」
「もちろんです。昨日は夕方には売り切れで早仕舞いしたんで、夜にお客さんはどなたも来られてません、ということで」
微笑むカントクさんに続いて、奥さんもにこにこしながら言った。
「天井にぶつかりそうな大きいお兄さんも、デコに血ぃ付けてはった食いしん坊の、強そうやけど小さいお兄さんも来はりませんでした!これでよろしいやろ」
「奥さん、そこまで具体的に言ってから“来てません”と言われてもなぁ」
「あきませんか?…あ!ほな、昨日撮った写真も消しとかなあきませんね。せやけどめっちゃええ雰囲気やったのに、消すんもったいないなぁ~」
「写真?写真があっどか?」
きばい屋店主と一緒に来ていた老婆が言った。
カントクさんたちがこの店を開く際、きばい屋店主の紹介で老婆が育てた野菜を仕入れることになって以来の付き合いであった。
「そうなんです!うちの子がお二人と一緒にご飯食べさせてもろて。ものすご優しゅうしてもろたから、そら楽しそうにしてたんですわ。せやから記念にと思って写真撮ったんですけどねぇ」
奥さんが愛用している古いデジカメを持って来て、操作しながら画像を老婆に見せた。
「ほら、これですわ…あれ?おかしなぁ、何枚も撮ったはずやのに1枚しかあらへん」
(ほう。こいは…)
「ん?大きいお兄さん…こんな頭の人やったかな?着物かて、たしか浴衣着てはった気ぃするけど…それにひとりだけ、なんや顔ブレてはるわ」
きばい屋も覗きこんだ。
「どれどれ、ん?!…おネエちゃん、こりゃどういうことだい?」
そこにはカントクさん夫婦のまな息子タケルとリュウ、そしてシュウが映っているはずだったが、シュウの居たところには振り乱した黒髪の、梅染の茶色い着物を着た巨人が居た。顔はぼやけていてはっきりわからないが、老婆の目にはヤゴロウどんの面がはっきりと見えた。
──生きているヤゴロウどんは神様なので、その姿は写真や動画には映らない──はずであったが。
周りには聞こえない声で老婆は祝詞を唱え、神様に伺いを立てた。
(神さぁ、こや何ちこっじゃんそか?)
(おネ、こん店の料理はわっぜか美味か。わしん姿皆に見せっ、そん美味さを教すっがよか)
神様ヤゴロウどんと心で対話した老婆は微笑んでうなずき、
「きばい屋よ。すまんが話が変わっ」
と、きばい屋店主に言ってからカントクさん夫妻へ向き、こう言った。
「ヤゴロウどんな、こん店の料理の美味さを皆っ教すち言ている。こん写真を飾っとよか」
「ええっ!いいのかい、おネエちゃん」
「ほな、ヤゴロウどんと食いしん坊の…えっと、リュウさん?が来て、うちのラーメンや焼き飯食べてくれはったことも、言うてもよろしの?」
「よか。そいがヤゴロウどんの望みじゃ」
「ありがとうございます!」
「おおきに!」
頭を下げるカントクさん夫婦だったが、奥さんは続けてこう言った。
「ほな早速この写真飾らしてもろて、大きいお兄さんが食べはった白みそら~めんと、リュウさんが食べはったちゃんぽんにポテトサラダと焼き飯つけてセットメニューにしますわ!名付けて『ヤゴロウどん定食』と『リュウ定食』!どないやろか?」
(…さすがナニワ育ちの女だ。商売上手だな)
感心するきばい屋店主だったが、奥さんはきばい屋店主の顔を見てニッと笑った。
「きばい屋さん、言うときますけどね、ぼったくりはしませんよ!もちろん適正利益は頂きますけど、売り上げの一部をちゃ─んと神社に納めますよってに」
と言い、老婆に向かって笑顔で捧げものをする仕草をした。
老婆も笑って、うやうやしく受け取る仕草を返した。
「昨夜、きばい屋らからお賽銭をもらい損ねたとこいじゃったどん、そいは有難か」
きばい屋店主も笑ってこう言った。
「やっぱり奥さんにはかなわんよ!今日もやられたなぁ」
「いややわぁ、きばい屋さんをやられっぱなしでは帰しませんて!」
「うん?」
「昨日のお代は多く頂きすぎましたんで、お釣りにうちのポテトサラダぎょうさん作ってタッパーにあほ程詰めときましたさかいに、持って帰って下さいね!もちろんおネエちゃんも!」
その夜、老婆が予言した通り「きばいやんせ」にはリュウ目当ての客が次々にやって来た。
部外者なのに本部席に座っていた常連たちが試合場で「あの兄ちゃんはきばい屋に居る」「常連の俺たちが応援したから優勝したんだ」など勝手なことを吹聴したため、開店前から店の前には行列が出来たほどだった。
きばい屋店主は律儀にリュウは修業の旅に出たこと、行く先も帰ってくる時期もわからないが、あいつの故郷はもうサツマだから必ず帰ってくると客たちに伝えた。
下心を持ってやってきた者たちはそれを聞くと早々に帰ったが、心底リュウに憧れている者たちはそのまま残ってきばい屋で飲食した。
闘技戦の優勝杯と賞状、副賞のなま節をもらった時の微妙な表情のリュウの写真が飾られた店内は、リュウの話で大いに盛り上がった。
リュウに憧れた者たちは常連たちに、自分がいかにリュウの強さに惚れ込んだかを、またリュウがオオヒトを守ったことについても『あれこそが漢である』と熱く語った。
常連たちは負けじと、リュウがこの店にやって来た時の様子や、シンカイに放ったひざ蹴りの見事さを話して彼らを羨ましがらせた。
「いいなぁー!リュウさんのひざ蹴りを間近で見られたなんて!」
「リュウさんが帰って来たらすぐ知らせて下さい!絶対弟子にしてもらうって決めてますから!」
きばい屋店主はそうした心根の良い者たちには、自分からも喜んでリュウの話をした。
副賞の鰹のなま節も、格闘技やスポーツをやっている者たちに
「これを食べてリュウのように強い身体になれ」
と言って惜しみなく与えた。
なま節は高タンパク・低脂質なので筋トレに励む人にとても喜ばれたのだ。
こうして数日のうちに「きばいやんせ」はリュウの信望者たちの聖地となった。
常連たちは「薩摩兵児謡」を基にしたリュウの唄を作り、日替わりで歌詞を変えては披露し合い大合唱した。
おどま薩州 薩摩の飛竜
丼飯に鶏飯を食らう
小め体で打っ蹴っ勝って
巨人も負かすい強え良か二歳よ
早よぅ薩摩ぃ戻っ来んか おいげ~来んか
「…ヤッさん、どうもイマイチだなぁ」
「ええ?そうか?リュウさんの食いしん坊なところと強いところを強調したつもりなんだが」
「だめだめ!こういう唄はな、面白いとこがないと。兄ちゃんがサコウに顔を殴られまくって、真っ赤なほっぺのおてもやんになったとこを入れたらどうだ?」
「いやぁ、それよかサコウに勝った後に、一回転して頭から地面に落ちたとこなんか、どんくさくていいんじゃないか?」
「…それ、リュウさんが帰って来て聞いたら、絶対4の字固めかけられるぞ」
ヤッさんの返しに、店内で爆笑が起きた。
息子とともに厨房でそれを聞きながら、きばい屋店主も微笑んでいた。
(リュウさん、皆あんたのことを待ってるぞ。早く帰って来いよ)
ヤゴロウどんの姿を含んだ写真を飾り、新たなセットメニュー「ヤゴロウどん定食」と「リュウ定食」を出したカントクさんの店にも、噂を聞いたリュウの信望者たちが次々にやって来て、飾られた写真を見ながら二人ゆかりの美味い定食を食べまくった。
「何かリュウさんが残していったものはないんですか?サインとか」
そう聞かれてやっと、奥さんはあの「殺し屋見参タオル」を思い出した。
「あ!そういえば、食いしん坊のお兄さんが顔の汗拭いて、血ぃも付いたタオルが…」
「えええ!!!それ、お宝ものですよ!!」
「あの、ヤゴロウどんの面をも割った、凄まじい頭突きの時の血ですよね!?」
「ど、どこにあるんですか?見せて下さい!いや、ぜひ売って下さい!」
「たしかねえ、血ぃ付いてたさかいに別にして洗おうと思って忘れてて…あ、ここにあったわ!」
と、店トイレの入り口にある手洗い場の下のバケツからタオルを取り出した。
(神様を倒したリュウさんのお宝を、トイレの前のバケツに?!)
あ然とする信望者たちだったが、奥さんのその後の発言もさらに凄かった。
「いやっ!これ臭っ!!汗と血ぃつけたまんま放っといたからめっちゃ臭いやん。これもうほかさなあかんわ。ほな、捨てますね」
「ええええ────っつ!!!!」
「ダメですダメです!!!捨てるなら僕に下さい!」
「いやいや!僕に下さい!どんなに臭くても一生大事にします!」
「僕はお金払いますよ!いくらですか?!」
狂乱する信望者たちを見て、奥さんは
「よっしゃ!ほなこれ、オークションにかけますわ!」
と叫んだ。
びっくりしたカントクさんが厨房から飛び出してきて、
「おいおい、リュウさんが使ったタオルでお金を取ろうなんて…」
と言ったが、奥さんは「ちゃうわ!あんた何考えてんねんな?」と即言い返した。
「これはリュウさんが帰って来はった時に、リュウさん立ち合いのもとでオークションをして、そのお金は全部リュウさんに渡すんや!」
「…あ、なるほど!」
カントクさんは安心した。
「それまではこのタオルも額に入れて写真の横に飾っときます。…せやけどやっぱり臭いなあ。洗おぅかな」
「ダメですダメです!!!洗ったら絶対ダメですって!!!」
奥さんと信望者たちとの応酬の後、そのタオルは脱臭剤を入れたガラスケースの中に飾られることになった。
しかし、奥さんがトイレ用の脱臭剤を入れかけたのでカントクさんがあわてて止めて、居室用の脱臭剤に取り換えられたことは信望者たちには秘密にされた。
そんな騒ぎがサツマで起こっているとは知らず、リュウとシュウのでこぼこコンビは藩境を越えた山の中を歩いていた。
リュウは野宿には慣れっこであったが、シュウも「自然の中で寝るのは気持ちええなあ」と楽しんでいた。
用意してもらった鞄の中にはおやつだけでなく、お茶と豚みそおにぎりも入れてくれていたので朝ご飯に美味しく頂き、今は老婆がくれた落花生のお菓子をそれぞれ手に持って、ポリポリ食べながらの呑気で楽しい旅路である。
「へえ、じゃあこの豆菓子は天ぷらみたいに油で揚げて作るんじゃなく、上と下から火で煎って作ってるんだな」
「せや。味付けもな、タレに漬け込むんやのうて、回転する機械の中でタレを回しかけしながら付けていくねん。コンペイトウ作る時みたいな感じやな。手間暇かかってるで」
「美味いよな~これ!甘辛くて、食いだしたら止まらねえ。しかし、サツマの菓子ってのはなんで変な名前ばっかり付けたがるんだ?」
リュウとシュウの手に握られていた菓子の袋には「珍々豆」という名称が入っていた。
菓子を見た瞬間には(また人のことちんこ扱いしやがって)と老婆を恨みかけたが、食べてみたらその美味しさにすっかりハマってしまったのである。
「まぁ、ちんこ団子はともかくとして、珍いう字はもともとめずらしいとか貴重とかいう意味やしな。優れてるとか美しいていう意味もあるねん」
「そうか、おちょくってるわけじゃなく、良い名前なのか」
「せやけど男のあそこかて、漢字で『珍宝』と書いたりするで」
「え???…これって、めずらしいものなのか?」
下を見ながら言うリュウに、シュウは笑いながら答えた。
「あそこの何を基準にめずらしいとか優れてるとか、ましてや美しいていうんかは、ようわからへんけどな」
「そんなもん誰が判定するんだよ」
「そういえば大昔、太い外郎みたいな黒い餅菓子があって、サツマでは皆『うまんまら』て普通に言うてたらしい」
「…は?なんだ?!その直球すぎる名前は!」
「そのまんまやろ。せやけど偉い人にそのお菓子を献上することになった時、さすがにこの名前はあかんやろいうことで、優雅な名前に変えたいう話もあるで」
「…サツマじゃ昔からそういう名付けが伝統なのか?大らかすぎるにも程があるだろ」
「待てぇ────!!!」
いきなり聞こえてきた男の声に、与太話をやめて二人は立ち止った。
「なんだ?」
声が下のほうから聞こえたので覗いてみると、7~8メートルくらい下にも道があり、髪の長い女が走っていた。
それを数人の男が追いかけてきているようだ。逃げている女の顔は遠目でも非常に美人とわかった。
「おいシュウ、女が複数の男に追いかけられてるってことは…助けてやらなきゃな」
「せやな。男らは卑怯な振る舞いしとる。止めなあかんな」
リュウはニヤリと笑って言った。
「これは人助けだから、場合によっては力ずくで男を止めるのも有り、だよな?」
(ひと暴れしたいんやな)
シュウは笑った。
「早よ助けに行ったり。リュウならひとっ飛びやろ」
「よっしゃあ!じゃあお先に!」
言うやいなや、リュウははるか下の道を目がけて、勢いよく飛び降りていった。
(第一章 サツマ編 了 第二章 ヒゴ編へ続く)
※次回は5月27日公開予定
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