「それで、トウドウはどうしたんだ?カントウの団体の偉いさんに『自分が勝つ試合を組んでくれ』って言ったのか?」
リュウはトウドウのグラスに酒を注ぎながら聞いた。
「いや。俺が勝つ筋の試合なんて相手がよっぽど弱いか、相手が反則した場合くらいだ。そんなもの息子に見せたって意味がない」
「相手が反則?お前が、じゃなくて?」
「ああ、俺はカントウの団体では悪役じゃなく正統派だった。今みたいに反則有りのラフファイトじゃなく基本に忠実な…アマレスに近いかな」
「あまれす?よくわからねえが、じゃあ息子さんを納得させることはできなかったって事か」
「試合で勝つ強い姿を見せるのは無理だったが…俺の生の闘う姿をよく見てもらえたら何か伝わるかもって思って、息子を連れて地方巡業にも行ったんだ。女房は反対したけど俺は強引に息子を連れてった。小学校も休ませてな」
リュウはしばらく黙り込み、グラスの酒を一気飲みしてから言った。
「…小学生の息子さんを、自分の出張に連れて行ったのか」
「ああ。普段はほとんど一緒に居られなかったから、団体に無理言って朝から晩まで連れて回ったし、寝る部屋も一緒にしてもらった。そして試合前の練習から全部、俺の姿を見せた。試合では負けてても練習じゃ俺はそうそう負けなかったから、本当の強さもわかってくれると思ったんだ」
リュウは何も言わず、空になったグラスを逆さにしたり軽く放り投げたりしながら、トウドウの言葉を聞いているようだった。
「カントウの団体じゃリング設営も基本的にリング屋がやってくれるが、俺たち選手も少しはやってたんで、息子も軽い物とか運んだり手伝ってくれてたな。今日久しぶりにリングの片づけやって、あいつも昔を思い出して懐かしがってた」
ほほえむトウドウの顔を横目で見て、リュウは自分のグラスに酒を注ぎ一気飲みをしてから言った。
「息子さんはトウドウの強さをわかってくれたのか?」
今度はトウドウが自分のグラスを一気に空けた。
「1週間くらい一緒にまわったが息子は特に何も言わなかったし、俺もあえて聞かなかった。いや、聞くのが怖かったのかもしれん…。巡業から帰って来て、女房は今までの不満もあったんだろう、離婚を言い渡されて息子と九州の実家に帰ってしまった」
「でもトウドウは奥さんと息子を追いかけて九州に来たんだろ」
「そうだ。一緒にいる時間が少なかったのがダメだったんだとその時は思って、プロレスラーを辞めて九州で何でもいい、普通の仕事に就こうと思った。それで団体に辞表を出して慌てて九州まで来たんだが、女房とは話もできなかった。連絡は弁護士を通してだけだし、息子とも会えなくなった」
リュウは少し笑いを浮かべた顔で、トウドウのグラスに酒を注いで言った。
「せっかく追いかけて来たのに無駄足かぁ。そいつは気の毒だったな。仕事のほうはどうなった?」
そんなリュウの表情には気づかず、問われるままに「仕事も駄目だった」とトウドウは答えた。
「ずっとプロレスしかしてこなかったし、九州に知り合いも居ない俺には普通の仕事のアテがあるわけない。そこへハカタの団体から悪役に転身するなら雇うって話が来たんで、受けることにした」
「おう、やっと俺の知ってる悪役トウドウの誕生か!めでたいなぁ」
リュウは茶々を入れながら、また自分のグラスに酒を注いでいた。トウドウは構わずに話を続けた。
「弁護士には離婚を受け入れる代わりに、息子に試合の時だけは会わせてほしいって頼んだ。それからは試合のチケットを送って、息子が来てくれたら試合前と試合後に話をするってだけが楽しみだったな。といっても、特別何を話すってわけでもないんだが…」
「なぁんだ。チケット売らないってジンマに怒られてたけど、毎回1枚は売ってた、いや、自分で買ってたのか。息子が着てたTシャツもお前が買って、息子にあげたのか。ちゃんとグッズも売ってるじゃねえか!上出来だ!」
「ん?…あぁ」
「んで、シュウから聞いた話じゃハカタの団体で相手の腕ぶっ壊してクビになって、虎拳でも虎之助の足壊したって?息子にいいとこ見せようと思って張り切りすぎたのか!ははは!じゃあ今日は俺もぶっ壊すつもりだったのか?上手く行かずに残念だったなあ。でもやらかしてたらまたクビだぜ?お前何回同じことやってんだ?わははは!」
(!)
ここに至って、トウドウはリュウの様子がおかしいことにやっと気づいた。
酒はそんなに飲めないと言っていたはずなのに、自分のグラスに酒をたっぷりと注ぎ一気に飲み干そうとしていたし、目は据わっているがへらへらした笑みを浮かべている。
「おい、リュウ、大丈夫か?お前そんなに酒は飲めないって…」
「うるせえな!酒でも飲まなきゃやってられるかよ。自分の働く姿見せたいからって、遠い山奥まで連れて行きやがって。あげくにほったらかして帰っちまいやがる。こっちは熊に追われて逃げ回ってたんだぞ!いいか、くまもんじゃねえぞ、でっかい人食い熊だ!ヤゴロウどんは人は食わないが、熊は人を食うんだ。冗談じゃねえ!」
「…お前、何を言ってるんだ?」
「だーかーらー!父親の背中ってやつか?それを見せたいからって無理やり子ども連れまわすなって言ってんだ!大体、子ども自身はそんなもん見たいと思うか?学校休んでまで知らねえ遠いとこに連れて行かれて喜ぶとでも思うか?てめえが何度も何度もあっちこっちの藩に自分の都合で俺を引っ張りまわすから、小学校だってまともに通えなかったじゃねえか!」
「…なに?俺が息子を連れてったのは1回だけ、1週間だけだぞ?お前、誰の話をしてるんだ?」
「誰の話って、てめえに決まってんだろうが!あんなに美味い馬刺しを3切れも床に落としやがって…いや、掛け軸に張り付いたのも入れたら4切れだな…おい!そこの膳にあるてめえの馬刺し、俺によこせ!床に落とす前に俺が全部食ってやる!」
「馬刺し?あ、これか?これが食いたいならやる。やるから馬刺し食ったら、もう部屋に帰って休んだ方がいいぞ。お前だいぶ酔ってる」
奪ったトウドウの分の馬刺しにショウガとニンニクを混ぜた醤油をぶっかけるなり、リュウはあっという間に平らげた。
「あーウマかった!おい、馬刺しだけじゃ足りねえ。そこの黒毛和牛もよこせ!」
「こら!待て、生で食うな!!これは刺身じゃなく鉄板で焼いてから食う肉だから、今焼いて…おい!生で食うなって言ってるだろ!」
「邪魔すんな!…えっと、邪魔じゃなくて…ジャーマンスープ…だったか?なんでもいい、和牛が嫌ならそっちの白身魚の黄身醤油焼きをよこせ!茶碗蒸しも食いたい!めんどくせえ、全部よこせ!」
リュウがトウドウの膳ごと料理を自分の席へ強引に持って行こうとしてきた。
「うわっ、危ない!やめろリュウ、焼けた鉄板が落ちるだろうが!」
トウドウは必死で膳を、そしてリュウをも火傷から守りながら叫んだ。
「おーい!シュウ!リュウが酔っぱらってぶっ壊れてる!なんとかしてくれ!」
「えらい迷惑かけてしもてすんませんでした。トウドウさん、料理ほとんど食べられへんかったんやないですか?」
「いや、俺はもともと酒飲む時はあまり食わないからそれはいいんだが。しかしリュウは酒癖が悪いんだな。今後は要注意だ」
布団に寝かされていびきをかいているリュウを見ながら、シュウとトウドウは呆れていた。
「僕もリュウがこないに酒飲むとこ初めて見たんでびっくりしました。こうなるんがわかってたら、席離さんと隣で見張っとくべきでしたわ」
「なんだかよくわからんこと言ってたが…でも、たしかに俺は息子の気持ちも考えずに自分のエゴだけで連れて行ってしまってたな。リュウの言う通りだ」
「え?」
「あ、いや何でもない。じゃあリュウを頼むぞ。俺はもう一回温泉に入ってから寝るよ」
「はい、お疲れ様でした。ありがとうございました」
トウドウを部屋の外まで見送ったシュウが戻ってくると、布団からリュウの姿が消えている。
「あれ?リュウどこや?」
トイレの中からうめき声が聞こえる。
「あ!吐いてるんか。大丈夫か?開けるで」
トウドウから奪った馬刺しも、それ以前にとっくに平らげていた自分の分の料理もすべて水に流してしまったリュウは、酔いはだいぶ醒めたものの抜け殻のように再び布団に横たわっていた。
「くそぉ…食ったメシ全部無駄にしちまった…もったいねえ…もういっかい食いてえなぁ」
「こんだけ悪酔いしてんのに、まだ食欲あるいうんがリュウの凄いとこやな」
シュウは笑いながら、冷蔵庫から出した冷たい水のペットボトルを渡した。
ごくごく飲んだリュウは「あー冷てえ!」と叫んだ。
「でもすっきりして気持ちがいいな。──俺、なんであんなに飲んじまったんだろ?」
「まだ食べる前にみんなが来てどっと飲まされてたもんな。今度から先に何か食べてから飲み始めた方がええと思うで」
「部屋に置いてあった黒豆ようかんは来てすぐ食べたんだけどな。あれ美味かったな~。カワカミさんへの土産に買って帰ろうぜ」
「せやね。明日はチェックアウトしたら解散やから、僕らは玉名の大俵祭り観てからゆっくり帰ろか」
「おう。屋台で食いたいものいっぱいあるから楽しみだな」
シュウも隣の布団の上に座った。
「──あ、トウドウさんがな、さっきこない言うてたで。『たしかに俺は息子の気持ちも考えずに自分のエゴだけで連れて行ってしまってたな。リュウの言う通りだ』なんか、息子さんの話してたん?」
「うーん…そういやそんな話したかも…ああ、トウドウが自分の息子が小学生の時に、地方巡業に学校休ませてまで強引に連れてったって話だったな、たしか。俺、何か言ったのかな。よく覚えてねえけど」
「そん時なんかどうかわからへんけど、リュウの声で『自分の働く姿見せたいからって、遠い山奥まで連れて行きやがって』て言うてるんはちょっとだけ聞えてたわ。僕もOBのユキナガさんと話してたから、全部はわからへんけど」
「…あぁ。じゃあたぶん、俺は自分の父親のこと思い出して文句言ってたのかも。トウドウに悪いことしたな。明日謝らなきゃな」
(謝るんやったら、トウドウさんの馬刺し食べてしもたこともやな)
シュウはくすっと笑いながら、
「リュウのお父さんも、自分の働く姿を見せたくてリュウを連れてったんか」
と聞くともなしに言った。
「ああ。俺の父親は『空師』って呼ばれる、高い木に登って伐採する特殊な仕事人でな」
まだ酔いが残っているせいなのか、珍しくリュウは自分の父について話し出した。
「普通じゃ伐ることができない、難しい場所の木も上手く伐るんで、あっちこっちの藩からお呼びがかかってた。由緒ある古い神社の森の木なんかもよく伐ってたな。でもそういう出張の度に俺を連れて行くんで、嫌で嫌で仕方がなかった」
寝返りを打って、リュウは続けた。
「旅行じゃなくて仕事だから、俺の相手なんか全然してくれないし、険しい山にもどんどん入って登ってくからすぐ置いてけぼりだ。複数でやる仕事の時はまだ誰かが俺に配慮してくれたりするけど、単独の仕事だと完全に放置だ。さっさと自分だけ山降りて宿に帰っちまいやがって、残された俺は熊と遭遇したこともある」
「え?熊に!?」
「ああ、くまもんじゃねえ、本物の野生の熊だ」
リュウも起き上がり、シュウと背中合わせの形で座った。リュウは甘えるようにシュウの背中にもたれて来る。
「熊に襲われた時は必死で逃げて、崖から飛び降りたからなんとか助かった。よく無事だったなと今でも信じられねえくらいだぜ」
「…大変な経験してきたんやな」
(リュウの身体能力の高さはもしかしたら、過酷な環境でやむなく身に着いたもんやったんかもな…)
「──なぁシュウ。サツマを出た夜も、山の中で二人でこうやって背中温めあって寝たなぁ」
「せやったな。旅に出てからまだひと月も経ってへんのに、懐かし気ぃするな」
「父親との旅なんて嫌なことばっかりで、楽しい思い出なんかひとつもなかった。それに父親に振り回されたせいで、学校の修学旅行とか遠足なんかも全然行けなかった」
(そうやったんか…)
「でも、シュウが『一緒に旅しよう』って誘ってくれたおかげで、サツマからヒゴまで楽しい旅が出来た。いろんな話をしながら、景色を楽しんで美味いもん食って。『旅ってこんなに楽しいもんだったのか』って思った…本当にありがとうな」
(第五十話へ続く)
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