オオヒト八幡神社の裏にある森には桧や杉の木が生えており、神社の修繕や建て替えの際にはこの森で育った木が主に使われている。
今回は建物に影響を及ぼしそうな部分や、強風などによって折れかけている枝などの危険な部位の剪定が中心となったが、リュウは嬉々として木のかなり高所まで軽やかに登っては、鋸や小型の斧で枝を次々に落としていった。
「命綱も付けんとあんな高いとこまでよう登れるなあ。しかも片手で刃物持ってやで。リュウはほんま凄いなぁ」
下から見上げながら感嘆の声を上げるシュウに、カワカミもうなずき、
「あれはどう見ても素人技じゃないですね。木から木に飛び移ったりもしてますし。リュウさんは以前、特殊な林業に携わっておられたんじゃないでしょうかね」
と、落ちて来た枝を集めながら言った。
(たしか闘技戦の後に話した時、リュウは前に番人をしてた、て言うてたな…もしかしたら山で木を守ってたんかな。こないだも山火事になったらどないする!てナイフ持ってた子らにむっちゃ怒ってたし)
「カワカミさーん!あとは気になるとこはねえか?」
リュウが木の上から叫ぶと「大丈夫です!ありがとうございます。助かりました!」とカワカミが答えた。
降りる時はさすがにゆっくりと慎重に降りてきたが、それでもシュウやカワカミからすれば驚くほどの速さでリュウは地上に降り立った。
「飛び降りた方が楽だが斧や鋸持ってるからな。万が一失敗したら、シュウたちにケガさせちまう」
そう言って笑うリュウに「かかと落としならぬ、斧落としは勘弁してや」とシュウも笑った。
「樵の『あんどれ』の出る幕無かったなぁ。いやぁお見事やったわ。リュウだけに働かせてごめんな」
「ここの木の種類は春の時期に大掛かりな剪定がいるから、そん時ゃシュウにがんばってもらうからよろしくな」
(やっぱり木のこと詳しいなぁ。本人が言いたがらへんのやったら聞かん方がええんやろけど)
シュウはそう思いながら、リュウが落としたたくさんの枝を両腕に抱えて、リュウと共に神社へ戻っていった。
その翌朝。またもジンマがリュウの「お迎え」に神社までやって来た。
「契約書作成までの間、リュウさんに少しでもプロレスになじんでもらおうと思うんで、うちの道場に来てくれないか?」
「それはいいけど…ジンマお前、ちゃんと寝てるか?虎之助が心配してたぞ」
リュウの言葉にジンマは目をきらきらさせながら答えた。
「嬉しくって寝られないんだよ!頭の中はリュウさんをどうプロデュースするかってことで一杯でさ、昨夜もコスチュームについてあれこれ考えてて、気が付けばもう朝だった」
「またそんなこと言って…お前ほら、心臓が悪いんだろ?休む時はしっかり休まないと身体によくねえぞ」
「あ、虎之助から聞いちゃった?でも、好きなことを我慢する方がストレスたまって身体に悪いよ!大丈夫大丈夫♪」
倉庫のような建物の前でジンマは車を止めた。
「さぁ、着いた。ここがうちの道場だ。選手にも紹介するよ!」
建物には大きなシャッターが前面にあり、下から約1mくらい開けてあった。
その間をくぐって中に入ると、中心にリングがあり、その上で3人の選手がストレッチなどをしていた。
「みんな、おはよう!新しい仲間を紹介するよ!サツマの闘技戦で優勝した、例のリュウさんだ!」
ジンマの呼びかけに、3人の選手は即立ち上がってロープ越しにリュウを見た。
「サツマから来た飛成竜だ」
3人に向かってリュウは名を名乗った。
「ジンマ…さん、の世話で虎拳プロレスのリングに上がらせてもらうことになった。だが、俺はプロレスにはど素人だ。申し訳ないがいろいろと教えてくれないか。どうかよろしく頼む」
そう言ってリュウは頭を下げた。
(俺、失礼なことは言ってねえかな?)
選手たちの反応が気になったが、
「おお!あんたがリュウか!噂通りの男前だな」
中堅クラスの試合映像で見た、太めの男がそう言ったのを皮切りに、
「ジンマからさんざん話を聞かされて、楽しみにしてたんだよ」
「虎之助の短パンがロッカーにあるから、よかったらそれに着替えてこいよ。一緒に練習しようぜ」
と、前座クラスで尻の出し合いをしていた二人も、笑顔で声を掛けてくれた。
ホッとするリュウを、ジンマはにこにこしながらロッカールームへと案内した。
虎之助の練習着を借りてリングに上がったリュウは皆と共にストレッチやスクワットで体をほぐしてから、プロレスの基本中の基本であるバンプ(受け身)の指導を受けることになった。
「あんたも格闘技やってるんだから受け身はわかってるだろうが、プロレスの受け身はちょっと違うんだ」
中堅レスラーの太めの男「シンヤ」が主に指導、説明をしてくれた。
「相手の技をしっかり受けて見せて、すごく効いてるって印象をお客さんに与えながらも、うまくダメージを避けなきゃいけないんだ」
前座レスラーの「ケイイチ」と「ユージ」のふたりが見本を見せてくれることになった。
「倒れ方だが、あごを引いて後頭部や首を守るのは共通だ。コツは背中から尻がマットに広くつくように倒れて、大きな音を立てることだ。普通の受け身のように手や足を床につけて音を出してもいいが、大事なのは背中と同時に音を出すことだ。バタバタと音がずれちゃいかん」
早速ケイイチが腕を相手の胸元から首あたりに打ち付ける技・ラリアットを打って、ユージがそれを受けて派手な音を立てながらマットに倒れて見せてくれた。
(背中を広くつけて、大きな音を立てる、か)
ストリートファイトが多かったリュウは、地面には肩など極力狭い面積で触れ、回転しながら衝撃を逃がしつつ、なおかつすぐに立ち上がれるような受け身を主に取っていたので、プロレスの受け身の仕方に正直驚いていた。
とりあえずケイイチにラリアットを打ってもらい、リュウも倒れて受け身を取ってみると、バーン!と大きな音が響いた。
「おお、なかなかいいぞ!音がひとつになってる。ただ、技を受けるより前に倒れに行ってるから、ちゃんと受けてからやってみな。受ける時は身体にグッと力を入れろよ」
(いけねえ。受けて見せなきゃいけなかったのに)
今度はちゃんと腕が当たってから受け身が取れた。
ケイイチとユージが交代でラリアット以外の技やドロップキックなども次々仕掛けてくれたが「加減せずにいくぞ」と言われても、リュウからするとスピードが遅めなのでタイミングを計るのが逆に難しかった。
昼になる頃には、なんとか受けのタイミングをある程度つかむことが出来たが、相手が変われば当然タイミングも変わるので
(相手に合わせるってのはなかなか大変だ…とにかく経験がたくさん必要だな)
とリュウはため息をついていた。
昼食はみんなで即席ラーメンと白飯を食べて済ませ、午後からもシンヤの指導によるリュウのプロレス修業は続いた。
「よし、じゃあ今度はコーナーポストからのボディプレスを受けてみろ」
(コーナーポストからの…ボディプレス…あ、あの床の真ん中で寝て、飛んでくるのを待つやつか)
パソコンの映像で見て物言いをつけた時のことを思い出し、真ん中で寝ながらコーナーに上がるユージを見た。
「おいおいリュウ!そんな呑気に待つなよ」
(え?あ、起き上がって登ってるやつのとこに攻めに行くんだったっけ?)
あわてて起き上がってコーナーに行こうとすると「違う!そうじゃない」と止められた。
「そこに倒れてるってことは、その前に攻撃されてダメージ受けてるんだ。そんな『まーだかな~』みたいな呑気な顔して待つなって言ってんだ」
「ま─だかな~、って!」
「ぶはは!」
シンヤの言葉にユージとケイイチもつい笑い出した。
(そうなのか?いけねえ。ダメージ受けて倒れてる、か)
リュウはまた真ん中に戻って倒れ込んで、苦しそうに身体を横によじってみた。
「こらこら、ちゃんと仰向けの姿勢でいないと相手が飛んでこれないだろ。それじゃ腹を壊して寝こんでるみたいだぞ?」
「わははははは!!!」
ユージとケイイチがこらえきれず、爆笑した。
(え、そうか。難しいなぁ~)
「相手の身体が落ちてくる寸前に、ちょっと肩甲骨あたりから上と、足を浮かせて受け止めるようにするんだ。結構な衝撃だからこの時も身体にグッと力入れるんだぞ」
リュウは言われた通り、仰向けの身体にグッと力を入れて息を止めていたが、ユージがコーナーポストに登ろうとして足を滑らしたため、タイミングがずれた。
つい息を吐いて力を抜いてしまった時にユージが飛んで落ちて来たので、その初めての衝撃にさすがのリュウも(ぐえっ!)となってしまった。
その後も様々な技に対するバンプを繰り返し、大体タイミングが合うようにはなってきた。
「じゃあ次はリュウが攻めてみるか。ただし、いわゆる急所は攻めちゃダメだ。目と金的はもちろん、顔面と首や関節の筋肉の無いところは打撃技を入れないようにな。拳骨でのパンチもアウトだ。肘打ちは禁止だが、関節の骨部分じゃなく腕の内側や外側の筋肉のある部分を当てるのはOKだ。蹴りはかかとは危険だから、足の裏を当てるように。ひざ蹴りもまともに入れちゃダメだぞ。それからドロップキックは胸板に当てること。さあ、やってみろ」
(…そんなにいっぱい言われても。全然覚えられねえぞ)
リュウの不安をよそに、ケイイチがスパーリングパートナーを買って出て「遠慮なく来いよ!」と言ってくれたが、ものの1分もしないうちに
「ぎゃっ!!」
という声が上がった。
「あ!すまねえ!」
リュウの鋭角に落とすローキックがケイイチのひざの横、筋肉が薄い箇所にヒットしたのだ。
「ごめんな。つい普通にやっちまった…」
「いや、俺もちゃんとよけなかったから…」
痛む足をさすりながらケイイチはそう言ってくれたが、プロのキックボクサーのサコウでさえよけられなかったリュウの蹴りを、そうそうよけられるはずがない。
今度はユージが交代して相手をしてくれたが、またも2分もしないうちにリュウの後ろまわし蹴りがみぞおちにヒットした。
「ぐおっ!!」
「あ!すまねえ!…かかとからめり込ませちまった…ほんとにごめんな…」
「…ひ、ひえ、らいじょう…ぶ…」
息も絶え絶えのユージを見かねてシンヤが代わってくれたが、やはり3分もしないうちに
「ひぃっ!」
と怯えた声を上げて硬直した。
リュウの必殺技・かかと落としを脳天に喰らわされそうになったのである。
今回はリュウが(いけねえ!)と寸止めしたが、シンヤの顔は真っ青であった。
「申し訳ねえ…」
「い、いや…人間凶器だな、あんた」
(やっぱり俺にはプロレスは無理なのかな…)
がっくりと肩を落としたリュウであったが、シンヤは「リュウ、そう落ち込むなよ。プロレス習い始めてまだ数時間じゃないか」と言ってくれた。
「そうだよ。数時間でかかと落とし寸止めができたんだ。フルコン空手の人が寸止めやるのはかえって難しいって言うぜ」
「やっぱりリュウはすごいよ!」
ケイイチとユージの言葉にも慰めてもらいながら、なんとかその日は夕方で練習を終えた。身体の疲れよりも気疲れがこたえていたリュウであった。
道場でシャワーを浴び、借りた虎之助の練習着を手洗いして干してからリュウは道場を出た。
(あれ?)
駐車場に居たのは迎えに来てくれるはずのジンマではなく、弁護士のレンだった。
今日はスーツではなく、山で会った時のような女性的な服装で顔周りの髪もおろしていた。
「お疲れ様。プロレスラーとしての修業は順調か?」
「いやぁ、全然うまくできねえ。プロレスって頭使う難しいもんなんだな。喧嘩する方がずっと楽だぜ」
レンは軽く笑った。
「ジンマ氏から伝言だ。神社まで送るつもりだったが、急な打ち合わせが入ったそうだ。代わりに私が車で送ろう。これも預かっている」
そう言ってレンは弁当の包みらしいものを差し出した。3人分はある。美味しそうな肉の匂いがした。
「おっ!美味そうな匂いだな!!」
練習の気疲れも忘れたような、嬉しそうな笑顔になるリュウ。
「ヒゴ名物のあか牛の牛飯弁当だ。ジンマ氏からの差し入れで『晩飯にどうぞ』との事だ。シュウさんと禰宜さんの分もある」
「ありがてえなぁ~!じゃあ言葉に甘えて、神社まで送ってもらおう。弁護士の仕事忙しいだろうに、悪いな」
リュウは弁当を抱えて助手席に乗り込んだ。
「実はこの送迎も弁護士の仕事のついでだ」
「へ?」
「君に聞きたいことがある。契約書作成に必要なことなので答えてもらいたい。私は運転しながら質問するが、会話はすべて録音しているから気にせず答えてほしい」
レンはそう言って車を発進させた。
「いいぜ。何でも聞いてくれ」
「じゃあまずこれから。───飛成竜。
君の本来の名前は…
〇〇〇〇〇〇〇〇で間違いないか?」
リュウは顔色を変えた。
ゆっくりと運転席のレンの方を向き、絞り出すような声で言った。
「…てめえ、なぜその名を知っている?」
レンを睨むリュウのその目には、殺気がにじみ出ていた。
(第三十八話へ続く)
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