海に突き出た人工島にある芝生広場には 、約二十三尺四方の試合場が設置されている。床の高さは約三尺で、四方には柱が立てられ1本の綱が張りめぐらされている。
柱にはそれぞれ上方に方角を表す色の布が結び付けられ、北の黒から始まり、東は青、南は赤、西は白である。試合場の床の色は黄土色なので、陰陽五行思想に基づいて作られていることがわかる。
東と西の柱には床と同じ高さに縁側のような部分があり、そのふたつはそのまま北の柱へ伸びて合流し、一本の花道となって北側の奥にある仮社の中央へと続く。仮社の前には鳥居があって、闘技戦出場者は鳥居をくぐって試合場へ向かうという流れだ。
仮社の造りは中央に本殿があり、その両翼にそれぞれ4部屋ずつ、合計8部屋の控室が用意されている。
リュウの控室は西側の一番端だった。その控室へオオヒト少年が屋台で買ってきた食べ物を持って入っていった。
「おお、待ってたぜ~!なになに?甘い匂いがするな。ん!あったかいじゃねえか~」
リュウは渡された包みの香りをくんくんと嗅いで、待ちきれないとばかりに乱暴に包装を開いた。
「これは…?みたらし団子なのか?それにしちゃ大きくて平べったいな」
「ぢゃんぼ餅です。サツマに伝わる郷土菓子のひとつです」
「じゃんぼ?でかいって意味のジャンボか?」
「『し』に点々ではなく、『ち』に点々のぢゃんぼです。餅に串が二本ささっていますでしょう。これは武士が大小二本の刀、両棒をさしていたのになぞらえています。中国の発音で両棒をりゃんばんといい、サツマの訛りでぢゃんぼとなり、ぢゃんぼ餅と言われるようになったと伝えられています」
少年の説明を聞いているのかいないのか、リュウは口の周りと手を甘い醤油たれでべとべとにしながら、ぢゃんぼ餅をあっという間に平らげた。
「うん、甘くてうまかった──!でもまだ、なんか食いたいなあ」
手についた甘いたれをべろべろとなめながら言うリュウに「そうおっしゃると思って…」と少年がもう一つ包みを差し出した。
「これは、ネネ様から貴方への差し入れです」
「なに!おネエばぁ…いや、その、おネ…さぁ、から?」
驚きながらも香ばしい香りにひかれて、リュウはまたも乱暴に包みを開けた。
出てきたのは小ぶりの団子が4個ささった串団子で、焦がし醤油のいい匂いがいっそう強まった。即、リュウの口が団子を覆った。
「…ん!これもうめえ!団子がもっちもちで、醤油の甘辛さが、さっきのぢゃんぼ餅とはまた違ってていいなあ~!で、この団子は何て名前なんだ?」
「これも郷土菓子で、ちんこ団子です」
リュウは思わず、“ぶっ”と口から団子の破片を噴き出した。
「ち…ちん…なんだって?!」
「ちんこ、だんご、です」
(…なんてえ名前をつけるんだ…しかもそれを俺に、男に食わせるか?)
少年は相変わらずの澄まし顔で、しかしほんの少し笑いを浮かべて、こう続けた。
「サツマでは小さいことを、ちんこか、ちんこべ、ちんこい、などと言います。小さい団子だからちんこ団子。何もおかしなことはありませんよ」
それを聞いてリュウは思い出した。老婆巫女がリュウのことを
「こん『ちんこびっ』は何もんじゃ?」
と店主に問うていたのを。
(おネエばあちゃんめ!ひとのことを方言にかこつけて、ちんこちんこ言いやがって──!)
心の中で老婆巫女を罵りながらも、しっかりとちんこ団子も平らげたリュウであった。
夕刻になり、ヤゴロウどんの人形を乗せた台車が巡行を終え、闘技戦会場にやってきた。太鼓に先導され、子供たちや若者に曳かれて試合場の南側に固定された。一丈六尺のヤゴロウどんに見下ろされながら、参加者は闘うのである。
陽が沈むのに合わせて篝火が焚かれ、四角い試合場と仮社に続く花道が浮かび上がった。屋台や祭りの出し物を楽しみんでいた観客たちが座席に陣取り、今か今かと待っている。
神社で奉納太鼓を打った若者たちが、いっそう勇壮さを増した陣太鼓でもって、つわもの者たちの闘志を燃え立たせてゆく。
太鼓の響きが最高潮となるなか、闘技戦の委員長であるヤッさんが試合場の真ん中に立ち、礼をすると同時に太鼓が止んだ。
「これよりヤゴロウどん祭り闘技戦を開催します!」
ヤッさんの宣言に「おぉ──っ!」というどよめきと、大きな拍手が起こった。
「出番です!」
オオヒト少年に促され、リュウは控室を出て本殿前の鳥居の位置に移動した。
その姿は上半身は裸形、ヤッさんが心を込めて柔らかく仕上げさせた下衣を穿き、脚は裸足であった。
「第一試合、西ぃ──、シンカイ・ギョウの代理ぃ───リュ~~ウ───!!!」
呼び上げられて花道を試合場へ向かうリュウ。盛大な拍手や応援の掛け声が掛かれば様になるのだが、観客席は「誰だ?」とざわざわするだけで、どこからもそういった反応は挙がらなかった。
リュウ自身が無名であるのは仕方ないが、シンカイ・ギョウ自体も今まで出場経験がなく、つわものとして巷で噂にもなっていなかった。祭りの1週間前にサツマ北方からやってきて、きばい屋に居座っただけの無名の男だったのである。
ヤッさんの計らい?は見事にすべった。
結果、リュウに対してかかったのは「小さいぞ」「大丈夫か」「かわいそうに」などの心配と憐みの声ばかりだった。
花道から西の白い布が結ばれた柱の下に行くまでの間、リュウはきばい屋の店主の言葉を思い出して自己暗示をかけていた。
(あんたのことを 『ちっこいのに凄い』と言ったけどな、ありゃあ馬鹿になんてしてないよ。ほんとに凄いと思って褒めてるんだ)
(ちっさいのにどえらく強い、あんたのことをわしだけじゃなく、みんなが本当に凄いと思った)
「そうだ、俺はどえらく強いんだ。ほんとに凄いんだ。『小さいぞ』というのは誉め言葉なんだ。『大丈夫か』も『かわいそうに』も褒め言葉なんだ、絶対そうだ」
ぶつぶつとつぶやきながら歩くリュウに、だみ声の叫びが飛んで来た。
「そこのチビ!何秒間立ってられるんだ?十秒もったら拾圓やるぜ──!!」
(これも褒め言葉…じゃ、ねえだろ!)
むっとしたリュウが立ち止まって声の方を見ると、なんと声の主はあごを中心に顔を腫れ上がらせたシンカイだった。
(なんだ、大声出せるほど元気じゃねえか。よかったな深海魚)
ケガをさせてしまったことにリュウは少し良心の呵責を感じていたのだが、変なところで心が楽になった。
一方、シンカイはリュウに蹴られて脳震盪を起こしたため、1週間は安静にしなければならず、闘技戦に出たいのに出られないという強いストレスを感じていた。嫌がらせで代理指名したとはいえ、自分の代わりに試合に出るリュウの姿に全身の血が逆流しそうだった。
(絶対に許さん。あのチビ)
そう思っているシンカイの周りにいる仲間も「嚙ませ犬、ご苦労さん!」「震えてんじゃねえのか?小便漏らすぞ」「子供の出る幕じゃねえ!早く家帰って寝ろ!」などと罵声を浴びせてきた。
リュウはその仲間の顔を眺めて(深海魚の友達か。こっちはカバ、あっちはカエル、こいつは…ヒラメだな)と、また失礼な見立てをしていたので、審判に呼ばれるまで対戦相手がすでに床に入ってきていることに気が付かなかった。あわてて綱をくぐって床の上に立った。
(リュウさん、大丈夫かな)
ヤッさんは委員長として本部席に座りながら、シンカイたちとリュウの様子にハラハラしていた。また、これから始まる闘いも気がかりで仕方がなかった。
リュウは呼び上げすら聞いていなかったが、学生相撲で名を上げている相手の背丈は六尺六寸、体重は四十貫。あんこ型ではなくそっぷ型の筋肉質で、どんな格闘技でも通用しそうだ。相撲取りらしく、廻しを締めての出場である。
(力士は瞬発力がすごいから、リュウさんはいきなりはね飛ばされてしまうんじゃないか…)
四股を踏んでから中央に進んできた相手は、正面、主審、そして互いへの礼の後、力士らしく蹲踞の姿勢を取った。
すると驚いたことに、リュウもややひざをかがめて、相手と目線を合わせたのだ。
ヤッさんは真っ青になった。
(相手に合わせるな!あんたは空手得意なんだから立ったままのほうが…!)
その瞬間、相手が床に両手をつき、同時に主審の「はじめ!」の声が響いた。
(ああっ)
とても見ていられず、思わず目を瞑ってしまったヤッさんの耳に「ゴッ!!」という鈍い音が聞こえた。
(リュウさん───!!)
目を開けると、ズゥンという音を立てて、廻しを付けた大男が床に沈んだところだった。
「え?」
顔を上げると、リュウが涼しい顔で立っていた。ヤッさんの視線に気づくと「ニッ」と笑った。
「リ、リュウさんがやったのか?!一瞬じゃないか。いったい何をしたんだ?例のひざ蹴りか?」
試合中に答えるわけにもいかず、リュウは苦笑しながら自分の陣地へ戻っていった。
場内の観客もヤッさんと同様に信じられない様子で、最初は静まり返っていたが、その後「見たか?」「すげえ!」「なんだ?」といったざわめきが、寄せてくる波のように次第に大きくなっていった。
廻しの大男はピクリとも動かなかったので、10カウントを待たずに主審によってノックアウトが宣告された。
「勝者、西のリュウ!かかと落とし──!」
主審の声が響き、リュウの手が高々と差し上げられた。試合開始後わずかに数秒で相手を倒したのだ。
学生力士は5人がかりで担架に乗せられ、はみ出た身体が落ちないよう支えられながら退場する羽目になった。
場内の大型ビジョンには終わったばかりの試合の模様が映し出された。
ヤッさんが見逃したその場面には、学生力士が立ち上がる寸前に、高く跳躍するリュウが映っていた。
(ひざをかがめたのは跳ぶ準備だったのか)
その跳躍とともに、リュウは左足を右前方から弧を描くように素早く上げ、まさに突進しようとする力士の頭をめがけ、かかとから落としていった。
ヤッさんが聞いた「ゴッ!!」という鈍い音は、かかとが力士の脳天を直撃した打撃音だったのだ。
「すごい!一撃必殺だ!」
「あんなにでかくて強そうな力士を」
「一の太刀を疑わず、まるで示現流のようだ」
「小さい男、大した奴じゃないか!」
登場時とは打って変わった万雷の拍手と歓声を受けて、花道を引き揚げるリュウ。
途中、シンカイを見つけたリュウは、声には出さず口だけを動かしてこう言った。
(そこのゆで蛸!どうだ、見たか?!さあ拾圓よこせ!)
リュウの顔つきに怒りをつのらせたシンカイは、いっそう顔が赤くなった。
もう一丁何か言ってやろうかと思ったが、
「早く戻って下さい!」
と、オオヒト少年に叱られたので、リュウはやむなく急ぎ足、ではなくスキップをして控室に戻って行った。
(第九話へ続く)
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