「そうそう!きれいなブリッジだ!つま先の角度もいい!」
シンヤが感嘆の声を上げていた。
「リュウはスピードがあるから、反り投げ時の見栄えが特にいいな!」
リング上にはユージにジャーマンスープレックスホールドを決めているリュウの姿があった。
「古典的だけど、やっぱりフィニッシュホールドはこれがいいよな」
ケイイチもジンマの顔を見ながら言った。それを受けてジンマも、
「竜の名にちなんでドラゴンスープレックスも考えたけど、身長差があるとフルネルソンのバランスが良くない。でもジャーマンなら腰の下の方をクラッチして、相手が下を向いている状態から大きく弧を描いて叩きつければ迫力も出るし」
と言い、ここで手を叩いた。
「よし!これでいこう!」
ホールドを解いたリュウが立ち上がり「決まりか?」とジンマに確認した。
「最後の技はこの邪魔…なんとかってやつなんだな。覚えられるかな」
「リュウさん、邪魔じゃなくてジャーマン。和名の『原爆固め』って覚えてくれてもいいよ」
「どっちも覚えにくいから、とにかく試合中に『最後のやつを出せ』ってジンマが言ってくれたらやるよ」
素直と言えば素直、丸投げと言えば丸投げのリュウにジンマは苦笑するしかなかった。リング下のシュウが目くばせをして、
(ジンマさん、いざとなったら僕もセコンドからリュウに声掛けしますさかいに)
と訴えてくれたので(頼むよシュウさん)とジンマも手を合わせて拝む仕草をした。
祭りの試合、リュウのデビュー戦まで早いものであと2日だった。
明日の午後にはリングをいったん解体して大型トラックに載せ、明後日の朝には祭り会場で設営をしなければならないので、じっくり練習できるのは今日までだった。
午前中にはトウドウも来て試合の流れを組み合いながら確認したが、打撃部分についてはリュウが、
「あれこれ決めるとややこしいから、ここは俺たちに任せてくれ」
と主張し、トウドウもまた、
「俺もレガースとオープンフィンガーグローブを付けて、リュウにケガをさせないようにする」
と宣言したので、ジンマは渋々了承した。
その後、フィニッシュホールドが決定する前にトウドウは「用事があるから」と道場を去って行った。
ジンマはその後姿を見送りながら不安に駆られていた。
(契約書も交わしたけど、やっぱり心配だなぁ…)
ジンマがそう思ったのは、契約締結時のトウドウの態度が気になったからだった。
トウドウが馬刺し料亭でリュウにつかみかかろうとして掌底で返り討ちにあった時と、駐車場で待ち伏せしてからの攻防の映像をプロモーション映像に組み入れると告げた時、トウドウが怒りを露わにした。
「なんで試合外のことまでさらされなきゃいけないんだ!しかも料亭の時は俺は酔ってて、リュウに一方的に抑え込まれた情けない映像だろ?!冗談じゃねえ!」
「しかしトウドウ君」
レンが冷ややかに言った。
「君が重傷を負わせたメイン選手、虎之助の助っ人としてリュウをデビューさせる以上、君は徹底的に汚れ役をして抗争を盛り上げるのが祭りの試合、さらにその後のリベンジマッチに効果的なのは理解できるだろう?」
「……!」
「祭りの試合でリベンジマッチのチケットも販売開始する。君が今まで販売推進すらしなかったチケットも、今回はきっと捌けるだろう。メリットを考えればプロモ映像の件は承諾する価値があると思うが、どうだろう?」
「…じゃあ、駐車場の映像は使っていい。だが料亭のはダメだ!どうしても使うって言うなら…試合で何をするかわからないぜ」
ジンマは青ざめたが、レンは顔色も変えずに言った。
「それは脅迫と受け取っていいのかな?今の会話もすべて録音しているから、こちらが訴えた場合、君が不利だよ」
トウドウは怒りに満ちた目でレンを見つめ、拳を握りしめた。レンはさりげなく体の向きを変え、トウドウが殴りかかって来た時は即対応できるように備えた。
不穏な空気に、たまらずジンマが叫んだ。
「わかった!料亭の映像は使わない!」
レンは眉を寄せ、(こちらが引く必要はないだろう)という思いをこめてジンマを見た。しかしジンマは続けた。
「駐車場の映像だけにする!だから約束は守ってくれ。絶対にリュウさんにケガをさせたりしないでくれ」
「…よし。わかった」
拳を開いたトウドウに対し、レンも身体の向きを戻した。そして何も言わずに契約書のプロモ映像に関する一部文言を即修正し、契約を締結させた。
(ここまで来たらもう後は任せるしかない。もしもトウドウが暴走したとしても、きっとリュウさんには敵わないだろうし…リュウさんの強さを信じよう)
ジンマは心の中で自分に言い聞かせていた。そこにシュウが声を掛けて来た。
「ジンマさん、ちょっとよろしいですか?」
「ああ、シュウさん!」
(この人の穏やかな顔を見ると、本当にほっとするなぁ…)
「うん、何かな?」
「お願いあるんですけど、トウドウさんのこれまでの試合映像、観せてもろてええですか?」
「もちろん!道場のパソコンでも観れるから、今からリュウさんも一緒に観る?」
「いや、リュウは興味ないて言うんですわ。闘技戦の前もそうやったんですけど、対戦相手の情報仕入れて事前に考えたりするよりも、実際に身体をぶつけたほうがようわかる、て」
「なるほど。リュウさんらしいなあ~」
「野生のカンを大事にする格闘家ならでは、やね。せやけど、僕はリュウに試合中にいろいろ合図送らなあかんやろから、トウドウさんの闘い方ちょっと予習しといたほうがええかな、と思たんですわ」
「助かるよー!ありがとう!早速映像準備するね!」
ジンマは道場の隅にある事務スペースでパソコンを操作し、カントウの団体に所属していた頃のトウドウの試合や、九州に移って来てからの試合もシュウに観せてくれた。
意外なことにカントウ時代は悪役ではなく正統派レスラーで、派手さは無いがグラウンドレスリングの上手いタイプだった。
しかし九州に来てからはラフファイトが目立ち、反則を織り交ぜながら大技を出してくるようになっていた。
「トウドウはうちに来る前はハカタの団体とフリー契約してたんだが、相手レスラーの腕を痛めてクビになった。その後うちと契約して虎之助と抗争繰り広げてたんだけど、今度は虎之助のひざを壊してしまって…前科二犯だからもうどこも拾ってくれないと思うよ」
ジンマの言葉にシュウは首を傾げて言った。
「せやけど、クビになるの分かっててなんでそこまでしはるんかな?もしかしてカントウの団体もそれでクビになったんやろか」
「それがわからないんだよ。カントウの時はクビじゃなくて自分から退団したらしいけど…なんかのきっかけでカーッとなっちゃうタイプなのかな」
「まぁ料亭と駐車場の様子考えたら、たしかにそういうとこはあるんかもしれませんけど…ん?」
ハカタの団体での試合と、虎拳プロレスでの試合を観ているうちに、シュウはトウドウに共通の動きがあることに気が付いた。
(…あ。もしかして、これが理由なんかもしれへんなぁ…)
その夜、シュウは道場に残り、トウドウの試合を観続けていた。
先にジンマに神社まで送ってもらったリュウは風呂に入った後、浴衣姿でアイスクリームを美味しく食べていた。この神社の風呂も温泉が湧き出ているので、湯上りの火照った体を冷やすのにアイスクリームがうってつけなのだ。
「う~ん、やっぱりこのジャージの入ったアイスクリームはうめえなあ!」
「ジャージは体操服ですよ。ジャージー牛の牛乳が入ったアイス、ですね」
カワカミが笑いながら突っ込みを入れた。
「明後日は試合ですね。もう入場テーマ曲は決まったんですか?」
「入場テーマ?なんだそれ?」
「リングに上がる時に、選手それぞれ自分の好きな曲を流すんですよ。大手団体の人気選手だとオリジナル曲を作ってたりします。リュウさんもメインイベントに出るんだから、カッコいい音楽で登場しないと」
「そんなもん要るってことも知らなかったなぁ。俺、音楽に興味ねえから曲自体知らねえし。ジンマに適当に選んでもらうか」
「もし決まってないなら、この曲使ってくれませんか。音楽のジャンルで言うとロック・ミュージックです。入場曲用に編集してありますから」
カワカミはそういって、プレイヤーを操作して曲を流しだした。
キレのあるギター、それを支える力強いベースとドラム、そしてヴォーカルの叫びが聴く者の心を高揚させ、爆発させるような曲である。
音楽に興味がないリュウも即気に入った。
(よくわかんねえけど、聞いてるとなんか気持ちが上がってくる感じだ)
「カッコいい曲だな!カワカミさんが作ったのか?」
「私じゃなくて、実は私のご先祖が作った曲なんですよ」
「え!?カワカミさんのご先祖様?」
「ええ。プロのミュージシャンで、大学の後輩たちとバンド組んでた時に皆で作った曲です。ご先祖は主にギターとキーボード担当してまして、バンド解散後もアレンジャーやプロデューサーなど音楽業界で幅広く活動してました」
「へえ~。すごく才能豊かな人だったんだな!」
「はい。私はこのご先祖の影響を強く受けて、自分もミュージシャン目指してたんですが、プロとしてやっていけるほどの才能なんてありませんでした。現実を認めたくなくて、逃避して…そんな時にサツマで神職へと導かれ、現在に至るんです。今も時々、奉納神楽的に演奏を神様に捧げたりしてるんですよ」
「そうだったのか」
風変わりな神職カワカミの真の姿を今、リュウは知ったような気がした。
「このバンドの曲は歌詞も素晴らしかったんですが、あの内乱の時代に“危険思想を煽る”と判断されましてね。政府に弾圧されて今は歌詞も残って居ません。ご先祖が残した音楽資料の中に、わずかな音源と歌詞を英訳したものだけがひそかに隠してありました」
内乱──それは100年ほど前のこと。
度重なる感染症の大流行や、自然災害被害に対する政府の対応、および他国との軍事的関りに強い不満を持った国民によって、あちこちで内乱が起った。
中央政府は新法を施行し言論の取り締まりを強め、方言の禁止や文芸、楽曲に至るまで弾圧を強めた。こうしてカワカミの先祖の曲も封印され失われたのだ。
「この曲も入場曲用に編集したイントロ部分だけがオリジナルで、その他は誰かがひそかにコピー演奏したものや伝え聞きした歌詞とかの継合わせなんです。私がなんとか一曲にまとめましたが、どこかで誰かが完全版を持っていてくれるといいんですがね…」
プレーヤーを優しくなでるカワカミの表情に、リュウは何とも言えないものを感じた。
「…なぁ。ロックって、どういう音楽のことを言うんだ?俺にわかるように教えてくれないか」
「ロックはいろんな概念があるんですが、この曲に関して言うとヴォーカルが訴えているのは…
『熱い心を忘れるな』
『魂の革命を起こせ』
です。それがロックと言えるでしょう」
「熱い心…魂の革命…」
「周りの価値観に縛られず、押さえつけてこようとする人の言いなりにならないで、強い身体と精神で自分を変えろ!何回でも変えろ!すべてをぶっ壊せ!って他の曲でも叫んでいました」
リュウはカワカミの言葉を心の中で反芻していた。
(押さえつけてこようとする人の言いなりにならないで)
(強い身体と精神で自分を変えろ!)
(すべてをぶっ壊せ!)
「この曲を聞いて頭をガツーンと叩かれたような気持ちになって、自分の世界がひっくり返るような衝撃を受けた人が昔たくさんいました。今もわずかですがそういう人はいます。かくいう私もその一人です」
(カワカミさんはご先祖様たちのような、ロックの衝撃ってやつを与えることができるミュージシャンになりたかったのか…)
リュウがカワカミの目を見て「よし!」と言った。
「俺の入場テーマ曲は、これにさせてもらう!この曲の題名は何ていうんだ?」
「ヴォーカルが叫んでいた言葉そのままですよ」
カワカミは力強い声で叫んだ。
「『ダイナマイトに火をつけろ!』!!」
「ダイナマイトか!よっしゃあ!派手に爆発させて、俺もトウドウも思い切り燃やしてやらぁ!」
「爆破デスマッチですか?!レフェリーのジンマさんには火傷させないように!」
カワカミの突っ込みにリュウは、
「いや!ジンマもまとめて丸焼きだ!!」
と返し、カワカミとリュウは大笑いした。
(第四十三話へ続く)
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