「あ!コマチさんの車があるぜ♪」
オオヒト八幡神社の駐車場に入るなり、リュウは喜びの声を挙げた。
「今日のおやつは何持って来てくれたのかなぁ~♡」
「あれから三日にあげず来てくれてはるね。御朱印のデザイン打ち合わせとはいえ、カワカミさん嬉しぃてしゃあないやろね」
「今日も絶対デレッデレの顔してんだろうな」
シュウとリュウは笑いながら車を降りて神社に入った。客間の襖を開ける前にはこっそり中の様子を伺うのが恒例になっている。
コマチが書いた神社の新しい御朱印について、カワカミと意見を交わし合っている様子であった。
「こちらは軽やかな手蹟になるので、キョン太郎さんの手蹟と違いすぎて浮いてしまうかもしれませんよね…」
(──キ、キョン太郎?!)
リュウとシュウはびっくりして、思わず顔を見合わせた。
(…恭太郎さん言うてはったんが、キョン太郎さんになったはるな。親密度がさらに増したみたいやね)
「やはりそちらの力強い手蹟のほうが良いでしょうか」
「いやあ、どちらも素敵すぎて選べませんよ。この前書いて下さった分も可愛らしくて良かったですし…コマっちゃんはどう思いますか?」
(コ、コマっちゃん???)
(…これは、もう親しいとかいうレベルやなさそうやなぁ〜)
「いえ、キョン太郎さんの神社の御朱印にして頂くのですから、キョン太郎さんが選んで下さいな」
「そんなこと言わないでコマっちゃんが…」
「どうぞ、キョン太郎さんが」
「いや、コマっちゃんが」
延々と続くやりとりにしびれを切らした、というより腹を減らしたリュウが襖をいきなり開けた。
「そんなに悩むんなら、全部御朱印にしちまえばいいじゃねえか」
「あ!リュウさん!シュウさんも…お、お帰りなさい」
あわてたカワカミは手から御朱印案を落としかけた。
「お邪魔しています」
頬を染めるコマチに(あ、すまねえ)と思ったが、なおもリュウは言った。
「いらっしゃいコマチさん。なあ、カワカミさんはどれも気に入ってんだろ?…てぇか、御朱印決めちまったらもうコマチさんが打ち合わせに来てくれなくなるから、決めずに何回も書き直してもらいながら、会う回数増やしたいってだけじゃねえのか?」
「あ…」
「え…」
顔を真っ赤にする二人であった。
「だからよ、いっそ御朱印を月ごとに変えるとかしてさ、その都度ふたりで新しいデザイン相談すりゃいいじゃねえか。種類変わるほうが御朱印集めてるご参拝客だって喜ぶんじゃねえの?」
「あ、それよろしぃなあ」
すかさず相槌を打ったシュウがこっそり心話でも突っ込む。
(リュウにしては珍しくするどいトコ突くし、ごっつ良え案出すやん)
(コマチさんが来なくなると、美味いおやつをもらえなくなるから俺だって困るんだよ)
(なんや、そこかいな)
そこへカワカミが我が意を得たりという顔で言った。
「リュウさんナイスアイデアです!コマっ…コ、コマチさん。その方向でいかがでしょうか?」
「あ…はい。私の書でよろしければ、喜んで」
いっそう頬を染めてうなずいたコマチを、またもデレッデレの表情でカワカミは見つめている。
「よっしゃあ!じゃあメシにしようぜ!なあコマチさん、今日のおやつは何だ?」
子どものような顔であつかましく聞いてくるリュウに、コマチは「ぷふふっ」と噴き出しながら答えた。
「今日は…『おかずにもおやつにもなる』品をお持ちしました♪」
「え?おかずにもおやつにもなる…?食いたい食いたい!それ早く食おうぜ!!」
卓上のカワカミの料理に添えてコマチが置いたのは、厚めのピザかタルトのような料理だった。
「おおっ!これが『おかずにもおやつにもなる』ってやつか!すげえウマそうじゃねえか!これはなんて名前なんだ?」
「これは『キッシュ』です」
「きっしゅ?」
「仏国発祥の郷土料理で、卵と生クリームを使ったパイのようなものです。チクゼンでダイニングバーをやってる私の友人に作ってもらいました。すっごく美味しいんですよ」
そう言いながらコマチはキッシュを切り分けて皆の取り分け皿に乗せ、リュウには特に大きめに切って差し出した。
「少し温めましたので、前菜としてどうぞ召し上がって下さい」
「コマチさんありがとう!いっただっきまーす!」
丸呑みしそうな勢いでかぶりつくと、リュウは目を大きく開いて口は開けぬまま、
「ヴゥヴァッ!!!」
と、うめいた。おそらく「ウマっ!!!」と言いたかったのであろう。
うん、うん、と何度もうなずきながら噛んでは味わい、ごっくんと飲み込んでからやっと感動の言葉を発した。
「ウマイなぁ──!なんか卵焼きと茶碗蒸しにチーズケーキ足したみてえだな。いろんな具の味がすっげえ活きてて食感もいい!とにかくウマい!!すげえなこのきっすって料理!」
「リュウ、キッスや無うてキッシュやって」
シュウが笑いながら突っ込むが「なんでもいいじゃねえか。とにかくうめえからシュウも早く食え!」と笑顔で返された。
「ほな僕も頂きます。──ほんまや!むっちゃ美味しいです~コマチさんのお友達、お料理上手ですねえ。味もええし彩りもよろしぃなあ」
「はい。彼女のお店は居心地が良くてお料理も美味しいし、何より彼女自身がすごく優しくて朗らかで、ほんとにいい人なんですよ。もしチクゼンに行かれることがあればぜひお立ち寄り下さいな」
「喜んで食べに行かせてもらいますわ。いやぁほんま美味しいわぁ~」
「素敵なコマっちゃんのお友達はやっぱり素敵な人ってことですね♪うん!すっごく美味しいです!」
カワカミもにこにこしながらキッシュをほおばっている。
(どさくさ紛れに“コマっちゃん”で言い通す気だな。この“キョン太郎”さんめ!)
リュウはニヤリとしてカワカミの顔を見ながら、“キョン太郎”作の美味しい料理も次々平らげていった。
食後にはリュウとシュウもコマチの書いた御朱印を見せてもらい、二人とも感嘆の声を挙げた。
「おお!字がイキイキしてるな!なんか字が踊り出しそうな気さえするぜ。見てて楽しくなってくるし、いつまでも眺めていたくなる御朱印だな!」
「うん。可愛らしなぁ~!こないな御朱印は他にあらへんね。大らかさと優しさ、力強さとあったかさも感じますわ。良え御朱印やね」
「…うわあ、ほんとですか。そう言ってもらえて嬉しいです」
恥ずかしそうに、でも嬉しさを隠しきれない笑顔で応えるコマチに、カワカミも
「この御朱印を見てるとね、音楽が流れてくるような気がするんですよ。キラキラワクワクするような音楽が♪」
そう言って、座卓の上でピアノを弾くように指を動かし続けている。
「この四角い星のようなマークが、キョン太郎さんがおっしゃる通りキラキラを表しているんです」
コマチの言葉にリュウはまたもニヤリと笑った。
(コマチさんも“キョン太郎”で通す気だな。仲良しこよしさんめ!)
「キラキラは輝きの象徴であり、知性の煌めきに嬉しさや楽しさも表してます」
「記号ひとつにもそういう深い意味があるんやね」
感心するシュウにコマチはうなずいた。
「はい。模様もまた然りで、曲線と渦巻きの唐草模様は無限・永遠の広がり…一族万代の繁栄、長寿の意味があります。また、相手を思いやり、相手からも思いやられる『真善美』がすべて込められている模様でもあります」
(しんぜんび?)
(哲学の言葉や。ややこしことはちょっと置いといて簡単に言うたら『相手に善かれと考えて対応するのが人の理想』て事かな)
シュウが心話で解説してくれたが、リュウはいつもの調子で返した。
(よくわからねえけどわかった)
「こちらの力強い方の御朱印には、永遠に立ち続ける不変的な存在の『生命の樹』も入れました。人は生まれ、生きていくなかで影響を受けたり与えたりして発展し、勢いを得て繁栄します。そして同志や子孫に未来を繋ぎ託して、やがては死んでゆきます」
コマチは御朱印の“捲土重来”という文字の背景に描かれている『生命の樹』に手を触れながら続けた。
「でも、ひとりひとりの生き様や心の中には、きっとこんな大きな樹がしっかりと根を張り枝を伸ばして育っている…。だから生きている間はその樹に花を咲かせてみませんか、との気持ちを込めました」
そう語るコマチをカワカミは目を細めて見つめている。その眼差しを感じて、コマチもまたカワカミを優しく見つめ返す。
そんな二人を見ていると、リュウは感じたことを心話でシュウに伝えたくなった。
(なあ、コマチさんはカワカミさんに『音楽を活かせる神職として花を咲かせよう』って言いたいのかな)
(せやね。相手を思いやり、相手からも思いやられてるな。二人で大きな樹を心に育ててはるね)
(そうだな。きっと花がたくさん咲くよな)
それから数日後。
道場から神社に帰って来たリュウとシュウは、駐車場にコマチの車があるのに客間に二人がいないことに気づいた。
「あれ?二人でどっか出かけたのかな」
すると本殿の方からカワカミの祝詞の声が聞こえて来た。
「ご祈祷してはるんかな。ちょっと庭からまわって行ってみよか」
社務所に併設されている居住スペースを出て庭から本殿へ向かうと、神前に向かって頭を垂れているカワカミとコマチの姿が見えた。
カワカミは狩衣に烏帽子姿。コマチも今日は和服を着ている。
そして祭壇にはコマチが書いた御朱印が捧げられていた。
(神様に御朱印を奉納してはるみたいや。神事の最中やさかいに邪魔したらあかんな)
そっと戻ろうとしたシュウとリュウだったが、
「コマチさん、お願いがあります」
というカワカミの声に、二人とも足が止まった。
(コマっちゃんじゃなくてコマチさんに戻ってるぞ)
(せやな。なんや改まってはるね)
思わず木の陰に隠れながら本殿のほうを覗き見ると、カワカミがコマチに向き合っていた。
「この御朱印、武骨な私の手蹟で貴女の素敵な手蹟を真似て書くのはとても無理ですし、書き置きしてもらうのもやはりどうかと思います」
「…はい」
「もしよろしければ…いえ、どうか是非、この神社に来て御朱印を書いて頂けませんか」
「毎日、この神社に来て…」
「いえ、あの…そうではなく、ずっと私の傍に居てもらえませんか」
「恭太郎さんの傍に…ずっと」
「ええ」
「キョン太郎じゃなく恭太郎さんに戻ってるぞ?!」
(しぃっ!)
シュウはリュウの口を手のひらでグッと塞いだ。
(…むぐぅ)
少しの沈黙の後、コマチは透き通った目を開いて、
「はい。私も…ずっと一緒に居たいです」
と瞳を潤ませて答えた。
「──よかった!ありがとうございます!断られたらどうしようかと思ってました」
「そんな…お断りするわけないじゃありませんか」
笑い合った二人に気づかれないよう、シュウはリュウを小脇に抱えて居住スペースへと戻って行った。
「リュウ、引っ越しの支度するで」
「え?引っ越し?どこへ、いや、なんで?」
「コマチさんが神社に来はるから、邪魔したらあかん。僕らは虎拳の寮に移るんや」
「ええ?俺、コマチさんが御朱印書くのを邪魔なんかしないぜ?」
「そうやなくて…さっきのカワカミさんの言葉な、あれ、プロポーズや」
「ぷろぽーず?」
「求婚や。自分と一緒になって下さい、ていう意味で言いはったんや」
「えっ!そういう意味だったのか?シュウ、よくわかったな!?」
男女の機微に疎いリュウにシュウは苦笑した。
「コマチさんもずっと一緒に居たいて答えはったから、めでたく求婚成功や。ほな荷物全部、車に運んだら部屋掃除するで。今晩からは寮で寝泊まりや」
「…結婚て、こんなにいきなり決めるもんなのか。二人が出会ったのがこの前の試合だろ?二週間も経ってないのにすごいな」
「運命の相手に出会たらきっとこうなるんかもな。二人とも一緒に居るのがすごい幸せそうやし、ほんまに良かった」
「そりゃめでてえけど…もうコマチさんの持って来てくれるおやつ食えなくなるのが悲しいなぁ~」
「そればっかしかいな!今度から神社に来る時は、僕らのほうがお土産持って来なあかんて」
笑いながら諭すシュウ。リュウは荷物をまとめながら何やら考えている様子だったが「そうだ!」といきなり叫んだ。
「なあ、コマチさんがここに住むならさ、前に言ってた和菓子カフェを二人でやってくれるんじゃねえか?それならここでカワカミさんの作る和菓子がいっぱい食えるよな♪」
「毎日神社来てお菓子全部食べてまう気ぃやな。新婚さんの邪魔したらあかんて!ほら、荷物早よ持って。行くで!」
(第七十一話へ続く)
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