「だあぁ───っつ!!せ、先輩ぃぃ!!!」
ユージが悲鳴を上げながら激しくサナダの腕を叩いた。
「早えな。これじゃリュウの勉強にならねえぞ」
サナダは鼻で笑いながら、極めていたユージの腕を解放してやった。
「ひぃぃぃ…」
ユージは自分の左腕を抱え込み、涙目になっている。そんなユージにサナダは言う。
「お前プロレスラーなんだから、もうちょっと我慢してキツイとこ客に見せてやれよな」
今日は月に一度の、サナダが皆に関節技を指導してくれる日であった。
リュウが心待ちにしていた時間であったがサナダはリュウに直接技をかけず、ユージの腕を固めてリュウに見せながら説明をしていた。
「じゃあ次、ケイイチ来い」
「は、はい!」
「リュウ。今度はな、取った腕の向きを変えて固める。こうだ」
「ぐぉっつ!!」
早くもケイイチが唸った。
「ここでつかんだ手首をマットに抑えつけるんじゃなく、浮かせた方がさらにテコの原理で肘と肩が…」
「ぐぁあああ!!!せ…んぱいっ!!か、勘弁…!!!」
「うるせえな。リュウに説明してんだ。黙っとけ!」
「いや、もうわかった!わかったからケイイチを放してやってくれ」
傍で見ているだけでもサナダの関節技の威力は凄まじく、リュウは慌てて止めに入った。
「まったく。シンヤは腹痛で来ねえし、ユージもケイイチもさっさと降参しやがるからリュウがじっくり見るヒマも無いじゃねえか」
文句を言うサナダに「じゃ、サナダ師範」とリュウが身を乗り出して言った。
「今二人にかけた技、俺にもやってくれ。そのほうが分かりやすい!」
サナダはジロリとリュウを見た。
「その『師範』てえのはなんか気に喰わねえな。トウドウと同じく呼び捨てでいいって言ったろうが」
(俺だってホントは『さなだしはん』て言いづれえんだよ。つい『さならしふぁん』って言いそうになっちまう)
リュウはサナダのことを話す際に呼び捨てにしていたのだが、さすがにシュウが
「虎拳の皆から先輩として敬われてる人やで。リュウも皆の気持ちを考えて呼び捨ては止めとき」
と諭した。
「じゃあなんて呼びゃいい?俺の先輩じゃねえし、プロレスの先輩っていうなら皆先輩になるぜ。虎之助からは自分の事を呼び捨てでいいって言われたし、サナダだけ先輩って呼ぶのもややこしいじゃねえか」
「ほな、師範はどや?」
「しはん?」
「お師匠さんの師と、模範の範や。武術を指導してくれる人であり手本となる人やから、関節技のお師匠さんになるサナダさんに合うてるんとちゃう?」
と、シュウに提案されたのでこう呼ぶことにしたのだ。
リュウはその詳しい経緯は言わず、
「関節技を教えてくれるお師匠さんなので師範がいいってシュウが言った。だから俺はあんたのことをこう呼ぶことにした」
とだけサナダに言った。
それを聞いたサナダは「そうか。シュウがそう言うんなら師範でいい。おい、お前らも今から俺を師範て呼べ」といきなり上機嫌でユージとケイイチに言った。
(なんだよ。シュウの言うことなら何でも機嫌よく聞きやがる)
「だから師範」とリュウは再訴した。
「俺に直接技をかけてくれ。そのほうが手っ取り早いし、二人も痛い目見なくて済む」
「弟子のリュウよ、そいつはできねえな」
サナダがニヤリと笑いながら言った。
「なんでだ?」
「お前さん、試合中にトウドウに言ってただろ。『言ったろ?俺はやられた技を身体で覚える』ってな」
(あの時セコンドにいたのか。あんな囁き声よく聞けたな)
「楽しようとするな。もっと頭を使って考えながら技を覚えろ。1日ひとつだけでもいいから、何回間違えたっていいから、ああでもねえこうでもねえと探しながら見出すんだ。さ、ユージにまずかけてみろ」
(めんどくせえな。オオヒト、じゃなくておネエちゃんからは『頭で考えて動こうなんて似合わないことをするからこの有様』って言われたのに)
「リュウ!そっちは右腕だ。左腕にかけてたのに、さっき何を見てたんだお前」
「あ」
「どこが『もうわかったから』なんだよ」
サナダが笑いながら、その後もリュウに突っ込みを続けた。
「ほれ、お前はトウドウにわき固め掛けた時もそうやって両手を組んでたろ。もったいねえぞ。左手で相手の左肘を固定したほうがよく極まる」
「こうか?」
「がああ──っつ!!!」
「もっと手首を曲げろ。右手もな、ここの骨のところを相手の腕に当てるようにすると効くんだ」
「ここだな」
「ぎいいいいい──っ!!!」
「相手がこうやって逃げようと動くだろ。そうしたらその腕を相手の頭の下に持って来て、ここで手を持ち変えながら左手で頭から首も押さえる。さらに太ももで右肩も押さえりゃ、もうどうしようもなくなる」
「なるほど。こうか」
「ぅぐぐぐぅ……!」
「お、おい、リュウ…」
「あ?なんだケイイチ」
「ユージを放してやってくれ…それ以上やったら死んじまう」
「え?あ、すまねえ。ユージ、早く言ってくれよ」
解放されたユージが青息吐息で答えた。
「…だ…から…さっきから…ずっと…タップ…してたのに…」
「たっぷ?なんだそりゃ」
ケイイチがサナダの方を気にしながらリュウに説明した。
「ユージが手でリュウの身体を叩いてただろ。あれは『参った』の合図だ」
「え?そうなのか?俺はてっきり『もっとやれ』て煽ってんのかと思ってた」
「わはははは!」
サナダが爆笑した。
「悪かったな。でも俺、まだまだわかってねえことだらけなんだ。頼むから口で言ってくれよ」
(……だってケイイチが『リュウに説明してんだ。黙っとけ!』ってサナダ先輩に怒られてんのに、言えねえよ…)
涙目で黙り込むユージに「?」と首をかしげるリュウだった。
翌朝。恒例の神社境内の早朝掃除をしながらリュウは大きなあくびをしていた。
「ふあああああ…眠たいなぁ」
「昨夜はあんまり寝てヘんかったみたいやな。リュウのいびきがいつもより聞えへんかったで」
笑いながら言うシュウに、リュウもうなずいた。
「そうなんだよ。サナダ…じゃねえ、師範に習ったこと思い出しながら布団の中で腕を動かしてたんだが、だんだんわけがわからなくなっちまってな。やっぱり相手がいないとコツがつかめねえ」
「僕の腕でよかったら使てくれてええけど」
「いや、それは危ねえよ!ヤゴロウどんが喜んでシュウに降りてきて、俺が逆襲されちまうかもだ」
「たしかに!以前と違ってシュウさんの気配の中に神様ヤゴロウどんをよく感じますからね」
カワカミも落ち葉を掃き集めながら、箒をギターのように抱えて鳴らす真似をして言った。
「この間、新しい道場兼寮でお祓いした時も、シュウさんの身体がぐっと大きく見えたくらいでしたし」
「せやねん。去年までは闘技戦終わったらすぐに身体が小さなったんやけど、今年はあんまり変わらへん。やっぱりまだ神様居てはるんやろなあ」
「ヤゴロウどんがいつでも出て来れるように体勢整えてやがるな。冗談じゃねえ。練習どころか殺されちまう」
「ほなカワカミさんの腕貸してもろたらどや?」
「おっと!もう朝拝の時間になりました!お日供の用意しなきゃ。袴も白に替えないと…では後はよろしく!」
カワカミは箒を持って慌ただしく逃げ出した。
「冗談で言うたんやけど、逃げ足速いなあ」
「袴替えるって、いつも朝は浅葱色のままで拝んでるくせに。カワカミさんの腕はつかみやすそうだなと思ったのにな」
シュウは笑い、リュウは残念そうに言って残りの落ち葉を掻き集めた。
リュウが道場に来てみると誰も居なかったので、隣接する寮に行ってみた。すると相部屋のユージとケイイチが揃って手足に湿布を貼りまくった体でベッドに寝ていた。
「ありゃ。ふたりとも今日は休みか?」
「…昨日さんざん先輩とリュウの相手をしたから痛くて動けないんだよ。早く治さないと今度の試合に出られなくなるから」
「なので今日は休む。明日ももしかしたら休むかも。悪いけどリュウひとりでがんばってくれ」
情けなさそうな顔をして二人は言った。
「え?俺ひとり?シンヤはどうしたんだ?」
「あいつはもっと重症だ。隣の部屋で寝てるから行ってみな」
(重症?たしか昨日腹が痛いからって練習来なかったんだよな。下痢でもひどくなったのか)
「おーいシンヤ、大丈夫か…え?」
リュウが声を掛けると、シンヤが布団をめくって顔を出したが、その顔は赤と青が混じったどす黒い色で腫れあがっていた。
「どうしたんだその顔!なんで腹痛で顔腫らしてんだ?」
「サナダ先輩だよ…仮病で練習フケてソープに行ってたら、店出たとこでサナダ先輩に出くわして殴られた…なんで俺と同じ店に来るんだよって…」
「そーぷ?よくわからねえが、とにかく仮病がばれてシバかれたってわけか。じゃあシンヤも今日は無理か。しょうがねえな。ジンマにでも相手頼むか」
1階の事務所に行きかけると、そこに虎之助がやってきた。
「お!虎之助じゃねえか!」
「リュウおはよう!今日から道場で練習始めようと思って来たんだ。まだ右足はあまり動かせないけど、徐々に慣らしていかないとね」
「ちょうどいいとこに来てくれた。今日はみんな調子が悪くて休むって言うんで、しょうがねえからジンマに相手してもらおうかと思ってたんだ。頼む虎之助!関節技の練習してえから腕だけ貸して…いや!俺の腕に関節技かけてくれねえか?」
「いいよ!しかし3人とも調子悪いって…あ、昨日はサナダ先輩の特訓の日か!しごかれすぎたんだな」
思わず笑った虎之助にリュウは言った。
「ユージとケイイチはその通りなんだが、シンヤは仮病で特訓サボったんだ。でもそーぷっていう名の店の前で見つかって殴られたらしい。なあ、そーぷってどんな料理の店なんだ?味にこだわるサナダ師範も行くくらいだし、きっとウマい店なんだろ?」
「…え?」
その後、虎之助から説明を受けたリュウがどう思ったのかはさておき。
ジンマとシュウは事務所でリュウの取材に関する取り決めをしていた。
「じゃあ、リュウさんの出身地はサツマで、闘技戦より前の経歴とかは秘密ってことで。覆面レスラーにはよくある設定だけど、リュウさんの場合は『サツマの闘技戦から闘いに目覚めたから、それまでの自分はもう忘れた。どうでもいい』とでもいうことにしようか」
「リュウのことやからいきなり聞かれてなんか変なこと言うかもしれませんけど、そこは『天然キャラ』で通しましょか。取材前に基本的な設定を開示しておいて、それ以外の話題になら答えるという条件つけておいたほうがええかもですね」
(この間話してくれたリュウのこれまでの人生は、思い出すんも嫌やろからな。そら過呼吸にもなるわ…)
「ねえシュウさん、闘技戦の映像ってやっぱり門外不出なんだよね。サコウとの闘いなんか流せたらすごいプロモ効果あるんだけどなぁ」
「はい。全試合神職が撮影はしますけど、闘技戦の映像は神事なので外には出されへんのです。お客さんがこっそり写真や動画を撮影しても再生でけへんらしいですわ」
「そうなんだよ!実は俺もリュウさんの試合撮影したはずなのに、見事に全部消えてた。ヤゴロウどんは大型ビジョンの映像でも姿が映ってなかったくらいだもんなぁ」
「闘技戦の内容や結果を客観的に証明できるものがあらへんから疑ってくる人も居ると思いますけど、そこはプロレスラー・リュウの闘いを実際に観てもろて判断にゆだねる言うことでええんちゃいますか」
「そうだね。認めないアンチもいるほうが話題になって盛り上がるし。じゃあさっそく明日からインタビューを数社受けるから、午後はシュウさんも同席を頼むね。写真はこちらで販促用に用意したものか、デビュー戦の試合中に撮ったものから選んでもらうから、リュウさんに負担はかけないので安心してね」
「おおきに。助かりますわ」
事務所の扉が開き、リュウが顔を出した。
「シュウ!昼飯にしようぜ。今日のランチメニューはなんだ?」
「あ、リュウ。もうお昼かいな。確か『ヒゴ牛とろ玉しぐれ丼』やったかな」
「あれか!やったー!きばい屋のおやじさんが作る特製丼にちょっと似てるから俺好きなんだよな~」
うきうきしながらリュウはシュウと共に食堂へ向かった。その後に虎之助が事務所のジンマのもとへやって来た。
「虎之助!久々のリングの感触はどうだい?とは言え、今日はリュウさんしか相手いないか」
「ジンマ…」
虎之助は青ざめた顔で言った。
「リュウは…あいつの身体は、いったいどうなっているんだ?」
(第五十六話へ続く)
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