「ここの神社のメシもうまいなぁ~」
夕食を下げに来てくれたオオヒトに、リュウは満面の笑顔で言った。
「どこで何食ってもうまい!やっぱりサツマはいいところだ」
「どこで何を食べてもって、きばいやんせのお店と当神社の二ヶ所しかまだご存じないのでは?」
相変わらず澄ました顔の少年に突っ込まれて(細かいことはいいじゃねえか)と挫けながらも、
「神社のメシって素っ気ないシロモノかと思ってたんだが、肉も使ってんのかと思うようなご馳走だったな」
と、リュウは話をそらした。
「大豆や蕎麦の実、キビなどを工夫して調理すると肉のかわりにできます。おからこんにゃくも濃いめの味を付けて焼けば、焼肉のようになりますよ」
「そうなのか!それに量も大盛りじゃねえのに不思議と腹ごたえがあって、おかわりなしでも腹持ちがいいな」
「神様のお力です。食材は神様へお供えしたもののお下がりを頂いて使いますので、体格の良い方々にもご満足頂いております」
「あ、もしかしてこの料理の野菜は、おネ…」
おネエばあちゃん、といいかけてリュウはぎりぎり止まった。
「おネ…さあ、が作ったんじゃないか?おやじさんの店で食べた野菜と同じうまさだったぜ」
「もちろんです。ネネ様の作るお野菜は畑で作られている時から、神様のお力を溢れるほどに受けていますので、とても美味しいのです」
少年の顔から冷たさが無くなり、柔らかい微笑みが浮かんだ。
(こんな顔もできるのか。こうすると年相応の子どもだな)
「ではまた明日朝5時に。今日のお昼はほとんど寝ておられましたから、明日は寝不足にはならないでしょう」
「むしろ寝すぎて、夜は寝られなさそうだぜ。この後はどうせ閉じ込められるんだろ?何もすることなくて暇だなぁ」
また冷たい澄まし顔に戻った少年はリュウに問うた。
「闘技戦はもう明日の夜ですが、対戦相手のことなど気になりませんか」
「気にするもなにも、まったく知らんやつなんだから。ま、どこの誰だろうと闘うしかないしな」
「闘いに備えての稽古などはなさらないのですか?」
「このお堂の中でか?受け身の稽古するだけでも響いてうるさくしちまうけど、荒ぶってもいいのか?」
笑うリュウをじっと見つめた後、少年は不意にお堂の天井を見上げた。
つられてリュウも見上げたが、高さがあるだけで何があるわけでもない。
すると少年がひとことを発した。
「ヤゴロウどんより高いかもですね」
「なに?」
それから少年は壁のほうもぐるりと見渡し、もう一度天井を見上げてからリュウの目を見て、
「それではまた明日の朝に。お休みなさい」
と礼をして出て行き、扉は閉じられ閂がかけられた。
リュウはしばらく扉を見つめていたが、
「よし!」
と気合を入れ、くるりと振り返ってお堂の中央に立った。
ドン、ドンという太鼓の音がかすかに聞こえる。
(…が……っど──)
誰かが遠くで叫んでいるような声も聞こえる。
リュウが目を開けると、周りは真っ暗闇だった。なぜか、たったひとりで立っていた。
太鼓の音がだんだん大きくなっていく。それと共に、周囲に赤くて黄色い光が立ちのぼった。よく見るとそれは篝火で、リュウを中心に四方に置かれてあり、炎が大きく燃え盛っていた。
ズシ──ン… ズシ──ン…
大きな足音が響いてきた。どんどん足音は大きくなる。そして、巨大な影がゆっくりと近づいてきた。篝火に照らされているはずなのに、その影の顔や姿はあくまでも闇のように黒かった。
「誰だ!」
リュウが叫ぶと大きな影は片手を高く上げ、リュウの頭上で“ぴた”と止めると、地響きのような声でこう言った。
「──神罰──」
瞬時にものすごい勢いで手がふり下ろされ、リュウの全身に衝撃が走った。
「うわあ!!」
飛び起きると、お堂の中だった。
昨日よりも室内がほのかに明るい。扉の隙間から光が入っているらしい。
周りを見渡したが、誰もいない。時計は午前4時を指していた。
(夢か…なんだったんだ、あのでっかいのは?)
汗をびっしょりかき、呼吸も荒くなっていた。とりあえず茶でも飲もうと布団をはぐと、大きく鳴り響く太鼓の音が聞こえて来た。
今度は夢ではない。そしてはっきりと、大きな声が響いた。
「ヤゴロウどんが、起きっど───!!!」
(なに?!ヤゴロウどんが?)
続いて多くの男たちの「おお───!!!」と呼応する声も響いた。
リュウはあわてて立ち上がり、思わず扉を押した。
(?!)
なんと扉は開いた。閂は外されていたのだ。
(これは…外に出てもいいってことなのか?)
表に出ると、森の木立の向こうが明るい。夢と同じように大きな篝火が焚かれているようだ。
太鼓の音がますます力強くなり、男たちの掛け声も大きく響いてきた。
すると木立の上の方に、黒い棒のようなものがまず見えた。
「なんだ?」
見つめていると、その下に頭のようなものが、さらに大きな肩の影が見えてきた。
そこで篝火が大きくなり、起き上がって来た黒い影の真の姿をはっきりと照らし出した。
「うわっ!」
ギョロッとした大きな目玉がこちらをにらんでいる。
太い眉、大きな鼻、ひげに覆われた口からは、なんとキバが生えているではないか。
両の腕を胸元まで上げ、その手は袖の中にあるが、鉾を持って屹立している。
神というよりは巨大な鬼のような姿が、そこにあった。
はるかな高みからリュウを見下ろし、ギロリとにらみつけていた───
「…あれが、あの巨人が…ヤゴロウどんなのか──!!」
「『ヤゴロウどん起こしの儀』つつがなく終了いたしました」
不意に声がしたのでリュウは飛び上がった。
「わっ!…なんだ、オオヒトか。脅かすなよ」
手燭も持たず、いつの間にかリュウの傍に少年は居た。
「早くにお目覚めのようですので、滝行に参りましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あれ!あのでかいのが、ヤゴロウどんなのか?お堂の天井よりはるかに背が高いぞ!あんなでかすぎるのと闘うなんて無理だろ!すぐに踏みつぶされちまう」
動揺しているリュウに、少年は珍しく「クッ」と笑った。
「あれはヤゴロウどんの人形です。闘技戦で闘う『生きているヤゴロウどん』ではありません」
「人形…」
「午前1時から神社の拝殿の中で体を作り着物を着せ、拝殿から鳥居を抜け、さながら産道から生まれ出るように境内に出して台車に乗せ、皆で引っ張って起き上がらせたところです。これから帯を締め裾を整え、大小2本の刀を差します。大草履と大下駄を供えて境内にて祀り、午後からは神社を出て海まで巡行します」
人形と聞いても、ヤゴロウどんのギョロリとした目には魂が宿っているようにしか思えない。
「もちろん魂が宿っていますよ」
「え?!」
(なんで思ってることがわかったんだ)
「ネネ様が『御霊移しの儀』をされましたから」
リュウは少年のことも恐ろしく感じた。そして老婆に対してもますます不気味さが増した。
「今日は闘技参加者も全員10時からの神事に参加しますので、早めに滝行を終えましょう」
「え?全員揃うのか?あ、もう当日だから顔を合わせてもいいのか」
「みなヤゴロウどんの面をつけて梅染の着物を着ますから、見ても個人は判別できないでしょう。貴方以外は」
(どうせ俺だけ背が低いって言いたいんだろう!わかりやすくて悪かったな)
少年のからかいのおかげで、リュウはすっかりいつものリュウに戻っていた。
一丈六尺もある巨大なヤゴロウどんの人形は境内に立てられ、その姿に見守られる形で神事は行われた。
昨夜は暗闇の中、炎に照らされて浮かび上がる巨大な姿に恐怖さえ感じたが、こうして見るとやはり巨人や鬼ではなく、大きな人形であることにリュウはほっとしていた。
若者たちの演奏する奉納ヤゴロウ太鼓は勇壮で覇気に溢れていて、リュウも思わず拍子に乗って身体を揺らしていた。
大柄な闘技参加者達がヤゴロウどんの扮装をして並び座るなか、一人だけ小柄なため目立つ上に楽しそうに身体が揺れているので、周りからはクスクスと笑われていた。
子どもからは「ねえおかあさん、あの小さいのはヤゴロウどんの赤ちゃんなの?」と言われたりしていたが、幸いリュウ自身の耳には届いてはいなかった。
巫女の舞が披露された時は、老婆の「おネさぁ」も踊るのだろうかと注目していたリュウだったが、初々しさあふれる若い女ばかりだった。
(やっぱり巫女と言えばこっちだよな)
面を付けた顔で(うん、うん)とうなずいていたので、また周りから失笑されていた。
午前の神社での神事が終わると、ヤゴロウどんの人形は「浜下り」といって、若者や子供たちを中心にした引手にひかれての巡行に出る。地元の小学校では剣道、柔道、空手、相撲といった武道大会も開催されていて、そうした地域を巡ってからヤゴロウどんは闘技戦が行われる場所へやってくるのだ。
闘技参加者達は昼前には試合場へ移動することになった。海に突き出た人工島にある大きな芝生広場に仮社を設置し、観客に囲まれて闘うのである。移動中を含め、神事の間は私語を交わしてはならないので、面と衣装をつけた大きな男たちは無言のまま台車から船に乗り換え、人工島へと向かった。試合場に着くと仮社のなかにある、それぞれに振り分けられた控室へと入っていった。
「ぷは──っ!ああ、やっと大きく息ができる!」
面をはずしたリュウは大きく深呼吸をした。
「お弁当は今食べられますか?それとも夜の試合に備えて、もう少し後で食べられますか」
この仮社でも世話係をしてくれているオオヒト少年の問いに、リュウは即答した。
「もちろん今すぐ食う!なあ、せっかくの祭りなんだから、屋台の食いもんも欲しいなぁ」
仮社に入るまでにいろんな屋台から漂って来る美味しそうな匂いを、リュウは面を通して必死で嗅いでいたのだ。
「屋台ですか。試合前の緊張でお弁当はおろか、朝から何も食べられない参加者もいるのに、さすがの食欲ですね」
呆れながらも少年は買いに行ってくれたようだ。
まずは弁当からと、リュウは包みを開けた。「きばいやんせ」の店主が毎年作っているという、祭りの特注弁当である。
「おお~うまそうだな!」
椎茸と筍の炊き込みご飯、唐芋を使ったかき揚げ天ぷら「がね」、茄子と南瓜の田楽、お茶の葉が入った甘い玉子焼き、里芋の胡麻団子、つけ揚げと、サツマの食材を使って作られた、素朴ながらも味わい深そうな弁当だ。
「おやじさん、いっただきまーす!」
リュウは真っ先に「がね」にかぶりついた。
(うん!冷めててもうまい!さすがはおやじさんだ!…ん?)
リュウは噛みしめながら首をひねった。
(たしかに店で食べた味なんだが、何だろう…何かが違う。材料の切り方か?かき揚げの衣か?)
しばらく考えていたが、
(きっと特製弁当だからちょっと何かを変えてるんだろう。うまいものはうまい!)
と、再び箸を動かして弁当をかきこみ、あっという間に平らげた。
「あーうまかった!おやじさん、ごっそうさん!」
頭を深々と下げ、手を合わせた。
この弁当の味の違いが何を示していたのか、リュウが知るのは試合が終わった後の事になる。
(第八話へ続く)
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