この藩「サツマ」で酒といえば焼酎である。
サツマイモを原料とした蒸留酒で、甘い香りで優しくまろやかな味わいだ。
外来の麦酒や、米を原料とした和酒よりも好まれており、家を建てる時などのお清め酒・奉献酒にも焼酎が使われている。
リュウは焼酎を飲むのは初めてだったが、先に湯を入れた器に焼酎を注いだお湯割りが飲みやすく、すすめられるまま何杯も飲んだ。
「お湯割り、うまいだろう?兄ちゃんの藩じゃあ焼酎は飲まねえのか?」
客達にすっかり気に入られ、リュウの呼び名は“兄ちゃん”になっていた。
「俺のとこじゃ和酒だな。一升瓶は空けないと男じゃねえって言われちまうけど、俺はそこまで飲めねえんだ」
「兄ちゃんは十分男だよ。あの坊主男を一撃だぜ!いやあ凄かった。あれは空手かなんかやってたのか?」
「いや、武道はちゃんと習ったことはねえんだ。ただ俺の兄貴がすげえ強くてさ、無理やり相手をさせられるうちに身についたってやつだ」
「兄ちゃんの兄ちゃんも強いんだな!背はあんたよりでかいのかい?」
(また背丈の話かよ)
リュウはうんざりしながら「ああ、さっきの坊主男ぐらいはあるな」と答えた。
「そんなら兄貴に来てもらって、ヤゴロウどんと闘ってもらったらよかったなあ」
「まったくだ!でもヤゴロウどんには勝てんだろうけどな」
リュウはこの客が坊主男に「見掛け倒しかよ!それでヤゴロウどんに勝つつもりだったのか?」と言っていたのを思い出した。
「おっ、それそれ!さっきもヤゴロウどんって名前が出てたけど、誰なんだ?」
「ヤゴロウどんはヤゴロウどんだ!」
いっせいに客達が叫んだのでリュウは面食らった。
「ヤゴロウどんってのはな、サツマの伝説の巨人なんだ」
店主が話を引き受けながら「つけ揚げ」を出してくれた。新鮮な魚のすり身を甘めの調味料で味付けし、油で揚げたサツマの名物だ。
揚げたてなのでふわっとしていて、魚の風味が口の中に広がってとても美味い。
「大昔に中央政権が支配を強めてきた時、この地の民たちが抵抗し、闘った時の首長がヤゴロウどんだったという話だ。とにかくでかくて強い、そして心優しいんだ」
まるで本人と接したことがあるみたいに話すなぁ、とリュウは思った。
「一年半にわたる中央政権との戦いで最後は負けてしまったが、ヤゴロウどんの魂を神様として崇め奉り、鎮める祭りを毎年やって五穀豊穣、健康長寿を祈るんだよ」
店主に続いて、客達もヤゴロウどんについて語り出した。
「もともとは大隅のあたりを中心にした祭りだったんだが、今じゃあサツマ藩全体で一番盛り上がる祭りになった」
「祭りにはどでかいヤゴロウどんの人形をおっ立てて、子供達が引き回すのさ。ヤゴロウどんを引っ張る綱を引いた子供は強く、大きくなるって言われてる」
「サツマじゃ皆、子供たちに『ヤゴロウどんのごとく、強く、優しく、大きくなれ』と願いを込めて育てるのさ」
ヤゴロウどんのことを客たちは口々に嬉しそうに語った。
「へえぇ。ヤゴロウどんってのは伝説の英雄で神様なのか。じゃあさっき言ってた『ヤゴロウどんに勝つ』ってのはあれかい、祭りでヤゴロウどんのどでかい人形を倒すってことなのか?」
「違う違う!」
リュウはまたもやいっせいに言い返されてしまった。
「祭りではな、身の丈六尺六寸以上あるでっかい男達が、神様に捧げる奉納相撲のような勝ち抜き闘技戦をやるんだ。最後に勝ち残った者が『生きてるヤゴロウどん』と闘うのさ。さっき兄ちゃんがぶっ倒した坊主頭も、その勝ち抜き戦に出る一人だったんだよ」
「生きてるヤゴロウどん、だって?」
話がさらにわからなくなってきた。
「あぁ、おととしの祭りの夜に突然現れたんだ!」
「生きてるヤゴロウどんは、伝説のようにそりゃあでっかくて、みんな夢でも見てるんじゃないかと思ったよ。そして勝ち抜き戦の優勝者に勝負を挑み、圧倒的な強さで倒してしまった」
「それ以来、勝ち抜き戦の優勝者は中央政権の将軍に見立てられ、祭りの夜にだけ現れるヤゴロウどんがそいつを返り討ちにするって流れになったんだ」
「おっと、祭りだからって勝ち負けの決まってる八百長じゃないぞ。何しろヤゴロウどんに勝てたら、賞金や祝い品がどっさりもらえるんだからな。みんな必死で闘うんだ。しかし、いまだヤゴロウどんに勝てた者はいない」
首をひねってからリュウは言った。
「年に一度しか姿を現さないのか。じゃあ生きてるヤゴロウどんは、それ以外の時はいったいどこで何やってんだ?」
今度も客達はいっせいに、だが各々違うことを言い返した。
「そりゃあ神社の奥の本殿にこもってるんだろうよ」
「ヤゴロウどんは山に帰って、頂上に腰かけて海の水で顔を洗って過ごすんだ」
「ヤゴロウどんは城山の洞窟に居るに決まってんだろ」
一拍おいて店主が言った。
「洞窟に居たのはヤゴロウどんじゃなくセゴどんだ!」
どっと笑いが起きた。客達はだいぶ酒が回ってきているらしい。
(セゴどん、てぇのもいるのか。サツマって藩はいろいろ変わったヤツがいるんだな)
リュウはもうあれこれ聞くのはやめにした。
セゴどんやヤゴロウどんが誰で、どこにいて何をしていても、たぶん自分には関係がなさそうだと思ったからだ。
その夜、リュウは店主の店「きばいやんせ」の奥にある小上がりで寝かせてもらうことになった。
「敷布団もなくてすまんな。座布団枕にして、薄くて悪いがこの夏掛けを掛けて寝てくれるか」
「いやぁ、さっき入った温泉が最高だったから、この浴衣1枚でも暑いくらいだよ。しかしサツマって藩はそこらじゅうに温泉が湧いてるなんて、すげえな!」
「火山の恵みだよ。そりゃあ噴火もしょっちゅうで、灰だらけになるが、あの桜島の雄大な姿を拝むだけで力が湧いてくる。小さなことで悩んでるのが馬鹿みたいに思えて心が楽になるし、活き活きと煙を吐く桜島を見ると、自分も気張らんといかん!って励みになるんだ」
「へえぇ。桜島ってえのはそんなに凄い存在なんだなぁ」
「そうとも。あのでっかい姿にゃ誰もが恐れ入るし、人間の力が及ばない、大いなるもののおかげで生かしてもらえてるって、自然とありがたい気持ちになれるんだ。あ、それからな、リュウさんよ」
店主はリュウの隣に座った。
「あんたのことを 『ちっこいのに凄い』と言ったけどな、ありゃあ馬鹿になんてしてないよ。ほんとに凄いと思って褒めてるんだ。わしもみんなもサツマの男の多くは背が低い。昔のサツマの方言では『横ばいのこじっくい』って言うんだ」
「よこばい?の、こじっくい?」
首をかしげるリュウに店主は説明を始めた。
「わからんだろうな。あの悪法【方言禁止令】のせいで、今じゃサツマの人間でもこうした言葉はわからない、知らない者も多くなっちまった。横ばいっていうのは横に張ってる、つまり太いこと。こじっくいってのは、背が低いとか脚が短いってことだ」
「俺の脚は短くねえよ。胴よりは長いんだ」
「そうか、脚は胴よりは長いんだな」
笑いをこらえて店主は続けた。
「だからな、サツマの男たちは桜島のようにでっかいものに凄く憧れを持つんだ。それと共に、小さい奴がでっかい奴に勝つっていうのが凄く痛快なんだよ」
リュウの肩を叩きながらさらに店主は言った。
「ちっさいあんたが、あのでっかい自称用心棒を一発でやっちまったってのは、本当に見事だった!いやぁ感動したよ!実を言うとな、サツマの者はよそもんをあんまり受け入れないんだ。でもあんたは何か違っててな。わしはどんどん飯を食わせてやりたくなった。その上あの見事な蹴りだ!」
今度はリュウのひざを叩いた。
「ちっさいのにどえらく強い、あんたのことをわしだけじゃなく、みんなが本当に凄いと思った。みんなあんたに惚れ込んで、一緒に飲まずにはいられなくなったってわけなんだよ」と
「へへっ。そう言われるとなんか嬉しくなってきたな」
「そりゃあ良かった。それにな、あんたは男前だよ。最初は顔も薄汚れていたし、髪もボサボサだったからそうは思わなかったが、温泉に入ってきれいさっぱりしたら、眉は引き締まってるし目元は奥二重で、あれだ、眉目秀麗ってやつだな」
店主はリュウの顔を覗き込むと、目を見開いてこう言った。
「おっ、瞳の色もけっこう茶色っぽいんじゃないか?鼻筋もスッとしてるし、口元も閉じてりゃ凛々しい。サツマの昔の言葉でいうと『よかにせ』だな!ちっさいけどあんたは『よかにせ』だよ」
「おやじさん、ありがとよ!でもな、もう『ちっさい』は言わなくていいって」
二人で笑いあってから、店主は寝に二階へ上がっていった。
リュウは小上がりの畳に横になって両手足を伸ばし、大きく息を吐いた。
(サツマか。飛び乗った船の行き先も知らねえで来ちまったが、案外いいとこだ。明日はでっかい桜島を拝めるかな)
温泉で温まったリュウの体は、すぐに心地良い眠りへと落ちていった。
(第三話へ続く)
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