(嫌なものは嫌…)
先日、シュウと語り合ったことに共通する言葉を聞き、リュウはコトカの言動とその気持ちに納得した。
(オーナーさんも親のせいで苦しい思いしながら生きて来たんだな…)
「しかし、家業のために20も年上の男と結婚させられるなんて…親だけじゃなくて周りもおかしいだろ!反対する奴いなかったのか?」
「どれだけ大昔の感覚よ!って言いたくなるでしょ。でもうちの店のように200年以上も歴史がある老舗料亭だと、伝統芸能の世界なの。この店を継がせるために子どもを産む。娘しか産まれなければ婿を取って継がせる。九州はいまだに男尊女卑傾向が残ってるしね」
「オーナーさんは何歳で結婚させられたんだ?」
「18よ」
「ええ!俺よりも3つも若い時に!なんでそんなに早く?」
「実はその頃ね、うちの店潰れかかってたのよ。外には知られないように体面保つのに必死だったから本当に火の車状態。至急資金繰りしなきゃいけなかったから、私はいわゆる政略結婚…というか売られたようなものだった。20年上の不動産持ちの男がどんとお金を出してくれて店は持ち直したけど、夫は私への興味をすぐになくしちゃった。夫婦で出てゆく必要がある場だけ私を連れて行って、後はほったらかし。でもこの家に生まれた以上、もうしょうがないってずっと諦めてた」
「しょうがない、じゃねえよ!」
リュウはやはり怒鳴らずにはいられなかった。
「レンから聞いたけど親から虐待されたり、さくしゅ?されてる子どもは助けてもらえるって法律もあるんだろ?18なら成人かもしれねえけど、金のための無理やり結婚なんて充分文句言えるだろ!」
「他人の立場なら私もそう言うと思う。でもね、私はこの店と、店で働く多くの社員に囲まれて育ってきたの。皆この店で働くことを誇りに思ってくれてたし、親から子、そして孫と代々勤めてくれている人も多いわ。その店をここで潰すわけにはいかないって本当に心から思ったから…」
(あ…そうか。家業って言っても会社だと事情が違うのか…俺みたいに逃げ出して終わりにできねえんだ…)
「私が自分で社長になって立て直せるならそうしたかったけど、18の小娘には経営のことなんかわからないし、この店と働いてくれてる皆のため、御贔屓さんのため、そして…親のために私にできることは結婚しかなかったのよ」
“だってそれしか僕にできることあらへんかったからなぁ…”
(そうか…シュウと同じか…)
黙り込むリュウを見て(私に同情してくれているのかしら…)と思ったコトカは、気を遣わせないように声に力を込めて言った。
「でも今は違うわ。夫にほったらかされてる間に私はうちの店のことをしっかり学んで、お飾りじゃない真のオーナーになれるよう準備を続けていたの。だから掛け軸が贋作だとわかった時は『今がチャンス!』ってむしろ喜んじゃったわ。家宝を若い女に貢ぐために売り飛ばすような婿は社員から総スカンになったから女の私がオーナーになっても皆もう何も言わない。名実ともにオーナーになってすごくやりがいがあるし、私自身を100パーセント活かしてこの店を支えられるのが今は嬉しくて仕方ないの!」
リュウの目をまっすぐ見つめながらコトカは言った。
「私ね、リュウさんのことがほんとに好き。離婚もできたから誰はばかることもなく好きって言えるわ」
(え?またそこに話が戻っちまうのか)
リュウはちょっとあせった。
「でも、虎拳プロレスにとってリュウさんは今絶賛売り出し中のスターで、女の影をちらつかせるのはマイナスっていう事情も分かってる。だからファンの前ではあくまでスポンサーとして虎拳プロレスごと貴方を支えるつもりよ」
勢いよく言い切ったコトカだが、ふと視線を落として小さな声で続けた。
「でもリュウさんには私の気持ちをありのまま伝えたいの。リュウさんは嫌かもしれないけど」
「嫌ってことはねえよ」
即答したリュウにコトカの方が戸惑った。
「え?嫌じゃないの?」
「ああ。正直さっきまでは困ってたし、嫌といえば嫌だったかもしれねえ。でも、オーナーさんが今まで我慢ばっかりして、もう好きなように生きてえ、ってのは無理ねえと思った」
(俺だってそうだったんだ)
「これからは我慢しないで自分の気持ちを正直に伝えたい、って思うのも当然だ。だから嫌とは思わねえ」
「え…!」
リュウの茶色がかった瞳がコトカをまっすぐ見返している。コトカは嬉しさと恥ずかしさ、そして寂しさも感じていた。
(私のこと嫌じゃない…でも、好き…まではいかないの…?)
やるせない思いを胸に秘めて、ことさらに明るい声でコトカは言った。
「じゃあリュウさん、私をマブにして下さる?もちろんそういう関係じゃない方の、マブダチのマブよ!」
皆が美味しく食べた弁当の空容器をスタッフに回収させ、コトカは料亭へ帰って行った。
午後からもリュウはトウドウとスパーリングを重ね、二人の間で試合の大体の流れをつかみジンマに報告した。
「くどいようだけど絶対にケガはしないし、させないでよ!特にトウドウ!リュウさんは虎之助が復帰するまでは無事かつ無敗でいてもらわなきゃいけないんだから、それだけは頼むよ」
「え?俺、負けちゃダメなのか?」
リュウは驚いて言った。
「虎之助の復帰をより価値あるものにするためには、無敗の強いリュウに勝って復活、っていうのが不可欠なのさ」
そういうトウドウにリュウはさらに問うた。
「じゃあ俺は虎之助が帰ってくるまで、トウドウと何度闘ってもずっと勝つのか?他の奴にも負けねえの?なんか変だろそれって」
「そこがプロレスの醍醐味だ。勝敗の結果よりも中身でお客を満足させれば、真の勝者はお客が決めてくれる」
「ふうん…わかった。よくわからねえけどわかった。とにかく俺とトウドウは、今日やりあったみてえにできることを精いっぱいやりあって、最後は…えっと…なんだったっけ?」
「タイガー・スープレックスだよ!初代タイガー・マスクの必殺技!」
ジンマが叫んだ。
「あ、それそれ!邪魔じゃなくて虎固めだ」
「だが、ジンマ本当にいいのか?タイガー・スープレックスは虎之助の十八番だろ」
(え?そうなのか?)
トウドウの言葉にリュウもためらった。
「ああ。これは虎之助も了承の上なんだ。むしろリュウさんが虎之助の十八番を使ってトウドウを倒すのが、仇討ち的要素を強めることにもなるからね」
「そうなのか。そういえば虎之助はどうした?最近道場に姿を見せねえが足の調子が良くねえのか?」
「虎之助も新たな武器を身に付けたいって、格闘技の道場やジムとかまわってるらしいよ」
ジンマが嬉しそうな顔でリュウに答えた。
「そうか!じゃあ俺も負けねえように、もっと稽古しなきゃ」
リュウも嬉しそうに言った。
「…ジンマ、俺たちも頼みがあるんだ」
リングの下からケイイチが手を挙げながら言った。
「え?なに?」
「俺たちも、前座から上を目指したい!楽しいプロレスはもちろん大事だけど、ストロングスタイル要素をもっと強めたいんだ!」
「シュウが子供と遊ぶ時にはもちろん俺たちも参加して面白く盛り上げるから、その後の試合はお笑いは抜きにしてやらせてくれ!」
ケイイチに続いてユージも言った。珍しく二人とも真剣な顔でジンマに懇願した。
ジンマはちょっと目を潤ませた。
「そうかぁ…待ってたよ、その言葉!よし、じゃあ今度の試合はタッグマッチで相手チームも『肥後もっこす』の荒くれコンビだから、ストロングスタイルを貫いてやってみろ!向こうのブッカーには俺が話を通しておく!」
「よっしゃあ!」
「やったー!」
喜ぶケイイチとユージに続いて「ジンマ!俺もだ!」とシンヤも声を上げた。
「俺も、単なるパワーファイターじゃなく、もっとインパクトのある闘いがしたい!」
「シンヤもか!…でも、具体的にどうしたいんだ?」
「リュウのような蹴りを出す!」
「はああああ?!」
ケイイチとユージ、ジンマさらにトウドウがいっせいに呆れた声を上げた。
「え?俺みたいな蹴り?」
リュウだけは呆れ声は上げなかったが、びっくりしているようだ。
トウドウがいち早く追及した。
「おいシンヤ、リュウの蹴りはとにかくスピードがあって鋭く、しかも重い。角度だって変幻自在だぞ。お前にそんな蹴りができるのか?」
「そんなことは俺が一番わかっている!」
シンヤはそう言うとTシャツを脱ぎ、トレーニングパンツも下ろして痣だらけの身体を見せた。
「虎之助に頼まれて、このところリュウの凄い蹴りをずっとこの身体で受けさせられてんだから!」
リュウの方を向き直ると「リュウ、頼む!」と頭を下げた。
「俺の体型でも、いや!俺の体型だからこその凄い蹴り方を教えてくれ!相手が引いて、お客さんはドッと沸くような蹴りが欲しいんだ!」
リュウは嫌そうな顔をしていたが、その理由は別にあった。
「シンヤ、まずズボンを上げてくれ。下着がずれてケツと、玉も1個見えてるぞ」
「おわっ!」
「前座じゃないのに尻出ししてる…しかもハミ玉」
「尻出しやりたいのか。俺たちと交代しよう!」
ケイイチとユージがいじってきた。シンヤは二人を睨みながら下着の中にはみ出したものを収め、トレーニングパンツもずり上げた。やっと安心してリュウは言った。
「シンヤの場合、普通に蹴るより体重を乗せてぶつけていくような蹴りの方がいいんじゃないか」
「リュウが言う『普通の蹴り』はローキックでもミドルの高さからが基本だ。腰を入れて落とすように打つから効く」
すかさずトウドウが解説した。
「その動きがまた速いからガードが間に合わない。しかもミドルからハイに来るかローに来るか、それともローリングソバットなのかまったく読めん。いきなりかかと落としに来ることもある。でもシンヤにはそんなスピードはないし、腹の肉が邪魔で足が上がらんだろうからな」
「あ…言っちゃった」
「可哀そうだから言わなかったのに」
ケイイチとユージがしれっと言った。
「そんなことも俺が一番わかっている!」
シンヤは顔を赤くして怒鳴ったが、リュウはさらりと言った。
「じゃあ、ジャンプしてぶつかりながら蹴るのはどうだ?自然と体重がかかって来るし、横からのまわし蹴りなら腹もそこまで邪魔にならないだろ。こうだ」
言うなりリュウは飛びまわし蹴りをシンヤに放った。
「ぐわっ!」
シンヤが悲鳴を上げたが、かろうじてロープにすがり、倒れるのはこらえた。
「あ、すまねえ!足を無理して上げなくても、助走つけてジャンプしながら足をぶつけていきゃあ、シンヤのガタイならかなり効くんじゃねえか」
「やってみる!ケイイチ来い!」
「ひぃ…」
「跳ぶ際に踏み切り足側に重心掛けて、身体も傾けろ。そうすりゃ蹴り足もちったぁ上がりやすくなるだろ」
「こうか…よしわかった!いくぞ!」
「げえっ!!」
シンヤの“ぶちかまし蹴り”にケイイチが吹っ飛ばされた。
「おお!!」
予想をはるかに超える威力にジンマたちも驚愕の声を上げた。
「うおおお!これだ!俺はこういうのがやりたかったんだ!!」
喜んだシンヤはユージとケイイチを交互に立たせて蹴りを打ち込み続けた。
「シンヤ!もう勘弁してくれ…!」
「なんでここまで平気で人を蹴られるんだ…暴力反対!」
泣きを入れられシンヤが蹴りを止めると、二人はリュウに向き直ってこう言った。
「リュウ!俺たちも教えてほしい!蹴りもだけど、リュウの掌底を仕込んでほしいと前から思ってたんだ!」
「え?今度は掌底か?」
「プロレスじゃ拳骨は反則だが掌底はOKだ!ラフファイトになった時に打ち込んで、お客さんを沸かしたいんだよ」
「ストロングスタイルで気迫を出すために、ぜひ教えてくれ!」
「おう!ど素人の俺に皆がプロレスを教えてくれたから、今度は俺がお返しできて嬉しいぜ!掌底のコツは打ち込む瞬間に腕をまっすぐ伸ばすことだ。掌底部分から腕の付け根までな。指は前へ突き出して目を狙って…」
トウドウが呆れて突っ込みを入れた。
「おいリュウ、反則にならないから掌底教えてくれって言われてんのに、いきなり目潰し教えてどうする」
「あっ!喧嘩じゃなかった!すまねえ、今のは無し!」
笑い声が上がる中、皆は嬉々としてリュウの指導に夢中になっていった。
(リュウさんの影響で皆が変ってゆく…まるで爪の垢を煎じて飲ませてもらったみたいだ…いや、竜だから鱗かな)
ジンマが潤んだ目でその光景を嬉しそうに眺めていた。
(第五十九話へ続く)
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