「ヤッさん!ひざ蹴りの兄ちゃんが勝ったって、本当か?」
本部席になだれ込んできたのは、きばい屋の常連3人組だった。
「何を言ってるんだ。ついさっき堂々と勝ち名乗りを受けてたじゃないか。…まさか、観てなかったのか?」
ヤッさんの問いかけに、3人組はお互いに目配せをした。
「いやぁ、屋台で地鶏の炭火焼があってな、これがまたえらくうまかったもんで、ついつい酒をおかわりしてたら遅くなっちまった」
「兄ちゃんの試合が始まってる頃だろうとは思ったけど、まさかもう終わってたとはな!早すぎるだろ」
「しかも数秒で、また一発で倒しちまったってな。何で俺たちに勝つとこ見せてくれなかったんだよ」
勝手なことを言いまくる3人に呆れながらも、ヤッさんは(自分もこの目で見ちゃあいないが…)とためらいつつ、
「勝ったのは本当だ。相手はピクリとも動かなかったよ。こう、飛び上がってな、片足を素早く垂直に上げて、凄い速さで相手の脳天に落としたんだ」
と、わかりやすく動きをつけて説明した、つもりだったが。
「…ヤッさんの脚、全然あがってないな」
「それじゃ脳天まで届かんぞ」
「しかも凄い遅さだ」
全然わかってもらえなかった上に3人から突っ込まれてしまった。
「うるさいな!リュウさんと同じようになんかできるわけないだろ。とにかく『かかと落とし』って技で秒勝ちしたんだ」
「ひざ蹴りの次はかかと蹴りか。すげえな兄ちゃん」
「なぁヤッさん、俺たちもここで観させてくれよ。一回戦見逃した分も二回戦は近くで応援してやりたいんだ」
ヤッさんはしょうがないなぁ、と言いながら椅子や備品を寄せて無理やり三人分のスペースを作った。どこまでもお人好しである。
「んで、兄ちゃんは二回戦でどんな奴と闘うんだ?」
「ちょうど今から出てくる二人のうち、勝った方とやることになる。ええと、東がボクシングジムに通ってる社会人で、パワフルなパンチが売りらしい。西が柔道三段の大学生だ」
ヤッさんの言葉が終わると同時に呼び上げがかかった。
「第二試合、東ぃ──、サツマは鹿屋の───ウエンビュ~~ウ───!!!」
東側の控室から花道にやって来たのはゴリラのような胸板とごつい腕を持つ男だった。その頭はスキンヘッドで、篝火に照らされた眼のあたりは真っ黒な影になっていて、非常に恐ろしく見えた。
ヤッさんと3人は西側の柔道学生の呼び上げも耳に入らないほど震えあがっていたが、その学生の名前や特徴を覚える必要はなかった。開始直後からの社会人ボクサーの猛攻に手も足も出せず、あっという間にノックアウトとなったからだ。
(…リュウさん、あんな凶拳の奴とやるのか…柔道の大学生、血だらけで顔面腫れ上がってたぞ…)
ヤッさんが青くなっていると、3人組もぼそぼそと不安を口にした。
「…兄ちゃん、背はちっこくても顔だけは男前なのに、あんなボコボコの顔にされちまうのか…」
「…せめていっぱい応援してやろうな。一方的にやられて負けても悔いのないように」
「…いや、下手に応援して無理に頑張らせるより、早くタオルを投げ込んで顔だけは守ってやったほうがいいんじゃないか」
「お前ら!はじめからリュウさんがボコボコにされるって決めてかかってどうするんだよ。失礼じゃないか」
3人を叱りつけるヤッさんだったが、その手は本部席備品の中から白いタオルを探している様子であった。
第三試合、第四試合も終わって二回戦開始の宣言があり、今度はリュウの呼び上げもカッコいいものに変わっていた。
「西ぃ──、必殺!かかと落としの───リュ~~ウ───!!!」
さらに場内からは大歓声と拍手が起こっていて、シンカイたちからの罵声もかき消すほどだった。
リュウは気分よく花道を歩いた。本部席の前まで来ると、きばい屋の常連3人組の姿を見つけたので、調子に乗って拳をあげて合図を送ってやった。
しかし、どうも3人の様子がおかしい。
1人目は手に白いタオルを掲げて振っている。
「兄ちゃん!無理はしなくていいんだぞ。絶対無理はするな!」
その隣は成仏を祈るかのように両手を合わせ、涙を浮かべている。
「ボコボコにされててもいっぱい、いっぱい応援するからな…恨まないでくれ!」
3人目は自分の顔を両の手のひらで覆って隠す仕草を繰り返していた。
「顔だけは…せめて男前の顔だけは守れよ!」
「おい、みんな何て言ってんだ?」
とリュウは聞き返したが、3人の声はこれまた大歓声に呑まれてリュウの耳には届かなかったのだ。
(タオル、合掌、顔を隠す…?何のゼスチャークイズだ?それともサツマのおまじないなのか?)
首をかしげていると、またもや対戦相手の呼び上げを聞き逃した。さらに審判から早く綱の中に入るようにと注意されてしまった。
綱をくぐって床の上に立つと、東側の選手もちょうど中に入って来た。やはり身長は六尺六寸ほどある。
拳を包帯で巻いているのでボクシングで勝負してくることは伝わった。
しかし試合着が締め込みだったのでリュウは
(ケツが見えてるじゃねえか)
と、戸惑った。しかしながら胸から肩、そして腕の筋肉の凄さは相当な腕力がうかがえ、締め込み姿の違和感を払拭させた。
中央で向かい合うと、二人とも立ち姿のままで構えたので身長差が際立ったが、礼の後主審はお構いなく「はじめ!」と叫んだ。
その声と同時に、社会人ボクサー・ウエンビュウは踏み込んで左のジャブを繰り出した。
観客が「わっ!」と声を上げたが、その拳の先にリュウは居なかった。
リュウも主審の声と同時に身体を沈め、床に仰向け状態でなかば倒れながら、ウエンビュウの前脚に鋭くスライディング・キックを放ったのだ。
「おお───!」
場内にどよめきが起こった。前の試合の印象が強かっただけに、リュウはまたジャンプをするのではと観客だけでなく対戦相手も思い込んでいた。意表を突かれたウエンビュウは思わずよろめいた。
リュウは即立ち上がったが、上体をかなり低く構え、背が高いウエンビュウが打ち込みにくい姿勢でさらに蹴りを出してきた。
「いいぞ!兄ちゃん!」
「ボクサーは脚を攻撃されることがないからな!」
「もっといけ!やれやれ!」
さっきまでの不安はどこへやら、常連3人組は大騒ぎで応援しだした。観客も同様である。
ウエンビュウはステップワークを使い、なんとかリュウの蹴りをかわそうとしていた。
しかしリュウの動きが速く、すぐに追いつかれるどころか先に横へ回り込まれ、拳を出せない角度から蹴りが入ってくる。
(こいつ、小さいくせになんでこんなに蹴りが強くて重いんだ?!)
ウエンビュウを驚愕させたリュウの蹴りは2種類あった。
身体を倒しながら出すスライディングキックの時は相手のひざの横に足の甲を走らせるように蹴る。
サイドに踏み込んだ際は上体を伸ばし、片脚を曲げた状態でハイキックを出せるくらいに上げる。素早くひざから下を伸ばし、相手の太ももの付け根めがけて、斜め上から鋭角に落とすように蹴り込む。
どちらもフォロースルーが効いていてバランスを崩されやすく、さらに鋭角に落とす蹴りはズシンと芯に響くので、立っていられなくなるほどだ。
(そろそろいいか)
ウエンビュウの脚の動きを奪ったリュウは上体を起こし、正面を向いた。
両腕は脇に少しの空きを作り、手も拳ではなく開手で指の先があごのあたりに来るほどの高さだ。胸元に三角形を作るように肩の力を抜いて腕を構える。
力を込めていない自然体にも見えるが、実は左右、上下のどんな動きにも瞬時に対応できる構えであった。
ウエンビュウは好機と見て、足のダメージをこらえて前に出た。
ワンツー、フックと仕掛けるが、リュウがガードの腕を少しひねるようにして当たりを反らし、上手く流すので決まらない。ボディフックでレバーを狙ってみるが、瞬時に腰を切って後ろへ流されてしまう。
こうした捌きのタイミングでリュウも果敢に内側へ入り、正拳突きでみぞおちなどを攻めるがさすがにガードが固く、身長差もあってなかなかいい位置にヒットしない。
やはり足を徹底的に崩してダウンさせるほうが得策かと、ふたたび上体を沈めてサイドに回りかけたその時、ウエンビュウも身体をぐっと沈めてリュウの顔面めがけて強烈なストレートを打ち込んできた!
「ああっ!」
「兄ちゃん!」
ヤッさんと常連たちの悲鳴が上がる中、ウエンビュウの拳を受けたリュウの頭部は勢いよく後ろに反り、脚は前に滑りこむように倒れ込んで行った。
(第十話へ続く)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!