「今この瞬間から、飛竜試練の十番勝負が始まる…!」
照明が落とされた闘技場虎拳アリーナにジンマの声が響き渡った。
それと共に「おおお…!」という観客の声が地鳴りの様に沸き上がる。
「虎之助と相対するその日まで、決して負けられぬ竜浪道をおのれを信じて突き進め!【サツマの闘神を倒した男】が最強の空手家を真剣勝負で迎え撃つ!
さぁ来いゲンサイ!俺の首を掻っ斬ってみろ!!───飛成リュウ選手の入場です!!」
「わああああっつ!!!」
大歓声が上がり、入場曲「ダイナマイトに火をつけろ!」のリズムに合わせ「リューウ!リューウ!リューウ!」の大合唱と手拍子も起こった。
まぶしいほどの照明に照らされた花道をいつも通りに駆け足で入場してきたリュウ。
だが、コーナーポストのトップロープへ跳び乗ることはしなかった。
駆け足からのハイジャンプで、前方宙返りを二回転しながらリングに降り立ったのだ。
「わあーっ!」「おおおっ!?」
子供たちの歓喜の声と大人の驚きの声が同時にわき上がる。
さらにリュウはゲンサイに向けて、両腕を胸の前で十字に組んで切りながら頭を下げる【空手の礼】をした。
空手家ではないリュウの十字切りにセコンドの弟子たちは不快な表情を見せたが、師匠であるゲンサイが即、リュウに十字切りを返したので何も言えなかった。
「171㎝、83㎏、ヒナリ───・リュ───ウ────!!!」
ジンマの魂を込めたコールに合わせ、リュウは陣羽織を脱いで後方に投げた。
(宙返りは子供たちへのサービスやな。コーナーポストに立たんかったんは…ゲンサイさんを上から見下ろさんように気ぃ遣ぅたん?)
セコンドにいるシュウの心話にリュウもうなずいた。
(さっきお弟子さんたちを怒らせちまったからな。せめてもの詫びの気持ちだ)
ゲンサイは白帯を外して空手道着の上衣を脱ぎ、下衣に裸足姿でレフェリーチェックを受けた。
ルールが変わったため、リュウもオープンフィンガーグローブや膝サポーター、レガースの着用をしないという選択肢もあったが、
「ゲンサイの蹴りを少しでも防ぐために足の防具は付けておいてくれ!」
というジンマの意見、というよりも懇願を聞き入れ、グローブのみを外したスタイルで試合に臨んだ。
リング中央で相対すると、ゲンサイは黒目がちの強い眼差しでリュウの目をまっすぐ捉えた。リュウもその茶色い瞳でゲンサイを見据える。
互いに闘志を秘めた目でありながら、わくわくした子供のような楽しさを隠し切れない輝きを放っていた。
(さぁ闘ろうぜ、ゲンサイ!)
(リュウ、いざ参る!)
「ファイッツ!!」
レフェリージンマの合図に、“カ───ン!!”とゴングが打ち鳴らされ、試合が始まった!
リュウは即右に回り込み、ゲンサイの左足太ももを狙っての蹴りを放つが、重戦車のごとく押し寄せて来たゲンサイもリュウの左足へ強烈な蹴りを放った!
“ドガッツ!”
軸足を吹っ飛ばされたリュウは宙に浮き、開始数秒でマットに叩きつけられた!
「ええっ!?」
観客から驚愕の声が上がる。リュウのいきなりのダウンを信じられないのだ。
「おお!ゲンサイ先生──!」
それに対し、2階ホールではゲンサイの弟子たちが歓喜の声を上げている。
すぐさま起き上がってファイティングポーズを取ったリュウだったが、その表情は驚きに満ちており、けしてセールではないということが明らかであった。
(なんてえ蹴りだ。まるで仁王の持つ金剛杵でぶん殴られたみてえだ…)
しかしリュウはひるむことなく、真っ向勝負に打って出た。
正面から下腹をえぐるような強烈な前蹴りを仕掛け、さらに踏み込んで縦拳を胸骨目掛けて打ちこんでいった。それに対しゲンサイも前蹴りを打ち、さらにリュウの左足内側への下段蹴りを連打してきた。
リュウも負けじと中段からの落とす蹴りをゲンサイの太ももへ連打するが、ゲンサイは顔色ひとつ変えることなく一歩も引かずに、胸部への正拳突きと下段蹴りを続けながら押して来る。
「60万!60万!!」
ゲンサイの下段蹴りが入るたびに、場内のあちこちからこんな声が上がるようになった。
「60万…?あいつら、何を叫んでいるんだ?」
物販コーナーから試合を観ているシンヤがそう言うと、サナダが「慰謝料だ」と言った。
「慰謝料?」
「何すか?それ」
ケイイチとユージもサナダに問うた。
「空手の試合でゲンサイの下段蹴りを喰った相手が、足の骨を叩き折られちまってな。ゲンサイは慰謝料を支払う羽目になった。その金額が60万だったってわけだ」
「げ…」
「ゲンサイ自身はああいうヤジめいたことは好かん男だが、空手に詳しい客が面白がって叫んでるんだろうな」
「リュウの足、大丈夫か?」
「膝サポーターとレガースは付けてるが…」
「でも、太ももによく当たってるから危ないんじゃないか」
3人が心配する中、リング上ではゲンサイとリュウが互いに退くことをせず、拳の突きと下段、中段の蹴りを打ち合い続けている。
“ドゴッツ!” “ボゴッツ!”
重く鈍い音を立てながらゲンサイは下段蹴りをくらわし、リュウのボディにも“ドン!”という音が聞こえてきそうな正拳突きを左右から打ち込み続ける。
一方、リュウはスピーディーにゲンサイの倍ほどの数で下段、中段の蹴りを中心に打ち、水月やあばら骨の下へもスナップを利かせた拳を打ちこんでいる。
“ビシッ!” “バシッ!”
音こそゲンサイの蹴りのような激しさはないが、その実、鋭角に落とし込むリュウの蹴りは身体の芯が壊れるほどに効く。体幹の強さが尋常ではないゲンサイだからこそ傍目にはわからないが、並のレスラーならとても立ってなどいられない。
(あのリュウの蹴りを連打で受けて揺るがないとは、ゲンサイってとんでもなく強え奴なんだ…!)
虎之助の頼みで一時期、リュウのサンドバッグと化していたシンヤは誰よりもその蹴りの脅威を知っている。それを顔色を変えずに受け続けるゲンサイにも底知れぬ恐怖を感じていた。
リュウとゲンサイは共に打撃に対しガードや捌きを特にせず打ち合っていたが、リュウの左の下突きをゲンサイがついに右手で払い捌こうとした。
しかしリュウはゲンサイの捌きに従うことなく左手の動きを止めた。そしてその一瞬の間に、リュウは右の鈎突きをゲンサイの左わき腹に鋭く打ち込んだ!
(ぐっ!)
思わず身体が傾きかけたが、ゲンサイはそれすらも蹴りのモーションに替えて、リュウの左足内側へ蹴りを放ち、左右の突きをボディへ打ち込んだ上に、左の下段で追い打ちをかけてきた。
その時であった。
リュウが素早く右手をゲンサイの首横に差し入れ、その後頭部をつかむや跳び上がった!
“ガッツ!”
リュウの衝撃的な飛び膝蹴りが、ゲンサイの顔面に突き刺さっていた。
(はぅっ?!)
ゲンサイの弟子たちもシンヤたちレスラーも、そして観客も皆息をのんだ。さらに次の瞬間、なんとゲンサイがマットにばったりとうつ伏せに倒れ込んだのである。
「わあああ───!!」
「リュウ!やった!」
「すげえ!」
場内は爆発的に盛り上がったが、ゲンサイの弟子たちの悲痛な声も響いた。
「ゲンサイ先生!?」
「立って!立ち上がって下さい!!」
ジンマはカウントを取り出した。今試合のルールでは10カウントでノックアウトになるが、ゲンサイはカウント3で身体を起こし、顔を上げた。
ゲンサイの右頬は大きく腫れあがり、人相が変っている。
「先生…?!」
リュウの膝蹴りの威力を知り、弟子たちは戦慄している。
しかしゲンサイは表情を変えず、両手を上げて構えた。
「ファイッ!」
再び対峙するとリュウは左足、ゲンサイは右足の下段蹴りをほぼ同時に放った。リュウの蹴りの方が早かったが、ゲンサイはその軸足を刈ったので、リュウはバランスを崩し倒れかけた。
だがその時、リュウはゲンサイの右腕をつかんで引き倒したので、共にマットに倒れ込んだ。
「今だ、潜れ!」
サナダが叫んだ。
リュウは(わかっている!)と言わんばかりの顔で、ゲンサイの右腕を搦め取ると同時に左足でゲンサイの右足を刈り、自身の身体をゲンサイの下へ潜り込ませた。
さらに右腕を使ってゲンサイの左足を抱え込んで回転し、ゲンサイをマットに抑え込もうとした。
しかし、ゲンサイはマットにつけた左手と左足のみで必死に踏ん張り、リュウに身体を入れ替えることをけして許さなかった。そして不自然な体勢のままで、リュウの顔面に肘打ちを落として来た!
(危ない!)
ジンマは顔面肘打ちOKルールを忘れて止めようとしたが、それよりも早くリュウが右掌底でゲンサイの左肘を止め、打ち返す勢いを利用してついにゲンサイを己の身体の下に敷き込んだ。
「おおっつ!」
場内が沸いたが、足ではなく腕を抑え込んでの回転となったため、ゲンサイは己の両足を使ってリュウのフォールをはね返した。
そのはずみで両者の身体がロープに接したので、ジンマは内心ホッとしながらロープブレイクを促し、二人を立ち上がらせた。
両雄はふたたび激しい蹴りの応酬を始めている。
「ゲンサイをなかなか崩せないな…」
「パワーが残ってるうちは、そうそうグラウンドは無理かも」
「でも打撃を続ければ、リュウのダメージも増すばかりだぞ」
シンヤたちが心配しながら見守っている。
リングサイドの席でもコマチとカワカミが不安そうに語り合っていた。
「リュウさんの左足太ももが右足よりも腫れあがってる…!」
「ゲンサイ選手の利き足蹴りの強さ故、ですね。道着に隠れて見えないだけで、ゲンサイ選手の足もリュウさんの蹴りを受けてかなり腫れているはずです」
「二人とも顔には出さないけど、本当は凄まじい痛みなんでしょうね…」
「意地を張り合う様に二人ともガードをほとんどしませんね。動けなくなるまでやりあうつもりなのかも」
カワカミが言うように、闘技戦の時のリュウは相手が打ち込んで来た蹴り足を一歩引きながらかわし、腕を使ってその蹴り足を捌いて上体を崩させる「サバキ」を使ったり、自分の足を外向きにして堅い脛を蹴り足に当ててやることでむしろ相手側にダメージを与えるガードをしていた。
しかしそれをしないのはゲンサイの体幹が強くて崩しが難しいのと、ジンマの懇願でシューズとレガースを付けているがゆえに、リュウの脛の堅さが軽減されてしまい、相手の足をむしろ守る結果にもつながるからだ。
(これじゃ埒があかねえ。そろそろやるか!)
間合いが詰まった際に、リュウは素早く膝を引き付けて前蹴りを仕掛ける動きを見せた。そうと見たゲンサイはリュウの軸足首を狙っての刈り蹴りを打とうとした、その時。
リュウは高くジャンプをしながら引き付けた足を素早く回し、垂直に掲げた。
ゲンサイの脳天を目掛けたかかと落としであった!
ゲンサイも腕を上げて防ごうとしたが時すでに遅く、リュウのかかとが “ゴッ!!” という鈍い音を立てた!
「ああ───っつ!!!」
「わああっ!!!」
弟子たちの悲鳴と観客の歓喜の声が同時に上がった。そしてゲンサイは足もとから崩れ落ち、仰向けに倒れた。
「リュウさんの今の技、玉名の試合の時と足が違ってる…!」
目ざとく気付いたコマチがカワカミに訴える。
「プロレスではかかとを使うと危険すぎるから足の裏を当てますが、本来はかかとを落とします。サツマの闘技戦第一戦でもリュウさんはこの跳びかかと落とし一発で2メートル150㎏の巨漢力士を秒殺で倒しました」
「秒殺で…じゃあゲンサイ選手もこのまま…?」
ゲンサイの弟子たちも動かない師匠の姿に涙を浮かべながら諦念を持った。リュウはコーナーに下がり、呼吸を整えながら倒れたゲンサイを見つめている。ジンマも粛々とカウントを4まで数えた。
だがその時。
ゲンサイの上半身が音もなくゆっくりと起き上がって来た。
腕の力も足の力も使わず、まるで人形を綱で引っ張って引き起こしたかのように、である。
「ええっ?!」
「お…起きた!?」
場内にはざわめきが広がった。
恐怖を抱きながら「ゾンビか?」「ドラキュラみたい…」とつぶやく声も多かった。
「せ…先生!?」
ゲンサイの弟子でさえ戸惑いを隠せず、目を閉じたまま立ち上がる師の姿を凝視するしかなかった。
「ゲ…ゲンサイ選手、闘えるのか?」
カウントを8で止めたジンマが恐る恐る問いかけると、ゲンサイはカッと目を見開いた。
「無論。リュウを斬らねば、この闘いは終わらぬ」
その血走った目は、狂気を宿して赤く光っていた。
(第七十九話へ続く)
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