「あれ?!リュウさんの姿が…み、見えない?!」
リュウの晴れ姿を目の当たりにし、感激のあまり涙があふれたジンマだったが、腕で涙を拭った際にコンタクトレンズがずれてしまった。
いつもは眼鏡をかけているが、レフェリーをやる際はコンタクトレンズにしていたのが災いしたのだ。
あわてて目玉をぐりぐり動かしながら、必死にコンタクトレンズの位置を調整している。
(ジンマ、何やってんだ?俺はいつ、ここから降りたらいいんだよ)
トップロープの上で立ったまま、リュウはジンマからの合図をそれこそ(ま~だかなぁ~)と待っていた。
(リュウ!陣羽織を脱いで、真後ろに投げ捨てたら降りといで)
いきなりシュウの声が心の中に響き、リュウはびっくりしながらも言われた通りに陣羽織を脱いで投げ捨て、マットの上に飛び降りた。
観客からの歓声があがる中、リング下でしゃがんで目立たないようにしていたシュウ(それでも巨体なので目立つ)が陣羽織をキャッチした。
(この声シュウなのか?お前、おネエちゃんみたいに口に出さずに会話ができるのかよ?)
(あ、聞えてるんやな。よかったぁ。チビヤゴくん電話手に持って、頭んとこ押しながら話しかけるように心ん中でしゃべったら、リュウと離れてても伝わって会話できるて宮司さんからもらった時に聞いててん)
(そんな機能まであるのかよ。すげえなチビヤゴくん)
(今まで別に使うことなかったから忘れててんけど、試合中は便利やからこれでいくわ。ほな、真ん中に寄って行ってジンマさんのレフェリーチェック受けて)
やっとコンタクトレンズを元に戻したジンマが、トウドウとリュウのボディチェックをしてから二人を向き合わせた。反則について簡単な説明をするが、リュウはトウドウの態度に気を取られて全然聞いていない。
身体が当たりそうなくらいに近づき、トウドウはいかにも偉そうにリュウを見下ろし【ガンを飛ばして】来ているのだ。
(なんかトウドウが睨んでるけど、俺はどうすりゃいいんだ?)
(リュウもメンチ切って)
(めんち?なんだそりゃ)
(同じように睨み返したらええねん)
(こうか?)
(ちゃう、そやない…白眼むいてるだけにしか見えへん)
リュウの変顔にトウドウは不覚にも笑いそうになったが、必死で悪役の仮面を被り続けて耐えた。
(トウドウさんのほうが背高いんやから、あごも上げて睨まなあかんて)
(めんどくせえな)
なんとかリュウもガンを飛ばしてカッコつけたが、もうゴングが鳴るということで二人は離され、ジンマが手を大きく上げて振り下ろしながら「ファイッ!」と試合開始の合図を出した。
“カ───ン!”
ゴングが鳴り響き、リュウのプロレス初試合が始まった!
試合開始と同時に、リュウは高々とジャンプをしながらローリングソバット──【後ろまわし蹴り】を出した。
「おおおっ!!!」
大きなどよめきが起こり、リュウは一瞬で試合を我が物にした。
振り上げたその足先はトウドウの頭を超すほどの高さで、当てに行ったというより牽制と見栄えに重点を置いていた。着地してからも余韻をもたせるかのようにくるりと回転し、トウドウと向き合った。
「舐めやがってこの野郎!」
トウドウが叫んで突進し、リュウを捕まえようと両腕を伸ばすが、その腕をリュウは左手の“サバキ”で素早くかわす。
同時にリュウは右後ろへ、高速回転しながら自身の右足裏側をトウドウの右足に引っ掛け、すくい上げた。
【後ろまわし足払い】で瞬時にダウンを取った!
「わあっ!?」
「なんだ?何が起こった?」
「速い!」
あまりに素早いリュウの動きに観客は驚きながらも夢中になっていた。
「まるで竜巻を見ているようだ!」
しかしダウンしたトウドウもすぐに起きて立ち上がり、リュウの左腕を逆手に取った。
腕をひねり上げられ上半身を曲げられたリュウの動きが止まったかと見えた次の瞬間、リュウは前方に自ら回転しトウドウに掴まれた左腕を伸ばした。
さらに続けて後転をしながら自身の腕を外すと、逆にトウドウの腕を取り、巻き込んでの投げを打った!
「おおっ!」
「つかまってもすぐに逆転…!」
仰向けに倒れたトウドウにリュウは攻撃を仕掛けようとするが、トウドウはその姿勢からリュウの顔面をつま先で蹴り上げ、攻撃を阻んだ。
後退したリュウにタックルからのショルダースルーを仕掛けるが、投げられながらもリュウは前方宙返りをし、難なく足から着地した。
観客からの歓声を受けながらロープに走り、右半身を当てた反動を使って技を出そうとするが、トウドウの方が先にバックエルボーを出して来た!
跳ね飛ばされるかのようにリュウはマットに倒れ込んだ。
「うわっ!」
「リュウがはじめてダウンしたぞ!」
そこへレフェリーのジンマがかがみこんで様子を伺いながら、そっと囁いた。
「リュウさん!ここからが打撃応酬だ。二人に任せるけどくれぐれも用心して!」
返事の代わりにいったん頭を下に向けたリュウだったが、顔が上げられるとその眼には嬉しそうな輝きが満ちていた。
(やっと好きなように動ける!さぁトウドウ、行くぜ!)
立ち上がったリュウは、踏み込んで来たトウドウの前蹴りをバックステップで避け、瞬時に前へステップインしてボディへの突きを連打する。
グローブは付けてはいるものの、ボクシング用ではないので衝撃はかなりある。しかもリュウの突きはノーモーションで速い上にスナップが効いているので、強く押し込まれるようなきつさがある。
その苦しさにトウドウが腕のガードをやや下げ、背も丸めるようにした瞬間、リュウはジャンプしながらのひざ蹴りをトウドウの顔面に叩き込んだ!
「ぐぅっ!」
たまらずのけぞったトウドウがダウンする。
ひざのサポーターなど存在しないかのような激しい蹴りに、観客も歓声を上げるのを忘れて「ひいっ…」と息をのんでいた。
ジンマがトウドウの様子を伺うが、トウドウもまた痛さと嬉しさが混じったような表情をし、
「やりやがったな!」
と叫びながら立ち上がり、ロー、ミドル、そしてハイのコンビネーションキックを浴びせて来た。
もちろんリュウもガードするが、ハイキックのガードをする際に少し左側へ崩された。それを見逃さなかったトウドウの回転バックブローを側頭部に受け、リュウもダウンした。
(…くそ、耳の裏に当たったか?)
三半規管への攻撃で平衡感覚が乱れたかと、マットの上で動かず少し様子を見るリュウ。
ジンマは真っ青になって「大丈夫?リュウさん!」とかがみこんで囁いたが、
「大丈夫だ。何ともねえ!」
と小声で返して立ち上がり、再びトウドウと向き合ってキックの応酬を始めた。
「いいぞー!」
「やれ!いけー!」
プロレスと思って観ていたら打撃技の応酬、しかもお互いにスピードとパワーがあるので、観客のなかの立ち技格闘技好きな者たちが一段と盛り上がっていた。
しかし、ジンマは冷や汗を流しながら二人の攻防を見ていた。
(やっぱり二人に任せるんじゃなかった…さっきもつま先でリュウさんの顔面を蹴ったし、トウドウは明らかに危険な攻撃を狙ってきてる!)
ジンマは試合直前の控室でのことを思い返していた。
説明の最後にジンマは「トウドウがもしも一線を越えるような攻撃をしてきた場合、2回までは注意するが3回目となったらレフェリー判断でトウドウを反則負けにする」と告げた。
するとそれまで聞き流していたようなリュウが、はっきりとこう返して来た。
「いや、試合は止めるな。トウドウへの注意もいらねえ。そん時ゃ俺もやり返すから大丈夫だ」
「やり返す?ダメだよ!リュウさんはあくまで正統派なんだし、しかもデビュー戦なんだから、悪いイメージはつけたくないんだ!」
ジンマがすごい剣幕で反対すると、リュウは少し考えて、
「俺が悪いことしてるようなイメージをお客に持たせなきゃいいんだな?」
そう言うと、ニヤッと笑った。
その時シンヤの試合が終わったと知らせが入り、ジンマと虎之助は控室を出てリングに向かわざるを得なくなった。
(どうするつもりかわからないけど、とにかく早く打撃応酬を終えて、無事にプロレスの流れに戻ってくれ…!)
ジンマはそう願っていたが、当の二人は打撃が得意とあって、やり合うのが楽しくて仕方がないらしい。
トウドウがリュウの首元を狙って横蹴りを入れると、リュウは倒れざまにトウドウの軸足にスライディング・キックを放って共倒れにする。
ここぞとばかりにジンマが倒れた二人に近寄り、小声で「そろそろプロレスに戻って!」と言うが二人は聞く耳を持たず、同時に立ち上がるや、リュウはなんとジャンプしてのかかと落としを出して来た!しかもトウドウの頭に見事にヒットしたのである。
「うわぁ───っ!!!」
観客が悲鳴じみた歓声を上げた。
闘技戦でリュウのかかと落としを受け、即ノックアウト負けをした学生力士の姿を思い出してジンマは動揺したが、リュウが小声で
「かかとじゃなく足の甲を伸ばしてシューズの裏で当てたから、たぶん大丈夫だ」
と言った。
リュウの言葉を裏付けるかのように、ダウンしたトウドウは自ら身体を回転移動し、ロープサイドまで逃げた。
とはいえダメージはけして小さくはない。怒りに燃えた目をしたトウドウは、少しふらつきながらも立ち上がるや、猛然とラッシュをかけて来た。
肘の骨にギリギリ当たらない部分の前腕部で、リュウの目のあたりを狙ってエルボーを当てて来る。
幸いリュウの顔立ちは額が秀でて鼻筋も通っているので目には直接当たらなかったが、危険極まりない。
さらにトウドウは首相撲に持ち込んでひざ蹴りを激しく打ち込み、なおも首相撲を崩してマットに転がりながらリュウの頭をヘッドロックに移行した。
と、見えたが、実は腕を落として首を抱え込むようにし、リュウの首を思い切り絞めてきた!いわゆる【ブルドッグチョーク】であった。
「トウドウ!それはダメだ!」
ジンマはリュウの言葉に背き、注意ではなくれっきとした反則行為としてカウントを取りかけたが、その時トウドウが
「ぐぅおっ!!」
と呻き声をあげ、さらに「うっ…!くぅぅ…」と息が詰まったような苦し気な声を出し、リュウの首から腕を離し、自分の腹を抑えて床に崩れ落ちた。
何が起こったのかジンマも観客もわからなかったが、解放されたリュウがゆらりと立ち上がり、観客に向けて無言で右手の拳を突き上げた。
それを見て「チョーク攻撃を受けた際に、トウドウの腹部にリュウがパンチを入れて逃れた」と解釈した観客は「わぁ───!!」と盛り上がった。
しかしトウドウの悶絶ぶりが尋常ではないのを見たジンマは、ただのパンチではないと感じ「リュウさん、いったい何をしたの?」と小声で尋ねた。
振り返ったリュウの顔を見た瞬間、ジンマは背筋が凍った。
青ざめた顔に鋭い目、しかし唇には楽しそうな、残忍な笑みが浮かんでいる。
───この顔には見覚えがあった。
闘技戦で「生きているヤゴロウどん」がリュウの背中に全体重をかけて押しつぶし、その首を折ろうとした後に見せた顔だ。
あの時は闘神の手の指の骨を4本折っていた。さらにその直前には同じく足の親指も折っていた。
(…ということは、トウドウも…?!)
たじろいで後ろに下がろうとするジンマの耳に、リュウの声がかすかに聞こえた。
「俺の息の根を止めようとすりゃ、こうなるって事だ。よく覚えとけ」
それはジンマに言ったのかトウドウに言ったのか、それとも別の誰かに言ったのか。
かつてジンマ自身が【凶暴な人殺し】と評したリュウの目は、虚空を見つめて鋭く光っていた。
(第四十六話へ続く)
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