同じ九州でも、サツマ藩とヒゴ藩ではかなり藩人性の違いがあると言われている。
まだヒノモトになる前の時代、藩ではなく鹿児島県と熊本県だった頃には「薩摩の大提灯、肥後の鍬形」という言葉で表されていた。
大提灯、つまり西郷隆盛などの偉大で強力なリーダーのもと一丸となる傾向がある鹿児島に対し、熊本は各々が鍬形=兜をかぶって、我こそが大将であると誇示し闘い合うような傾向があった。
また、熊本の「議論好き」な県民性と「議を言うな」という鹿児島の郷中教育の要素が対立する部分もある。
もっとも鹿児島の「議を言うな」には「理屈ばかり言わず行動せよ」や「議論の結果、出た結論には文句を言わず従うべき」という教えが込められているのだが。
ともあれ隣りあった県そして藩とはいえ、昔から何かと比較され、意識し合っていたのは確かなようだ。
さて、百年を経たこの国ヒノモト。現在のヒゴ藩では「肥後もっこす」と言われた頑固者精神よりも、「わさもん(新しいことが好きな人)」精神のほうが強く表れている。
九州の中でも特に保守的で、身長体重などの単位も尺貫法を使っているほどに古き良き時代の慣習を尊重してきた藩、サツマからやってきたリュウとシュウはヒゴ藩のそんな雰囲気を体感する前に、いきなり「人助け」をする羽目になってしまった。
まずは男たちに追われている美人を助けるために、山の高所から飛び降りていったリュウの様子を見てみることとしよう。
「静まれ!!」
リュウの叫び声に、逃げていた美人も思わず立ち止り後ろを振り返った。
高さ7~8メートルはある上の山道から叫びながら飛び降りて来たこの小柄な男は、なんとケガひとつすることなく身軽に着地していた。
美人は目を見張り“信じられない”という様子である。
美人の後を追っていた4人の男たちの目には、リュウが着地する際にひざを曲げ、上体をひねって回転しながら体勢を整えたのが見えていた。
いわゆる「五点着地」であるが、男たちにはそれが高度な身体能力と訓練によって身に着けられるものだということまでは、どうやら理解できていないようだった。
立ち上がったリュウは男たちの顔を見た。
(ええと…先頭がテングザル、二番目がゴリラ、三番目は赤い顔のマントヒヒ、一番後ろはテナガザルか。みんな猿顔だな…おっと!いけねえ。また失礼な癖が出ちまった。おネエちゃんに叱られちまう)
「男が寄ってたかって女を追いかけるたぁ、どういうことだ?」
人の顔を別の生き物に見立てる癖をこっそり反省しながら、男たちに向かって言葉を続けた。
「仲良く一緒にキャンプでもしようってえのか?もしそうならちゃんと話をしてお願いすりゃいいだろう。礼儀もなしで追いかけまわすような男たちにこの女性が付き合う道理は無え!」
リュウは闘技戦の混乱を鎮めたオオヒトを見習ってこんな言葉を言ったが、期待した結果にはほど遠かった。
「…な、なんだお前!わけのわからないこと言いやがって。邪魔すんのか!」
「お前こそいきなり割り込んで、この女を横取りするつもりだな!」
「どけチビ!ひっこんでろ!」
毎度おなじみの低身長への誹謗を、ここヒゴでも早速受けてしまった。
(あれ?オオヒトが言ったようなことを俺なりに言ったつもりだったが…なんか失敗したか?)
リュウは首をかしげたが、とりあえず後ろにいる美人に「今のうちにさっさと逃げな」と声を掛けた。
美人はまじまじとリュウを見つめたが、踵を返して走り出した。
「おい待て!」
男たちがあせって追いかけようとしたが、そこへ崖の上から今度は大きな男が落ちて来た。
「わああああっ!!」
男たちはパニックになった。土砂崩れでも起きて、巨大な岩が転がり落ちて来たと一瞬勘違いしたらしい。
「シュウ!大丈夫か?」
リュウが声を掛けると、
「あ、みなさん、びっくりさせてしもてえらいすんません。おはようございます」
転がり落ちて来たシュウが、場違いな何とものどかな挨拶をした。
「あはははは。ゆっくり降りてくるつもりがすべって落ちてきてしもた~でもこのほうが早よ降りられたから良かったわ」
(どんな時でもシュウはシュウだな)
リュウは感心した。
一方、立ち上がったシュウの2メートルを超す巨体に男たちはたじろいだ。
(小っちゃいヤツの次は、なんだこのでかすぎるヤツは???)
その間を外さず、シュウはリュウのほうに手を差し示して男たちにこう言った。
「言うとくけど、このひと強いで」
「はあ?」
「…このチビが強いだと?」
冗談でも言っているのかと疑う男たちだったが、シュウは真面目な顔で続けた。
「背ぇ低いから弱いと思てたらえらい目に合うで。喧嘩すんのは止めといたほうがええよ」
(だから背丈のことは言わなくてもいいって)
リュウが口をへの字に曲げたが、シュウは微笑みながら男たちに続けて言った。
「僕もこのひとと闘って手足は折られるわ、頭かち割られるわで危うく死ぬとこやったから、自分らも死にたなかったら早よ帰り」
(たしかにその通りだが、そう言われたらなんか聞こえが悪いじゃねえか。俺、どんだけ凶暴な奴なんだよ)
自分だって俺のこと殺しかけたくせに、とリュウは不満そうな顔をしたが、シュウの話を聞いて不安に陥った男たちの目には、リュウのその表情がいかにも不気味に映った。
恐怖に囚われた男たちは逃げるのかと思いきや、近くに落ちていた木の枝を急いで手に持って身構えた。
凶暴な男には凶器で対抗しようというつもりらしい。
さらにそのうちの一人は、着ている上着からなんとナイフまで取り出した。
「あれ、まあ」
シュウはしまった、という顔をして言った。
暴れたかったリュウには悪いが、リュウのとんでもない強さをアピールすれば男たちは退散し、無益な殺生?を避けられると踏んでのことだったが、どうやら裏目に出てしまったようだ。これではリュウの身が危険である。
しかし、リュウは凶器を準備した男たちに嬉々とした表情を向けていた。
(ありがてえ!これでめでたく正当防衛成立じゃねえか。シュウがけしかけてくれたおかげだ)
リュウの笑顔を見て恐怖に耐えきれなくなったのか、先頭の男がリュウの前に飛び出して木の枝を大きく振りかぶり、両手で打ち下ろして来た。
「遅え!」
と叫びながら、リュウはその男の腹部に左ミドルキックを叩き込んだ。
「はぅ…っ」
声にならない声をあげて、先頭の男は倒れ込んだ。肝臓への衝撃で腹膜がやられたらしく、息ができないほどの重苦しい激痛に襲われていた。
二番目の男は力自慢なのか、両手ではなく右手だけで持った太い枝を横殴りに打ち込んできたが、リュウは男の左側に回り込み得意の「鋭角に落とすローキック」を見舞って崩し、あごにも左足で蹴りを喰らわせた。木の枝を手から落として二番目の男もぶっ倒れた。
あまりにも素早く二人の男を倒したリュウに、三番目の男は怖気づいた。
しかし後ろにいるナイフを持った男に「早く行け!」と小声で言われ、やむなく木の枝を振るのではなく両手で腰の位置に突くように構えて「わぁ──っ!」と叫びながらリュウに向かって突進してきた。
リュウはちょっと気の毒そうな顔をして三番目の男が突っ込んでくるのを迎えたが、間合いを見計らって男が構えている木の枝に素早く前蹴りを打ち込んだ。
蹴り上げられた枝はそのまま男の額に当たり、自分で自分の額を打った状態で後ろに勢いよく倒れ込んだ。
(ゆるく蹴ったつもりだったが、ごめんな)
リュウは動かなくなった三番目の男に目で詫びてから、ナイフを持った最後の男に笑顔で声を掛けた。
「あんたで最後だ。どうする?これでもまだやる気ならかかって来いよ」
最後の男はナイフを握った手をぶるぶる震わせながら、脂汗を流していた。
(…降参すれば許してくれるかも)
とは思うものの、リュウの笑顔が怖かった。
本人は警戒させないようにと笑顔で話しかけたのだが、これまた裏目に出てしまっていた。
「きぃああ───!!!」
ついにナイフの男は猿叫のような声を上げながら、目をつぶってリュウにナイフを突き出してきた。
(しょうがねえなあ)
リュウは一歩踏み込んだ上で、ナイフを持った男の右腕を己れの左ひじと左ひざを使い、上下から挟むように打ち当てた。
「ぎゃあっ!!」
ナイフが落ちるとともに、最後の男も右腕を抱えて崩れ落ちた。
リュウはナイフを拾って言った。
「あんたなぁ、自分で使いこなせねえ物持ってても仕方ねえだろ。脅しにもならんぜ。おままごとの包丁以下だ」
男がナイフを取り出して握った時、刃ではなく峰のほうをリュウに向けていたのを見ていた。
(わざとか?)とも思ったがその後の様子で扱いなれてないのが丸わかりだった。
一段落したのを確認して、シュウがさっそく男たちの介抱をし始めた。
「だから言うたやろ。このひと強いで、って。今度から人の言うことはちゃんと聞きや」
(シュウはこいつらをけしかけたのか、それとも本当に止めようとしたのかどっちなんだ?…なんせ闘いが大好きなヤゴロウどんだからな。実は神様がシュウを使って仕掛けた喧嘩じゃねえのか?)
疑問は残ったがとりあえずリュウもナイフを仕舞って、男たちの介抱をすることにした。
「で、あんたたちは何であの女を追いかけてたんだ?」
今に至るまでのいきさつを尋ねたが、腹を蹴られたり足とあごを蹴られたり、額と後頭部を打っていたりと、まともに話が出来そうなのはナイフの男だけだった。もちろんこの男もリュウにひじとひざで強烈な挟み打ちをされたので、腕の痛みに涙目になっていた。
ナイフの男が言うには、この山には悪い奴らに車で拉致されて来た女が放置されていることがよくあると聞き、いわば浅ましくも卑しいおこぼれに預かろうと4人で昨夜から張り込んでいた。しかし朝になっても誰も来なかった。そこにたまたまあの美人が通りかかったので、襲い掛かろうとしたというのだ。
とんでもない話であったが、リュウの怒りはその非道な考えや行いよりも先に、別のことで爆発していた。
「なにい?!山の中で焚火をして、それをほったらかしにしたまま女を追いかけて来ただと!?」
リュウの怒鳴り声が響いた。
「馬鹿野郎!!山火事になったらどうするんだ!?おい、焚火の場所まで今すぐ案内しろ!」
リュウはすぐさま男たちがやってきた道へ駆け出した。
ナイフの男は俊足のリュウに追いつこうと、腕の激痛をこらえて涙を流しながら必死で追いかけていった。
(第二十九話へ続く)
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