昼食を終えて集合住宅から出た僕は、変わらない陽光の下を歩きだす。
心に霧をかけたまま、進んでいくのは未だに見慣れない街並み。
大通りに出れば故郷を超える数の人が溢れ、見た事も無い物品が安価で売り買いされている。
ここ水の都市シーパルは、枝分かれした運河に沿って建てられた、大規模な商業都市。
海に繋がる河、豊富な水と広い大地、そして寄り集まった技術。
それらを見た僕が思うのは、目を細めてしまいそうになる眩しさ。
ネフィーさんたちとこんな光景を見たかった、そんな思いが徐々に心を焦がしていく。
「これから僕は、どうすればいいんでしょう」
空に呟いたところで返事は無く。
気持ちは晴れぬまま、重い足を引きずり約束の場所に向かっていく。
五分ほど歩いて辿り着いたのは、自分よりも年下の子供が集まる小さな広間。
駆け回る子供たちの種族は纏まりがなく、かと言って険悪な雰囲気を漂わせることなく嬉々としている。
人間、獣人、森人、機鋼種。
村では名前しか聞いたことのない種族も、この都市では当たり前のように暮らしていた。
「……ん?」
広間の隅に置かれたベンチに座り、約束を交わした相手を待っていると、ふと後ろ髪を引っ張られる感覚が走る。
つられて辺りを見渡すと、僕と似た感じに誰かを探す少女がいた。
淡い青色の短髪と赤紫の瞳。
僕より少し年上で、帽子を被りボーイッシュな格好は活発さに満ちている。
女性的な体型を考えなければ、雰囲気はまさに少年そのものだ。
そんな彼女は僕の姿を見つけると、すぐさま駆け寄って来た。
「いたいた、コウくん! どうだった? あたしの定型魔法、うまくいってた?」
「定型魔法自体は上手くいっていたと思いますが……。今のであまり変わらないかと」
「――……あー、あははは。ゴメンねーみんな。気にしないでー」
彼女から発せられる、透き通った弦楽器のような明るい声。
それは呼びかけた僕だけではなく、広間にいた子供たちの注目も集めていた。
大声を上げたから何だと振り向いた訳では無く、耳を打った声に惹かれて目を向けてしまった。
魅惑の声質――それが彼女の種族としての特徴だ。
「水霊の声はやっぱり凄いですね。僕も初めて聞いた時は驚きました」
「その割には反応薄かったよね。職業柄、それすんごく悔しかったんだけど」
「済みません。あの時はあまりに綺麗な声だったので、どう反応すればいいか分からなかったんです」
「ん、そっか。――ってあれ? コウくん、定型魔法使ってる? なんかやたらとハッキリ見えるんだけど」
「まだ使ってないです。そういう気分では無かったので」
運び込まれたシーパルの病院から、退院して三週間。
ローエンさんに勧められて、体調を戻しながら定型魔法の訓練を少しずつやって来た。
味方に大きな影響を与える霧散蒼影刃を、どうすれば指定の相手にのみ効果を及ぼせるのか。
ローエンさんと頭を悩ませながら日々を過ごしていたところで、彼女と出会ったのだ。
強大な力を持った十二の種族。
彼女――シルトさんは、その内の一つの水霊だ。
「うん? また何かあったの?」
「またというより、ずっと考えていたんです。僕は本当にこうして生きていくのが正しいのか。胸を張れる生き方を出来ているのかなって」
ギヤマさんへの復讐も、ローエンさんとの殺し合いを妨げたのも、誰かを助ける生き方をしようと決めたのも。
どれもその時の僕が、素直に納得できる選択したのだ。
その場の衝動で選んだことは否定できないし、あの時こうすれば良かったのかなって、今こうして後悔が蜷局を巻いている。
「コウくんが今、ここにいることが正しいのか。……うん。あたしには難しくて分かんない。だけど正しいって言えるよう、今はあたしと定型魔法の練習、頑張ろう?」
溌溂としたシルトさんの笑みが、鬱々とした心に染み渡る。
この気分は彼女の定型魔法によるものと理解しているが、伸ばされた糸の先は、引き寄せたくなるほど眩い光だった。
「コウくんが頑張って、それを見た人たちが笑えたのなら。それはきっと、胸を張れることだよ」
「……それなら良いですね」
立ち上がり、シルトさんのすらりとした指先が、僕の前に差し出される。
拙く笑う僕は、心の霧が晴れぬまま彼女の手を取った。
シルトさんの考えは素敵だし、そうやって生きたいと頷ける。
なのに疑問を持つ僕の心は、どうすれば納得するのだろう。
「まずは一つずつやっていこう! 初めて会った時に言ってたよね。人を助ける騎士に憧れてたって。なら手始めに――」
漫然としているところで腕を引かれ、シルトさんの動きにつられて僕の体が回っていく。
全身に力を込めて抵抗すると回転はすぐに止み、口をぽかんとしているところへ、シルトさんは言葉を続けた。
「助けてよ、騎士さま。妹の前で一番な姉でいたい、あたしを」
「ズルいですよ、シルトさん。そう言われたらやるしか無いじゃないですか」
心が晴れないのなら、そのままでいい。
誰かを助けるって決めたんだ。
正しいと信じたい道があるのなら、一歩を踏み出す為に楔を打とう。
ギヤマさんの時も、ローエンさんの時も。
そうして来たんだ。
「それでどうする? 乗り気じゃないなら、今日はこのまま解散でも良いけど」
「大丈夫です。吹っ切れてはいないですが、やる気は出ました」
とにかく出来る事をやっていく。
僕とシルトさんの目的は同じ、定型魔法の細かな操作。
無差別だった力を制御し、一人一人に絞っていく。
幸いにも目的が一致し、お互いに力を使って他の誰にも影響が無かったら成功だ。
「じゃあさっそく、やっていこうか。……あっ」
陽光みたいな笑顔で気合を入れるシルトさん。
そんな彼女の後ろで、黒い猫が意気揚々と歩いていくのを見かけると、強い風が僕たちの間を吹き抜ける。
シルトさんの髪を吹き上げ、抑える暇も無く飛ばされる帽子。
僕も反応することが出来ず、風に攫われる帽子を見届けるのみ。
けれどそれを絶好のチャンスとばかりに、僕は定型魔法を発動する。
体から蒼い霧を放つ霧散蒼影刃。
騙すのはシルトさんの認識と、僕の体そのもの。
負担と効果のバランスを取り、人間の体でも耐えきれる力を身に宿す。
普段と違いゆっくりと流れる世界の中、向上した脚力で地面を蹴り、飛ばされる帽子を掴み取る。
風が吹いたのに驚き、目を伏せるシルトさんの頭へ帽子を被せ直すと、僕は定型魔法を解除する。
「って、あれ!? 今、あたしの帽子飛ばされて……。で、なんでコウくん汗かいているの!? もしかしてコウくん定型魔法使った?」
「は、はい。たぶんシルトさんだけに効果が出てる筈です」
目をまん丸とさせているシルトさんを置いて、僕は成功したかを周りの子供たちを見て判断する。
結果は一目瞭然。
シルトさんが大声を上げた時以上に、子供たちの視線が集まり、それどころか広間の外の視線も感じる。
「僕の方も上手くいったみたいですね。――って、どうしました? シルトさん」
「うん、ちょっとね。コウくんの技装ってさ、元は誰かの定型魔法なんだよね。ならあたしの定型魔法も真似できない?」
「えっまあ、出来るとは思いますが」
「ならこれも練習! あたしの定型魔法真似して、使い勝手とか教えてよ。絶対参考になる」
ぐいぐいと迫ってくるシルトさんは、定型魔法も併用しているのか、如何に本気で言っているのかが嫌でも分かる。
彼女の力の全貌は教わっているが、それを今の僕が使うのはあまりにも抵抗があった。
模倣し使えばきっと、彼女に空元気なのが伝わってしまう。
だから僕は、模倣に必要な条件を理由に大きく否定した。
「僕の定型魔法は、完全に真似をするなんて出来ません。だから参考になるかは怪しいです」
「ならより精度を上げる方法とかは? その辺り分かるの?」
「た、たぶん相手を深く知れば、いけるんじゃ……ない、でしょう……か……」
この言葉を口にした事を、僕は後々深く後悔した。
ローエンさんたちが待つ集合住宅へ戻れたのは、シルトさんが語り始めて三時間後。
解放された僕が、試しにシルトさんの定型魔法を模倣してみたが、結果は芳しくなかった。
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