シンクさんと別れて、舞台前まで回り込んだ僕たち三人。
待っているお客さんたちの多くは落ち着かない様子で、舞台の開幕が始まるのを今か今かと待ち焦がれていた。
明かりは沈む陽光と入れ替わった星々と、舞台を照らす篝火だけ。
都市に灯された光は心許なくて、今世界の中心はここなのだと思えてしまう。
「この人だかりの中で怪しい人物を探すのは、難しいですね」
「気にせず舞台の方見ろよ、コウ。警備なら他がいる。人間より優秀な奴らがな」
「ですがそれだと仕事が……」
「シンク殿の気遣いを無駄にするな、コウ殿。今この時だけは、私たちは観客としてこの場に立って良いんだ」
僕が不審な挙動をしている人がいないか、それとなく周りを見ていると、ポンとローエンさんの掌が頭に乗せられる。
警備をしているのは、僕たちだけでない事は重々承知している。
それこそシンクさんを始めとした紅玉騎士団の方々、祭典の運営をしているムーンティアーズの面々。
そして僕たちと同じく、有志で治安維持に参加している人だっている。
だから僕だけが頑張る必要が無いのは分かっている。
そのつもりだったけれど、ローエンさんとソフィアさんの指摘は、身に染みるものがあった。
「……はい」
短く頷き、はやる気持ちを抑えて舞台に意識を集中させる。
騒めく大衆たちが徐々に静かになっていくのは、そのすぐ後。
誰もいない舞台の上を、ドレスで着飾ったリラさんが歩いていく。
人々の視線が集まっていく中、用意された椅子に彼女が座る頃、会場から一切の音が失われていた。
リラさんが目を伏せ、軽くハイヒールの踵を鳴らす。
彼女の足から流れ舞台へ広がるのは、波紋となって広がる透明質な水。
その水はやがて立体的になり、様々な楽器が形成される。
シルトさん曰く、ハイドローケストラと呼ばれる定型魔法で作られたのは水の楽器群。
同質の竪琴を手にしたリラさんは、張られた弦を流水の如く雑音なく弾いていく。
「良い音色だ。私ではこれ以上の表現が思いつかないな」
「僕もです。リラさんが水霊だから。なんて理由で納得できるものじゃないですね」
静かに、けれどもしっかりと会場の端にまで届く清浄な旋律。
嵐の前の静けさと言える静穏さは、不思議と次への期待が高まっていく。
前奏だろう音色が、少しずつ少しずつ……音量を下げていき。
またしても静謐の時へと戻された瞬間に、もう一人が飛び出した。
「はあああいっ! みんなー! 今日は集まってくれてありがとう! いきなりだけど、どんどん盛り上がっていこぉーーーーー!!!」
打って変わって弾かれるのは、スピード感のある明るい楽曲。
彼女らしい曲と共に、シルトさんが両腕を上げ満面の笑みで登場した。
先程には無かった熱量が、会場の前列から波打つように後方へと流れていく。
静寂から熱狂へ。
洗練されたリラさんの曲を背にして、シルトさんは舞い踊っていく。
リラさんの流麗な歌声に、シルトさんの溌溂とした掛け声。
二人の美声は、歓声に負ける事なく後方にまで到達している。
「……ん? ああこれか。コウとオッサンが言ってた、アイツの定型魔法ってやつ」
「はい。とはいっても練習の時と比べると、想像がつかないほど凄いです」
「これは思わず高ぶってしまうな。ソフィア殿はよく平気で」
「平気か。まぁ、かもな」
四方八方から無造作に流れ込んでくる、熱い感情。
触発されて沸き上がる熱意は否定できず、僕は溢れる感情を持て余してしまう。
コネクト・ストリング――それがシルトさんの使う、誰かに感情を伝える定型魔法。
相手と感情を見えない糸で結び、感情の共有を図る力は、一度使い始めれば連鎖的に誰かと結びつき、起点となった感情を伝えていく。
「アイツが呼びかけとかすっと、そこのヤツらが一気に盛り上がんな」
「コウ殿との練習の成果だな。成る程。こういった感情の強弱を出す為にやっていた訳だ」
舞うように糸を振るい、観客を一つに繋げていく様は、まるで劇場全てを演奏者に変える指揮者のよう。
老若男女関係なく、こっちに来て一緒に踊ろうと手を引くシルトさん。
だけど僕は燃え上がる感情に従って、明るく照らす彼女ではなく、数多の楽器を鳴らすリラさんへと目を向けた。
時々シルトさんは観客ではなく、リラさんにだけ目線を配る時がある。
その度に真剣な表情のリラさんは頬を緩ませ、より力ある演奏が奏でられる。
ただの合図に過ぎないはず。
そう思おうとするけれど、普段のシルトさんを見たことあるからこそ、観客の彼らとは違う風にしか捉えられない。
「何を考えているんだ、僕は」
独り呟く僕の心に霧がかかる。
技装の練習として、シルトさんからリラさんの話を聞いてから、二人の間に雁字搦めの糸が見える気がする。
思いを広げる力を、僕の魂はどう解釈したのか。
姉は妹の一番に、妹は姉を一番に。
そんな輝きの循環を描く二十星を、僕たちは水鏡の偶像でしか見れていない。
そんな直感が、耳打つ詩によって加速する。
「そういえばこの歌詞。シンク殿が星合祭りの説明をする際に言っていた、お伽噺に似ているな」
「ああ。そっから引用してんだろ」
双子が口ずさむ歌は、明るい曲調とはズレた悲恋話。
水霊の少女は一人、歌い踊っていました。
閑散とした広場の真ん中で、スカートの裾を翻す。
彼女は空へ語りかける。
――皆さま一緒に踊りましょう、歌いましょう。
そんな彼女を前に、一人また一人と誰かが足を止める。
みすぼらしい服装だから?
それとも美貌に惹かれたから?
ううん、それは違う。
足を止めたのは容姿すら目に入らない、儚い声を聞いたから。
彼女は悲しんでいる。
だからああして踊っている、歌っている。
なぜ――それは愛する彼を送り出したいから。
旅立ちを祝おう。
例え涙が零れ続けても、笑顔で彼を見送りたい。
貴方に捧げよう。
私はこうして元気でいると、泣き崩れてなんていないと踊ってみせる。
私の声は届いていますか?
海のように青く深い、この空を辿って――
「……コウ殿。大丈夫か?」
「大丈夫です。お話の一つでショックを受けたりなんか、しません」
一曲目が終わり、ローエンさんが声をかけてくれたのは、歌詞が僕の境遇に似ていたからだろう。
何も感じなかったと言えば嘘になる。
でも浮き上がった感情は、きっと共感と呼ばれるもの。
遠くにいても、近くにいても。
大切な人の一番になりたい、一番になって欲しい。
そんな想いが伝わってくるようで、改めて僕の心を見つめ直してみる。
遠く離れた大切な人に、僕はなんて言えばいいのだろう。
踊れない歌えない、なら僕は何をして彼女へ想いを伝えられる?
「僕は、大丈夫です」
日が落ち、星が散らばる黒になった空を見上げて僕は囁く。
胸を張って、憧れていた騎士のように誰かを助ける人になる。
その夢はまだ諦めてはいないから。
だから――
「……おっと、すいませんねぇ」
胸にかかる霧が晴れ、空へと掲げる誓いはやる気の無い謝罪によって妨げられる。
二曲目に入る前に移動しようとした人と、肩をぶつけてしまった。
そう思い反射的に謝ろうと振り返った僕は、驚愕のあまり言葉を失ってしまう。
「おや、いつぞやの人間じゃないですか。勘弁してくださいよ。ホント、ウチが予定立てると破綻しますなぁ」
紫のシャツに真っ黒なスーツ。
煙草と酒の臭いをこれでもかと漂わせる男が、胡乱な金色の瞳をこちらへ向けた。
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