集合住宅の一室。
リビングは窓から差し込む陽の光に照らされ、ローエンさんはテーブルにティーカップを三つ並べていく。
少し値の張る白磁器のティーカップに注がれているのは、茶葉を煎じた湯気立つ飲み物。
お茶請けとして置かれるのは、少量の砂糖をまぶしたシンプルな焼き菓子。
準備を終えたローエンさんが席に座り、既に着席していたソフィアさんは、隣で退屈そうに外を眺めている。
長くも短い静寂。
それを打ち破ったのは、ローエンさんでもソフィアさんでもなく。
彼らの正面に座る三人目。
「話しを始める前に、まずは持て成しに感謝を。有り難うございます、ローエンさん」
「いえ。この身に慈悲を下さっている龍族の客人となれば、失礼な真似は出来ませんから」
「組織の一員として、その心遣いは頂いておきます。ですが今回、俺は立場を置いて貴方にお願いする側。気遣いは無用です」
粛々と自身の立場を低くするローエンさんに、ふっと柔和な笑顔を向けるのは、黒い軍服を着た青年。
無駄な筋肉の無いすらりとした体型は、高身長と合わさって恵まれている事が一目でわかる。
黒に程なく近い赤い瞳は凛としていて、映える赤髪は共に芳醇なワインの如く視線を引き付ける。
「そういえば名乗っていませんでしたね。――紅玉騎士団第一部隊の末席に身を置く、新玖・グラッドナイツです。どうかシンクとお呼びください」
「よろしく、シンク殿。……こう言っては何だが、一生の内に龍族と話すことが出来るとは。思ってもみなかった」
「治安警備も行っている龍族は、まだ会いやすい方ですよ。天使なんか、巷だと一生分の幸運を使わないと会えない。そんな事を言われているぐらいですから」
静寂から一変して、和やかな雰囲気で話を進めていくローエンさんとシンクさん。
そこへソフィアさんは、出されたお茶に角砂糖を入れながら割って入る。
「んな話は余所でやれ。ここには仕事の話をしに来たんだろ、シンク」
「そう急がせなくてもするさ。ソフィア、君のそのすぐ本題に入ろうとするとこだけは、昔から変わらないね」
「うっせえよ。オマエも女相手に目すら合わせらんねえの、変わんねえじゃねえか」
「……ソフィア殿とシンク殿は、昔からのお知り合いで?」
それまでの礼儀を踏まえたシンクさんの言葉は、ソフィアさんを相手取ると無遠慮な物言いに変わっていく。
二人の関係が見えず質問をするローエンに、シンクさんは困ったように受け答えする。
「はい。十年以上前から彼女の家絡みで少し。ソフィアが煩いので本題に入りますが、実は今回の依頼……私情を交えての物なのです」
「自慢だけなら帰れよ」
「私情だけならここまで来ない! ……失礼。今俺はこの都市で近々ある、祭典の要人を警護する任を受けているのですが、その手伝いをして頂きたいのです」
途中ソフィアさんの茶化しが入るも、ローエンさんが静かに頷き話が続く。
「報酬は俺と同じ、正規雇用された人員と同価の賃金。数人程度なら知り合いを連れても構いません。紅玉騎士団からの正式依頼には変わりないので、ローエンさんには拒否権が無いも同然なのは申し訳ない」
「いや、問題ない。思ったよりは平和な内容で安心した所だ。……しかしただの人員不足の解消に聞こえたが、とても私情が挟まっているとは到底思えない」
ローエンさんが告げるのは当然の疑問。
栄えた都市で行われる祭典で、人員不足が発生するのは言うまでもなく必定。
ここで発生するシンクさん自身の都合は、ローエンさんの想定を遥かに超えたものだった。
「その実は……。俺、女性恐怖症で。警護対象が二人の少女なんです」
「――……あ、ああ。成る程そうか。分かった、依頼を受けよう。人員不足で交代要員がいないんだな」
「龍族の奴らが、んな配置ミスすっかな。まあオッサンがやるってんなら、別にいいけど」
親しげに話す割には、ソフィアさんと一度も合わない視線。
少女二人の相手をすることを、私情の問題として提起したこと。
人員不足よりも先に、自身の手伝いをして欲しいと述べたこと。
これらを加味し、深くは聞かずにシンクさんの女性恐怖症が事実であることを、ローエンさんは少し遅れて理解した。
「有り難うございます、ローエンさん。細かな日程は後ほど伝達させていただきます。本題としてはこれで終わりですが、二人にそれぞれ別件が」
「あん? アタシにも?」
何事かと眉を顰めるローエンさんとソフィアさん。
朗らかに広げられていた場の空気は、途端に引き締まり、温度を落としていく。
「まずはローエンさん。貴方と契約を交わした悪魔の行方ですが、未だ不明のまま。娘さんの安否も確認できていないです」
「そうか……」
「騎士団としては早期発見に至らない無力を詫びると同時に、貴方には警告を発せなければいけません」
「もし娘が無事でなければ、自暴自棄になって国を脅かすかもしれないか。安心して欲しい、シンク殿。今後どうであれ、この身は奴を斬る事しか考えていない」
娘を、ローナさんを連れ去った悪魔は、何があっても一刀の下に断じる。
仮にローナさんの命が失われていたとしたら、その憎しみは復讐の薪として、一層の憎悪を燃やすのみ。
それが少年と剣を、言葉を交わしたローエンさんが見つけた新たな道。
残る命を全て娘に捧げる。
今までと変わらない様に見える姿勢だが、その指向性は諦観のそれではない。
「忠告は肝に銘じておく。その上でスクリュードの動向を一つでも掴んだら、最優先で私に教えて欲しい」
「承知しています。――次ソフィアだけど、ペルセの尻尾は今回も掴めなかった。騎士団も注目している奴だから、明らかな釣りな情報も虱潰ししてるけど、どれも外れ」
「使えねえ奴らだな」
「耳が痛いよ。……さて、話はこれで終わりです。俺は他の仕事が残っているので、これで失礼します」
伝えるべき情報を話し終えたシンクは、出された焼き菓子を一つ二つと口に放り込み、お茶で胃へと一気に流し込む。
「ああ、見送りとかは気にしないで下さい。お菓子とお茶、美味しかったです」
シンクさんは颯爽と室内から去っていく。
残されたローエンさんはお茶を一口含むと、余った焼き菓子を一人食べ続けるソフィアさんに体を向ける。
「コウ殿が帰ってきたら依頼の内容を伝えないとな」
「そのコウだが、今のアンタはどう思ってんだ。娘が死んでたら、マジでアイツを恨まないって言えんのか」
「………………無理だ。きっと恨む。だがコウ殿がいなければ今の道すら歩めていない。だから決めた」
ローエンさんがティーカップの中を見つめ、ブラウンの水面に映るのは記憶の影。
儚げな白銀の背中は薄れ、次に移るのは灰色の血気盛んな少女の背中。
それと重なる様に見えるのは、何もかも失った黒の少年。
「スクリュードを倒してから考える。どうしてだろうな。私の中でのコウ殿の立ち位置が、自分自身でも分からないんだ」
「ふーん。オッサンも悩んでる感じか。どいつもこいつもハッキリしねぇ奴らだ」
「そういうソフィア殿はどうなのだ。先程の話からすると、誰かを探しているのか?」
要約するとペルセは見つからなかった。
そう捉えられる内容に、ローエンさんは興味を持つ。
二カ月前の事件から行動する事が多くなった三人の内、もっとも目的が見えないのがソフィアさん。
何のために、何をしていて、何を成し遂げたいのか。
その一端が垣間見える。
「ああ。あのクソ女を探し出して、そっからはアンタと同じだよオッサン」
ソフィアさんは行儀悪く両足をテーブルの上に乗せ、独り自嘲しながら焼き菓子を噛み砕く。
赤く、赤く。
血のように紅くなる右眼は、見えない影を想起した。
「復讐だ」
単純明快な行動原理。
聞いたローエンさんは否定も肯定もせず、湧いた感情を押し戻すようにティーカップを傾けた。
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