どうしてここにいる?
当然の疑問を抱きながら、僕たち三人は即座に臨戦態勢へ移ろうとするも、張り付いた笑みを浮かべながら悪魔は両手をあげる。
「駄目ですよぉ。ここはお互い穏便に。ここで何も起こさない事が、不幸中の幸いって奴でしょう?」
出会ってしまった最大の不幸はさて置いて、抑えられる不幸を引き起こすことは無いと。
目の前の悪魔が言うものの、僕たちの警戒は増すばかり。
「うーん……。それにしても、どうして生きてるんですか? ローエンさぁん。契約が途切れたから死んだと思ったのに。不思議なこともあるものですねぇ」
「私が生きていようが死んでいようが、どうでもいい。――スクリュード。貴様に聞きたい事が一つある」
「あれま。ローエンさんが? ウチに? いったい何ですかねぇ」
殺意を含んだ緑の双眸に射抜かれても、スクリュードは平然としたまま。
抵抗の意思は見えないけれど、何を考えているのかも見えてこない。
「娘は……ローナはどうなった」
「むす、め。娘。……ああ、アレですか。やだなぁ、ローエンさん。貴方と出会ってもう二年ですよ? ポイっとした後は知りません。ええ、契約通りちゃんと安全な場所に。ウチ的にこれ以上ない位の場所です」
嘲笑う口が滑らせた言葉に空気が凍る。
僕もローエンさんも無言で鯉口を切り、ソフィアさんの右目が淡く輝く。
悪意を吐き出すその口を塞ぐため。
だけど殺意の意図を、スクリュードは悉く笑いものにする。
「本当にウチはツイてない。事実を言っただけなんですが」
「――ッ!」
火蓋を切ったのはローエンさん。
左眼から深碧の雪結晶を零し、握る大刀へ碧の力を伝達する。
狼王六華・無花果。
無拍子による居合を放つローエンさんは、躊躇いもなく唐竹割りを狙う。
群衆の中、上体を僅かに後ろへ倒した状態からの抜刀。
無理な体勢からでも放てるのは、獣人特有の身体能力の高さによるものだろう。
零れた雪結晶を弾き、縦一線に抜かれた刀は寸分違わずスクリュードの脳天へ。
避ける暇も防ぐ隙すらない。
だというのに、悪魔の笑みは消えなかった。
「――悪精金焔酒」
紡がれる悪意の言霊。
スクリュードに一撃は決まったものの、彼は切り裂かれながら定型魔法を発動する。
無傷、回避、警告、逃走。
そのどれもが遅く、一人でも多く逃がそうと避難を促そうとした僕たちの声は、スクリュードの右手から放たれた黄金の炎によってかき消された。
「――……ッ……ァァ……!!」
全身が痛い。
漂う何かが焼ける臭いにむせ、視界が歪み、声を出すことすら苦痛を感じる。
まだ生きている。
焼けた痛みで自身の生存を実感するけれど、起き上がり霞む目で見渡した先にあったのは、金色に照らされた悍ましい光景だった。
会場の半分以上が不気味に輝く金色の焔に包まれ、残った人たちはただ生きた事実を飲み込むのに必死で、逃げる事すらままならない。
「なんで……なんでこうなるんです。どうして僕だけが無事なんだ」
理由は明白。
全身から漏れだす蒼い霧――霧散蒼影刃(ムサンソウエイジン)による、体に与えられた傷の騙り。
今こうして起き上がれるのも、全ては無意識に発動した定型魔法のお陰。
「僕が……僕だけが無事じゃ駄目なんです」
でも生存を喜ぶ本能を、僕は必死に否定する。
このままだとあの時と同じになってしまう。
ローエンさんを、ソフィアさんを、シンクさんを、リラさんを、シルトさんを。
この場に残る全員が死ぬ光景を想像すると、熱く猛る心に水がかかる。
魂に冷たい火が灯され、心に燃え移り、体へ巡った蒼い炎が左眼から零れ出る。
「だから僕は、俺は……お前を――」
黄金の焔に蒼い霧が紛れる中、気ままな紫煙が立ち昇る。
「しまった。仕込むように言われてた悪魔も焼いちゃいましたね。でもまあ構わないでしょう」
黒山羊の角と鏃の尻尾を生やし、スクリュードは小さな火で点けた葉巻を咥える。
黒く染まった空を仰ぎ見る彼は、首を鳴らしながら考えこむ。
「あれ? でも何でしたっけ。お嬢に言われてたのは確か、都市焼いてそれから……。龍族も天使も来たら殺すでしたっけ。どうにも約束って奴は苦手なんですよねぇ」
ぼやくスクリュードの視線は、空から残る人々へと移り変わる。
更にはその先、次の楽曲を始めようとしていたシルトさんとリラさんにまで、妖しい金色の瞳が捉えた。
「ああ、一個思い出しました。人気がありそうな奴は捕まえれば良いんでしたっけ」
瞳に映る彼女たちには聞こえない独り言。
でも彼女は――シルトさんは、伝わる悪意に恐怖しながらも、大きく息を吸って解き放った。
「みなさんッ!!! 早くッ! 逃げてくださぁぁぁぁいっ!!!」
定型魔法を併用した必死の叫び声。
全員が思わずシルトさんに振り向くも、心に伝わった懸命さとリラさんを抱きかかえて逃げる準備を目にした人たちは、途端に本能を思い出す。
生きたい、死にたくない。
麻痺していた感覚が暴発し、大混乱を引き起こしながら逃げ惑う人々だが、シルトさんとリラさんが定型魔法を使って避難誘導をしていく。
「んー、逃げる人はどうすればいいんでしたっけ」
遠ざかっていく人々を、スクリュードは煙草を満喫しながら眺めていた。
契約とは違い、口約束の内容はうろ覚え。
何か細かい事を言われていた気がするけれど、くゆらす煙の如く消えている。
考えるだけ無駄かと諦めた彼が、もう一度定型魔法を放とうとすると、二つの人影が前を塞いだ。
「やっぱりいますよねぇ、龍族。それに貴女、よく焔の中で無事でしたね」
「っるせえよ。この前に見てぇに逃げねえなら、そのド頭ぶち抜いてやる」
「いきなりは止めろよ、ソフィア。まずは動きを止めるぞ」
会場を焼き払った黄金の焔から出てきたのは、ソフィアさんとシンクさん。
二人の瞳は既に紅く輝き、怒気を含んだ言霊が放たれた。
「――真朱龍眼」
「――雷紅」
ソフィアさんの右眼が龍のそれに変わり、刻まれる赤の割れたハートの印。
流れ込んでくる人間には過剰な情報量を、彼女は胸中を埋める怒りの薪としてくべていく。
そして隣の男もまた定型魔法を発動するも、真紅の残光となって姿を消す。
「あれ?」
真紅の稲光が大地を駆け、煙草を咥えたスクリュードの両足、そして両腕が刹那の内にもがれていく。
どういう事かと彼が思案する間もなく、赤い閃光となった蹴りが頭部へと打ち込まれる。
宙へ舞った悪魔の体を逃さず見続けるのは、ソフィアさんの龍眼。
狙いを定め、敵を撃ち抜くべく、彼女はもう一人へと命令する。
「さっさと力を寄越せ、ザイカ!」
『龍眼との接続安定。並びに携行式光熱砲生成を即時実行。防御兵装使用時の熱量を燃料へ転換。……命拾いしたな、代行者』
「っるせえよ、このジジイが」
ソフィアさんの脳に直接届く、冷めた音声。
その声の主は、彼女の右腕に嵌められた赤い金属の腕輪。
機鋼種と呼ばれる非自然発生の種族である彼は、無機質に命令を受諾する。
腕輪から媒介とする朱色の炎を発し、自らの内に登録された情報から武器を形成していく。
作り出されるのは鈍く銀に光る小銃。
熱量を弾丸とするそれに、吸収したスクリュードの金の焔を供給する。
龍の瞳により遅滞した視覚のなか熟される、攻撃の行程。
迷わず悪魔の胴体へ銃口を向け、ソフィアさんは引き金を引く。
「……ガァッ!」
放たれた灼熱の弾丸により、腹部に三つの風穴を開けられ、転げていくスクリュード。
無力化を確認したシンクさんはようやく動きを止め、定型魔法による変異した姿を現した。
頭部には黒く艶やかで、九つに枝分かれした角。
腰部から後ろに伸びるのは、赤髪と同色の細やかな龍の尻尾。
そして目立つのは、部分的に変異した四肢と全身に纏う赤い雷。
赤雷を駆る竜人となったシンクさんに、ソフィアさんは気まずそうに声をかけた。
「あー……殺っちまったか、あれは」
「いやはや全くもって、完璧に死にました。あの方の力を使うとか予定外です。天使と違って悪魔は脆いんですから、勘弁してください」
「不死身。――違うな。なんだその力は」
ソフィアさんの問いに答えたのは、よくて瀕死のはずのスクリュードの声。
顔を引きつらせるソフィアさんと、冷静に目の前の事象を観察するシンクさんが見たのは、並みの定型魔法ではありえない光景を目の当たりにする。
腹部の銃創から、もがれた四肢の断面から。
スクリュードの放つ黄金の焔が吹き出し、見る見るうちに肉体が再生される。
数秒も経たずして無傷となったスクリュードは立ち上がり、変わらない笑みを振りまいていく。
「何ですかねぇ。警告すらしない騎士団には教えられ――」
黄金の焔を警戒して、構えを取るも二の足を踏むソフィアさんとシンクさん。
完治する隙を与えてしまい、次はどう動くと算段をつけていた所へ、それは乱入した。
まかれた炎を振り払い、蒼く空間を歪ませた霧が、スクリュードに向けて無数の刃を飛翔させる。
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