黄金の光が放たれ、僕の体は吹き荒れる爆風により遠方へ弾かれる。
地面へ何度も衝突し、放り上げられた僕が転がり着いたのは、抜き身の刀を構えるローエンさんの足元。
左眼から深碧の雪結晶を零す彼は、対峙する女性からは目を離さず、黄金の焔に焼かれた馬車に言葉を投げた。
「いったいこれは、どういう了見なんだ。スクリュード殿」
「どうもこうも無いですよ。天使どころか龍族にも目を付けられたんです。潮時って奴ですよ」
「そうじゃない。何故後ろの彼らまで巻き込んだと聞いているんだ!」
僕たちの位置から見ても、黄金の焔は後方一帯を隈なく包み込み、生者の可能性は絶たれていた。
残っているのは光を放った張本人だけ。
黄金に煌めく炎を背に、ローエンさんの声を聞き届ける影は、腹を抱えて笑っていた。
「何言ってるんですか。ウチと貴方の契約はただの一つ。――娘さんの命と引き換えに傀儡になる事。後ろの売れ残りは契約外だ」
口を紡ぐ人狼を影は笑う。
子供のように無邪気に、悪意が煮詰められた釜口を釣り上げて。
「さて人間のお二方。お初にお目にかかりますが、覚えなくて良いですよ」
黄金の焔によって、御者の着ていた合羽が焼け落ちる。
中から現れたのは、賑わう都市部で流行っている黒スーツを着た、姿勢の悪い男性。
整いきっていない紫の頭髪。
目の周りには隈を作り、顔の赤みと胡乱な視線から誰が見ても分かる酒気。
黒いジャケットの下は紫のシャツを着こみ、結ぶネクタイは乱雑に緩められている。
気だるげで印象の悪い男性だが、彼の種族を示す身体的特徴に目が奪われてしまう。
「……悪魔」
男性の腰部から伸びる、鏃のような先端を持つ漆黒の尻尾。
それは紛れもなく彼が悪魔である証明で、僕たちにとって絶望そのもの。
世界に存在する強大な力を有する十二の種族。
悪魔はその一つに数えられていて、力の一端は既に示されている。
「さてさて天使が来るのは時間の問題ですね。ウチは帰って一杯やるので。傀儡さん。そこの二人、殺しておいてください」
「それは……」
「拒否しても良いですよ。そうしたら肴として娘さんが死にますが」
一方的な要求だけを残して、悪魔は黄金の炎に身を包み姿を消した。
誰も逃げた彼を追うことは出来ず、取り残された僕たちの中で初めに動いたのはローエンさんだった。
構えていた刀による円を描いた薙ぎ払い。
間一髪で僕と女性は避けるも、碧の闘気が宿った一撃は、生じた衝撃だけで遠く燃える黄金の炎を切り払う。
「待ってください、ローエンさん! まさか今の言葉に従うんですか!?」
「悪魔に魂を売った私に残された道は、これだけなんですコウ殿」
握る刀に殺意が伝達し、碧の闘気は得物どころかローエンさん全身を包んでいく。
まごう事なき定型魔法の発現。
先の一撃で僕の倣った射程拡張と同系列だと踏んだが、それがどれだけ甘い考えだったか身を持って知らされた。
「――狼王六華・無花果」
僕も定型魔法――技装を展開して蒼い霧を身に纏う。
後手に回るも、霧散蒼影刃ならば狙いが外れるはず。
そんな期待は、予備動作無く振るわれた一撃が左肩を裂いた事により、いとも簡単に打ち砕かれた。
「っぅ!」
「コウ殿の言い分は承知しています。悪に屈しその一派として働くのでなく、反旗を翻す心を持てと。考えるまでもなくそれが正しいです。ですがっ……!」
「それを浴びせんのは数年遅かったな、ガキ。コイツはもう手遅れなんだよ」
続く二撃目。
本調子ではない体は言うことを聞かず、死の直面に硬直してしまう。
逃げる間もない攻撃は、炸裂音と共に高速で飛翔した物体により妨げられた。
雨の中でも影響を受けず放たれる、高熱の弾丸。
ローエンさんは弾丸を物ともせずに、弾くどころか、そのまま女性に同等の攻撃を返していく。
「ああ、その通りだ。二年も前にスクリュードが村を襲い、娘を――ローナを人質されて。もう私の下には何も残っていないんだ」
「僕たちが乗っていた馬車以外にも、沢山の誰かが……彼らは、彼らは仲間じゃ無かったんですか」
「仲間だよ。同じ境遇に立たされ、共感や同情だって勿論ある。だがそれだけだ。私には彼らと娘は同じでは無いんだ」
女性を引き金を引く合間に、僕にもローエンさんの斬撃が放たれる。
土俵の違う相手との対峙の片手間とはいえ、蒼い霧を見切る鋭い一撃は着実に僕の体を刻んでいく。
「限界なんだ。もうこの手で守れるのは、娘だけしかいない!」
全身に切り傷を増やしながら、ローエンさんから距離を置く僕は、援護をしてくれる女性の下へと辿り着く。
霧散蒼影刃で狙いをずらそうと。
剣を振るい、地塊三叉刃で手数を増やして迎撃に出ても。
剣士としての質が違い過ぎて、僕が慣れる隙を与えてくれない。
「おい、オマエ。事情聴取は後だ。あのオッサンをふんじばるぞ」
「分かりました。今は味方という事で良いんですよね」
「味方じゃねえよ。利害が一致しただけだ」
交わされ続ける斬撃と銃撃。
一進一退の状況になり、ローエンさんから目を逸らさず僕たちは言葉を交わしていく。
彼女と僕の今の関係は、味方でないのなら一時的な協力者だろう。
その意味するところはきっと、僕も少なからず、あの悪魔と関わりがあると疑われている。
違うと言いたいところだけれど、今はすべき事に集中する。
「僕の名前はコウです。切り込んでみますので、援護をお願いします」
「へえ、思い切りが良いのは嫌いじゃねえ。アタシはソフィアだ。オマエは死んでくれるなよ、話し相手が減っちまう」
飛び交う朱と碧の閃光の中、僕は蒼の霧となって大地を蹴る。
右手に剣を、左手には鋼棒を。
相手の狙いをずらし、複製した斬撃と打撃を放ちながら、ローエンさんへ駆け寄っていく。
当然、力量の上回る相手を前にして、距離を詰めれば受ける傷は深くなるばかり。
後ろから放たれる銃撃は、音を耳にするだけで意識が削がれ、いつか背中に来るのではないかと考えてしまう。
赤い血潮が痛みと恐怖に染まる。
引き締められ、熱く猛る鼓動は弱まり、本来あるべき感情を塗り替える。
「ローエンさん。娘さんだけを守る。そんな道しか貴方には残されていないんですね」
「それ以外何がある。どれだけ細い糸だろうと、私はそれを手放すつもりは無い!」
「……羨ましいです」
心から零れ落ちる羨望。
暗闇に閉ざされた中で、必死に小さな光を握りしめる彼の立ち振る舞いに、光明に近い輝かしさを僕は感じてしまう。
あの日、あの時。
ネフィーさんだけが助かっていたら、きっと僕はローエンさんと同じ道を取っていただろう。
守ると誓った少女が世界の中心となって、僕はその本懐を遂げるべく奔走する。
彼の心境は痛いほど理解できる。
だから、だからこそ――その輝きに手を伸ばしたくなる。
「そんな希望を抱いているのに、どうしてその程度なんですか」
熱く流れていた羨望に冷気が帯びる。
ローエンさんの現状に納得できない、理解は出来ても頷けない。
守るだけを是としたくなくて、人形同然の立場を否と告げる。
どうしてそこで諦めてしまうのだと、血の通った思いは濃霧に閉ざされた。
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