空舞う亜麻色の髪が落ちていく。
眼前にあるのは首を手足を胴体を、カゲロウによって無残に解体された村人たちだった物。
悲鳴すらなかった。
一抹の希望が見え、不安の消えた後には驚愕を残し、みんな物言わぬ赤い塊に変貌していた。
抱き寄せたネフィーさんは後ろ髪を切られただけだと、視界に映る惨状を前に抱いてはいけない安堵に、僕は顔を歪めてしまう。
良かったなんて、口が裂けても言える訳が無い。
大切な人さえ生きていれば、知人が殺されても良いなんて、そんな人間には成りたくない。
そんな考えを過ぎらせてしまう僕自身に、相反した思いが胃を絞めつける。
「ネフィーさん、大丈夫ですか」
「う、うん。……アンタのお陰で――」
怯える音色が途切れる。
炎に紛れる陽炎をしっかり捉えようと目を凝らしていた僕は、息が止まり視線を下へ降ろす事が出来なくなった。
何かが落ちる音がした。
こびりつく鉄の臭いと、両手に広がる温かい液状の何か。
腕の中で小さくなっていく鼓動に反比例して、僕の鼓動は活発になっていく。
心は熱い。
なのに彼女を抱きしめる腕は冷たく、既に足先の感覚は零度のそれだ。
頭に広がる警告は、異様な速さで情報を乱立し、音を遠ざけ視界を狭める。
魂が熱く叫んでいた。
今より下を見てはならないと。
「不味ったな。これじゃ、アイツらにどやされちまう。折角の褒美をどうしてくれるって」
陽炎が収まり輪郭を現したのは、片手に長剣を握る、くたびれた風貌の男。
隈のできた目の座っている彼は、痛んだ髪を掻きながら気だるげに、自分の仕出かした惨状を後悔していた。
それは村人たちを殺した事に対してではなく、凌辱を目的とした獣の如き野盗を考えての事だった。
「テメェ……やりやがったな。ネフィーちゃんを、彼女たちをよくもっ!」
「……っと。前菜ってやつが来たな」
どうするかと一考していた長剣の彼だが、想定外の相手を前にして目に光を宿す。
その相手は、満身創痍となったジョージ先輩。
全身傷だらけで、槍を杖代わりに足を引きずって歩く先輩は、喋るときにすら苦痛で顔を歪ませていた。
「何だお前。アイツら全員殺ったのか。そんじゃあ、杞憂って事でこっちに専念できるな」
先輩が向かって来ることは、他の野党が全滅したことを指していたが、長剣の彼はむしろ上機嫌で先輩を迎い入れる。
長剣を構え、息も絶え絶えの先輩へ笑いかける彼は、余裕をもって敵対者の動向を待っていた。
「コウ。さっさと片付けてくっから、ネフィーちゃんと一緒にそこで待ってろ」
力の入らない体に活を入れ、奥歯を噛みしめて先輩は僕に微笑みかける。
出血多量に底をついた体力、棒きれ同然な両足、動いている事が奇跡な右腕と出鱈目に切り裂かれた胴体。
短時間で集った野盗を全滅させた奮戦の記録を、その一身で物語っていた。
だが、だからこそ。
状況は絶望的で、戦力差は満場一致の大差負け。
神霊の起こす森羅万象の奇蹟が起きない限り、先輩の敗北は揺らがない。
「穿てよ、グラン・トライデントッ!!!」
一歩前に出た先輩は、色褪せた視界にも関わらず怨敵を捉えてみせた。
顔も声も分からない。
そんな相手に、彼は握る黄土色の三叉槍を振りかざす。
「面白れぇ……。捌いてやるよ。ヒートヘイズ・シルバー!」
絶命間際の先輩が放った、全身全霊の投擲。
対する野盗は、またしても体を陽炎へ溶かし、銀の剣閃を持って迎撃する。
宙を裂く音が鳴り、僕の体を通り抜けた熱風は都合三度。
二度に渡る金属の衝突音が響いた後、サイゴの音は心が拒絶した。
「………………ネフィーさん」
もう燃える炎の音すら満足に聞こえない僕は、ゆっくりとネフィーさんの体を抱きしめたまま視線を下へ向ける。
目が合うのは絶望に暮れた翠緑の瞳。
一筋の赤い雫を零し、それは綺麗に梳かれたブロンドの髪を染めていく。
半ばに開かれた口は何を言いかけていたのか、問いかけても動くことは無い。
抱きしめる体は温かいのに、伝わる熱は心を冷たくしていく。
「ネフィーさん。ずっと一緒に居てくれますか?」
浮かび上がってくる言葉をそのまま漏らしてく。
これが本音。
これが本心。
嘘偽りない魂の言葉で、昔からずっと……出会ったあの日から刻まれた刹那の煌めき。
「騎士もどきの僕でも良いですか?」
なのになぜ、いつから僕は取り違えたのだろうか。
物語の騎士に憧れて、成長と共に普遍の正しさを求めてしまったから、歩む道を違えてしまった。
本当は大切な人の隣にいて、永遠に守っていたい。
そんな想いを飾った言葉だった筈なのに。
「……そう、ですよね」
今も昔も、ネフィーさんのこの問いへの答えは変わらない。
赤くなって言葉を濁して、最後の最後は黙り込んで顔を背ける。
言わなくても分かってるでしょって、ずっと僕の隣に居てくれた。
「一緒に死んで欲しいなんて、ネフィーさんは考えません。ましてや復讐なんてありえない。ただ僕に生きていて欲しい。それだけを願う人です」
昔の僕たちは、騎士とお姫様を代替にそれを描いていた。
一緒に老いを重ねられなくても良い、後を追うこともしなくていい。
お互いを大切に想い合う、そんな関係になりたいって。
だから今、僕のすべきことは《《生きること》》。
逃げて逃げて、生き延びて。
馬鹿を晒してでも生を全うする。
「それが僕の知っているネフィーさんです」
もう答えは出ていた。
一心不乱に眼前の敵から逃亡する事。
それが最愛の人が望む、正しい答え。
「――……なんて事が、正しい訳が無いです!」
変わらぬ陽光を齎す金剛に向け、僕は咆哮した。
温かな熱は滾る心臓に伝わり、心を通して、鋭利な冷水の刃となって魂に刻まれる。
熱し容易な切断が可能になった魂は、より優れた希望を求めて形を変え、差し込まれた感情に呼応する。
「悪意に屈し、敵意に怯え、一生の何もかもを踏み躙られて。こんな世界で正しいのは、屈辱を噛み締めた逃亡だけ? ふざけているにも程があります」
滲んだ悪意の一欠片を魂から抽出し、乱反射させて、心に塗り固めていく。
魂から漏れる殺意を、敵意の心が増幅し、それは全身へ駆け巡る。
「さっきからどうした、ガキ。恋人死んで狂っちまったか? そんな事より俺と殺ろうぜ」
「ええ、そうですね」
飽きが回って来たのか、陽気に僕へ声をかけてきた彼に、自分でも驚くほど冷たく低い声で僕は応える。
抱きしめていた体をそっと寝かせ、僕は虚空を見つめるネフィーさんの目に、手を翳して閉ざす。
彼女の手の代わりに握るのは、冷たく重い鋼鉄の剣。
最愛の人の血で赤く染まった体からは、不思議と蒼白の殺意が流出する。
こういう時は、ネフィーさんの言う通りだよね。
遠慮なんていらない。
魂に刻まれた礼儀正しさなんて……
「死ねよ、クソ野郎がッ!」
自然と吐かれた僕の言葉を合図に、野盗の彼はこれ以上ない満面の笑みを浮かべる。
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