文学は時代との兼ね合ひを忘れてはならぬが、己の世界観も同様に忘れてはならぬのである。自らが、納得し、其れが他人に伝わつてこそ、文学は生きるのである。
「辱い」彼は捷く、又丁寧に
曲線{(x2)/4}+3{(y2)/7}=1
とxy平面で図示出来さうな段の連なつた階段を駆け上がつて行つた。
吾はつい、恒常性に関する論文を描くのを止め、其の凛々しき姿に見いつて居た。
数学との演繹法に拠る対話は至難の業である。五月蠅い音と五月雨に包まれて、私は、方程式へと成り消滅するのである。
菲しい馨りに、惹かれ、無機化学及び、錬金術と吾は懇談して居りました。吾等を道具と見做す輩(ともがら)は、吾々との対話を試みようとしませぬ。吾々を切り刻んで列(なら)べる様な事は行なひますが。私は其れを耳に入れて、一瞬であるが頭身の毛も太る様な感慨が漲る中、唯眺めて居る他になかつたのであります。吾は己に問うた、親身に彼等と此から向い合ふ事が出来るかと。
吾の心の何處かで、吾が無垢で潔白であれば、今尚感ぜられる此擬しさ、切なさを知らずに、一生涯生きられたであらう。
併し此思ひを感ぜる事が出来たからこそ、他人の痛みを知る事が出来るのであらう。
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