「二日後の晩に霧が出まする」
軍学者勘助は、絵図面を指し示しながら、霧について話す。
「……ほぅ」
百戦錬磨のつわものたちが興味深く聞き入る
天候の変化ほど勝敗に影響するものはなかったからだ。
「その霧に乗じて妻女山に奇襲をするのじゃな?」
勇猛で鳴る、原虎胤と飯富虎昌が異口同音、異形の面構えの勘助に問う。
「それは謙信も予想していようの……」
「……左様でござりまする」
勘助は攻め弾正こと信濃先方衆の雄、真田幸隆のしがれた声に続ける。
「百戦錬磨の皆様が考えられるように、ここは奇襲が妙手でござる、が……」
「……が!?」
「……この霧に乗じてましてな、このような策は如何でしょう?」
――勘助の言は、この後、半刻ほど続いた。
「……なるほど」
一騎当千の将兵たちは一応に頷いた。
さすがは武田の軍学者、山本勘助であると……。
「策は決した! あとは風のように行軍し、火の如く攻めるのみ!」
信玄が断じ、諸将が『応!』と応じる。
武田家中は、独裁ではなく、信玄を中心とした連合国家でもあったのだ。
信玄と一同は武田の家宝、御旗と楯無鎧に誓う。
ちなみに、盾無鎧とは、極めて丈夫故、盾が要らないことからきている。
「我々は越後の上杉謙信を必ずやこの戦で打ち破る!」
「御旗楯無ご照覧あれ!」
……御旗盾無に誓ったことは、まさに武田の棟梁である信玄でも違えてはならない絶対の御誓文であったのだ。
――二日後の夕刻。
諏訪法性の旗と孫子の旗がたなびく武田軍の城塞群、海津城に無数の炊煙が上がる。
まさしく、戦国最強の軍団が動こうとしている証左であった。
……戦国の巨獣が咆え、大地に鳴動が走ろうとしている、その時。
その炊煙を見た謙信は、何を思ったのか、その晩は笛を嗜み、能を舞っていたと、今に伝わっている……。
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