――戦国時代。
江戸時代のように食料生産に余剰能力は無く、戦国大名が持つ兵力の多くが半農半士であった。
下位兵士である雑兵として参加するものは、ある者は口減らしであったり、ある者は乱取目当ての貧農だったともいわれている。
――謙信は妻女山から動かず、又、信玄も海津城から動けずにいた。
武田領深くで陣を敷く越軍の真意が分からなかったからである。
……しかし、動けないでは済まされない。
多くの雑兵たちは、信玄に心酔しているのではなく、勝った時の恩賞だけが目当てなのだ。
ただ長陣を張るだけなら、何処かへ去る恐れがあったのだ。
――信玄は諸将を集め軍議を開いた。
「これは如何に思う?」
これに応じ、口を開いたのは、飯富虎昌。
赤備えを率いる武田軍団屈指の猛将であり、嫡子義信の守役(教育係)も務めた。
「御屋形様! 敵は我が領にて布陣しており申す。之を叩かねば信濃の豪族に嘲りを受け申す!」
「いかにも!」
馬場信春が相槌を打つ。この男は先代信虎の新鋭隊長も務めていた戦上手の譜代家臣だ。
「……ふむう」
信玄は髭に手をやり、諸将に問うた。
「しかし敵は山頂ぞ! いかにして攻め立てる?」
座が鎮まる。
相手は越後の龍と称される戦の天才。
……今までの敵とは違う。
うかつに攻めては、此方がやられる可能性があることを、居並ぶ諸将は知っていたのだ。
「……御屋形様! 某に策があり申す!」
静かに進み出てきたのは、古傷の足を引きずる隻眼の醜男。
足軽大将の山本勘助だった。
亡き甲斐の柱石、板垣信方が推薦した軍配者(参謀のこと)であった。
「おう勘助! いかにして攻める?」
「……いえ、攻めるには及びませぬ! 追い出せばよいだけでございます!」
勘助の合図を受けた内藤昌豊という若侍が大きな地図を持ってきた。
武田の諸将一同は、その地図を覗きこみながら、勘助の話に聞き入ったのだった。
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