「越軍(上杉方の軍こと)は妻女山に陣を敷いておりまする!」
「うむ! 海津城は無事か?」
「はっ! ご無事の模様!」
信玄は間者(諜報員のこと)の知らせに頷く。
川中島の武田方前衛基地である海津城には、信玄の寵童でもある高坂昌信が籠城していた。
海津城は一つの城ではなく、川中島周辺の山岳地帯に多数の砦を築いた城塞群だった。
これを落とすのには骨が折れるとみた謙信は、要所である妻女山に陣を敷いていた。
妻女山に陣を敷かれると、海津城と信玄の本拠である甲斐との連絡が取りにくい地勢となる。
態と海津城を攻めなかった謙信は流石に戦上手であった。
……それを見た信玄。
「ぬう、一旦茶臼山に陣を敷くぞ!」
「はっ!」
信玄お抱えの伝令衆である、百足衆が馬に乗り各隊へ散っていく。
百足衆とは情報伝達の専門組織で、百足をあしらった旗指物を刺していた。
武田勢は百足衆の指示通り、陣形と威容を保ったまま茶臼山に向かう。
先頭の信玄の旗本部隊(親衛隊のこと)には、孫子の旗と諏訪法性の旗が高らかに掲げられていた。
この茶臼山への布陣は、越軍の退路と補給線を窺うものであり、越軍は山頂にて一斉にざわめきだつ。
信玄は海津城に入るはずだと思っていたからだった。
……対峙すること6日。
越軍の動揺を誘ってみた信玄だが、謙信に動きはない。
かといって、妻女山山頂に立て籠もる越軍を攻めるのも愚策だった。
兵法的に高い山の上の方が有利だったのである。
「一旦海津城にはいるしかありませぬな!」
歴戦の猛将、馬場信春が信玄に上申する。
甲軍(武田方のこと)もここまで強行軍を続けてきたのだ。
屋根や設備がある海津城で兵を休ませた方が得策だった。
「うむ! 全軍に知らせよ! 我が軍は海津城に入る!」
「「「はっ!」」」
諸将はこうべをたれた後。
歴戦の勇士たちを引率し、海津城へ向かった。
この動きにしたいしても、越軍は一切動きを見せなかった。
信玄は悠々と海津城に入ることに成功する。
……しかし、この後、更に緊張と停滞感が増していくのであった。
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