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大歓声のなか、日葉がプールサイドから出てきた。
2階席の部員たちへ笑いかけてから、顔を引き締めた。
多くの部員は手を振っているが、ぶすりとむくれているのが数人……あれが日葉をよく思っていない先輩たちだろうか。
それでも、飛び込み台へと歩いていく彼女は堂々としていた。
「にっちゃん……がんばって……!」
明夢が祈るようにつぶやく。
8人の選手は並び、スタートの体制を取っていた。
『用意。…………ピッ!』
スタートの合図で、8人揃ってきれいな弧を描くように水へ飛んだ。
日葉がするりと着水すると、その後に白いしぶきが咲いた。
水の中を静かに潜水で進み、すうっと水面に体が浮かび上がったと同時に長い腕が伸び、そして斜めから鋭く水面を突き刺した。
「素晴らしいスタートだわ」
拝慈が小さく息を漏らす。
日葉の泳ぎは水の抵抗を感じさせないようになめらかで、ひとかきで進む距離も長い。
あの子は水の中で生きていると言われても、今なら信じてしまうかもしれない。
それほど水中での動きに違和感がなかった。
「速いっ!」
一ノ瀬先生の言葉と同時にターンが決まる。
しかし、わずかながら日葉はトップを逃した。
先頭の女子は速かった。
でも日葉も決して離されてはいない。相手の状況が見えないなかで、自分だけの泳ぎに集中している。
「もうもう! なんだよ! すっごい奇跡が起きない限り、こんな重圧のなかで1秒以上速い相手になんて追いつけるわけないんだよぉ! もういいだろ。これ以上誰も、日葉ちゃんを苦しめるなよぉ!」
ほぼ泣き声で、手すりを叩きながら佐々崎がわめき散らす。
ふと水泳部の席を見ると、例の先輩たちが笑いながらプールを見下ろしていた。
彼女たちは。ずっと一緒に練習をしていた仲間なのに。一体、日葉のなにを見てあんな顔ができるんだろうか。
「いける……。“奇跡”って言葉は、起こるから存在るんだよ……!」
怒りを押し込めて自分に言い聞かすようにつぶやき、代わりに目の前の手すりを強く握りしめた。
そのときだ。日葉が動いた。まさか、ここでスピードが上がっている。
「にっちゃんっ! 追い込めーーーっ!!」
手すりから身を乗り出してキョージンが叫ぶ。
「がんばれっ、がんばれ日葉ちゃんーっ!!」
「にっちゃ〜んっ! お願い〜っ!」
佐々崎と明夢もつられるようにして叫んだ。
声はおれたちだけじゃない。
気づけば後ろから、横から、前から、たくさんのオーディエンスから。割れるような日葉への声援が会場を満たしていた。
「これはもしかすると、もしかしますな!」
ハンカチで額の汗を拭いながら、山下先輩も興奮して叫ぶ。
47秒、48秒……。
ゴールは目の前に迫っているのに、日葉はまだ追いついていない。
間に合うか……。
いや、間に合え——っ!
「にちはーーーっっ!!」
先頭の二人がゴールへと手を伸ばして————タッチした。
「どっち!?」
わきあがる会場を背負うように、一ノ瀬先生が立ち上がる。
後を追って次々に選手達がゴールしていくなか、険しい顔で日葉は水の中で立ち尽くしていた。
全員がゴールしてプールを上がっていくのを見ながら、おれたちはタイムの発表を息を飲んで待った。
マイクがオンになり、スピーカーが震えた。
そして。
「先ほどの女子100m自由形の順位を発表します。1着————」
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