スラッシュ/

キーダー(能力者)田母神京子の選択
栗栖蛍
栗栖蛍

325 奈落の底へ

公開日時: 2024年12月29日(日) 09:51
文字数:1,030

 まるで暴走が起きたかと思う衝撃に、桃也とうやは慌てて手を伸ばした。

 しのぶが屋上の床に力を撃ち込み、弾け飛んだ床板が粉々になって下の階へ落ちていく。


 舞い上がる粉塵ふんじんがゆっくりと晴れて、屋上に直径10メートルほどの穴が露出した。幸運にもそのふちを掴むことが出来たが、亀裂きれつの入ったコンクリートはいつ崩れてもおかしくない。

 宙を掻く足の先は暗闇に包まれていて、瓦礫がれきが底を鳴らす音はだいぶ遠かった。


「どうすれば……」

「どうすればいいだろうね」


 独り言を言ったつもりが、頭上から耳障りな声が降って来る。ぼんやり明るかった視界をさえぎる忍を、桃也は目の動きだけで睨みつけた。


「何だよ、その眼は。もっと派手にやれば良かったって思うだろ?」


 桃也は両手の力だけで崖にぶら下がっている状態だ。手の感覚が少しずつ麻痺していて、無駄な会話をしている余裕はない。

 忍は疲労の一つも見せず、ニヤニヤと仁王立におうだちで見下してきた。


「良い眺めだね」

「……邪魔なんだよ」


 穴のきわに立つ忍の重みで、手元がギシリときしむ。

 生きた心地がしなかった。ひたいを伝った汗が目に染みる。


 このまま見捨ててどこかへ行ってしまえと思うのに、忍は事もあろうかドンドンと床を蹴り、その足で桃也の右手を強く踏みつけた。


「が……」


 さっき死体を踏みつけた足だ。

 悲鳴を上げる桃也の手を、今度は床にり付ける。「ねぇ」とその場にしゃがみこんだ忍に、手元のコンクリートがパラパラと砂状に舞った。


「俺がどうしてキーダーとの戦いにこの日を選んだか分かる?」


 すぐそこに迫る気配と香水の匂いに吐き気がする。

 忍は悠長な口ぶりでそんな質問をした。


「……はぁ?」

「気付かないの? 今日がいつだと思ってるんだよ」

「10月7日じゃねぇのかよ」

「違うよ。さっき日付が変わったから、もう10月8日だ」


 その数字に意味があったというのか。

 ホルスからのFAXで10月7日という数字を見た時、桃也は何も感じなかった。

 けれど。


「お前──まさか、わざとなのか──?」

「人聞きの悪い言い方するなよ。俺はただ、意味のある日の方がいいだろうと思っただけだ」

「───」

「今日は君の誕生日だろ?」


 にっこりと笑った忍の口元が、「サヨナラ」と動く。

 桃也の右手を放れた足がダンとその横を強く打ち鳴らして、忍の身体がひらりと宙に舞い上がった。一度の跳躍ちょうやくで屋上の端へと移動してしまう。


 彼が飛び上がった反動で、割れた床を掴む桃也の手元が大きな音を立てた。

 叫ぶ暇など与えてはくれず、身体が奈落ならくの底へと引き込まれようとしていた。




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