修司がキーダーとなり、ジャスティを空へ逃がしてから二週間が経った。
横浜からアルガスへ戻った翌日は土曜で、次の登校まで譲からの連絡はなかった。
騒動はニュースで取り上げられていたが、流石アルガスと言わんばかりの端折られっぷりは、修司が思わず朝のほうじ茶を食堂で豪快に吹き出す程だった。
避難の最中、スマホで状況を撮影していた一般人が写真や動画をネットにアップしていたが、断片的に切り取られたシーンではこの事件の核心を語ることはできなかった。
こうやって真実が隠蔽されていくのかと思うと、知る側の人間になれた事に責任感が沸いてくる。けれど、キーダーの生活に並行する学校生活は今までとあまり変わりはなかった。
譲は相変わらずアイドルの話題に一方的な花を咲かせている。事件後最初に会った時、開口一番に「ありがとう」と言っただけで、それ以上あの日の話題に触れてはいない。
そして、梅雨に入り掛けの湿度を鬱陶しく感じながらの衣替え。
アルガスの制服も紺色から水色基調のさっぱりしたものになって、袖が裂けたまま数日過ごした修司もようやく落ち着くことが出来た。
しかし律との戦闘でできた傷は、思った以上に深刻だ。縫合するほど大きくはなかったものの、腕の骨にヒビが入っていたらしい。
京子からの呼び出しで会議室へ向かう途中、合流した美弦がぐるぐる巻きの包帯を覗き込む。基礎鍛錬という名の腹筋の最中に包帯が解けて、医務室で巻きなおして貰った所だった。
「アンタの伯父さん、骨も専門なの? 前は産婦人科医だったのよね?」
「いや、骨なんて応急処置程度だよ。ちゃんと病院行ってるだろ?」
階段を上りながら人差し指を顎に添えて、美弦は「そりゃそうよね」と納得する。
事件後、颯太が再びトールへ戻り銀環を外した。
どういう風の吹き回しかは知らないが、あんなに忌み嫌っていたアルガスで医務室長として働くことになったのだ。
医師免許は剥奪されたものの、アルガスは治外法権がまかり通る世界らしい。これまでの遍歴をものともせず、食堂のマダムを始め年配の女性陣から歓迎を受けたのは言うまでもない。
本当、明日の未来がどうなるかなんて分からないものだ。
会議室を目前として、美弦が「修司?」と足を止めた。
何か言いたげに口を開くが、「あのね」と言ったまま口籠ってしまう。
「何だよ。俺に都合悪い話? そこまで言ったんなら言えよ」
「……アンタ知ってる? バスク上がりのキーダーはね、一年間能登の訓練施設に行かなきゃならないのよ」
「能登って……北陸の?」
他人事のように理解した頭が徐々にその意味を理解して、修司は慌てて聞き返す。
キーダーを選んだ自分がこれからの生活に胸を躍らせていたのは、他でもなく美弦の側に居れると思ったからだ。しかしそれを全て否定するように、美弦が「そうよ」と頷いた。
☆
「失礼します」と声を合わて中に入ると、コーヒーの香りが二人を迎えた。
京子だけだと思っていたが、本部のキーダーが集まっている。美弦の発言で重くなっていた足取りから姿勢を正し、修司は「お疲れ様です」と頭を下げた。
「修司はブラックだよな?」
部屋の隅に置かれた緑色のワゴンにはポットや急須など諸々が並んでいて、桃也が慣れた手つきでお茶の準備をしていた。
時計は午後の三時を回った所で、確かにそんな時間だ。
修司は「はい」と答えて、各々に寛ぐ面々を見渡す。
元々五月のうちに本部を離れると言っていた桃也が予定を数日伸ばしてここに居るのは、ホルスとの戦闘の後処理が長引いているからだ。二人の時間が伸びた京子は、どんな思いを抱えているのだろうか。
コの字に並べられた机の向こうに座る京子にそっと目を向けると、隣に思わぬ人物を見つけて、修司は「えっ」と目を疑う。
湯呑を手に佇む白髪交じりの男に、涙が込み上げた。
「平野さん!」
平野芳高だ。
まだ仙台に住んでいた十歳の修司が出会い、バスクの同志として五年を共に過ごした彼は、二年半前にキーダーを選んで突然姿を消したのだ。
急な再会に浸る暇もなく、美弦が「平野さんだぁ!」と彼にぴょんと駆け寄っていく。
「ほら修司、来なさいよ。平野さんよ! やっと会えたんじゃない」
きゃあきゃあと普段以上にテンションを上げる美弦。けれど色々な思いが募って、修司は素直にこの状況を受け入れることが出来なかった。
それでも、キーダーの制服を着た彼に会えたことを嬉しいと思う。
「美弦ちゃんはまだまだ子供だね」
彰人が小さく笑いながら、コーヒーのカップを口に運んだ。
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